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石垣島日記 その1 平成23年10月

石垣島日記 その1 平成23年10月

急に書いてみたくなった石垣島日記(回想)。
約20年前に石垣島で仕事をしていたことの記憶。


社会人になって2年目、ようするに医者になって2年目。
大学からの命令で「石垣島へ行け。」と。
永久追放ではなく、期間限定で1ヶ月間。

私の大学(都内)では無医師地域を助けようという目的で、石垣島(八重山赤十字病院)へ内科医師を一人派遣していた。しかし非常に不人気なので、1~2ヶ月での交替制だった。

不人気な理由はいずれ分かるが、、、
今ならば人気になるかもしれないが、、、
結局、現場に派遣される医師側からの強い反対と、現地での需要の低下(沖縄本島からの派遣)により、私を最後にしてこの派遣は中止になった。
私の評判が悪くて中止になった。
のではなく、中止になることが決定していて、その最後のまとめとして後片付けを含めて派遣された。そこんとこ大切。


石垣島にあるくせに石垣日赤とは言わずに、八重山日赤という。
八重山諸島全域をカバーするからその名前。名前も知らない小さな島から、海を越えて患者さんがやってくる。
石垣島だけで当時4000人の人口なので、病院はそこそこの規模だ。あちこちの「日赤病院」と全く同じ。内科医師は7,8人。
そんな活発的な病院へ、社会人2年目が派遣されるなんて、、、、、

受け取る病院側に失礼だろ、という気持ちでいっぱいだった。
自分から聞きたいことはたくさんあるのに、訊かれても答えられることはほとんどない。でも対等な立場で仕事をしないといけない。

派遣が決まった時点からプレッシャーのかたまりだましい。




派遣される先輩達の口癖は、

「石垣島にいる間は、勉強も研究も何もできない」

実験をして論文を書く、という人生の、時間が止まってしまうという。
ほぼ全員の先輩がそう訴える。
それくらい勉強が大好きな人たちが集まっている大学なんだけど、

僕の口癖は、
「石垣島にいる間は、競輪と競馬が何もできない!」


当時は携帯電話が出始めた頃で、関東で使う電話は関東でしか電波が届かない。さらに石垣島なんてもともとアンテナがないからどこの会社の携帯だろうと使うことが出来ない。携帯電話のかわりに、「ポケベルが鳴らなくて」が流行った、ポケベル全盛期だ。
民放テレビも映らない。衛星テレビもない。NHKしかない。
(ちなみに宿舎にはテレビそのものがない。)
スポーツ新聞なんて、島の人は存在も知らない。

競輪競馬の情報を確認することすらできない。
どうやって生きていけっていうの、おれに?

ちなみに、島の数少ない娯楽はパチンコのようでした。ゲーセンもみかけなかったような。


「島流し」という言葉に何も違和感を感じない派遣。




飛行機に乗るのは人生で2回目。
那覇で乗り換えて石垣島へ。空港へ降りる前に、方向転換のために飛行機が大きく旋回すると、石垣島の海が見えた。さんご礁が見えた。

すげぇ!
なにこれ?

海の色が青じゃないんだよ、エメラルドブルーなんだよ。ところどころ緑や黄色に光り輝いているんだよ。
同じ日本にこんな海があるの?というか、ここは日本なのか?

この旋回がわざとなら、航空会社を大絶賛。これが見れただけで石垣島に来た甲斐がある。
20年たった今でも記憶に残っている海の色だ。

降り立った空港も、それまでの常識をぶち壊すくらいにこじんまりしたもので、ローカル線の駅みたいで。。。
(同じような小さな空港は、その後、海外で何度も訪れましたが。)


20年前の3月上旬。
海開きはまだなのに、もうジメジメ蒸し暑い。
さて、一ヶ月間、無事故無違反で過ごすことができるのだろうか。

by akogarehotel | 2011-10-22 13:19 | あちこち旅行記 | Comments(0)  

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