石垣島日記 その2 平成23年10月
石垣島日記 その2 平成23年10月
急に書いてみたくなった石垣島日記(回想)。
約20年前に石垣島で仕事をしていたときの記憶。
………
石垣島の診療というと、イメージ的にドクターコトーかもしれないけど、、
そんなこと全然なく、病院自体は街の総合病院。「日赤」ですから。
科目数もベッド数も十分。
患者さんも十分。
医者だけ不十分。。。。。
入院患者さんを医師数で割ると、、、
単純計算で、僕の担当は25人前後。
この25人は僕だけの担当。この25人に何かあったら僕だけが頼り。
マジですか。2年めの僕に?ということはもう置いておいて。
一人の診察に5分かければ、25人全員で2時間。
病棟の診察以外に、内科外来での診察が週3回。外来勤務の日は朝から夕方まで外来にピッタリマーク。仕事が終わった夕方から病棟めぐり。。。。
と、こんなことはどこの病院でも同じ。本州でも同じ。
夜間当直は週1回。二人の医者が当直。
そして石垣島の人口は4000人。病院はここだけ。
4000人を二人で担当するので、、、当然、、、、エンドレス。。。
昼間の外来よりも忙しい。まさに戦場。野戦病院。
風邪が大多数だけど、子供の痙攣とか、吐いたとか、、よくも次から次へと。
診察待ちの患者さんが廊下で仮眠している。我々には仮眠する暇はない。これが週1回。よくやるよね。
で、翌日も普通に仕事をするので36時間労働なんて当たり前。よくやったよね。なぜ謀反とか反乱とか一揆とかデモとか起きなかったのだろう。
え?当然、デモなんて起こさないよ。
当時の私(そして他の若い医者ほぼ全員)は、今からは想像もつかないくらいに熱血漢だったので、
むしろ楽しんでいた。
この職種は経験こそが糧になるから。
数多くモンスターを倒せば、その分レベルが上がるから。
徹夜マージャンで鍛えてるから、眠気もそんなに気にならないし。
ま、翌日の昼間の仕事にたいして「ちょっとだけ手を抜く」というスキルも身につけたのも、この頃からかもしれない。
それも経験。
さらに石垣島では、
単に忙しいだけでなく、学問的な意味でも、非常に多くの経験ができた。
僕の専門は神経内科。脳卒中などのほかに、「なんだかよくわからない」病気も数多い。でもそんなのそれまでは教科書でしか見たことなかったが、、
20年前の石垣島のような閉鎖社会では、遺伝子も閉鎖される。
近親間の結婚が多くなるので遺伝病が発生しやすくなる。
だから、石垣島では「よくわからない遺伝病」をいくつか診ることができた。教科書でしか見たことない病気。日本に数人しかいない病気。
でも、、、かわいそうだね。そういう病気の人たちは。。
島の風習にそって、島の人達どうしで結婚して、、、と普通のことをしただけなのに、奇病になって手足が動かなくなったりする。
だから、そういう患者さんを診た医者は「すっげぇめずらしい!」なんて興奮してないで、「かわいそうにね」と感じるべきなんだけど、、、
ま、2年目の若い医者は「すっげぇ」と思いながら目を輝かせていたわけで。
…
週1回くらいの往診もやらされた。
もちろん、楽しい遠足気分。大学勤務中には往診なんてしたことないし、送迎車完備だし、往診先ではめずらしい疾患を見ることができるし、、、
でも、往診先では、、、
脳卒中や難病奇病で寝たきりの人の診察。動けなくてかわいそうな人の診察。
今にして思えば、自分が恥ずかしい態度で外回りをしていたかもしれない、と反省猿。そのへんを現在に生かしているとすれば、十分な経験をさせてもらったわけだが。
で、若い医者は興味津々で視線がキョロキョロ。
患者さん以外へ視線をキョロキョロ。
90歳を超えた長老様みたいなところへ往診に行くので、家そのものも長老様。
古くてぼろい、というのではなく、古くからの琉球風、南国風の家。
本でしか見たことないような赤い色を中心とした木造で、屋根の上に石がたくさんのせられている。まるで手作りのような石垣があったり、、そう、あの、犬だかライオンだかの、、、、、
シーサーです。
失礼ながら、仕事そっちのけの社会科見学だったかもしれない。
時間的制約が厳しく、体力的にかなりこたえた仕事だったけど、そのぶんの見返りも大きかった。
あの頃は、石垣島への派遣を非常にいやがっていたけど、、、
そうか、今にして思えば楽しかったんだな。
急に書いてみたくなった石垣島日記(回想)。
約20年前に石垣島で仕事をしていたときの記憶。
………
石垣島の診療というと、イメージ的にドクターコトーかもしれないけど、、
そんなこと全然なく、病院自体は街の総合病院。「日赤」ですから。
科目数もベッド数も十分。
患者さんも十分。
医者だけ不十分。。。。。
入院患者さんを医師数で割ると、、、
単純計算で、僕の担当は25人前後。
この25人は僕だけの担当。この25人に何かあったら僕だけが頼り。
マジですか。2年めの僕に?ということはもう置いておいて。
一人の診察に5分かければ、25人全員で2時間。
病棟の診察以外に、内科外来での診察が週3回。外来勤務の日は朝から夕方まで外来にピッタリマーク。仕事が終わった夕方から病棟めぐり。。。。
と、こんなことはどこの病院でも同じ。本州でも同じ。
夜間当直は週1回。二人の医者が当直。
そして石垣島の人口は4000人。病院はここだけ。
4000人を二人で担当するので、、、当然、、、、エンドレス。。。
昼間の外来よりも忙しい。まさに戦場。野戦病院。
風邪が大多数だけど、子供の痙攣とか、吐いたとか、、よくも次から次へと。
診察待ちの患者さんが廊下で仮眠している。我々には仮眠する暇はない。これが週1回。よくやるよね。
で、翌日も普通に仕事をするので36時間労働なんて当たり前。よくやったよね。なぜ謀反とか反乱とか一揆とかデモとか起きなかったのだろう。
え?当然、デモなんて起こさないよ。
当時の私(そして他の若い医者ほぼ全員)は、今からは想像もつかないくらいに熱血漢だったので、
むしろ楽しんでいた。
この職種は経験こそが糧になるから。
数多くモンスターを倒せば、その分レベルが上がるから。
徹夜マージャンで鍛えてるから、眠気もそんなに気にならないし。
ま、翌日の昼間の仕事にたいして「ちょっとだけ手を抜く」というスキルも身につけたのも、この頃からかもしれない。
それも経験。
さらに石垣島では、
単に忙しいだけでなく、学問的な意味でも、非常に多くの経験ができた。
僕の専門は神経内科。脳卒中などのほかに、「なんだかよくわからない」病気も数多い。でもそんなのそれまでは教科書でしか見たことなかったが、、
20年前の石垣島のような閉鎖社会では、遺伝子も閉鎖される。
近親間の結婚が多くなるので遺伝病が発生しやすくなる。
だから、石垣島では「よくわからない遺伝病」をいくつか診ることができた。教科書でしか見たことない病気。日本に数人しかいない病気。
でも、、、かわいそうだね。そういう病気の人たちは。。
島の風習にそって、島の人達どうしで結婚して、、、と普通のことをしただけなのに、奇病になって手足が動かなくなったりする。
だから、そういう患者さんを診た医者は「すっげぇめずらしい!」なんて興奮してないで、「かわいそうにね」と感じるべきなんだけど、、、
ま、2年目の若い医者は「すっげぇ」と思いながら目を輝かせていたわけで。
…
週1回くらいの往診もやらされた。
もちろん、楽しい遠足気分。大学勤務中には往診なんてしたことないし、送迎車完備だし、往診先ではめずらしい疾患を見ることができるし、、、
でも、往診先では、、、
脳卒中や難病奇病で寝たきりの人の診察。動けなくてかわいそうな人の診察。
今にして思えば、自分が恥ずかしい態度で外回りをしていたかもしれない、と反省猿。そのへんを現在に生かしているとすれば、十分な経験をさせてもらったわけだが。
で、若い医者は興味津々で視線がキョロキョロ。
患者さん以外へ視線をキョロキョロ。
90歳を超えた長老様みたいなところへ往診に行くので、家そのものも長老様。
古くてぼろい、というのではなく、古くからの琉球風、南国風の家。
本でしか見たことないような赤い色を中心とした木造で、屋根の上に石がたくさんのせられている。まるで手作りのような石垣があったり、、そう、あの、犬だかライオンだかの、、、、、
シーサーです。
失礼ながら、仕事そっちのけの社会科見学だったかもしれない。
時間的制約が厳しく、体力的にかなりこたえた仕事だったけど、そのぶんの見返りも大きかった。
あの頃は、石垣島への派遣を非常にいやがっていたけど、、、
そうか、今にして思えば楽しかったんだな。
by akogarehotel | 2011-10-23 17:10 | あちこち旅行記 | Comments(6)
Commented
by
コシュ
at 2011-10-24 10:38
x
すごい!
いつも飲み会で、AFDJとかガチとかばっかりでこういうの聞いた事なかったー。
ハテルマとか行ってみたいなぁ。
いつも飲み会で、AFDJとかガチとかばっかりでこういうの聞いた事なかったー。
ハテルマとか行ってみたいなぁ。
0
Commented
by
akogarehotel at 2011-10-24 17:02
コシュと飲むときはコシュレベルの話題、
幸福さんと飲むときは幸福さんレベル。
なんてね。
波照間は石垣から船でいける小さな島ですよね。2か月くらい滞在すると遊びに行く暇が取れた先輩もいたとか。
遊びに行ったんじゃないからね、という当たり前の答え。
石垣日記は第五話まで続きます。
幸福さんと飲むときは幸福さんレベル。
なんてね。
波照間は石垣から船でいける小さな島ですよね。2か月くらい滞在すると遊びに行く暇が取れた先輩もいたとか。
遊びに行ったんじゃないからね、という当たり前の答え。
石垣日記は第五話まで続きます。
Commented
by
コシュ
at 2011-10-25 11:51
x
なんてね。
とかフォローする辺り、本音っぽい気が・・・
ハテルマは仕事で絡みがあったんですが営業に行けずじまいで。
それで、興味がわいて調べたら1度行ってみたいと強く思う様になりました。
続き期待してます。
とかフォローする辺り、本音っぽい気が・・・
ハテルマは仕事で絡みがあったんですが営業に行けずじまいで。
それで、興味がわいて調べたら1度行ってみたいと強く思う様になりました。
続き期待してます。
Commented
by
akogarehotel at 2011-10-25 14:25
あれ、いつも本音しか言わないよ、おれ。(^^)
仕事以外は。
波照間は(少なくとも当時は)無人島?
子連れでは難しいね。しかも高い。
今度の年末に那覇の義兄のとこへ行こうと思ったら予算が50万を超えました。。。。
安くて、子連れで、海を楽しむ、と思ったら、
白浜?
じゃなくて、
グアム、ハワイくらいのような。。。
ハテルマで営業って、、、ヤマネコとでも取引するの?
仕事以外は。
波照間は(少なくとも当時は)無人島?
子連れでは難しいね。しかも高い。
今度の年末に那覇の義兄のとこへ行こうと思ったら予算が50万を超えました。。。。
安くて、子連れで、海を楽しむ、と思ったら、
白浜?
じゃなくて、
グアム、ハワイくらいのような。。。
ハテルマで営業って、、、ヤマネコとでも取引するの?
Commented
by
コシュ
at 2011-10-25 15:28
x
Commented
by
akogarehotel at 2011-10-26 18:19
ウィキで確認しました。
(違う島と勘違いだったかな?少なくとも西表とは間違えたりしないけど)
ウィキにも「病気のときは石垣島へ行く」って書いてあった。
子連れだと制限されて当たり前なんだけど、
ま、無理して行っても、後悔するかもしれないしね。
近場で充分。遠くて宮崎とか?
(違う島と勘違いだったかな?少なくとも西表とは間違えたりしないけど)
ウィキにも「病気のときは石垣島へ行く」って書いてあった。
子連れだと制限されて当たり前なんだけど、
ま、無理して行っても、後悔するかもしれないしね。
近場で充分。遠くて宮崎とか?