石垣島日記 その3 平成23年10月25日(火)

石垣島日記 その3 平成23年10月

急に書いてみたくなった石垣島日記(回想)。
約20年前に石垣島で仕事をしていたときの記憶。

……

で、やっぱり石垣島は孤島なんです。
情報からも孤島なんです。

競輪と競馬はあきらめた。もういいよ。
しかし、それ以外も、、、

なんと新聞が遅い。
沖縄本島から「一日遅れ」の新聞が配達されてくる。(今はどうなの?)
すべてのニュースを一日遅れで聞くことになる。

で、あの大事件「オウムの地下鉄サリン」は僕が沖縄にいるときに発生したが、事件翌日が祭日だったので、
月曜日:事件
火曜日:祭日
水曜日:新聞が届いてニュースを知った

石垣にいなければ都内勤務だったはずなので、しかも曜日によっては幸福さんの勤務地だったりするので、事故にめぐり合わなかった幸運を喜ぶ。
当時、東京の私の職場では、事故で搬送された被害者の治療をしていて、被害者さんが吐き出す息のなかのサリンを吸って症状が出てたりしたそうです。


そんな大事件のニュースさえも伝わらない孤島だから、遊びのニュースなんてまったく確認できない。なので最初からあてにもせず、、、
仕事以外にすることといえば、、、?


綺麗な海を見てみたい、と思ったが、
日曜日も含めて24時間、「ポケベル」で拘束されている。島の北半分はポケベルの電波が届かないので行ってはいけない。もちろん石垣島から外に出てもいけない。
まるで囚人だね。
ポケベルの電波が届かない場所こそ、自然が残り、おそらくなんだかわからないような植物が生い茂っていたりするんだろうが、、、

でも実際は、忙しくて海どころではないし、
仮に暇だったとしても、水中にもポケベルの電波は届かないから、泳ぐこともできないしね。
水泳部の私としては、餌を目の前に置かれて「おあずけ」気分。。。


砂浜に近づいたのは1ヶ月でたったの1回だけ。それは、、、




この島の人達は「死ぬときは自宅で」というのが慣習だ。病院に入院していても、もうだめだろ、というときに点滴を全部はずして自宅へ連れて帰る。
僕の患者さんでもそんなことがあり、自宅へ帰っていったのだが、、、
で、当然、その日の夜中にポケベルが鳴って、、、
電話をすると「亡くなりましたのでお願いします」と。

深夜3時頃、前もってもらっていた地図を見て患者さんの自宅へ。
(当時ナビなんてものはない。)
昔ながらの琉球の旧家には、すでに親戚一同が集合していて私を待ち受けている。
到着した私は、大広間で寝ている患者さん、というか御遺体の前へ案内され、
うやうやしくアレコレやって、

「御臨終です。何月何日何時何分、死亡確認しました。」

とお決まりのセリフ。こればかりは、大学で何度もやっているので、慣れきっている。完全に無心の状態で発声できる。

簡単にお礼を言われて任務終了。
深夜、ではなく、早朝5時に自分の車で帰宅する。
(現在のゲーセン生活に似ているな。)

で、ただ帰るのももったいないから、、せっかくなので砂浜へ寄ってみた。

夜明けの砂浜。昇る朝日。
ふーーん。

日が昇る頃まで仕事している自分に自己満足。
当時の私の心はそんな感じ。若かったね。


ということで、せっかく1ヶ月も滞在したのに、海水に一度も触れていない。
[PR]

by akogarehotel | 2011-10-25 18:26 | あちこち旅行記 | Comments(0)  

名前
URL
削除用パスワード

<< どうでもいい日常日記 平成23... 京王閣記念競輪決勝の予想 平成... >>