石垣島日記 その5 平成23年10月

石垣島日記 その5 平成23年10月

急に書いてみたくなった石垣島日記(回想)。
約20年前(1994年)に石垣島で仕事をしていたときの記憶。

……

「宿舎」ってどんなの?
実は、れっきとした一戸建て。平屋だけど。
壁と屋根がベタ塗りのコンクリート(?)でできあがった真四角な家。なんの飾りもない。それでいて、内側は、木の床と畳の和風の家。
代々住む人の要望により、内部だけでも「本土」風に改装したのかも。
家族で住むことを想定しているので部屋数は無限。数えてない。ほとんど病院で生活していたので、宿舎では1つの部屋のみで生活。残りの部屋には足を踏み入れてない。
もちろん、台所なんて使った記憶がない。
たしか電話もなかったような記憶。もちろん、必要がなかった。その理由は、当時携帯電話があるはずもなく、
石垣島へ出張、というと、
1ヶ月間連絡が取れなくなります
ということを意味し、それで社会的に全然問題がなかったから。平和な世の中でしたね。
地球の裏側にいても仕事の電話がかかってきてしまう現在が異常。ストレス社会になって当たり前。

宿舎には同居者がたくさんいた。もっとも多いのがヤモリ。
ヤモリは「家守」と書くように家に入ってくる害虫を退治してくれているとか。しかし、歓迎されるだけではない。フンのなかには硝酸が含まれていてやけどをするので注意。毎夜「キュッ、キュッ」という鳴き声がうるさかった。

なので窓は締め切り。3月だけど湿度は夏並み。ベトベトしてくるのでクーラーがないと生きていけない。

家の外にはヤギが自由に歩いていた。放し飼い。
隣の宿舎(同じく一戸建て)に住んでいる人のペットだとか。
全てにおいて想像を超える。


てことで、100%外食だった派遣生活だったが、、、
昼食は病院の食堂。しかし、食事にありつけるのは午後3時過ぎ。そんな時間にはカレーとラーメンくらいしか残ってない。
たまに早くいけると「日替わり定食」が食べられるが、、普通に中華風というか本土風の定食だった。
夜も病院食堂で食べることがほとんどだったが、帰り道でホカ弁を買うことも多い。
石垣島でホカ弁??



病院と宿舎の往復路にそれらしき食堂はなく、沖縄料理を求めるなら港付近まで行かないといけない。仕事で疲れて、夜10時頃に、一人で出かける気合はありえない。病院の近くに大きなリゾートホテル(JALだかANAだか)があり、そこにも当然レストランがあるが、、、多分、服装でアウトだと思う。一人ってのもあるけど、一度も行かなかった。


なんと1ヶ月間の間に、一度も石垣料理というか、沖縄料理というか、琉球料理というか、それらを食べなかった。
ホカ弁で全然不満がなかったからなぁ。。。。


……

【収支報告】
1ヶ月の給料:15万円
さらに交通費移住費として給付金:10万

じゃぁ、プラスだと思う?

東京で本来するはずだった仕事を他人に割り振るための手数料:3万
往復の交通費:8万
小さな荷物だけど引越し費用往復:4万
東京に住んでいた部屋の家賃(無人だけどお金はかかる):9万
石垣島での通勤用レンタカー代金1ヶ月:3万

食費や生活費を計算してないのにマイナスなんですけど、、、
何しにいったの、おれ?

もちろん勉強に行ってきたのです。だからマイナスでOK。
お金じゃ買えないものがある、ってお金を扱う会社が言ってます。


じゃぁ、マイナスなの?

行けなかった競馬開催日数:8日=8万

なんと8万円も得してるじゃん!


(おしまい)
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by akogarehotel | 2011-10-31 12:43 | あちこち旅行記 | Comments(0)  

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