麻雀ほうろうき 平成24年

麻雀ほうろうき 平成24年


突然ですが、勝手に昔話。麻雀放浪記。放蕩記とも。

むかしむかし、あるところに…


昭和40年代。

ものごころつく頃の私。
麻雀をしている父の膝の上に座って、

私「この白いのは何も書いてないよ。何これ?」

父「言っちゃ、だめ!」

と、よくある実話。
さすがに幼稚園生だった私は、麻雀のルールは分からず、
「積み木」としてしか牌を眺めていなかった。もちろん、白くて何も書いてない「積み木」が一番人気。
でも麻雀の存在はしっかりと理解。

僕が父の膝の上から手を伸ばして積み木で遊んでいると、数分のうちにすぐにガシャガシャとくずされちゃうし、、、
紙のお金があちこちに置いてあるし、、

あとで父に聞いたところでは、着ウマだったらしい。
点差に関係なく、4着が1着にいくら支払う、という感じの。随分とヤクザなルールだ。


父は私と同じ職業なので、勉強や仕事をたくさん教えてもらったかというと、、
そんな記憶は全くない。
もちろん、私の辞書に「尊敬」という文字はない。
しかし、私に大事なことを二つ教えてくれた。
競輪と麻雀。
(過去形だけど、父は今も元気にグリーンドームへ通ってます。)
両種目とも、私にとっては師匠。まだ越えられない。

このレースで⑥番車を買うか?!

という、私には到底理解不能なレベルだ。


そんな昭和の時代に、
うちに遊びに来る父の友人もまた同じ職業。
とすると、そのとき飛び交ってたのは聖徳太子なのだろうか。今で言う福沢諭吉のこと。
毎年年末には10人くらい集まって、ジャラジャラと音をさせていた。見ていたかったけど、「子供は寝なさい」と言われてつらかった思ひ出。



小学生になった、ある冬。
風邪をひいて(推定インフルエンザ)、自宅で退屈に過ごしていると、
つまらなそうな私をみかねて、母が麻雀のルールを教えてくれた。

山を4つ積んで、13枚引いて、役を作って、、、

それまで「積み木」だったものが、やっと「牌」になった。
しかし、一人では麻雀はできない。小学校の友達が麻雀なんてできっこない。仕方なく、何かの特別な日だけ、父が「二人麻雀」に付き合ってくれた。
このへんが師匠なわけだが、、、

「ピンフなんて、役じゃない。」

ふーん。。。。。



昭和60年代。

高校生。県内1番の進学校へ。といっても所詮群馬県なので日本で1000番めくらいの進学校。要するに、大学受験は個人の責任という高校?

高校生になってやっと麻雀をする相手ができた。
その筆頭は、水球部の先輩のイブキさん。
イブキさんのお父さんはどこぞの大学教授、という名門の御曹司のはずだが、
御本人さまは、、
ガッチガチのリーゼントに、制服の上着を開けばまばゆいばかりのキラキラ玉虫。ズボンは中野浩一でもはけるくらいの巨大サイズをズルズルと引きずっている。極めつけは、先っぽが20㎝くらいとんがってて、人に刺さりそうな靴。こんな靴をはけるのは、魔法使いのおばあさんとイブキさんだけだ。そんな格好で自転車通学するなんて、まさに尊敬に値する。

部活の先輩は、麻雀でも大先輩であって、負けた記憶しかない。
得意技の「ピンフ攻撃」を何度もくらった。
で、当時、麻雀を教えていただいた授業料を支払うわけだが、1週間まとめて600円とか。あまり物価が変わっていないのだから、平和な麻雀だった。
(現在、マトリクスに来る中学生は1日で1000円使ってるから。)

ちなみに、そんなイブキさんは現在、僕と同じ職業で大活躍中。



そんなわけで、毎日毎日、部活のあとに部室で仲良く過ごしていると、同級生部員も興味津々で覗き込んできて、、、、
さらには、部活以外のメンバーも加わって、、、
順調に布教活動が進行する。


当時、同級生で一番強かったのはナル君。
リケルメそっくりの彼は、お金に滅茶苦茶固執して点棒1本の差を見逃さない。現在、桜田門関係の公務員として国民のために熱心にお仕事中。
一番弱かったのは私、ではなくて、マス君。
彼がプラスになった記憶が私にはない。現在、行方不明。

同じクラスでよく遊んだコジマ君は、なんと卒業後に雀荘の店長になった。
しかも聖蹟桜ヶ丘。
って、どこ?っていうくらいの僻地。
東京の西のほう。なんで群馬出身で、そんなところで?
ということは置いといて、
彼は、高校3年のとき駿台の夏期講習を申し込むために大金を持って東京に行ったが、御茶ノ水ではなく歌舞伎町へ行ってしまい、
どこぞのお店のお姉さんとお兄さんに有り金を全部取られてしまった、
という輝かしい経歴を持つ。
だから、突然、東京で雀荘の店主になろうが、誰も不思議には思わない。
しかし、当然、雀荘なんて不景気になれば、あっというまに消滅する。今ではコネで群馬県の地元の農協で働いているとか。


自分周辺の同級生だけで充分にメンツが足りていた高校時代。卒業間近になって別グループの存在を知らされた。
カベ君とモリ君たち。
彼らのレートは僕たちの10倍。モリ君の家はいわゆる「ゲーム店」で、「違法」に限りなく近い店らしい。
「ゲーセン」ではなく「ゲーム店」。
一度、彼らにご指導を受けたが、当然、ボコられた。まさにフルボッコ。
「井の中の蛙」という言葉を強烈に実感した貴重な経験。

ナル君によると、「あいつらは『通し』をしている」というが、カベ君は本当に優しくていい人で、とてもじゃないけど、そんなことをするようには思えない。
って、その時点で俺だまされてる?



高校時代には文学にも勤しんだ(いそしんだ)。
みんなが読むから、念のため赤川次郎を全部読んで、そのほかに、

誰もが知っている文学の神様、阿佐田哲也を全書読みあさった。
阿佐田哲也は、有名な「麻雀放浪記」以外にもワクワクどきどきする麻雀小説を数限りなく発表している。そのすべてが、読みながらトイレ休憩ももったいないくらいの素晴らしい冒険小説で、あえて1冊オススメするなら「ドサ健ばくち地獄」か。
阿佐田哲也のおかげで、麻雀牌の文字印刷が開発されたという。雑誌や小説の文章中に当たり前のように登場する麻雀牌の、絵のような、文字のようなもののこと。

阿佐田哲也というPNは「朝だ、徹夜」に由来するというのは有名で、
麻雀放浪記に登場する「坊や哲」が本人であろう、というのも周知の事実。
「色川武大」という名前で麻雀とは関係ない小説も書いていて、なんかの賞を受賞している、というのも有名。
かなりの肥満で、医学的には超不健康。ナルコレプシーという睡眠発作を繰り返したというが、これは本当かどうか、、睡眠無呼吸の間違いではないか。
心筋梗塞を起こして、心臓が破裂して亡くなった、ということも非常に有名で、大学の「心筋梗塞」の授業では、必ず阿佐田哲也の話題になる。

もちろん映画「麻雀放浪記」も三田。
戦後の雰囲気を出すために白黒なのだそうだが、目が悪い僕にとって、白黒ってのはキツイ。
内容はもちろん前のめり。
主役の坊や哲は真田広之。「素」のままの頼りなさがナイス。
ドサ健は加賀丈史。料理の鉄人とは正反対のマジメ役。雰囲気もりもり。
その後、ビデオを借りて何度も見直してしまった。




時代は平成へ。
大学へ進学。

父親が「見ず知らずの人と麻雀をするな。徹夜麻雀をするな。」
と言っていたが、そんなの説得力が1ミリもない。

大学のために一人暮らしを始めたとたんに、速攻で雀荘デビュー。
学生時代に住んでいたのは荒川区。家から自転車で数分のところに雀荘を発見した。大通りに面しているものの周辺は住宅街。小さな看板に
「おひとりさまでもどうぞ」
と書いてあるだけ。
最近の雀荘のイメージからは随分とかけ離れている「昭和の雀荘」。
雀荘デビューには、ちょっと見当違いだったが、、、、


ガラガラッと引き戸を引くと、狭い店内には雀卓4つ。
そのうちの2卓で、50代、60代のおっちゃんたちが黙々と打っている。余っているお客はいない。

突然の訪問者に対して、一人か二人が怪訝そうに振り向くが、ほとんどのお客が、そんなことには目もくれず麻雀に没頭してる。
店の人らしき姿はない。

あいている雀卓に座って待つことにする、と、

お客の一人が「お兄ちゃん、うつの?」と。

蚊の鳴くような声で「はい」とうなずく私。

すると、奥のほうから店主と思わしき60代くらいのハゲたおじさん。
恐いハゲではなく、単なるハゲ。
「ちょと待っててね。今すぐあけるから」

そりゃ、そうだ。
どうみても、いいカモだ。
常連客どうしが叩きあっている雀荘に、たまたまやってきた新規の客。しかも、とてもじゃないけど麻雀が強そうには見えない。オドオドした外見。
常連客を追い返してでも、席を空けてくれるのが普通。

ということで、ほんの数分待っただけで、すぐに御案内。

レートは200円。いわゆる「テンゴ」の4倍相当。
その他に「ゲーム代」と称して1000円ずつを卓の上に置き、半分を店へ、半分をトップが持って帰る。


手積みの雀荘が一般的だった時代。ジャラジャラ言わせながら17枚を積んでいく。
初めての雀荘。初めての他人。で、手積み。
手が震えるが、山をくずさないことだけに集中。くずして罰符を請求されたらたまんないから。

そんな緊張の初雀荘。
半荘2回で、結果は当然、ラス、ラス。
完全伏牌なので、積み込みはされてないと思うのだが、ガンはついていたのかもしれない。

例えば、
親の僕。第一打の捨て牌が、2ソーで、10巡目くらいにリーチ。1ソーの単騎待ち。リーチドラドラの7700。リーチ後に4ソーをツモ切った。
しかし、この1ソーが全然出てこない。2ソーが4枚出きったが、1ソーは1枚も出ないで流局。

レベルが違いすぎる。
いい経験をさせてもらった料金としては安かったのかもしれない。


(後編へつづく)
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by akogarehotel | 2012-02-24 16:34 | ただの日常日記 | Comments(2)  

Commented by コシュ at 2012-02-24 17:46 x
コメントする場所間違えました。
コメントしたのはこっち麻雀放蕩記でした。
Commented by akogarehotel at 2012-02-24 21:47
コシュへ

データをたくさん、ありがとう。更新しておきました。
スーパーサブを確認するほうが根気がいるんだけど、よくあんなに調べましたね。

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