【第6章】ミャンマー前編(H16年9月)

【第6章】ミャンマー前編(H16年9月)

1:旅行記のはずが、闘病記

旅行帰りの新幹線の車内電光掲示板「タイで鳥インフルエンザで2人死亡」
同じく、手に抱えているスポーツ新聞にも
 「タイ北部で2人死亡」「死亡」「死亡」…

今回の旅行は、
ミャンマー7日間。
ミャンマーは以前はビルマといっていた国。首都もラングーンという名前から、ヤンゴンに変更された。アウンサンスーチーさんと、軍事政権との微妙な関係の上に成り立っている。国名、首都名の変更もその影響。

ミャンマーには日本大使館があるが、航空機の直行便がない。
そのため、一般的に、
タイ経由で訪れることが多い。日本(成田)とタイ(バンコク)の間は、一日に何便も往復している。なんで、こんなに日本人ばっかりなの?という感じのバンコク国際空港である。日本語表示ばっかり、というか、マッサージ屋なんて、絶対に日本人しか利用していないと思う。

そんなわけで、タイ経由なわけで、
9月19日に成田からタイを経由してミャンマーへ。
9月26日にミャンマーからタイを経由して成田へ帰国。
そして、
9月26日帰宅直後、39度の発熱。

そこへ「タイで鳥インフルエンザ」のニュース!
インフルエンザの潜伏期を最長1週間と考えれば、往路で感染。
潜伏期を最短半日と考えれば帰り道に感染。この場合は、超重症。(潜伏期が短いほど重症)そんなことより、タイで鳥インフルエンザが発生しているなら、隣国の
ミャンマーで発生していないわけない。単に、マスコミにばれていないだけ。
 ミャンマーで感染した、、、とすると、潜伏期は、、
ミャンマーなんて、生の鳥がそのまんま、市場で売られてるし、野鳥なんて、あちこちにいたから、、、
もし鳥インフルエンザなら、死亡率80%。。。自分だけならいいけど、あちこちに拡散するかも…

などの考えが、頭の中をグルグル。
おまけに、
SARSだったらどうしよう。
咳が出ないから、大丈夫かな。でも、明日にはゴホゴホいったりして。
遊びに行って、SARSなんてもらってきたら、切腹じゃすまされない。

そんな、眠れぬ夜を過ごしました。
眠れないのは、心配なためだけではなくて、
一向に下がらない熱(38度)のためと、
口にしている「
N95マスク」(ウイルスの拡散防止)のためでもありますが。


2:闘病記2

ということで、念のため隔離されました。
でもって、インフルエンザの検査。

鳥インフルエンザは、A型インフルエンザの一種。
(人の)インフルエンザの検出キットで、検出することができる。

綿棒を鼻の穴に7cmくらいつっこみ、鼻水を採取する。
これだけで、病気になりそう。
でもって、あれこれ、手順を踏んで、、、検査結果待ち。
仮に、
A型インフルエンザ(+)と出ても、人インフルエンザかもしれない。
仮に、
A型インフルエンザ(-)と判定されても、検査の手順などで陰性になってしまうこともありえる。
そんなことを考えれば、検査結果がどうだろうと関係ないし、検査する必要性すらないかもしれない。

しかし、当の本人は、かなり本気。

結果は
陰性(A型に感染なし)でした。

少しだけ、ホッとしたけど、、、、
しかし、日曜日に発熱して、月曜日の夜になっても38度のまま。
さすがに、疲労してくる。心配もあるし。
しかし、何もできずに、ただ寝ているだけ。
眠ろうと思っても、一日中寝ていたから、ちっとも眠くない。
気晴らしに本を読むと、なんと、文庫本が重たく感じる。
それほど疲れてる。
携帯で掲示板など、と思っても、ボタンを押す手に力が入らない。
結局、だまって、天井を見上げつつ、
「もう、絶対に東南アジアになんか行かないぞ」
と何度も心に誓ってました。

不思議なのは、500mlくらい点滴して、汗をかくと、0.5度くらい熱が下がる。点滴の威力って、すごいね。ただの水なのに。

その後、徐々に解熱。
木曜日の朝から平熱となり、無事にシャバへ復活させられました。
たったの4日間。だけど、長かった4日間。


3:なぜにミャンマー

モロッコ、ミャンマー、カンボジア、ウズベキスタン
私たち夫婦が、リュックサックをしょって旅した国に共通しているのは、
物価が安くて、小汚いジーパンでも恥ずかしくない国。
こんな国々を旅する理由は、
「日本にない何か」を感じたくて。
「生きるために生きている人」と接したいから。

今回、本当は
ネパールに行く予定でした。しかし、直前のイラク関連爆破事件のために渡航延期勧告。仕方ないので、ミャンマーに変更しました。モロッコ、チュニジア、ブータンは航空券が取れなくてダメ。ミャンマーは、はずれ1位なんです、ごめんなさい。

ある国が裕福になるためには、外貨を獲得しなければなりません。日本なら自動車、家電製品など。東南アジアの国々は?そんな、外国に自慢できるものなんて、観光資源くらいしかありません。だから、旅行者の懐を必要以上にアテにしています。例えば、カンボジアには、アンコールワットという目玉商品があります。ここを訪れる旅行者には、
1日2000円程度の入域料が請求されます。1日に1万人もやってくれば、かなりの金額になります。(実際に、それくらい訪れているような印象でした。)
ミャンマーの場合は、もっと極端に、もっとストレートです。外国人は、入国する際に空港で
200ドル(2万円)請求されます。代わりに200FECという、ミャンマー国内でしか使用できない紙幣を渡されます。つまり、強制的に、2万円ぶん使って来い、ということです。
ラーメン1杯が外国人値段でも50円の国です。2万円あれば、1ヶ月暮らせます。

というくらいに、外国人を藁とも思い、すがっている国です。(途上国は皆同じようですが。)
(ところが、このFECが廃止されたらしい。空港職員が、旅行者から賄賂(500円)を受け取り、FECへの交換を免除している、ということが、原因らしいです。空港職員だって、外国人旅行者に頼っているんです。)

旅行者の落とすアブク銭に支えられている国。
1日1000円で贅沢三昧の国。都会を1歩離れれば亜熱帯のジャングルに迷い込む国。中国系(華僑)の富裕層がはばをきかせている国。
そんなミャンマーへの1週間でした。


4:熱烈大歓迎

休みの日はどんなに早起きしても大丈夫。AM4:00に目覚ましに起こされたが、夜明け前でも眼はパッチリ。気合で着替えて、朝ご飯食べて、5時に出発。
成田のチェックインは午前9時。連休なので空港内は人の波、渦、群れ。飛行機も当然、満員御礼。成田を11時に飛び上がった飛行機は、予定通りに6時間後にタイ(バンコク国際空港)へ着地。10点。
乗り換え待ち2時間の後に、ふたたび空の上。そして、1時間半のフライトの末に、ようやく
ミャンマー(ヤンゴン国際空港)に到着。家を出てから16時間。日本は午後9時。現地は午後6時半。緯度の低いミャンマーでは、すでに真っ暗。
それにしても、座っているか、食べているか、だけの1日。足はむくんで、腰は痛い。そろそろ、体にこたえてくる年頃です。

空港では、いつもどおりの熱烈歓迎。旅行者の10倍くらいの数の、ほこりまみれのおっちゃん、お兄ちゃんが、わさわさと群がってくる。
「タクシーあるよ。町まで5ドル!」
「宿、大丈夫か?」「チェンジマニー?(両替しようか?)」
僕らのようなバックパッカーには、彼らの襲撃が集中する。ホテルを予約したり、送迎者を待たせているとは、とても思えない格好だから。

ヤンゴン空港からヤンゴンの市街地まではタクシーで30分。現地人値段は
0.5ドル(50円)くらいらしい。しかし、旅行者への相場は5ドル(500円)。ただし、到着したばかりで物価もわからず、疲れている上に、外はもう真っ暗。タクシーに30分乗って、500円でいいのなら、喜んで払っちゃうでしょ、普通。
ちなみに、ミャンマーの公務員の月給は
40ドル
ホテルの紹介屋は1件につき2~5ドルのチップ、両替屋は5%(100ドル両替なら5ドル)程度のマージンがあるらしい。
もう一度いうけど、公務員の月給は
40ドル

そんな、暴利があふれている空港だから、公務員だって黙ってない。
今回は、なんと、空港内で襲撃を受けた。
税関を抜けようとすると、白と紺のかっこいい制服のおねえさんから、
「こっちへ来て。ついてきて!」と声をかけられた。
なんか、悪いことしたかなぁ?と思って、後へついていくと、
「今、タクシーを呼んであげるから、ちょっと待ってて。宿は決まってるの?」

彼女の目当ては、もちろん、紹介料という名の
2ドル程度のチップ。職権を乱用して、空港内で先に金づるをキープしようという作戦だ。
何度もいうけど公務員の月給は40ドル。たった2ドルのために、汚いGパンとほこりで汚れたリュックの僕らに、ガンダムの連邦軍のような制服のお姉さんが、ごきげんとって、へつらわなければならない。
ミャンマーに到着して2分で、その悲しい現状を見せられてしまった。

注)このような客引きを初めて体験した場合、ちょっと引いてしまいますが、値段さえ確認すれば、利用してもかまいません。もちろん、彼らは、かなりふっかけて来ます。といっても、日本人にとっては微々たる金額。かわいそうと思えば、それで納得してあげて、あるいは、妥協できなければ、とことん交渉して、利用できるものは利用しましょう。


5:20年前の日本の風景

というわけで、空港でガンダムのセイラみたいな人に声をかけられた我々。
ところが、申し訳ないけど、ホテルも予約してるし、送迎も来ているんです。

真のバックパッカーとは、往復の航空券だけ買ってやってくる。足も宿もその場しのぎ。地元の人と同じ足を使い、同じ場所に寝る。気の向くまま、安いほうへ安いほうへと旅をする。
しかし、こんなこと、時間のない、忙しすぎる、平均的日本人には無理。社会人には無理!
1週間の休暇なんて、あっという間に終ってしまう。
なので、はなはだ恐縮ですが、宿だけは日本で予約しておいたのです。宿を探すために費やす時間を節約するために。

僕たちがホテルを予約していると知ったセイラさんは、急に、ミライ(同じくガンダム)のようになり、むすっとしてどこかへ行ってしまった。挨拶もなしに。200円の儲け話が消えてしまって、ショックのようでした。

空港の外は、旅行者をあてにしたタクシーで大渋滞。
ただし、タクシーといっても、日本人が想像する「タクシー」ではなく…

ミャンマーを走っている車は、トラックもバスも全部含めて、7割くらいが日本車。他に韓国、あとは国籍不明など。
日本車といっても、現在の日本で見かけるような車種は、まったくなし。ほとんどすべてが、
日本ではもう走れなくなった中古車。どんなに新しくても、10年はたっているだろうという車ばっかり。
車検がないのをいいことに、とりあえず、「走ればいい」車。ある意味、「走ることしかできない」車。というか、「たぶん走れる」車。「いつ壊れるかわからない」車。
そんなのばっかり。
まさに、昭和の日本がそこにある。
ギリギリ走っている車ばかりだから、走る能力以外は置き去りにされている。
排気ガス基準なんてのはありえないし、サスペンションという単語も知らないかもしれない。
窓が開かない、のではなくて、閉まらない車があちこちに。エアコン車は稀に見つけられる。
ライトがつかなければ、夜は走らなければいい。ガソリンメーターが壊れているのは、野性の勘で対応する。
ワイパーは動かない、というか、ない。でも、前は見えるでしょ?
ナビのアンテナがついている日本車を見つけた。仮に機能していたとしても、日本地図しか見れないはず。
日本の盗難車なんかも走っているんだろうな。

そんなミャンマーなので、僕たちを迎えにきた「送迎車」は、トヨタのワンボックス。
12年前くらいの車種。色は「ほこり色」。窓は「ほこりスモック」
5人乗れる後部座席に我々2人だけだから、まぁ、ある意味、”ミャンマーのリムジン”みたいなもの?エアコンも動いていたからね。
停車中でも、スピードメーターが90kmを指しているのはミステリー。


6:中学で習った「華僑」

日本の中古車店なら20万円くらいの「送迎車」が僕らを乗せてヤンゴン市内のホテルに着いたのは、夜の7時(日本時間午後9時30分)。首都ヤンゴンは、そこそこの明かりが灯っている。

ホテルの名前はグランド・ミーヤター・レジデンス。
宮田ホテルではありません。中国系資本、つまり華僑が関係しているホテルのようです。
超高層ではありません。だって、レジデンス(居住用)ですから。
日本と違って、横に広々とした造りになってます。レジデンスですから。
3年前に来た時には、まだ建築中で「ずいぶん大きなビルを建てているなぁ」と思って眺めてました。ずいぶん大きい、と思ったけれど実際は12階建てです。まわりが低いので、必要以上に高層に感じます。
日本からインターネットで予約できるので、ここに決めました。予約したのは、1泊7000円のツイン。
参考までに、前回、ミャンマーに来た時に泊まったセントラルホテルは、1泊3500円。ミャンマーで最も由緒あるストランドホテルは1泊30000円。ヤンゴンの公務員の月給は4500円。渋谷のセルリアンは40000円。前橋のビジネスホテルは朝食つきで一人7500円。

ツイン1室ということは、ふたりで7000円。ひとり3500円。日本人の感覚なら、決して高い宿ではありません。しかも朝食つき。どんなレベルのホテルだろう?楽しみ半分で予約してきました。

そしたら、なんと「レジデンス」
とりあえず、外見は大合格。そして、案内された部屋は…

部屋が間違ってます。私たちが予約したのはツインです。
しかし、ポーターに案内されたのは、スイートです。
リビングは15畳くらい。ベッドルームと浴室が二つずつ。キッチン、洗濯部屋がそれぞれ8畳くらい。洗濯部屋には日本製の乾燥機完備。
間違いではなくて、ここが7000円の部屋だそうです。
こんな広い部屋、泊まったことありません。というよりも、自宅よりも広いかも。
洗濯物が乾かない、というのが最大の悩みだったのですが、乾燥機、しかもメイドインジャパンがあれば、いくらでも洗濯できます。
アウンサン市場の目の前なので、立地も抜群。
ヤンゴンの定宿に決定しました。

ホテル内には、当然だけど、中華レストラン。
ミャンマー人は、もともと外食の文化がなかったので、「ミャンマー料理店」というのは、実は少ないのです。移住してきた華僑、タイ人、インド人が、自分たちのために開いた中華料理屋、タイ料理屋、インド料理屋がミャンマーの外食文化を担ってます。
そんなわけだから、ミャンマーなのに何故中華なの?とは言わないでください。

で、その日の夕食は、高級ホテルの中華レストラン。やはり豪華です。大きな水槽には得体の知れない生き物が浮遊しています。たぶん、カニもいます、奥のほうに。ウエイターの数が、テーブルの数よりも多いです、絶対に。
その豪華レストランの、気になるメニューは、、、
漢字を頼りに、頭を使って、、、
結局、春巻とか麻婆とかチャーハンとか、安心できるものを注文。
蟹とか蝦とか鱶(フカ)とかいう漢字も見かけたけど、はずすと恐いから。
料理3つ、ビールにデザート。こんだけ頼めば、2人とも限界。
ところが会計は、1000円ぽっきり。
高級レストランでふたりで酔っ払って1000円。

ミャンマー、悲しい。


7:国内線事情

ミャンマーの国内飛行機路線は、国営1社と民営2社。
そのうち、国営は「事故が多いから乗るな」と「歩き方」に書いてあるほど。はいはい、乗りません。

ヤンゴンに着いた翌日は、早朝6時30分の飛行機に乗るために、4時に起きて5時に出発。本当に、遊びだといくらでも早起きできる。
まだ朝日も見えない早朝5時。しかし、空港は予想外に旅行者であふれている。午前出発の便が多いらしい。それにあわせて、タクシー野郎もこんな朝早くから仕事してる。日本人以上に仕事の虫です、彼らは。

ガンダムの制服を着た空港職員に、切符を見せて、「国内線の受付はどこですか?」と尋ねた。職員のお兄さんは、ニッコリして、「ついてきな」と。チェックインして、荷物を預けて、指定された待合室まで、テクテク歩いて案内してくれた。
もちろん、チップをあてにして。こちらも大助かり。空港には案内板がほとんどないとか、あっても間違っているから、全くわからない。実際に「国際線」と書いてあるところが「国内線」の入り口だった。1ドル渡して、双方から「Thank you」。彼らが国からもらう日給も1ドル。

バガン行きの飛行機は、小型のプロペラ機。60人くらいしか乗れない。乗客に日本人も多く、彼らは、あまりにも小さい飛行機に感動して、写真を取りまくり。僕らはウズベキスタンで、もっと小さい、20人乗りの飛行機に乗ったことがあるので、感動も半分。本当は空港内では撮影禁止なのに、笑いながら見ている警備員(軍人?)も悲しい。旅行者を注意して、機嫌を損ねさせたら、損するのは彼らだから。

1時間のフライトでバガンに着陸。滑走路の脇を歩いて、空港の建物へ。預けた荷物は空港の外で、地面に転がされている。そこから勝手に持っていく。のどかだねぇ。
空港の出口では、ひとりあたり10ドルの入域料を払う。バガン全体の遺跡への入場料みたいなもの。カンボジアのアンコールワットでは1日2000円。バガンでは何日いても全部で10ドル(1000円)。
空港の外には、いつもの光景が待っている。タクシー運転手やら両替屋やらホテル業者やらの熱烈アタック。
「タクシー?4ドル?」(原文まま)
約20分の距離が4ドル。まぁ、最初なので、これくらいで。

タクシーは途中、有名な「アーナンダ寺院」の前を通る。
「あれがアーナンダテンプル(寺院)。アーナンダ、コーナンダ、ソーナンダ」(原文まま)
誰だ、ヘンな日本語を教えたのは。


8:いやんバガン

バガンはミャンマー中央部にある「遺跡の町」。遺跡しかない町。
亜熱帯の草原には、得体の知れない植物が「うっそう」という言葉の見本のように、うっそうと茂っている。その中の、ある6Km四方の領域の中だけに、レンガ作りの寺院や仏塔が、ぐぐっと密集している。小さいものは高さ2,3m。大きいものは、6階建てのビルくらいで、高さ20m以上。高いところから眺めてみれば、見渡す限りの草原の中に、たけのこのようにニョキニョキと顔を出している寺院仏塔を無数に見ることができる。その数、合計2700だという。よく数えたもんだ。
青い空、緑の草原、その中に、無数の茶色の古代の芸術的建造物。遺跡とか、仏教とか全然興味がない僕でも、これだけは感動してしまう風景でした。

これらの寺院は、すべて赤茶色のレンガでできていて、アーチ型の部分などは、よくも崩れてこないものだと感嘆してしまう。
ところが、崩れているんです。崩れるんです。
30年前にこの地方を大きな地震が襲った。古ぼけたレンガ作りの遺跡群は、ほとんどすべてが倒壊してしまったという。その後、がんばって修復したのが現在の遺跡だという。古そうだけど、古くないのかも。倒壊したまま、あるいは、倒壊しかけていて、危険だから進入禁止になっている寺院もいくつかある。
いつ崩れてもおかしくないレンガ作り。そんなだから、旅行者が屋根の上のギリギリのところで写真を撮っていると、現地の人はひやひやしながら見ている。遺跡から滑落死、なんて新聞に載ってしまったら、日本で笑われます。

遺跡群と、数件のホテルと、小規模な市場、そして世界地図にも載っているイラワジ川(エーヤワーディ川)。バガンには、それしかありません。一番高い建物は、遺跡の一つ、シュエサンドーパゴダ。ヤンゴンのような「ビル」と呼べるものはいっさいなし。
もし、ここに遺跡がなかったら、たぶん、ウルルンで訪れるような超developpingな地域になっていたことでしょう。遺跡があっても、この状況なので。


9:騎手変更

「バガン遺跡群」と呼ばれる地域は、約6Km四方。
その区域内に遺跡が点在しているが、あまりにも数が多く、お互いが近接しているために、タクシーでの遺跡巡りは一般的ではない。地面もほとんど舗装されていないので、もともと車で通行できる道が多くないのもその理由。
熱さ、風、ほこり、にわか雨のために、歩いて回るのも常識的には不可能。
一般に、自転車か馬車を使うことが多い。レンタサイクルは1台1日2~6ドル。ホテルのランクにより値段が変わり、自転車の質も変わる。馬車は1日5~10ドル。交渉次第で値段が変わる。
ふたりで回るなら、自転車も馬車も同じ値段。それなら、みやげ話にということで、馬車をご用意いたしました。

それなりのホテルの前には、客待ちの馬車がたむろしている。その1台と交渉。御者は身長160cmくらいで浅黒く、典型的な小柄アジア人。1日10ドル、2日で20ドルだという。明らかに高いので、ちょっとごねてみる。すると、小柄アジア人いわく、
「2日で15ドル。これが限界。あなた方にはたいした値段ではないでしょう?」
最後の言葉が殺し文句。見るからに貧相なアジア人に、こう言われると、それ以上の交渉は良心が許さない。はい、その金額でお願いします。
よく聞くと、馬車は馬車会社の持ち物。彼ら御者、すなわち運転手は、売上のすべてを会社にわたし、かわりに1日1ドルの給料をもらうだけだという。交渉した料金の中には、彼らのポケットにはいる金額も含まれていたはず。200円、300円を値切るのは、ちと可愛そう。同じアジア人だし。

馬は背骨とあばらがくっきり見えるくらいにやせ細っている。そんな痩せ馬が、僕ら3人を乗せた幌を引っ張る。馬車に乗せてもらうのが本当に申し訳ないくらい。
しかし、さすがに痩せ馬だから、テクテクぽかぽか、歩くだけ。いくらムチで打たれても、キャンターにもならない。自転車にも追い越されるほどゆっくりだけど、移動速度の遅い旅ほど、いろんなものを感じ取れる。

われらが馬車の騎手は、バガンに生まれてバガン育ち。1日1ドルの給料で奥さんと子供二人と暮らす。バス代、飛行機代なんてあるわけないから、自分の国の首都のヤンゴンにさえ行ったことがない。僕のほうがヤンゴンに詳しい。
旅行者が一人でも多く来て、100円でも多く消費してくれること。それが彼らの未来を支えているようです。

「もう歩けないよ、疲れたよ」という馬をムチで叩きながら遺跡巡り。最後のしめくくりは、ティーローミンロー寺院での夕日撮影。寺院の高さは何10m?わからないけど、このへんでは最高の建造物。旅行者が高いところに登りたくなるのは万国共通。バガンにいる、ほとんどすべての旅行者が、夕日時にはこのあたりに集まり大撮影会。それでも、せいぜい100人弱かな。


10:静かなる、おみやげ戦争

ウズベキスタンはすごかった。
寺の境内だろうが、通路だろうが、仏像の隣だろうが、ところ構わず「みやげ屋」がゴザを敷いて住み着いている。どこを見渡しても、みやげ物屋。どの写真にも土産物屋。

ミャンマー人は敬虔な仏教徒。
彼らは、寺院の中では商売はしない。ただし、一歩外に出れば…
寺院の敷地は、ほぼすべて正方形。その一辺にだけ、土産物屋の屋台が集結している。おかげで、どこが入り口かすぐわかる。別に、ありがたくないけど。どんな小さな寺院でも、観光客が一日に5人くらいしか来ないような寺院にも、入り口の門の前には、数軒のお土産屋が必ずたむろしている。観光客の数よりも、土産物屋のほうが多い。観光客が一人やってくるたびに、数人の売り子がワラワラと集まってくる。ここでも、空港のような「熱烈歓迎」。

売っている品物はどこでも同じものばかり。絵ハガキ、漆器、金物、風景画。1ミリほども心が動かされない。少しは個性のあるものでもあればねぇ。
「イチドールゥ、ヤズイネ(安いね)」
どこでも共通のかけ声。彼らにとっては、まさにサバイバル日本語。
…1$なの?安いね、じゃぁ、これ下さい。
「ソレハ、ビックダカラ、サンドルね」
どこでも共通の受け答え。

バガンでは、布に書いた風景画を売るのが流行らしい。軽くてかさばらないし、A4版1枚が、1~4ドルと手ごろな値段。おそらく日本人にはよく売れるでしょう。
だから売り子も多い。どこの寺院でも、入り口には、地面に布絵を広げて、「ヤズイヨ、ヤズイヨ」と声を張り上げている、自称「絵描き」が星の数。
そのうちの一人いわく「(和訳)私はバガンじゅうの絵描きに絵を教えている。あちこちにいるのは、すべて自分の生徒たち。だから、私の絵は、ちょっと高いけど、質はバガンで最高さ。」
どう見ても20代前半の兄ちゃんが、先生なわけないだろっ!
ぼったくりが横行するとはいえ、所詮200円~300円。2つ買ってしまった。

絵葉書を売るのは子供の役目。小学校に通うはずだけど、通えない6、7才のちっちゃな子供たち。彼らが、絵葉書をかざしながら「イチドル、イチドル」と言って、集まってくる。絵葉書20枚が100円だから、本当に「ヤズイ」んです。だけど、どこにでもある写真の紙切れだし、絵葉書の場所へ行った人じゃないと価値が分からないから、おみやげにはできないし。。。
カンボジアにもたくさんいたけど、子供が、生きるために商売をしているのは、やはり悲しい。


11:バガン水軍

2日目のバガンの夕刻。
今度は、船の上から夕日を見よう、ということで、「イラワジ川豪華クルージング」
イラワジ川は世界地図に載ってる、ミャンマー最大の川。川というより、「河」。川というよりも、海か湖。対岸は、はるかかなた、かすんで見えない。しかし、海ではなくて川だから、当然「流れ」がある。泳ぎに自身のある私でも、おそらく北島コウスケでも、対岸まで泳いで渡るのは至難の業。海のように大きく、海よりも危険。そんな大自然に囲まれて夕日を見ましょうという「クルージング」

たぶん、お分かりだと思いますが、我々が豪華客船でクルージングとかするわけない。
一応、船着場の看板に書いてあったからクルージングと言っているだけ。その実情は…

船は公園のボートよりも、ちょっとだけ縦長。横幅はボートと同じくらい。船というよりは、エンジン付のカヌー。エンジンの先には、プロペラ1枚。競艇のボートを細長くした感じ。
これを、やはり小柄で、浅黒いアジアン兄ちゃんが操舵する。船で浅瀬から川に乗り出すと、ものすごい勢いで下流へ流される。帰ってこれるのか心配になるくらい、川の流れが早い。ゲーム「水滸伝」で「川の流れが急ですぞ」というセリフが頭をよぎる。
兄ちゃんがエンジンを回して、舵を上流へ向ける。ブルルゥゥン!ブドドドドドッッッ。エンジン音がものすごい轟音となって響きわたる。難聴になってしまいそう。流れの速い大河を、ゆっくりゆっくり溯る。
川の流れのように、風も流れている。自然の扇風機は爽快爽快。「ナチュラル エアコンさ。」と兄ちゃん。泣かせるねぇ。彼らは「本物のエアコン」なんて見たことないはず。

兄ちゃんは、船の男、水上の男。肌が黒いのは、船の油のせいか、日焼けのせいか、判別不能。非常に聞き取りにくいアジアン英語を話す。
「俺たちは1日300チャットで働いている。あんたの時計は高そうだねぇ。うらやましい。」
ここでも、話題はお金のこと。チャットとは現地通貨。300チャットは、約30円。ちなみに、私の腕時計は日本のホームセンターで買った1000円のデジタル時計。旅行のときは、紛失してもいいように安物を持っていく。こんな時計くらい、あげてもいいけど、、、。
クルージング代金は10ドル(1000円)。意外に高い。ところが、これは、すべて親分が取っていってしまうらしい。
自分にとっては1年分の給料を、小一時間で使ってしまう同じアジア人を見て、彼らはどう思っているのだろうか。少なくとも、船が転覆すれば、我々は溺れるが、彼らは泳ぎ帰る。


12:バガンにある日本

田舎町バガン。ヤンゴンとは一味違う日本の風景を発見。

「はがき、にじゅうまい、いちどる」絵ハガキを売る子供の声。彼ら、彼女らは、その意味がわかるのか。韓国人はもちろん、西洋人にも同じ声をかけているような。単に、「こんにちわ」程度の意味かもしれない。

「いちごいちえ」ある寺院での絵描き兼みやげ物屋兼怪しい兄ちゃんの呼び声。ここで会ったのも何かの縁、だから絵を買ってってよ、という意味だろうが、いったい誰が教えたんだろう?間違いなく、「一期一会」ではなくて「イチゴイチエ」

ソニーセンター
バガンの街中で見かけた看板。カタカナと英語の表記。その実態は、、、
ゲームセンター。といっても、ファミコンをつないだテレビが数台置いてあるだけ。しかし、2件ある店は、両方とも満員。ここにも、日本からウイルスが感染しているらしい。他人のことは言えませんが。
ちなみに、ソニーセンターとは固有名詞ではなくて、ゲームセンターという意味の一般名詞。また、置いてある「ファミコン」のことを、ミャンマーでは「プレステ」というらしい。そして、本物のプレステ、つまりCDで動くゲーム機はミャンマーでは見かけなかった。都会の電気店で「プレステ」と書いて売っているゲーム機は、カセット型、つまりファミコンだった。

サクラホテル
日本人をあてにしたホテルだが、日本語は通じない。1泊7000円強。明らかにバガンでは常識を超えた値段。
ロビーには日本語入力可能なパソコンがあり、インターネットに接続できる。10分300円。のろし程度の通信力しかないバガンだから、日本よりも高いのは仕方ない。しかし、接続がとんでもなく遅く。20分奮闘して、自分のHPにさえ、たどり着けず断念。高かった600円。
食堂のメニューには、ミャンマー料理に混じって「とんかつ」「お茶漬け」ともに10ドル。これを注文する人は、なんのためにミャンマーへ来たのでしょうか。
「推す」ホテルのドアノブに書いてあった文字。こんな難しい漢字をどこで見つけてきたんでしょね。

補足:決められた金額を寄付すると、バガンに自分の仏塔を建ててもらえます。仏塔の前には、建てた人(寄付をした人)の名前が記されているが、ほとんどがミャンマー文字。ところが、その中に日本語を発見。それなりの金額を払って、1戸建て程度の仏塔を建てたらしい。信仰心が篤いのか、その真実を知りませんが、ミャンマー人、バガン人は非常に喜んでました。にほんじんおかねもちあります。

世界の端まで届いている日本の力に、あらためて感服。


13:政治的文章ではありません

もともと、バガン遺跡地域には多数の旅館と民家が集合して、大きな町を形成していた。ところが10数年前、「政府の方針」などといわれて、それらの地元民家、小規模旅館が、バガン遺跡地区からの立ち退きを強制された。その後、それまでのバガン遺跡地域を「オールドバガン」といい、立ち退かされた民家、旅館が集まってできた地域を「ニューバガン」という。ニューバガンは、オールドバガンから6,7Kmの南方にあり、見るべき遺跡も少ない。高級ホテルは「オールドバガン」に居残ることが許され、また、日本人旅行者が泊まるような中級ホテルは、空港近辺に多い。そのため、ニューバガンまで足をのばす旅行者は少なく、非常にすたれている。
 すべては、「政府の政策で移住させられたのが悪い。」ほとんどのバガン人が、そう思っているらしい。

そのため、一般的に「政府は悪者」。
その1例が考古学博物館。バガン遺跡地区の中央にどすんと構える3階建ての国立博物館。いやがおうにも目立ってしまう。ところが、馬車の御者やガイドは完璧に無視。
「あの建物は何ですか?」と聞いても、
「あれは、政府が建てたミュージアム。何もないし、高い入場料までとられる。つまらないところさ。」

観光本には載っているのに、地元の人には観光スポットとして、全く認識されていない。高い入場料(5ドル)も悪いし、なんといっても、自分の住んでいた土地から強制退去させられて、そこに政府が建てた、宗教的概念の皆無な建物。地元から歓迎されるわけがない。
「歩き方」ではタックシールをつけておいたんだけど、とても「見に行こう」とはいえない雰囲気だった。当然だけど、客がいる気配もない。

そんな逆境の中でも、バガン人は、へこたれない。
市場では、口をあけた魚が丸ごと一匹、ざるの上に無造作に置かれている。数十匹以上が天日の下に売られており、辺りは魚の臭いが漂っている。臭いにつられて、ハエも数え切れない程、集まっている。野良犬もウロウロしている。
よくわからない鳥が皮をむかれて、これも丸ごと吊るされている。
生もの大丈夫かい?食中毒大丈夫かい?鳥インフルエンザ大丈夫かい?
煮込んでカレーにしちゃえば大丈夫さ。
そんな声が返って来そうである。

雨期のため、あちこちの川が増水し、日本語でいうなら「洪水」。しかし、ミャンマー語では「洪水」→「プール」または、「洪水」→「洗車場」。
川が氾濫すれば、そこは天然のプール。どんなに汚い水であろうと、子供たちは元気に泳ぐ。
わざわざ洪水している川の淵まで来て、車を洗っている。そんなのも当り前。てっきり浸水して動けなくなったのかと思った。
世界は狭いけど、アジアは広い。

2泊3日のバガン滞在を終えて、再び首都ヤンゴンに戻ります。


14:近づけ!

旅行先で地元の人と、お近づきになる。これも、旅の目的。
さて、ミャンマーでは?

バガンから、空路でヤンゴンへ。国内線の空港では、待ち時間に停電。飛行機は自由席。新鮮な経験をさせてくれます。

正午前の暑い日差しの中、ヤンゴン空港を一歩、外に出れば、そこは再び、人の渦、波、嵐。
「タクシー?タクシー?チェンジマニ?」
こんな気温と湿度の中で、なんでそんなに元気なの?
そのうちの、ひとりの黒い兄ちゃんと交渉。
「ヤンゴン?ファイブダラ」と黒い兄ちゃん。ヤンゴン市街まで車で30分の距離が500円。あまり高いとも思わないけど、もうちょっと冒険してみよう。
「スリーダラー?」と聞いてみる。
「ノー」と手を振って、兄ちゃんはあっちへ行ってしまった。
ミャンマーに来て、初めて冷たい扱いを受けた。やはり、世の中、金次第。
仕方ないので、別のタクシーを探す。
ワゴン車を運転している黒いおじちゃんに、
「ヤンゴン、スリーダラー?」と声をかけてみる。
当然、いやな顔をするおじちゃん。でも、
「ちょっと待ってて。別の客を探すから」のようなことを言って、車を止めてあっちへ行ってしまった。どうやら、ヤンゴン市街まで3ドルでOK。ただし、他にも客を乗せるから、ちょっと待っててくれ、ということらしい。
数分、ワゴンタクシーの中で待っていると、ミャンマー人の観光客を3人引き連れて戻ってきた。
どうして、外人って、あんなに荷物が多いのかね。
そのミャンマー人観光客は、外国から来た僕たちよりも、倍以上の荷物を持ってて、それを遠慮なく車の中へ押し込んでくる。僕の足元、体のわきへぎゅうぎゅう、ギュウギュウ押し込んでくる。「礼儀」とか「謙譲」とか「遠慮」とかは、日本にしかない言葉だね。
ワゴン車は、それなりの大きさなのに、5人の客と、5人分以上の荷物を詰めこみ、ちょうどいいサウナ状態。そんな感じで、空港を出発。

車内は正午前の東南アジアの日差しを受けて、わりと我慢くらべに近いかも。窓を開けても、排気ガスしか入ってこないから、究極の選択。そんなの慣れっこのように、隣のミャンマー人は、お互いに、ひたすらしゃべりまくっている。
そのうち、タクシーが小さな路地へ進入し、あちこち、くねくね曲がった挙句、到着したのが、(昨日、地震でもあったの?)というようなビルの前。土ぼこりの中に、一応、まっすぐ建っているけど、壁は、建築以来、一度も手を加えられていない様子。壁の一部がはがれ落ちてきても、全然不思議じゃない。未舗装道路わきに密集している、3,4階建ての雑居ビル。周囲にはドブとゴミ。これが、ミャンマーの一般的なアパートらしく、客の1人がここに住んでいるらしい。ミャンマーで飛行機に乗れるのは、少なくとも上流階級。そんな人が、こんな場所に住んでいるとなると、上流以下の人達は、いったいどんな所に住んでいるんでしょう。

そこで降りた客が、タクシーに料金を払っているのをちらっと盗み見。500チャット払っている。500チャットは、0.5ドル(50円)。僕らは(ふたりで)3ドル、300円。
どう?近づいた?

客が1人降りるごとに、車内の酸素濃度が少しずつ上昇する。残りのミャンマー人を順々に降ろし、最後に、僕らのホテルの前へ。たった、40分そこそこだったけど、中身の濃いドライブでした。僕らの順番を最後にしてくれたタクシーの運転手さんに感謝。

ちょっと苦労して、2ドルの利益を得たけど、それ以上の収穫。


[PR]

by akogarehotel | 2005-01-01 22:47 | あちこち旅行記 | Comments(0)  

名前
URL
削除用パスワード

<< 【第7章】ミャンマー後編(H1... 弱いチームが強いチームと戦う方法 >>