【16】蒼海ホテル(新潟県柏崎市鯨波海水浴場)

蒼海ホテル(鯨波海水浴場)

新潟県の鯨波海水浴場にある旅館。ホテルではなくて旅館。
私が物心ついたときから高校生の頃まで、毎年夏休みになると3~7泊くらい滞在していた。
鯨波海水浴場を見渡せる丘の上に立ち、当時(昭和50年頃)では、鯨波周辺では一番大きい旅館だった。
「丘の上」というよりは、実際は「絶壁の上」と言える場所にある。
そのため、眺望は絶好。旅館の部屋から日本海に沈む夕日を毎日眺めることができた。
ただし、海水浴のためには、その絶壁を昇り降りしないといけない。約300段くらいのアスファルトの階段がついているが、元気な子供にはそれほど苦にはならなかった。
朝食を食べたら、階段を駆け下りて海へ飛び込み、夕日が沈む前に旅館へ戻って、砂だらけのまま旅館で夕食を食べる。昼食はどうしたろう?適当な時間に、岩場の上で旅館のおにぎりを食べていたような記憶。小学生にとって、海水浴中は多忙を極めるため、海の家で休む暇などない。

当時の鯨波海水浴場は、長ーーい砂浜部分(2kmくらい)と、その半分くらいの岩場部分からできあがっていた。
岩場部分では、陸地がそのまま地続きで海へ落ち込み、砂浜では沖に当たる位置に、絶好の休憩場所となる岩棚をつくっていた。岩棚から一歩海に入れば、そこはもう日本海の「海」である。砂浜ではなくて「海の上」である。海は深く、底は到底見えないので、水深は不明。水中で足元をのぞくと吸い込まれそうな気持ちがしてちょっと恐い。
そんな深い海水の中にでも、巨大な岩がいくつも存在する。海底に足がつくことはありえないが、これらの巨大な岩のいくつかには、小学生でも足が届き、しばしの休憩場所となる。(なので無造作に海に飛び込むと危険である。)
海中の巨岩の表面には、足の踏み場もないほどに海草が生い茂り、その海草に隠れるようにしてサザエやウニが多数自生していた。小学生でも、30秒ほど潜水して浮き上がるだけでサザエを1つ捕獲できる。一方、ウニにはトゲがある上に、獲ったとしてもおいしくないから手を伸ばすことはなかった。
獲ったサザエは近くの寿司屋に持っていき、壷焼きにしてもらう。そんな贅沢な夏休みだった。(今では犯罪です。)

私にとって、「海」といえば、すなわち鯨波と蒼海ホテル。
おそらく人生の中で最多宿泊数のホテル。80泊くらいはしている。

そんな鯨波も今はない。。。
平成になった頃、鯨波海水浴場にヨットハーバーが建設された。海水浴場はわずかな砂浜部分を残して著しく縮小され、岩場部分は完全に除去された。
これでは海水浴客が減らないわけがない。
鯨波で最大を誇っていた蒼海ホテルも、その地位を新設のリゾートホテルに奪われた。

このブログを書くために、「蒼海ホテルはもうなくなっちゃったかな」と思いながらも検索してみたら、、、現在は「割烹旅館」として存続しているという。
生き残るためには別の道を選んだわけである。


(注:その後、新潟中越地震でとどめを刺されてしまい、現在平成23年は廃業中です。)


【データ】
以下の記載は昭和50年代のこと。
現在は割烹旅館。1泊8000円だという。安く感じるね。

①ハコ 8点
木造2階建て。収容人数は50人くらい?修学旅行用に大部屋(ざこ寝)もあったので大団体と遭遇することもしばしばあった。昭和の時代はこの規模であれば地域最大級。

②寝室 8点
基本的にバストイレ、さらには洗面所も共同。つまりは、ホテルというより民宿。
特別室は、和室8畳+縁側2畳+浴室つき。

③浴室 8点
絶壁の中腹に大浴場あり。といっても10人くらい入るのが精一杯。

④部屋総合 10点
どの部屋からも180度の広さで日本海を見渡すことができる。波の音で眠り、海鳥の声で目をさます。
丘の上にあって風があるから、クーラーに頼らなくてもよい。
記憶の中ではマイベストの部屋。
でも幼い頃の記憶ってのは、結構いい加減だからね。

⑤フロント 8点
おじちゃん夫婦。誰が来ても玄関にお出迎え。
「フロント」といわずに「帳場」と言う。なつかしい。

⑥他の働く人 ?点
子供だから、よく知らない。

⑦ルームサービス 7点
朝食と夕食は「ルームサービス」(部屋食)
子供ながらに贅沢だったなぁ。でもおかずは山菜と刺身だけですからあまりうれしくない。僕の記憶では肉類や揚げ物が出たことは一度たりともない。

⑧ホテル内施設 8点
卓球台と講堂。
昼間、あんなに泳いだのに、夜は寝るまで卓球してるんです。子供ってすごいね。

⑨宿泊客層
家族連れ
小学校の修学旅行

⑩総合
検索したHPには「松本清張の小説に登場しました。」と書いてある。知らなかったなぁ。「私の小学校の作文」には何度も登場していますよ。
昔懐かしいホテルだけど、そんなに懐かしんでいてはいけない。お互いに時代を感じなきゃいけないですね。
木下藤吉郎クラス:秀吉ではなくて藤吉郎。日吉でも可。

追記:突然ですが、今項を持って「あこがれホテル」はしばらく休止いたします。決して○○○○トホテルからクレームが来たわけではありません。私生活が多忙となるためです。また、いつか時間ができたときに復活します。
というわけで、
『作者取材のため休刊』

ちなみに、
今夜は品川プリンスに宿泊。リニューアル工事中のため、ツインがなんと32000円→14000円にサービスされてます。実際はどの程度の出来上がりなのか確かめてきます。

それでは、
 マァアッサラーマ
 アルハムドゥリッラー
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by akogarehotel | 2007-03-19 19:55 | ホテル日記 | Comments(4)  

Commented by at 2014-06-25 22:02 x
初めまして。蒼海ホテルでこちらにたどり着きました。
子供の頃、毎年1泊だけ泊まりました。昭和30年代のこと。
たった一日の非日常。懐かしいです。
Commented by akogarehotel at 2014-06-27 17:41
風さん

こんなふざけたブログへようこそ。
蒼海ホテルに泊まったことのある貴重なお仲間ですね。
とはいえ、私が両親に連れられ利用していたのは昭和40年代のこと。
風さんのほうが1世代上ですね。そんな方にコメントをいただく何て申し訳ありません。

最後に鯨波海水浴場に行ったのは3年前の夏です。
中越地震の際に、蒼海ホテルから海岸へ下りる石段が回復不能なくらいに崩れてしまったようで、蒼海ホテルへ近づくことすらできませんでした。
蒼海ホテル以上に、鯨波海岸が当時の面影が全くないくらいに変わってしまってますね。仕方ないとはいえ、年寄には悲しいものです。
Commented by at 2014-09-24 15:25 x
ご無沙汰しております。
書き忘れました。
当時は「浜茶屋」と呼んでいましたが長じて太平洋側に来てから
そう言ったら「何、それ?」と大うけでした。
こちらでは「海の家」ですよね。あれは新潟固有の呼び方だったのか・・と思っていた所、20年程前のワイキキにもありましたよ、浜茶屋というレストラン。もう無くなってしまいましたが。
もしかして新潟関係の人が経営していたのかと思います。
Commented by あこがれ at 2014-09-24 18:53 x
本当なら驚きです。

当然、海の家は、すべて「浜茶屋」というものと思ってました。
というか、今でも思ってます。

確かに、関東(太平洋)ではそういう言い方を聞きませんでしたが、
そういえば、小中学生のころの海水浴はすべて新潟県にしか行ってました。

その浜茶屋も少なくなってしまったのが悲しいところですね。

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