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【第7章】ミャンマー後編(H16年9月)

【第7章】ミャンマー後編(H16年9月)

15:第2部はチャイティーヨー

その昔、ずーーっと昔、まだまだ昔。
どこかの神様が、海底に沈んでいた黄金の岩を、よっこらせっと持ち上げて、ある山の斜面にポツンと置いた。大きさが6~7メートルもある、その大岩は、山の斜面に、今にも転げ落ちそうな状態でとどまっているのに、雨が降っても、風が吹いても、人が押しても、絶対に斜面を落っこちていかない。これこそ、神様の不思議な神通力じゃ、とういことで、敬虔深いミャンマー人から、非常な尊敬と信仰の的となっている。

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 神様なんていないからっ。
 岩を持ち上げるわけないじゃん。風化して、あたかも岩が浮いているような形ができあがった。それとも、岩の下をボルトで止めてある。そんなのに決まっているじゃん。
 要するに、ただの岩でしょ?
なんてのは、宗教概念が世界一希薄な日本人の考え方。
ミャンマー人は、実際はどう思っているのか知らないが、少なくとも表面上は「この岩は仏様のパワーの集大成」と信じ、熱心にお参りにやってくる。岩のまわりには、大きな寺院を作り、寺の管理のもとに、岩を超金ピカに装飾している。金メッキをこれでもか、というくらいに貼り満たし、岩のてっぺんには豪華な王冠がちょこんと鎮座している。大勢集まる参拝客のために門前町には旅館や食堂がいっぱい。みやげ物屋もいっぱい。

ゴールデンロック(読んで字の如し)と呼ばれるこの岩については、日本ではあまり紹介されない。「歩き方」には1ページしか掲載されてない。
…すごく綺麗な岩らしいよ。金色に光ってて。
…行くのは、とても困難らしい。片道1日かかるとか。
なんか、そんな噂を、あちこちのHPで耳に。

「行くのは困難」なんて言われた日には、こりゃ、行くしかないよね。

本来は
電車→電車→バス→バス→歩き
となるところを、かなりショートカットして
車チャーター→バス→歩き
というプランを立てた。
ところが、これでも「行くのは困難」な石っころでした。


16:片道300Km。近い、近い。

モロッコでも、ウズベキスタンでも、ミャンマーでも、200~300Km離れたところに車で移動するのは当たり前。これくらいの距離なら、2,3時間で到着するので、休憩すら取らないのも当たり前。

気高き銘岩「チャイティーヨーのゴールデンロック」に向かうため、朝7時に首都ヤンゴンを出発。車は、いつものワンボックスワゴン。スピードメーターが時速90Kmを指したまま壊れているやつ。
朝7時はミャンマーでも通勤時間。あふれるほどの人間を乗せたバスやトラックが、ほんとに真っ黒な排気ガスを噴出しながら、ヤンゴン方面へ走っていく。それらと逆走するように、都会の喧騒から離れていく我々。他人が仕事をしている時に、自分は休暇中。これぞ快感、ちょぉ気持ちいい。
30分ほど走ると、軍隊が検問していて、車がとめられた。運転手に向かって、こわそうな軍人がアレコレ文句を言っている。よくわからないけど、コワイ。運転手が適当なお金を払って、無事にその場を通過。払ってたのは、公式の通行料だけだったようだけど、、、。
ミャンマーは軍事国家。観光地から一歩、外に出ると、あちこちに軍隊が駐留している。これから向かうチャイティーヨーは、その昔、軍事的に重要な位置にあったそうで、そこまでの間に、いくつもの検問がある。軍隊としては、外国人がうろうろするのは、戦争が少ない現在でも、あまり気持ちのいいものではないらしい。一方、ミャンマーの一般人は、軍事政府のことが大嫌い。検問では、軍隊、運転手ともに、これでもかというくらいに無愛想。イラクほどじゃないけれど、ちょっと緊張感が漂うドライブです。
その後、5,6箇所の検問を通り抜け、300Km弱を3時間ほどで走りぬけ、チャイティーヨーのふもとの町に到着。もちろん、ここまで休憩なし。朝7時に出発して、口にしたのはミネラルウォーターだけ。忍耐力は養われます。

ここから先は、車を乗り換える。この先の山道が急斜面で細道なので、一般車の乗り入れが禁止されている。ここから先に入ることができるのは、特に許可されている「バス」のみ。

そのバスが、今、目の前にある。
バス?これが、バス?
どう見ても、日本語的には、「ダンプカー」なんですけど。。。
たぶん、世界的にも「ダンプカー」です。

ダンプの荷台に、木を渡して、横並びのベンチを作る。ここに、みんなして、肩をくっつけあって、乗り込む。普通の大きさのダンプカーだけど、荷台は25人乗りだという。冥土の土産に乗ってみるか、といいたいところだが、慣れていないと、本当に冥土の土産になってしまう。山道が険しいため、ダンプは上下左右に大揺れするし、つかまるところは、隣に座っているミャンマー人の肩だけ。「やめておけ!」というガイドさんの強い言葉にしたがって、我々小柄な日本人は車内の助手席に座らされた。しかし、ダンプの運転手を含めて、車内に横並びに4人。こっちも、かなりの穴倉状態なんですけど。

上って、上って、下って、、。ゆれて、揺れて、倒れそうになるくらいに左右に傾いて、、。
平均時速30kmで、1時間ほど運ばれた。助手席の脇につかまり、天井につかまり、ぐらぐら、ゆらゆら、1時間耐えた。
通勤ラッシュで山手線を1周するほうが楽だと思います、たぶん。

そして、到着したのが、奥深い山の中の、それは、とてもとてもひなびた村。植物製の住居が数件立ち並ぶだけの広場に到着。ここで、バスという名のダンプカーから降りる。
しばらくぶりに身体を伸ばせることができて、一安心。超エコノミー症候群の一歩手前だったから。

しかし、しかし、まだ到着ではないんです。
ここから先に、本日、最大の難関が待ち受けているのでした。


17:金の玉

あこがれ夫婦は、一応、バックパッカーです。登山用のリュックをしょって旅行してます。このチャイティーヨーへの旅行の時も、いつものリュックサックを背負ってます。重さはだいたい4Km弱。

バスという名のダンプカーから降りた、その場所は、「バスステーション」。簡単にいうと、ただの広場。周囲には、木と葉っぱでできた家が数軒ならんでいる山間の村。文明からかなり遠くへ離れてきたな、と実感できる。そんな地べたへ、よっこいしょ、とリュックといっしょに腰をおろした。バス(ダンプ)の揺れのせいで、かなり疲れたが、当然、まだまだ目的地には着いていない。
「目的地は、あの山のてっぺんにあります。ここからは歩きます。」
って言われたけど、山のてっぺんなんて見えないよ???

時刻はちょうど12時。たまに小雨が降る、湿度約100%の中、我々は歩き始めた。登り始めた。
道は、予想外にも、完全に舗装されている。道幅も6,7mくらいある。しかし、傾きが尋常ではない。スキー場の中級者ゲレンデくらいの平均斜度があり、カーブでは、さらに勾配がきつくなる。たとえ中野浩一でも、自転車で登ることは不可能、そんなくらいの坂道を、重さ4kgのリュックを背負って、ひたすら歩く。登る。
厳しい自然に鍛えられたミャンマー人(ただし都市在住)にとっても、ちょっと苦しいらしい。ましてや、温室でもやしのように育てられた日本人には、かなりこたえる。(ちなみに、私、夏の間は高校生と部活をやっているんですけど、それでも、急坂をつらく感じます。)かなり疲れたな、と思って時計を見ると、まだ5分くらいしか経過してない。ガイドブックによると、この坂道が1時間つづくということだ。ぐはぁ。

そんな坂道、外国人旅行者が登れるわけない。特に、ぶよぶよの西洋人なんて、絶対無理!なので、それをあてにした商売が発達している。
ひとつは、荷物運び。途上国独特の黒い子供が、自分の体と同じくらいの大きなかごを持って、なにやら近づいてくる。どうやら、かわりにリュックを持ってくれるらしい。頂上まで、荷物を運んでくれて、だいたい100円(1ドル)ということだ。はっきり言って、はした金。でも、もっとはっきり言って、プライドが許さない。これから向かう目的地は、一応、仏教の聖地。お参りに行くのに、お金を払って荷物を持ってもらったのでは、ご利益なんぞあるわけがない。リュックのひもが肩に食い込んで痛いけど、そして、荷物運びの子供がかわいそうだけど、断固拒否。自分のものは自分で運びます。
しかし、上には上があるもので。荷物運びよりも究極のサービスがある。それは、人運び、すなわち「かご屋」。イスをお神輿のような状態で、太い竹にくくりつけ、前に2人、後に2人、計4人で持ち上げる。旅行者はイスに座ってれば、お気楽に、のんのんと、頂上まで運んでもらえる。時代劇のかご屋ではなくて、お神輿のようにかつぎ上げられる。坂道が急角度なので、かご状態では地面にすってしまう。頂上までの料金は4人分なので、400円前後。これも、はした金。
さぁ、あなたなら、乗りますか?
同じアジア人として、恥ずかしくて乗れないですよ、普通。人間も、ここまで腐ってしまったかってね。もちろん、そんなカゴを利用しているのは、まん丸の西洋人だけ。

とかなんとか、強がりを言ってみても、やはりきつい。むしむし暑くて、汗が、本当に滝のよう。シャツは、汗でびしょびしょで、しぼれば簡単に水がしたたりおちる。タオルで拭くことなんて、完全に意味なしお。
道はクネクネくねくね曲がっていて、「ここを曲がれば、そろそろ視界が開けるはず」なんて思っても、曲がればやっぱり、道はまだまだ先へつづいている。
いったい、どこまで登ればいいんだよー、チャイティよー。
一度立ち止まると、二度と歩き始める気力が沸かなくなる。だから、休まず、立ち止まらず。どんなにゆっくりでもいいから、常に前進。本当に修行だわ、これは。
約1時間の難行苦行の末、死人を出さずに、どうやら頂上へ到着。ほんっとに、よくがんばりました。

しかし、頂上で待っていたものは、そんな疲れをさらっと吹き飛ばすのに充分な絶景、そして、金の岩だったのです。

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18:金の岩

昔むかし、海底に沈む巨大な岩をお釈迦様が、ヨッコイショ、どっこいしょと持ち上げて、この山の斜面にチョコンと置いていった。その岩は金色に光り、山の斜面から今にも転げ落ちそうな状態で、そこに留まっている。いくたの地震や、大雨にも、ピクリともせずに、落ちそうで落ちないでいる。これこそ、お釈迦様の神通力じゃ、ということで、信仰心の篤いミャンマー仏教徒は、この「ただの岩」のことを、非常に貴重に崇拝している。岩のある高台には、大きな寺院をつくり、毎日毎日、多くの観光客、参拝客が、あの急な坂道を登ってやってくる。
それが、チャイティーヨーのゴールデンロックである。

でも、ただの岩ですから!

という表現は正しくないかもしれない。僕はてっきり、ちょうどいい形の岩を見えない位置でボルトで止めてあるのかと思ったけれど、「風化してできた、まるで岩がのっているように見える地形」というのが正解らしい。

とか、日本人は仏教徒じゃないから、そういう無意味なことを考えるんですね。いいんです。信じる者は救われるんです。
ゴールデンロックの大きさは約5m。金ぴかのめっきが、まんべんなく塗られている。ミャンマー人は金めっきが大好きである。ゴールデンロックをまつるために作られた寺院も、非常に豪華絢爛。こんな山のてっぺんに、よくも建てたな、というくらいの大きなお堂がいくつも並んでいる。
ちなみに、女性は、ゴールデンロックを触ってはいけない。こんなこと言われると、余計に、ありがたく拝んでしまったりする人は、純粋な心を持った「オカ仏教徒」です。

あれこれと、いらないことを言ってますが、結局はゴールデンロックこそが、ミャンマー最大の観光スポットだと思ってます。仏教概念をまったく無視しても、一見の価値があります。山道の苦難を乗り越えてきて、ぱっと目の前に広がる景色。その中に、宙に浮かんでいるような金色の大岩。夕暮れ時には、足元のほうから夕日に照らし出されて、まるで、岩自体が発光しているよう。夕日が沈みきるまで、1時間くらい、うっとりと眺めています。まったく飽きません。
こんな山奥の、こんな貧乏な村に、これだけ経済効果のあるものが眠っている。ミャンマーって、もったいない国です。

しかし、豪華絢爛なのは、あくまでも岩と寺院だけ。それ以外のもの、つまり、周辺の住居、ホテル、食堂は、これこそ質素の見本というようなもの。ホテルは、山頂にある「一番いいホテル」。1泊3000円(ふたりで)はミャンマーの物価を考えれば高級ホテル。しかし、部屋は木造一間。当然、トイレ、洗面、シャワーは1部屋。シャワーは天上に固定されているから、わきの下はどうやって洗えばいいの?すきま風は入り放題。風だけじゃなくて、羽虫や、それを餌にしているヤモリも自由往来。しかし、それで納得しないといけないですね。だって、こんな山の上なんですから。

可愛そうなことに、1年程前に、ゴールデンロック周辺で大火事があったという。寺院、門前町などのほとんどが焼失してしまったらしい。こんな山奥で復旧作業がはかどるはずはなく、寺社以外の建物は、今も焼け落ちたままか、改修中か。それを思えば、屋根の下で雨露をしのげるだけしあわせ。


19:学校に行く子供と、行かない子供

チャイティーヨーで、夕日と朝日を拝む。お決まりの1泊コースを終えて、翌日は朝8時に下山。死にそうだった上り坂も、下るときはそれなりにラクラク。8時30分ころには、麓のバス乗り場に到着した。昨日、来るときにも立ち寄った、ただの広場で、周辺には萱葺きの家しか存在しない。ここで、バスという名のダンプカーが来るのを待つ。

5分ほど待つと、山の下から1台のダンプカーが上ってきて、バス乗り場でとまった。これは、僕らのバス(ダンプ)ではないらしい。そのダンプがパォォン、とクラクションを鳴らした。すると、どこに隠れていたのか、小学生くらいの子供達がワラわらと、集まってきた。30人から50人くらい。みな、白いシャツと黒いズボンをはいている。制服着用の小学生である。それらの小僧達は荷物のように、ダンプの荷台にあふれるように乗っている。そして、ダンプは、もう一度、プォォンと吠えると、急な山道を頂上めざして上っていった。そういえば、頂上近くに学校があった。どうやら学校行きのスクールバス(ダンプ)らしい。頂上には、一般人の車は立ち入り禁止だが、工事用車両とスクールダンプは通行可能のようだ。こんな険しい山道を毎日通っていたら、全員がスーパー小学生になっちゃうから、そりゃ、バスも必要でしょう。
 そんなことよりも、こんな山奥に学校があり、さらに、子供を学校に通わせられる家庭が、こんなにあるとは、ちょっと意外だった。
さらに数分待っていると、下りのバスが来た。ひ弱な日本人は、運転席に乗せられ、約50分のドライブで、ふもと町の駐車場に到着した。ここには、ヤンゴンから乗ってきた我々のワンボックスが停めてある。

その駐車場で車を乗り換えようとすると…
「バナナ、バナナ」
と、頭に大きなお皿をのせた「バナナ売り」の集団が近づいてきた。ここを通る外国人にバナナを売って、生活費を稼いでいるらしい。10人くらいいる「バナナ売り」は、みな子供である。せいぜい小学校低学年である。さっきの制服の子供達をほとんど変わらない。かたや、制服で学校へ。かたや、なかなか売れないバナナをさばいて生活費を稼ぐ。日本では考えにくい貧富の差だ。
頭の上にのっけているバナナが1束(15本くらい)で200円(2ドル)だという。そんなにいっぱい買ったら、持ってかえるのが大変。2本で50円に交渉(かなり割高)して、1本をその子供に。いやらしい?

道端では、野ブタが草を食べていた。ミャンマーの山奥は悲しい。


20:華僑の根性

今回のミャンマーの滞在は6泊7日。
到着初日がヤンゴン泊。翌日からバガンに2泊。
戻ってきて、ヤンゴン1泊。翌日からチャイティーヨーへ、1泊2日。
戻ってきて、三度めのヤンゴン1泊。

ヤンゴンには、とびとびとびで、1泊ずつ、合計3泊。
ホテルは3度とも、前述のとおり、「グランドミヤーター」レジデンスを予約しておいた。華僑が経営する(「超」はつかないけれど)豪華ホテル。
部屋は、3泊とも同じ部屋が確保されていた。とびとびであったにもかかわらず、絶好の眺望を持つ特別ルームが、僕たちがバガンやチャイティーヨーへ行っている間も、誰にも利用されずに、僕らの帰りを待っていてくれた。
中国系経営者の粋なはからい。
「小金持ちの日本人にはこんなサービスをしておけば、また来てくれる」と。
おそらく、シーズンオフで空いているからでしょうが、通常のツイン料金で、特別ツインルーム(通常のツインの2倍の広さ)に泊めてくれて、なおかつ、こんなサービスまで。心にくい。
もちろん、次にミャンマーに行くときも、ここ「グランドミヤーターレジデンス」に決定です。(しかし、次はあるのか?)

そんなわけで、”ただいま”という感じで、ヤンゴンのホテルに帰ってきた。3度目ともなると、本当に自分の部屋に帰ってきた感じがします。
さて、ホテルに帰って、まず始めなければいけないのが洗濯。どの国へ行っても、どこから帰ってきても、これだけは避けて通れない。洗面所と浴室が2つずつある特別室なので、早速、夫婦で2手に分かれて洗濯開始。自分の下着を自分の手で洗うなんてのは、海外旅行をするまで経験なし。最初は抵抗があったけど、今は慣れたもの。石鹸さえ、日本から持参した泡どけのよいものを使えば簡単に洗濯できる。
問題は「出発までに乾くかどうか」。アフリカのモロッコでさえも、1日じゅう干していても乾かないことがあるんです。だから、ホテルの部屋に入った時は、いつも「どこに洗濯物を干すか」を最初に考えてしまいます。
その点、このグランド宮田ホテルはすばらしい。南向きの特別室には、南側に2畳ぶんくらいのテラスが3つも備え付けられている。テラスの手すりに干しておけば、数時間で完全乾燥。湿気の国にやってきて、これは非常に助かります。

ところが、
ところが?
テラスへの出入り口がオートロック??

洗濯物を抱えて外に出た。一通り干して、さぁ中に入ろう、としたら、、、、
ドアが開きません。部屋の中へ入れません。。オートロックが、しっかりとオートロックされています。

思い切りドアを叩いても、高級ホテルのドアは頑丈。しかも、うちの奥さんは、はるかかなたの、もうひとつの浴室で洗濯中。部屋が広すぎて、叩いても、わめいても、声は届かない。
ミャンマーの殺人的な日差しの中で、2畳ほどのベランダに一人取り残されてしまいました。
約15分後、そろそろ脱水気分になりかけた頃、「そんなところで何しているの?早く、他の洗濯物も干してよ。」と、何も知らない奥様がドアを開けて声をかけてくれました。

これって死亡事故が起きないかな?


21:山手線めぐり

ヤンゴンも2度目なら、「あまり観光客が立ち寄らないところ」へ行きたくなるもの。
そんな思いで、「歩き方」を眺めていたら、見つけました。
モバ・ヤター

ミャンマーの「山手線」です。
ヤンゴン駅を出発して、そのへんをぐるっと1周。そのまま乗っているだけで、自動的にヤンゴンへ戻してくれるという、旅行者にはとても安心できる乗り物。山手線と違うところは、電車ではなくて貨車であり、1周するのに3時間かかること。そして、なにより…

ホテルからヤンゴン中央駅までは歩いて5分。こんなところが、このホテルのグレイトなところ。
ヤンゴン中央駅は、ミャンマーとはいえ、1国の首都のターミナル駅。さすがにでかい。そして、相変わらずの金メッキ。屋根全体にしゃちほこが載っているといえば、わかりやすいでしょうか。もちろん人も、うじゃうじゃ。地方からやってくる行商は、家族総出でやってくる。お父さん、お母さん、お兄ちゃん、妹、おじいちゃん、おばあちゃん、みんなして、かごいっぱいの野菜やら、鳥やら、ジャガイモやら、魚(?)やら、何だかよくわからないものなど、どさどさ持って都会に出てくる。これらを全部、売っ払って、帰りには生活用品を買って帰ろう、というわけ。人と同じくらいの荷物がやってくるのだから、あちこちで大混雑。旅行者だってやってくる。ただし、外国人ではなく、ミャンマー人。ヤンゴンにある気品あふれる金メッキの寺院にお参りをしようという、本当に尊敬に値してしまう人たちが、地方からワンサカやってくる。そんなお客を当てにして、タクシーだって大集合。駅の中、駅の前、駅の外、ほこりにまみれて大混雑です。

そんな駅の、おそらく「改札」にやってきた我々。
切符を買いたいんだけど…
駅内、すべてがミャンマー文字。東南アジア特有の丸っこい文字。こんなのガイドブックと照らし合わせても判読不能。切符の買い方どころか、切符売り場がどこだかすらわからない。

こんな時に、女性は強い。うちの奥様様が、それらしい制服のおっちゃんに向かって、
「モバ・ヤター?」
と一言。モバ・ヤターとは、ミャンマー語で「環状線」という意味らしい。しかし、「歩き方」に書いてあっただけで、アクセントも不明。「どこ?」とか「切符」とかいう言葉もなく、単に「モバ・ヤター」と言って、最後に「?」。こんなので、通じるわけないじゃん!
たった1つの単語だけで通じるようなら、日本語の「助詞」の立場がないぞ!

と思ってたら、以心伝心するもんだ。アジア人同士、通じ合う?

ついて来い、みたいな合図でおっちゃんが改札を素通り。僕らも素通り。そのままホームの端っこの駅長事務室みたいなところへ案内された。そこが、どうやら外国人専用の切符売り場だった。一人分1ドル(100円)払って、モバ・ヤター1周チケットを購入。さらに、おっちゃんがついて来い、と。今度は、ホームまで案内してくれた。

切符を買って、ホームまでくればもう大丈夫。「ありがとう。ここでいいですよ。」と、おっちゃんに言いたいけれど、まったく言葉が通じない。おっちゃんは「ここで待ってろ」みたいなことを言っている。

 南国の日差しと亜熱帯の雨の中、線路は草ぼうぼう。ホームは線路よりも1mくらい高くなっているが、ふかふかな線路の上は自由に歩行可能。当然、電車にひかれても「自己責任」だからね。ホームは3本で、5番線まである。そのひとつには、戦争映画にでてくるような貨物列車が20両編成くらいで止まってる。スティーブマックィーンとかが、走ってる貨車へ飛び乗るような、あんなやつ。こんなのが今でも現役で働かされているんだから、すごいよ。と思って見ていると、想像通りのギクシャクした音を出しながら、その貨物列車が動き出した。見たことないけど、ブリキのおもちゃのように、やっとこさっとこ動いていった。本当に偉いよ、ミャンマー人は。

おっちゃんといっしょに待つこと30分。やっと、お目当ての「モバ・ヤター」が到着した。
電車の到着とともに、そのへんにいたミャンマー人が、うじゃらうじゃらと電車の入り口に集まってくる。当然、みんな電車に乗る人。「整列」なんて言葉が辞書にない国の人だから、われもわれもと、押し合いへしあい。「謙虚」な日本人はなかなか乗せてもらえない。「これじゃ座れないね、3時間立ったままかな。」と、あきらめ状態だった我々を救ってくれたのが、そのおっちゃん。そのためにいっしょに待っていてくれたのか。

というわけで、次回へ、つづく。


22:特別列車

20両編成くらいのポンコツ貨車がホームに到着。山手線ほどではないけれど、たくさんの人が降りてくる。そして、降りてくる人を押しのけて、さらに多くの人が乗り込もうとする。こんなのは、「礼儀正しい」日本人にとっては、とても理解不可能。降りる人を押し返しながら乗り込んでいくミャンマー人。相手に悪いとか、効率悪いとか、そこまで思考回路が回らないようです。

そんなこんなの乗降風景。私たち夫婦は完全に取り残され、、、、
と思っていたら、さっきまでいっしょにいた付き添いのミャンマー人が、
「こっちへ来い!」と。
降りてきた人をかきわけかきわけ、ホームを歩き、後ろのほうの車両へと連れて行かれる。
そして、ある特定の車両の前に来ると、「ここへ乗れ」と手招き。
なんとそこは、”特別区域”。入り口付近はミャンマー人で埋め尽くされているけれど、それら人ごみをよけながら車内にはいると、ちゃんと座る場所が用意されている。
付き添いのおっちゃんは、車内の軍人らしき人に一言二言。われわれを席に案内すると、にこっと笑って列車から降りていった。
すっげぇ、いい人。(こういうときのチップは、喜んで渡します。)

”特別区域”であって、”特別車両”ではない。車両はすべて同じで、戦争に出てくる軍用列車のようなもの。座席は窓側にあるベンチだけ。窓に背を向けて座ることになるので景色が見えない。床は当然、木でできている。
車両の真ん中あたりを、一本のひもが、あっちの窓から、こっちの窓まで渡してある。この紐の内側が特別地域。紐の外側、つまり出口側が一般地域。一般地域にはミャンマー人がぎっしりと乗っている。ベンチはもちろん満席で詰めあいながら座ってる。
特別地域に入っていいのは、外国人旅行者と軍人だけ。僕らを合わせて8人の客。全員がベンチに座っても、おしりの間には空間ができる。
一般地域からのうらめしい視線をあびながら、特別地域の冷たいベンチに腰をおろした。ミャンマーのみなさん、ごめんなさい。でも3時間、立ったままはつらいし、電車代だって、あなた方の100倍以上も払っているんだから、許してちょうだい。
私たちの値段:ひとり1ドル=1000Ks
ミャンマー人の現地値段:7Ks
Ks(チャット)は現地通貨。

ミャンマーの青い空の下、モバ・ヤター1周3時間の旅がスタート。
さて、飛行機の時間までに、無事にホテルに帰れるのでしょうか。


23:世界の車窓から

外国人特別車両に座れた我々夫婦。ひも一本へだてた「一般車両」にはミャンマー人がぎゅうぎゅうで立っています。
「なんか、悪いね」なんて、思っていたら…

向かい側に座っている軍人が、ベンチ椅子に寝そべり始めた!外国人特別地域に入っていいのは、外国人旅行者と軍人。軍人はもちろん、ミャンマー人。隣で立っているミャンマー人と、同じミャンマー人。立っているミャンマー人を尻目に、寝そべっているミャンマー軍人。限度ないです、彼らは。やつらに比べると日本人の節操は、天下一品です。

ミャンマーは熱帯の国。レールが、暑さのために少しずつ溶けているみたいです。
日本では想像もつかない縦ゆれと、さらに危険を感じるような横ゆれに、車体をぎしぎしギシギシさせながら走っていきます。そんなに揺れるから、さすがにスピードは出せません。というか、ミャンマーのエンジンでは、20両も引っ張っていては、氷の上でもスピードは出せません。最高でも時速50km程度で、カーブや踏み切りが近くなると30kmくらいに減速します。
「そんなんじゃ、自動車よりも遅いじゃん!」と言いたくなるのですが、ミャンマーには時速50km出せる車のほうが少ないですから。
時速30kmといえば、自転車並みのスピードなので、走っている列車から勝手に乗り降りしてる冒険者を数多く見かけます。もともと、列車にはドアがついていません。無駄なものにはお金をかけないお国柄ですから。そんなもんだから、青空の下で乗り降り自由なんですね。でも、ドアがないなんて、混んでいるときには、落とされないかどうか心配です。ミャンマーは「礼儀」よりも「自己責任」を重んじる国なのです。

線路脇では、レールに洗濯物を広げている風景をよく見かけます。
レールが熱いから、よく乾くのでしょう。しかし、しまい忘れたら大変だよなぁ、と他人事ながら心配です。

そんな景色を見るために、窓の外に上半身を乗り出してみました。危ないかもしれないけど、これも自己責任。でも、確かに、木の枝がすれすれを通る、ではなくて、ぶつかってくるよ、おい。細かいことは気にしないミャンマー鉄道です。

5分くらい、風をうけて進むと、次の駅に到着します。最初のうちは、快適な旅です。


24:タイムマシーン鉄道

「ヤンゴン中央」駅を無事に出発。窓の外に顔や手を出しながら、5分も走ると、次の駅に到着。駅名は絶対に判読不能な文字だけども、一応、”街”といった感じの駅。その後も、5分から10分ごとに駅へ到着するが、駅を通り過ぎるごとに、だんだんと時代がさかのぼっていく。
駅の建物から、電化製品が消え、鉄筋コンクリートが消え、売店が消え、人口塗料が消え、、、。30分後に到着した駅では、石造りのホームと駅舎に木製の看板だけだった。町並みも同様。ヤンゴン中央を離れるにつれ、車が消えていく。そのうち、見渡す限りの亜熱帯の草原とジャングルだけになる。視野の中にある人工産物は、われわれが乗っている貨物列車とレールだけ。それ以外は、緑色に生い茂った得体のしれない植物と、手作りの木製住居、そして、青い空と痛い日差し。遊園地の電車が、いわゆる「ジャングルゾーン」に入ったようなものが、実際に目の前にあった。これほどまでに文明が違うものかと、驚いてしまう。湿地帯の上に高床式住居を作って住んでいる彼らにとっては、おかしな服を着た外国人こそ、まさに「異国の人」なのであろう。しかし、彼らは、それを望んでいるのか・不満はないのか?かわいそうに思えるのは、日本人の自分勝手な心なのか。

そんな未開の土地だから、文明人には予測できないことが絶対にあるはず。鳥インフルエンザもそのひとつ。線路脇を自由自在に歩いている「鳥」。たぶん「にわとり」。それらを売るために、足をしばって吊るしながら運んでいる子供。そんなのが、電車に乗ってくる。鳥の羽がふわふわと飛んでいる。免疫力の低下している文明人は、こんなところで「鳥インフルエンザ」にかかっちゃうんでしょうね。私の帰国後の発熱も、この電車旅行でウイルスをもらった可能性が高いです。

ジャングル→大稲作地帯→湿地→砂埃の小さな町→
こんな感じで風景が変化していきます。

時には、大きな工業団地があったりする。日本や欧米資本の食品か繊維関係の工場がドシンと構えていて、その周辺には街が発展している。こんなのを見ると、「資本主義がミャンマーを助けている」と感じてしまうのだが、「資本主義が自然を破壊している」ともとれるのでしょうか。

窓の外には熱帯アジアの壮大な景色、一方、乗客は種々多様な服装と荷物。あちこちに眼をキョロキョロさせながら、1、2時間が経過します。


25:ゴールイン、そしておみやげ

いくら風変わりな景色でも、1、2時間もすれば、飽きてきます。
ごとごとゴトゴト、木のいすの上で揺られながら、お尻も痛くなってきた。

本当は駅で降りてみればいいんだけど、そこまで時間がなかったのが残念です。

山手線の5分の4くらいを回ったはず。ゴールのヤンゴン駅が近くなってきたはず。なぜなら、一時は空いていた車両が、再び混雑しはじめてきたから。田舎ゾーンの人々が、特産物を持って電車に乗りこみ、都会ゾーンに下りて、それらを売り払う。売り上げのお金で、生活品をどっさり買って、行きも帰りも荷物をいっぱい抱えて電車に乗り込む。そんな、経済の教科書みたいなことが、目の前で起きているミャンマー。正午近くの電車の中は、これから市場で売るはずの野菜、鳥、手工業品などが所狭しと置かれている。電車内は人もいっぱい、ものもいっぱい。そんな中をすり抜けていく「水売り」の少年。大きな桶を抱えながら、コップ一杯の水を売る。コップは共通利用。水は、完璧に「自然の水」。日本人が飲んだら、そのへんの下剤よりもよく効くはず。
僕らの目の前の、外人地域側ででかい態度で座っている軍人が、水売りを呼びとめた。少年から、コップ一杯の水をうばってガブ飲み。しかし、お金は払わない。軍人と民間人は、かなり仲が悪そうです。

2時間45分のツアーは、ヤンゴン中央駅に戻って終了。何時間ぶりかに、背中をのばして、大あくび。楽しかったけど、疲れた。

さて、もうすぐ飛行機の時間だから、帰りましょうか。


26:五感で感じるミャンマー

ミャンマーが、残念だけれど貧乏な理由は、いくらでもあります。

熱心な仏教徒があまりにも多い。
失礼ですが、お坊さんて、何するの?
お祈りをして、寺を掃除して、あとのメインは、托鉢行脚。他人から、お供えをもらうのが仕事。つまり、自分では何も生産的な活動をしていない。米を育てるでもなく、タオルを編むでもなく、ただ、他人のものを少しずづめぐんでもらうだけ。
極端に言うと、お坊さんは、その国のGDPにプラスになることを何もしていない。
ミャンマーにでは、視野の中のあちこちに、朱色の僧衣をまとったお坊さんがわんさかといる。朝、昼の托鉢ラッシュ時には、ほんとにあちこちで、行列でお坊さんがやってくる。
いや、彼らは偉いですよ、間違いなく。軟弱な、エセ仏教徒の日本人に比べたら、比較するのが申し訳ないくらいに精神的に崇高です。朝っぱらから、どんなに寒くても、どんな砂利道でも、裸足で歩いて、ひたすら托鉢しているんだから。
でも、残念ですけど、生産的価値はゼロなんです。
人口がいるのに、国の価値が上がらない、ひとつの理由です。

一応、仏教寺院が観光資源となってますので、それはそれで、よいのですが、
ならば、寺に管理人をつけて掃除して貰えばいいでしょう。
なんてのは、頭の中に経済観念しかない日本人的発想なんでしょうね。

軍人が多い
同じく、軍隊だって生産的価値ゼロです。それどころか、かなり莫大な消費者です。
ミャンマーは、いわゆる軍事国家で、軍隊の力で民衆を押さえつけています(ように見えます)。国民が地道に稼いだ国家予算が、軍隊に無駄に消費されてしまうなんて悲しいです。日本もそうならないでほしい。
街中で、軍人は我が物顔で歩いてますが、一般人とは決して友好的ではないようです。

自然が厳しいのもハンデキャップ。
あの熱さは、文字ではあらわせません。夏、といっても、9月頃の日差しの下、20m歩くと、意識が遠くなります。そこで、水を飲むと、汗をかいて体力が奪われる。
昼間の間に、外で何か仕事なんて、できっこない。
ビルを建てる、道を造る、こんなことが昼間にできないんだから、進歩するはずがない。
夜にできるって?電気代がないのに、夜間の工事なんて不可能です。

そんなマイナス要素の中で、本当に彼らは元気に生活しています。
生きる目標はなんですか?と聞けば、間違いなく、
「生きることです」と答えるはずです。
「その日暮らし」の運命を黙って受け入れている。彼ら、ミャンマー人は、本当に尊敬に値する人々です。

そんな人々に、少しでも「生きる力」を分けてもらいたい。そういう気持ちで、ミャンマー、あるいは、その他の途上国へ旅をします。
物価が安い国だからこそ、我々セレブ国には想像もつかない苦労と生命力が隠されています。

見る、聞く、これくらいならテレビで充分。
臭いをかいで、手足で触って、味を楽しむ。
ここまで感じるためには、実際に行ってみないとわからない。
みなさま、是非、一度お越しください。
切符の買い方など、不明な点は、いくらでも相談にのります。

ヤンゴンのおまけ
「カフェアロマ」日本でいうなら、スタバのような喫茶店。コーヒー100円、ケーキ100円。地元の相場の10倍以上。外国人旅行者がほとんどだが、中には地元の若者がいたりする。1杯4000円(相当)のコーヒーを飲みに来るなんて、IT企業の社長みたいなもんか。
「読売新聞」なんと400円。インターネットで取り寄せた内容をプリントアウトして売っている。ミャンマー公務員の月給の10分の1。大事に読みます。
「ゲームカセット」将棋、オセロ、麻雀がひとつに入ったゲームカセット。ファミコン用。ヤンゴンのおもちゃやで、1つ100円前後。間違いなく海賊版。

みやげ話って言うくらいだから、おみやげってのは品物じゃなくてもいいんだよ。

(ミャンマー編終了)


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by akogarehotel | 2005-01-02 23:03 | あちこち旅行記 | Comments(0)  

【第6章】ミャンマー前編(H16年9月)

【第6章】ミャンマー前編(H16年9月)

1:旅行記のはずが、闘病記

旅行帰りの新幹線の車内電光掲示板「タイで鳥インフルエンザで2人死亡」
同じく、手に抱えているスポーツ新聞にも
 「タイ北部で2人死亡」「死亡」「死亡」…

今回の旅行は、
ミャンマー7日間。
ミャンマーは以前はビルマといっていた国。首都もラングーンという名前から、ヤンゴンに変更された。アウンサンスーチーさんと、軍事政権との微妙な関係の上に成り立っている。国名、首都名の変更もその影響。

ミャンマーには日本大使館があるが、航空機の直行便がない。
そのため、一般的に、
タイ経由で訪れることが多い。日本(成田)とタイ(バンコク)の間は、一日に何便も往復している。なんで、こんなに日本人ばっかりなの?という感じのバンコク国際空港である。日本語表示ばっかり、というか、マッサージ屋なんて、絶対に日本人しか利用していないと思う。

そんなわけで、タイ経由なわけで、
9月19日に成田からタイを経由してミャンマーへ。
9月26日にミャンマーからタイを経由して成田へ帰国。
そして、
9月26日帰宅直後、39度の発熱。

そこへ「タイで鳥インフルエンザ」のニュース!
インフルエンザの潜伏期を最長1週間と考えれば、往路で感染。
潜伏期を最短半日と考えれば帰り道に感染。この場合は、超重症。(潜伏期が短いほど重症)そんなことより、タイで鳥インフルエンザが発生しているなら、隣国の
ミャンマーで発生していないわけない。単に、マスコミにばれていないだけ。
 ミャンマーで感染した、、、とすると、潜伏期は、、
ミャンマーなんて、生の鳥がそのまんま、市場で売られてるし、野鳥なんて、あちこちにいたから、、、
もし鳥インフルエンザなら、死亡率80%。。。自分だけならいいけど、あちこちに拡散するかも…

などの考えが、頭の中をグルグル。
おまけに、
SARSだったらどうしよう。
咳が出ないから、大丈夫かな。でも、明日にはゴホゴホいったりして。
遊びに行って、SARSなんてもらってきたら、切腹じゃすまされない。

そんな、眠れぬ夜を過ごしました。
眠れないのは、心配なためだけではなくて、
一向に下がらない熱(38度)のためと、
口にしている「
N95マスク」(ウイルスの拡散防止)のためでもありますが。


2:闘病記2

ということで、念のため隔離されました。
でもって、インフルエンザの検査。

鳥インフルエンザは、A型インフルエンザの一種。
(人の)インフルエンザの検出キットで、検出することができる。

綿棒を鼻の穴に7cmくらいつっこみ、鼻水を採取する。
これだけで、病気になりそう。
でもって、あれこれ、手順を踏んで、、、検査結果待ち。
仮に、
A型インフルエンザ(+)と出ても、人インフルエンザかもしれない。
仮に、
A型インフルエンザ(-)と判定されても、検査の手順などで陰性になってしまうこともありえる。
そんなことを考えれば、検査結果がどうだろうと関係ないし、検査する必要性すらないかもしれない。

しかし、当の本人は、かなり本気。

結果は
陰性(A型に感染なし)でした。

少しだけ、ホッとしたけど、、、、
しかし、日曜日に発熱して、月曜日の夜になっても38度のまま。
さすがに、疲労してくる。心配もあるし。
しかし、何もできずに、ただ寝ているだけ。
眠ろうと思っても、一日中寝ていたから、ちっとも眠くない。
気晴らしに本を読むと、なんと、文庫本が重たく感じる。
それほど疲れてる。
携帯で掲示板など、と思っても、ボタンを押す手に力が入らない。
結局、だまって、天井を見上げつつ、
「もう、絶対に東南アジアになんか行かないぞ」
と何度も心に誓ってました。

不思議なのは、500mlくらい点滴して、汗をかくと、0.5度くらい熱が下がる。点滴の威力って、すごいね。ただの水なのに。

その後、徐々に解熱。
木曜日の朝から平熱となり、無事にシャバへ復活させられました。
たったの4日間。だけど、長かった4日間。


3:なぜにミャンマー

モロッコ、ミャンマー、カンボジア、ウズベキスタン
私たち夫婦が、リュックサックをしょって旅した国に共通しているのは、
物価が安くて、小汚いジーパンでも恥ずかしくない国。
こんな国々を旅する理由は、
「日本にない何か」を感じたくて。
「生きるために生きている人」と接したいから。

今回、本当は
ネパールに行く予定でした。しかし、直前のイラク関連爆破事件のために渡航延期勧告。仕方ないので、ミャンマーに変更しました。モロッコ、チュニジア、ブータンは航空券が取れなくてダメ。ミャンマーは、はずれ1位なんです、ごめんなさい。

ある国が裕福になるためには、外貨を獲得しなければなりません。日本なら自動車、家電製品など。東南アジアの国々は?そんな、外国に自慢できるものなんて、観光資源くらいしかありません。だから、旅行者の懐を必要以上にアテにしています。例えば、カンボジアには、アンコールワットという目玉商品があります。ここを訪れる旅行者には、
1日2000円程度の入域料が請求されます。1日に1万人もやってくれば、かなりの金額になります。(実際に、それくらい訪れているような印象でした。)
ミャンマーの場合は、もっと極端に、もっとストレートです。外国人は、入国する際に空港で
200ドル(2万円)請求されます。代わりに200FECという、ミャンマー国内でしか使用できない紙幣を渡されます。つまり、強制的に、2万円ぶん使って来い、ということです。
ラーメン1杯が外国人値段でも50円の国です。2万円あれば、1ヶ月暮らせます。

というくらいに、外国人を藁とも思い、すがっている国です。(途上国は皆同じようですが。)
(ところが、このFECが廃止されたらしい。空港職員が、旅行者から賄賂(500円)を受け取り、FECへの交換を免除している、ということが、原因らしいです。空港職員だって、外国人旅行者に頼っているんです。)

旅行者の落とすアブク銭に支えられている国。
1日1000円で贅沢三昧の国。都会を1歩離れれば亜熱帯のジャングルに迷い込む国。中国系(華僑)の富裕層がはばをきかせている国。
そんなミャンマーへの1週間でした。


4:熱烈大歓迎

休みの日はどんなに早起きしても大丈夫。AM4:00に目覚ましに起こされたが、夜明け前でも眼はパッチリ。気合で着替えて、朝ご飯食べて、5時に出発。
成田のチェックインは午前9時。連休なので空港内は人の波、渦、群れ。飛行機も当然、満員御礼。成田を11時に飛び上がった飛行機は、予定通りに6時間後にタイ(バンコク国際空港)へ着地。10点。
乗り換え待ち2時間の後に、ふたたび空の上。そして、1時間半のフライトの末に、ようやく
ミャンマー(ヤンゴン国際空港)に到着。家を出てから16時間。日本は午後9時。現地は午後6時半。緯度の低いミャンマーでは、すでに真っ暗。
それにしても、座っているか、食べているか、だけの1日。足はむくんで、腰は痛い。そろそろ、体にこたえてくる年頃です。

空港では、いつもどおりの熱烈歓迎。旅行者の10倍くらいの数の、ほこりまみれのおっちゃん、お兄ちゃんが、わさわさと群がってくる。
「タクシーあるよ。町まで5ドル!」
「宿、大丈夫か?」「チェンジマニー?(両替しようか?)」
僕らのようなバックパッカーには、彼らの襲撃が集中する。ホテルを予約したり、送迎者を待たせているとは、とても思えない格好だから。

ヤンゴン空港からヤンゴンの市街地まではタクシーで30分。現地人値段は
0.5ドル(50円)くらいらしい。しかし、旅行者への相場は5ドル(500円)。ただし、到着したばかりで物価もわからず、疲れている上に、外はもう真っ暗。タクシーに30分乗って、500円でいいのなら、喜んで払っちゃうでしょ、普通。
ちなみに、ミャンマーの公務員の月給は
40ドル
ホテルの紹介屋は1件につき2~5ドルのチップ、両替屋は5%(100ドル両替なら5ドル)程度のマージンがあるらしい。
もう一度いうけど、公務員の月給は
40ドル

そんな、暴利があふれている空港だから、公務員だって黙ってない。
今回は、なんと、空港内で襲撃を受けた。
税関を抜けようとすると、白と紺のかっこいい制服のおねえさんから、
「こっちへ来て。ついてきて!」と声をかけられた。
なんか、悪いことしたかなぁ?と思って、後へついていくと、
「今、タクシーを呼んであげるから、ちょっと待ってて。宿は決まってるの?」

彼女の目当ては、もちろん、紹介料という名の
2ドル程度のチップ。職権を乱用して、空港内で先に金づるをキープしようという作戦だ。
何度もいうけど公務員の月給は40ドル。たった2ドルのために、汚いGパンとほこりで汚れたリュックの僕らに、ガンダムの連邦軍のような制服のお姉さんが、ごきげんとって、へつらわなければならない。
ミャンマーに到着して2分で、その悲しい現状を見せられてしまった。

注)このような客引きを初めて体験した場合、ちょっと引いてしまいますが、値段さえ確認すれば、利用してもかまいません。もちろん、彼らは、かなりふっかけて来ます。といっても、日本人にとっては微々たる金額。かわいそうと思えば、それで納得してあげて、あるいは、妥協できなければ、とことん交渉して、利用できるものは利用しましょう。


5:20年前の日本の風景

というわけで、空港でガンダムのセイラみたいな人に声をかけられた我々。
ところが、申し訳ないけど、ホテルも予約してるし、送迎も来ているんです。

真のバックパッカーとは、往復の航空券だけ買ってやってくる。足も宿もその場しのぎ。地元の人と同じ足を使い、同じ場所に寝る。気の向くまま、安いほうへ安いほうへと旅をする。
しかし、こんなこと、時間のない、忙しすぎる、平均的日本人には無理。社会人には無理!
1週間の休暇なんて、あっという間に終ってしまう。
なので、はなはだ恐縮ですが、宿だけは日本で予約しておいたのです。宿を探すために費やす時間を節約するために。

僕たちがホテルを予約していると知ったセイラさんは、急に、ミライ(同じくガンダム)のようになり、むすっとしてどこかへ行ってしまった。挨拶もなしに。200円の儲け話が消えてしまって、ショックのようでした。

空港の外は、旅行者をあてにしたタクシーで大渋滞。
ただし、タクシーといっても、日本人が想像する「タクシー」ではなく…

ミャンマーを走っている車は、トラックもバスも全部含めて、7割くらいが日本車。他に韓国、あとは国籍不明など。
日本車といっても、現在の日本で見かけるような車種は、まったくなし。ほとんどすべてが、
日本ではもう走れなくなった中古車。どんなに新しくても、10年はたっているだろうという車ばっかり。
車検がないのをいいことに、とりあえず、「走ればいい」車。ある意味、「走ることしかできない」車。というか、「たぶん走れる」車。「いつ壊れるかわからない」車。
そんなのばっかり。
まさに、昭和の日本がそこにある。
ギリギリ走っている車ばかりだから、走る能力以外は置き去りにされている。
排気ガス基準なんてのはありえないし、サスペンションという単語も知らないかもしれない。
窓が開かない、のではなくて、閉まらない車があちこちに。エアコン車は稀に見つけられる。
ライトがつかなければ、夜は走らなければいい。ガソリンメーターが壊れているのは、野性の勘で対応する。
ワイパーは動かない、というか、ない。でも、前は見えるでしょ?
ナビのアンテナがついている日本車を見つけた。仮に機能していたとしても、日本地図しか見れないはず。
日本の盗難車なんかも走っているんだろうな。

そんなミャンマーなので、僕たちを迎えにきた「送迎車」は、トヨタのワンボックス。
12年前くらいの車種。色は「ほこり色」。窓は「ほこりスモック」
5人乗れる後部座席に我々2人だけだから、まぁ、ある意味、”ミャンマーのリムジン”みたいなもの?エアコンも動いていたからね。
停車中でも、スピードメーターが90kmを指しているのはミステリー。


6:中学で習った「華僑」

日本の中古車店なら20万円くらいの「送迎車」が僕らを乗せてヤンゴン市内のホテルに着いたのは、夜の7時(日本時間午後9時30分)。首都ヤンゴンは、そこそこの明かりが灯っている。

ホテルの名前はグランド・ミーヤター・レジデンス。
宮田ホテルではありません。中国系資本、つまり華僑が関係しているホテルのようです。
超高層ではありません。だって、レジデンス(居住用)ですから。
日本と違って、横に広々とした造りになってます。レジデンスですから。
3年前に来た時には、まだ建築中で「ずいぶん大きなビルを建てているなぁ」と思って眺めてました。ずいぶん大きい、と思ったけれど実際は12階建てです。まわりが低いので、必要以上に高層に感じます。
日本からインターネットで予約できるので、ここに決めました。予約したのは、1泊7000円のツイン。
参考までに、前回、ミャンマーに来た時に泊まったセントラルホテルは、1泊3500円。ミャンマーで最も由緒あるストランドホテルは1泊30000円。ヤンゴンの公務員の月給は4500円。渋谷のセルリアンは40000円。前橋のビジネスホテルは朝食つきで一人7500円。

ツイン1室ということは、ふたりで7000円。ひとり3500円。日本人の感覚なら、決して高い宿ではありません。しかも朝食つき。どんなレベルのホテルだろう?楽しみ半分で予約してきました。

そしたら、なんと「レジデンス」
とりあえず、外見は大合格。そして、案内された部屋は…

部屋が間違ってます。私たちが予約したのはツインです。
しかし、ポーターに案内されたのは、スイートです。
リビングは15畳くらい。ベッドルームと浴室が二つずつ。キッチン、洗濯部屋がそれぞれ8畳くらい。洗濯部屋には日本製の乾燥機完備。
間違いではなくて、ここが7000円の部屋だそうです。
こんな広い部屋、泊まったことありません。というよりも、自宅よりも広いかも。
洗濯物が乾かない、というのが最大の悩みだったのですが、乾燥機、しかもメイドインジャパンがあれば、いくらでも洗濯できます。
アウンサン市場の目の前なので、立地も抜群。
ヤンゴンの定宿に決定しました。

ホテル内には、当然だけど、中華レストラン。
ミャンマー人は、もともと外食の文化がなかったので、「ミャンマー料理店」というのは、実は少ないのです。移住してきた華僑、タイ人、インド人が、自分たちのために開いた中華料理屋、タイ料理屋、インド料理屋がミャンマーの外食文化を担ってます。
そんなわけだから、ミャンマーなのに何故中華なの?とは言わないでください。

で、その日の夕食は、高級ホテルの中華レストラン。やはり豪華です。大きな水槽には得体の知れない生き物が浮遊しています。たぶん、カニもいます、奥のほうに。ウエイターの数が、テーブルの数よりも多いです、絶対に。
その豪華レストランの、気になるメニューは、、、
漢字を頼りに、頭を使って、、、
結局、春巻とか麻婆とかチャーハンとか、安心できるものを注文。
蟹とか蝦とか鱶(フカ)とかいう漢字も見かけたけど、はずすと恐いから。
料理3つ、ビールにデザート。こんだけ頼めば、2人とも限界。
ところが会計は、1000円ぽっきり。
高級レストランでふたりで酔っ払って1000円。

ミャンマー、悲しい。


7:国内線事情

ミャンマーの国内飛行機路線は、国営1社と民営2社。
そのうち、国営は「事故が多いから乗るな」と「歩き方」に書いてあるほど。はいはい、乗りません。

ヤンゴンに着いた翌日は、早朝6時30分の飛行機に乗るために、4時に起きて5時に出発。本当に、遊びだといくらでも早起きできる。
まだ朝日も見えない早朝5時。しかし、空港は予想外に旅行者であふれている。午前出発の便が多いらしい。それにあわせて、タクシー野郎もこんな朝早くから仕事してる。日本人以上に仕事の虫です、彼らは。

ガンダムの制服を着た空港職員に、切符を見せて、「国内線の受付はどこですか?」と尋ねた。職員のお兄さんは、ニッコリして、「ついてきな」と。チェックインして、荷物を預けて、指定された待合室まで、テクテク歩いて案内してくれた。
もちろん、チップをあてにして。こちらも大助かり。空港には案内板がほとんどないとか、あっても間違っているから、全くわからない。実際に「国際線」と書いてあるところが「国内線」の入り口だった。1ドル渡して、双方から「Thank you」。彼らが国からもらう日給も1ドル。

バガン行きの飛行機は、小型のプロペラ機。60人くらいしか乗れない。乗客に日本人も多く、彼らは、あまりにも小さい飛行機に感動して、写真を取りまくり。僕らはウズベキスタンで、もっと小さい、20人乗りの飛行機に乗ったことがあるので、感動も半分。本当は空港内では撮影禁止なのに、笑いながら見ている警備員(軍人?)も悲しい。旅行者を注意して、機嫌を損ねさせたら、損するのは彼らだから。

1時間のフライトでバガンに着陸。滑走路の脇を歩いて、空港の建物へ。預けた荷物は空港の外で、地面に転がされている。そこから勝手に持っていく。のどかだねぇ。
空港の出口では、ひとりあたり10ドルの入域料を払う。バガン全体の遺跡への入場料みたいなもの。カンボジアのアンコールワットでは1日2000円。バガンでは何日いても全部で10ドル(1000円)。
空港の外には、いつもの光景が待っている。タクシー運転手やら両替屋やらホテル業者やらの熱烈アタック。
「タクシー?4ドル?」(原文まま)
約20分の距離が4ドル。まぁ、最初なので、これくらいで。

タクシーは途中、有名な「アーナンダ寺院」の前を通る。
「あれがアーナンダテンプル(寺院)。アーナンダ、コーナンダ、ソーナンダ」(原文まま)
誰だ、ヘンな日本語を教えたのは。


8:いやんバガン

バガンはミャンマー中央部にある「遺跡の町」。遺跡しかない町。
亜熱帯の草原には、得体の知れない植物が「うっそう」という言葉の見本のように、うっそうと茂っている。その中の、ある6Km四方の領域の中だけに、レンガ作りの寺院や仏塔が、ぐぐっと密集している。小さいものは高さ2,3m。大きいものは、6階建てのビルくらいで、高さ20m以上。高いところから眺めてみれば、見渡す限りの草原の中に、たけのこのようにニョキニョキと顔を出している寺院仏塔を無数に見ることができる。その数、合計2700だという。よく数えたもんだ。
青い空、緑の草原、その中に、無数の茶色の古代の芸術的建造物。遺跡とか、仏教とか全然興味がない僕でも、これだけは感動してしまう風景でした。

これらの寺院は、すべて赤茶色のレンガでできていて、アーチ型の部分などは、よくも崩れてこないものだと感嘆してしまう。
ところが、崩れているんです。崩れるんです。
30年前にこの地方を大きな地震が襲った。古ぼけたレンガ作りの遺跡群は、ほとんどすべてが倒壊してしまったという。その後、がんばって修復したのが現在の遺跡だという。古そうだけど、古くないのかも。倒壊したまま、あるいは、倒壊しかけていて、危険だから進入禁止になっている寺院もいくつかある。
いつ崩れてもおかしくないレンガ作り。そんなだから、旅行者が屋根の上のギリギリのところで写真を撮っていると、現地の人はひやひやしながら見ている。遺跡から滑落死、なんて新聞に載ってしまったら、日本で笑われます。

遺跡群と、数件のホテルと、小規模な市場、そして世界地図にも載っているイラワジ川(エーヤワーディ川)。バガンには、それしかありません。一番高い建物は、遺跡の一つ、シュエサンドーパゴダ。ヤンゴンのような「ビル」と呼べるものはいっさいなし。
もし、ここに遺跡がなかったら、たぶん、ウルルンで訪れるような超developpingな地域になっていたことでしょう。遺跡があっても、この状況なので。


9:騎手変更

「バガン遺跡群」と呼ばれる地域は、約6Km四方。
その区域内に遺跡が点在しているが、あまりにも数が多く、お互いが近接しているために、タクシーでの遺跡巡りは一般的ではない。地面もほとんど舗装されていないので、もともと車で通行できる道が多くないのもその理由。
熱さ、風、ほこり、にわか雨のために、歩いて回るのも常識的には不可能。
一般に、自転車か馬車を使うことが多い。レンタサイクルは1台1日2~6ドル。ホテルのランクにより値段が変わり、自転車の質も変わる。馬車は1日5~10ドル。交渉次第で値段が変わる。
ふたりで回るなら、自転車も馬車も同じ値段。それなら、みやげ話にということで、馬車をご用意いたしました。

それなりのホテルの前には、客待ちの馬車がたむろしている。その1台と交渉。御者は身長160cmくらいで浅黒く、典型的な小柄アジア人。1日10ドル、2日で20ドルだという。明らかに高いので、ちょっとごねてみる。すると、小柄アジア人いわく、
「2日で15ドル。これが限界。あなた方にはたいした値段ではないでしょう?」
最後の言葉が殺し文句。見るからに貧相なアジア人に、こう言われると、それ以上の交渉は良心が許さない。はい、その金額でお願いします。
よく聞くと、馬車は馬車会社の持ち物。彼ら御者、すなわち運転手は、売上のすべてを会社にわたし、かわりに1日1ドルの給料をもらうだけだという。交渉した料金の中には、彼らのポケットにはいる金額も含まれていたはず。200円、300円を値切るのは、ちと可愛そう。同じアジア人だし。

馬は背骨とあばらがくっきり見えるくらいにやせ細っている。そんな痩せ馬が、僕ら3人を乗せた幌を引っ張る。馬車に乗せてもらうのが本当に申し訳ないくらい。
しかし、さすがに痩せ馬だから、テクテクぽかぽか、歩くだけ。いくらムチで打たれても、キャンターにもならない。自転車にも追い越されるほどゆっくりだけど、移動速度の遅い旅ほど、いろんなものを感じ取れる。

われらが馬車の騎手は、バガンに生まれてバガン育ち。1日1ドルの給料で奥さんと子供二人と暮らす。バス代、飛行機代なんてあるわけないから、自分の国の首都のヤンゴンにさえ行ったことがない。僕のほうがヤンゴンに詳しい。
旅行者が一人でも多く来て、100円でも多く消費してくれること。それが彼らの未来を支えているようです。

「もう歩けないよ、疲れたよ」という馬をムチで叩きながら遺跡巡り。最後のしめくくりは、ティーローミンロー寺院での夕日撮影。寺院の高さは何10m?わからないけど、このへんでは最高の建造物。旅行者が高いところに登りたくなるのは万国共通。バガンにいる、ほとんどすべての旅行者が、夕日時にはこのあたりに集まり大撮影会。それでも、せいぜい100人弱かな。


10:静かなる、おみやげ戦争

ウズベキスタンはすごかった。
寺の境内だろうが、通路だろうが、仏像の隣だろうが、ところ構わず「みやげ屋」がゴザを敷いて住み着いている。どこを見渡しても、みやげ物屋。どの写真にも土産物屋。

ミャンマー人は敬虔な仏教徒。
彼らは、寺院の中では商売はしない。ただし、一歩外に出れば…
寺院の敷地は、ほぼすべて正方形。その一辺にだけ、土産物屋の屋台が集結している。おかげで、どこが入り口かすぐわかる。別に、ありがたくないけど。どんな小さな寺院でも、観光客が一日に5人くらいしか来ないような寺院にも、入り口の門の前には、数軒のお土産屋が必ずたむろしている。観光客の数よりも、土産物屋のほうが多い。観光客が一人やってくるたびに、数人の売り子がワラワラと集まってくる。ここでも、空港のような「熱烈歓迎」。

売っている品物はどこでも同じものばかり。絵ハガキ、漆器、金物、風景画。1ミリほども心が動かされない。少しは個性のあるものでもあればねぇ。
「イチドールゥ、ヤズイネ(安いね)」
どこでも共通のかけ声。彼らにとっては、まさにサバイバル日本語。
…1$なの?安いね、じゃぁ、これ下さい。
「ソレハ、ビックダカラ、サンドルね」
どこでも共通の受け答え。

バガンでは、布に書いた風景画を売るのが流行らしい。軽くてかさばらないし、A4版1枚が、1~4ドルと手ごろな値段。おそらく日本人にはよく売れるでしょう。
だから売り子も多い。どこの寺院でも、入り口には、地面に布絵を広げて、「ヤズイヨ、ヤズイヨ」と声を張り上げている、自称「絵描き」が星の数。
そのうちの一人いわく「(和訳)私はバガンじゅうの絵描きに絵を教えている。あちこちにいるのは、すべて自分の生徒たち。だから、私の絵は、ちょっと高いけど、質はバガンで最高さ。」
どう見ても20代前半の兄ちゃんが、先生なわけないだろっ!
ぼったくりが横行するとはいえ、所詮200円~300円。2つ買ってしまった。

絵葉書を売るのは子供の役目。小学校に通うはずだけど、通えない6、7才のちっちゃな子供たち。彼らが、絵葉書をかざしながら「イチドル、イチドル」と言って、集まってくる。絵葉書20枚が100円だから、本当に「ヤズイ」んです。だけど、どこにでもある写真の紙切れだし、絵葉書の場所へ行った人じゃないと価値が分からないから、おみやげにはできないし。。。
カンボジアにもたくさんいたけど、子供が、生きるために商売をしているのは、やはり悲しい。


11:バガン水軍

2日目のバガンの夕刻。
今度は、船の上から夕日を見よう、ということで、「イラワジ川豪華クルージング」
イラワジ川は世界地図に載ってる、ミャンマー最大の川。川というより、「河」。川というよりも、海か湖。対岸は、はるかかなた、かすんで見えない。しかし、海ではなくて川だから、当然「流れ」がある。泳ぎに自身のある私でも、おそらく北島コウスケでも、対岸まで泳いで渡るのは至難の業。海のように大きく、海よりも危険。そんな大自然に囲まれて夕日を見ましょうという「クルージング」

たぶん、お分かりだと思いますが、我々が豪華客船でクルージングとかするわけない。
一応、船着場の看板に書いてあったからクルージングと言っているだけ。その実情は…

船は公園のボートよりも、ちょっとだけ縦長。横幅はボートと同じくらい。船というよりは、エンジン付のカヌー。エンジンの先には、プロペラ1枚。競艇のボートを細長くした感じ。
これを、やはり小柄で、浅黒いアジアン兄ちゃんが操舵する。船で浅瀬から川に乗り出すと、ものすごい勢いで下流へ流される。帰ってこれるのか心配になるくらい、川の流れが早い。ゲーム「水滸伝」で「川の流れが急ですぞ」というセリフが頭をよぎる。
兄ちゃんがエンジンを回して、舵を上流へ向ける。ブルルゥゥン!ブドドドドドッッッ。エンジン音がものすごい轟音となって響きわたる。難聴になってしまいそう。流れの速い大河を、ゆっくりゆっくり溯る。
川の流れのように、風も流れている。自然の扇風機は爽快爽快。「ナチュラル エアコンさ。」と兄ちゃん。泣かせるねぇ。彼らは「本物のエアコン」なんて見たことないはず。

兄ちゃんは、船の男、水上の男。肌が黒いのは、船の油のせいか、日焼けのせいか、判別不能。非常に聞き取りにくいアジアン英語を話す。
「俺たちは1日300チャットで働いている。あんたの時計は高そうだねぇ。うらやましい。」
ここでも、話題はお金のこと。チャットとは現地通貨。300チャットは、約30円。ちなみに、私の腕時計は日本のホームセンターで買った1000円のデジタル時計。旅行のときは、紛失してもいいように安物を持っていく。こんな時計くらい、あげてもいいけど、、、。
クルージング代金は10ドル(1000円)。意外に高い。ところが、これは、すべて親分が取っていってしまうらしい。
自分にとっては1年分の給料を、小一時間で使ってしまう同じアジア人を見て、彼らはどう思っているのだろうか。少なくとも、船が転覆すれば、我々は溺れるが、彼らは泳ぎ帰る。


12:バガンにある日本

田舎町バガン。ヤンゴンとは一味違う日本の風景を発見。

「はがき、にじゅうまい、いちどる」絵ハガキを売る子供の声。彼ら、彼女らは、その意味がわかるのか。韓国人はもちろん、西洋人にも同じ声をかけているような。単に、「こんにちわ」程度の意味かもしれない。

「いちごいちえ」ある寺院での絵描き兼みやげ物屋兼怪しい兄ちゃんの呼び声。ここで会ったのも何かの縁、だから絵を買ってってよ、という意味だろうが、いったい誰が教えたんだろう?間違いなく、「一期一会」ではなくて「イチゴイチエ」

ソニーセンター
バガンの街中で見かけた看板。カタカナと英語の表記。その実態は、、、
ゲームセンター。といっても、ファミコンをつないだテレビが数台置いてあるだけ。しかし、2件ある店は、両方とも満員。ここにも、日本からウイルスが感染しているらしい。他人のことは言えませんが。
ちなみに、ソニーセンターとは固有名詞ではなくて、ゲームセンターという意味の一般名詞。また、置いてある「ファミコン」のことを、ミャンマーでは「プレステ」というらしい。そして、本物のプレステ、つまりCDで動くゲーム機はミャンマーでは見かけなかった。都会の電気店で「プレステ」と書いて売っているゲーム機は、カセット型、つまりファミコンだった。

サクラホテル
日本人をあてにしたホテルだが、日本語は通じない。1泊7000円強。明らかにバガンでは常識を超えた値段。
ロビーには日本語入力可能なパソコンがあり、インターネットに接続できる。10分300円。のろし程度の通信力しかないバガンだから、日本よりも高いのは仕方ない。しかし、接続がとんでもなく遅く。20分奮闘して、自分のHPにさえ、たどり着けず断念。高かった600円。
食堂のメニューには、ミャンマー料理に混じって「とんかつ」「お茶漬け」ともに10ドル。これを注文する人は、なんのためにミャンマーへ来たのでしょうか。
「推す」ホテルのドアノブに書いてあった文字。こんな難しい漢字をどこで見つけてきたんでしょね。

補足:決められた金額を寄付すると、バガンに自分の仏塔を建ててもらえます。仏塔の前には、建てた人(寄付をした人)の名前が記されているが、ほとんどがミャンマー文字。ところが、その中に日本語を発見。それなりの金額を払って、1戸建て程度の仏塔を建てたらしい。信仰心が篤いのか、その真実を知りませんが、ミャンマー人、バガン人は非常に喜んでました。にほんじんおかねもちあります。

世界の端まで届いている日本の力に、あらためて感服。


13:政治的文章ではありません

もともと、バガン遺跡地域には多数の旅館と民家が集合して、大きな町を形成していた。ところが10数年前、「政府の方針」などといわれて、それらの地元民家、小規模旅館が、バガン遺跡地区からの立ち退きを強制された。その後、それまでのバガン遺跡地域を「オールドバガン」といい、立ち退かされた民家、旅館が集まってできた地域を「ニューバガン」という。ニューバガンは、オールドバガンから6,7Kmの南方にあり、見るべき遺跡も少ない。高級ホテルは「オールドバガン」に居残ることが許され、また、日本人旅行者が泊まるような中級ホテルは、空港近辺に多い。そのため、ニューバガンまで足をのばす旅行者は少なく、非常にすたれている。
 すべては、「政府の政策で移住させられたのが悪い。」ほとんどのバガン人が、そう思っているらしい。

そのため、一般的に「政府は悪者」。
その1例が考古学博物館。バガン遺跡地区の中央にどすんと構える3階建ての国立博物館。いやがおうにも目立ってしまう。ところが、馬車の御者やガイドは完璧に無視。
「あの建物は何ですか?」と聞いても、
「あれは、政府が建てたミュージアム。何もないし、高い入場料までとられる。つまらないところさ。」

観光本には載っているのに、地元の人には観光スポットとして、全く認識されていない。高い入場料(5ドル)も悪いし、なんといっても、自分の住んでいた土地から強制退去させられて、そこに政府が建てた、宗教的概念の皆無な建物。地元から歓迎されるわけがない。
「歩き方」ではタックシールをつけておいたんだけど、とても「見に行こう」とはいえない雰囲気だった。当然だけど、客がいる気配もない。

そんな逆境の中でも、バガン人は、へこたれない。
市場では、口をあけた魚が丸ごと一匹、ざるの上に無造作に置かれている。数十匹以上が天日の下に売られており、辺りは魚の臭いが漂っている。臭いにつられて、ハエも数え切れない程、集まっている。野良犬もウロウロしている。
よくわからない鳥が皮をむかれて、これも丸ごと吊るされている。
生もの大丈夫かい?食中毒大丈夫かい?鳥インフルエンザ大丈夫かい?
煮込んでカレーにしちゃえば大丈夫さ。
そんな声が返って来そうである。

雨期のため、あちこちの川が増水し、日本語でいうなら「洪水」。しかし、ミャンマー語では「洪水」→「プール」または、「洪水」→「洗車場」。
川が氾濫すれば、そこは天然のプール。どんなに汚い水であろうと、子供たちは元気に泳ぐ。
わざわざ洪水している川の淵まで来て、車を洗っている。そんなのも当り前。てっきり浸水して動けなくなったのかと思った。
世界は狭いけど、アジアは広い。

2泊3日のバガン滞在を終えて、再び首都ヤンゴンに戻ります。


14:近づけ!

旅行先で地元の人と、お近づきになる。これも、旅の目的。
さて、ミャンマーでは?

バガンから、空路でヤンゴンへ。国内線の空港では、待ち時間に停電。飛行機は自由席。新鮮な経験をさせてくれます。

正午前の暑い日差しの中、ヤンゴン空港を一歩、外に出れば、そこは再び、人の渦、波、嵐。
「タクシー?タクシー?チェンジマニ?」
こんな気温と湿度の中で、なんでそんなに元気なの?
そのうちの、ひとりの黒い兄ちゃんと交渉。
「ヤンゴン?ファイブダラ」と黒い兄ちゃん。ヤンゴン市街まで車で30分の距離が500円。あまり高いとも思わないけど、もうちょっと冒険してみよう。
「スリーダラー?」と聞いてみる。
「ノー」と手を振って、兄ちゃんはあっちへ行ってしまった。
ミャンマーに来て、初めて冷たい扱いを受けた。やはり、世の中、金次第。
仕方ないので、別のタクシーを探す。
ワゴン車を運転している黒いおじちゃんに、
「ヤンゴン、スリーダラー?」と声をかけてみる。
当然、いやな顔をするおじちゃん。でも、
「ちょっと待ってて。別の客を探すから」のようなことを言って、車を止めてあっちへ行ってしまった。どうやら、ヤンゴン市街まで3ドルでOK。ただし、他にも客を乗せるから、ちょっと待っててくれ、ということらしい。
数分、ワゴンタクシーの中で待っていると、ミャンマー人の観光客を3人引き連れて戻ってきた。
どうして、外人って、あんなに荷物が多いのかね。
そのミャンマー人観光客は、外国から来た僕たちよりも、倍以上の荷物を持ってて、それを遠慮なく車の中へ押し込んでくる。僕の足元、体のわきへぎゅうぎゅう、ギュウギュウ押し込んでくる。「礼儀」とか「謙譲」とか「遠慮」とかは、日本にしかない言葉だね。
ワゴン車は、それなりの大きさなのに、5人の客と、5人分以上の荷物を詰めこみ、ちょうどいいサウナ状態。そんな感じで、空港を出発。

車内は正午前の東南アジアの日差しを受けて、わりと我慢くらべに近いかも。窓を開けても、排気ガスしか入ってこないから、究極の選択。そんなの慣れっこのように、隣のミャンマー人は、お互いに、ひたすらしゃべりまくっている。
そのうち、タクシーが小さな路地へ進入し、あちこち、くねくね曲がった挙句、到着したのが、(昨日、地震でもあったの?)というようなビルの前。土ぼこりの中に、一応、まっすぐ建っているけど、壁は、建築以来、一度も手を加えられていない様子。壁の一部がはがれ落ちてきても、全然不思議じゃない。未舗装道路わきに密集している、3,4階建ての雑居ビル。周囲にはドブとゴミ。これが、ミャンマーの一般的なアパートらしく、客の1人がここに住んでいるらしい。ミャンマーで飛行機に乗れるのは、少なくとも上流階級。そんな人が、こんな場所に住んでいるとなると、上流以下の人達は、いったいどんな所に住んでいるんでしょう。

そこで降りた客が、タクシーに料金を払っているのをちらっと盗み見。500チャット払っている。500チャットは、0.5ドル(50円)。僕らは(ふたりで)3ドル、300円。
どう?近づいた?

客が1人降りるごとに、車内の酸素濃度が少しずつ上昇する。残りのミャンマー人を順々に降ろし、最後に、僕らのホテルの前へ。たった、40分そこそこだったけど、中身の濃いドライブでした。僕らの順番を最後にしてくれたタクシーの運転手さんに感謝。

ちょっと苦労して、2ドルの利益を得たけど、それ以上の収穫。


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by akogarehotel | 2005-01-01 22:47 | あちこち旅行記 | Comments(0)