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【第5章】海外旅行 ベスト イチ!

これが、あこがれの  べすと いち 1!

これまで、旅した国々
  ニュージーランド (社会人すぐの夏休み、初の海外)
  ドイツ        (仕事で。かっこいい?)
  モロッコ       (うわさの新婚旅行)
  ミャンマー      (以後、夫婦旅行)
  モロッコ
  カンボジア
  ウズベキスタン
  パリ         (乗り換えだけ)

これに、日本国内で、”住んでた”ことのある、
  群馬、上野、新宿、沖縄、福井
を加えて。

こんななかから、ベスト1を選択。

(平日のみ、更新)

【第5章】

46:一番「日本」なところ(11月18日)
47:一番「外国」なところ(11月19日)
48:一番「暑い」ところ(11月20日)
49:一番「寒い」ところ(11月21日)
50:一番「冷たい、温かい」ところ(11月22日)
51:一番「フェロモン」なところ(11月25日)
52:一番「バスがミサイル」なところ(11月26日)
53:一番「Excuse」なところ(11月27日)
54:一番「携帯電話に命をかけている」ところ(11月28日)
55:一番「ゴージャス」なところ(12月1日)
56:一番「危険で爽快な」ところ(12月2日)
57:一番「グルメをはずす」ところ(12月3日)
58:一番「行きたい」ところ(12月4日)

46:一番「日本」なところ

  ハイレベルの戦いで、なおかつ、ハナ差の大接戦です。
      1位、 カンボジア
      2位、 ニュージーランド

  
カンボジアは、この前、テレビでも特集してました。日本語学校が大はやり、だそうです。だって、日本語が話せれば、収入が約束されるから。というか、日本語を話せないと、今後、仕事に就けないかも、くらいの気合です。猫もしゃくしも、水牛も、日本語を話します。アンコールワットなんて、日本人の団体客ばっかり。先日の東儀秀樹(?笛吹く人)のコンサートが、余計に拍車をかけている。
  観光客には、(団体だろうと個人だろうと)必ず現地の
観光ガイドが同行する。そのガイドが、日本語を「普通」に話すんだからスゴイ。ただ、「普通」というのがくせもの。「外国人ならこんなものかな」という普通の話し方、であって、決して、「目を閉じて聞いたら日本人かと思った」ようなレベルではない。だから、聞くのに、とても疲れる。

 ナンタラカンタラ2ー、、世、、、が、、、せん、、さっ、、、ひゃく、、、ぬじゅうぬんにい、、、とぅこぅた、、、ぬが、この、いしきです。
  (○○2世が1320年に作ったのが、この遺跡です。)

そのわりに、最近の日本語で使い方が悪いと言われている「ほう」という言葉を使ったりする。

 つぎは、、、ちゅしょくの、、ほうに、、、まいります。(次は昼食のほうに参ります。)

教師に問題があるんじゃないのか?ではなくて、
観光客から、自然に、学んだんでしょう、きっと。

  カンボジアのガイドさんは若い人ばかり。本当に、尊敬するくらい、一生懸命、日本語や日本の風習を勉強してます。で、毎度のことで、(自分も、しっかりしないとな)と思い込まされるわけですね。どこに行っても、なんか同じです。
  カンボジアでは、日本語オンリーで、何の問題もありません。


  2位が、ニュージーランド
  初めて行った外国で、驚きました。夏休みにスキーに行ったのですが、レストランで、従業員から、
 「日本から来たのですか?」
って。よく見たら日本人じゃない。バイトしながら、スキーやボードを練習しているんだそうだ。で、もっとよく見たら、
スキー場だって、4分の1くらいが日本人だよ。生意気に、小学生の団体なんかも来ているし。約10年前、バブルのギリギリの頃のことだけど、お前ら、誰の金で旅行しているんだ?
  ふもとの町でも、仕事しながら長期滞在している日本人に、よく遭遇した。いわゆる「ワーキングホリデー」というものらしい。
  あまりにも意外だったので、印象が深く、そのために、第2位。

  でも、もっと「日本な」ところは、いっぱいあるでしょ。
ワイハ(^^)とか、グァムとか、、、
ウズベキスタンも、そのうち日本になるかも、
モロッコは、当分、なりそうにない。イスラム教が健在だから。

47:一番「外国」なところ

まともに考えると、、、モロッコ?ドイツ?
ちょっとひねると、、、新宿 (^^)?

  モロッコでは、日本語は完全に意味がありません。さらに、英語も伝わりにくいから、日本人にとっては、
「外国に来たなぁ」と感じられるところです。ただし、カサブランカでは当然として、マラケシュ、ワルザザートなどでも、たまに、日本人と遭遇します。
  ウズベキスタンは、今のところ、日本語は全然通じず、英語もごく一部でしか使えません。とすると、外国ッぽい?かと思うのですが、ところが、日本人観光客を非常に多く見かけます。ウズベキスタンに、少しでも興味のある人は、早く行ったほうがいいです。近いうちに、
「日本」なところになってしまいます。

  
新宿。人種のルツボ、とは言えないけど、外人が多い、というなら。でも、ある意味、新宿こそ、今の日本の象徴かもしれません。ちなみに、僕が新宿で住んでたアパートは、僕以外の3部屋全員が、国籍不明の外国人でした。外人が多い、のなら、群馬の大泉、というところが有名です。ブラジル風の日本です。でも、こういうところでは、一応、日本語が通じます。

  ちょっと失礼かと思いましたが、一番「外国」なところは、、、、
   
1位、沖縄(石垣島)
です。これは、米軍基地があって、アメリカ人関係が多い、という意味とは、全く違います。

  石垣島には、仕事で1ヶ月滞在しました。仕事関係で、島の人々と会話をするのですが、
「日本語」が通じないことが、多々ありました。見た目は、間違いなく石垣島人なのですが、会話をすると、日本人じゃないんです、石垣島の高齢の方々は。
  つまり、地方的日本語の特徴を強く出しすぎている、ために、現代日本語の発声、聴取に慣れていないんですね。(わざと、言い回しました。簡単に言うと、方言がひどい、ということです。)島のお年寄りと会話をするときには、
若い家族の方に通訳をしてもらいました。冗談じゃなく、本当の話です。テレビの「ドクターコトー」は、セリフをすべて標準語に直してますからね。
  さらに、言うと、競馬、パチンコなどのギャンブルが、一切存在しません。とても、
健全な町です。とても、非健全な僕にとっては、まさに、外国に来た感じでした。

  島に遊びに行くのと、住むのとでは、見え方が全く違います。

  明日のテーマは、一番「暑い」ところ。さて、どこでしょう。

48:一番「暑い」ところ

  砂漠?
  砂漠の昼間の気温は、
40~50℃になることが普通だそうです。実際に、温度計を持っていってないので、わかりませんが、僕たちが砂漠に行った頃(4月と10月)も、昼間は40度を越えていたそうです。
  でも、全然暑くないのです。
  
「全然」というのは、少し言い過ぎかも。でも、「少しも」暑くないのです。砂漠は、乾燥しているために、実際の温度よりも、体感温度はかなり低いようです。暑くって汗でびっしょりになる、なんてことは、ほとんどありません。暑くって、ひからびる、かもしれないけど。薄着をすると、日差しが肌に悪いから、かえって長袖を着るくらいです。それでも、暑いとは感じません。日差しが直接当たらなければ、それほど暑くはならないのです。

  では、本当に一番「暑い」ところは?
  ダントツで、ミャンマーです。
  東南アジアの体感温度は常識が通用しません。おそらく温度は、
せいぜい30~40℃くらい。しかし、モロッコとは湿度が違いすぎる。空気中の熱湯蒸気が見えるように、体にのしかかってくるような、重さのある暑さです。昼間、太陽の下で、日陰のないところでは、たったの2~300メートルも歩けない。むこうに見えるお寺に、「ちょっと行ってみよう。」なんて、気軽に歩き始めたら、もう大変。アスファルトに出てしまったミミズ状態。数歩、歩いたところで、もう限界。タクシーに頼りっきりです。水とコーラが、「飛ぶように」売れる。
  しかも、ミャンマーのお寺は
土足禁止が多い。境内を裸足で歩かなきゃいけない。これがまた、暑いのなんのって。プールサイド以上の熱さだから、観光客はみんな木陰に固まる。地元の人は、全然気にしないで、裸足で歩いてる。足の皮膚の厚さが違うんじゃない?
  だから、旅行中は、いつも午前9時頃、町や遺跡めぐりに出発する。そして11時には、必ず、ホテルに帰ってくる。お昼を食べて、3時過ぎまで、ホテルでごろごろ。3時を過ぎて日差しが弱まると、再び町へ出る。
正午前後の灼熱地獄を屋外で過ごすことは絶対に不可能。ちょっと高くていいから、クーラーがあるホテルを予約したい。

  同じ東南アジアでも、カンボジアは、そこまで暑くはなかった。一日一回は必ず、雨が降ったし(9月)、しかも、観光には
エアコン付きバスが、必ずついて来たから。

  では、「寒い」ところは?

49:一番「寒い」ところ

  今日は、答えを先に。
   それは、
飛行機の中です。

  当然だけど、飛行機は空の上の、上のほうを飛んでいるわけで、離陸した空港の気候や気温とは、縁もゆかりもない。でも、乗り込む客からすると、空港がドロドロの暑さだと、機内もその延長、と思って乗ってしまうから、、、、
  あとで、後悔しても遅い。
  
東南アジアとか、砂漠の空港から乗るときは、Tシャツ一枚の格好。それが、飛行機に乗って、雲の上に出れば、空の気温は、0℃くらい?(正確なところは、よくわかんない。)機内は暖房がかかってるのかもしれないけど、基本的に、涼しい。用意されている毛布をかぶっても、まだ涼しい。窓側の席だと、すきま風がスースーと漏れてくる。窓は小さくて景色も見えないし、トイレに行くのも大変だし、窓側の席なんて、全然うれしくない。

  
厚着して乗ればいい、てのはわかってるんです。でもね、汗がしたたる空港で、セーターを着ようなんて、とても思えないよ。もしかしたら、いつもと違って、今日の飛行機だけは温かいかも、って無駄に期待してたりする。

  
出発地が夏で、到着地が冬。これは、身にしみる寒さです。
  夏休みに、ニュージーランド(南半球は冬)に行ったとき、成田空港で荷物を預けて、出発まで時間つぶし。まわりには、Tシャツ、半袖の人ばかりなのに、自分だけ、スキーウェアーをかかえてた。なんか、まぬけ。

  もう少し、真面目に、寒いところはどこ?
  何度も書いてますが、、、、、、、、、
砂漠は寒い。
  9月の砂漠は、昼は気温40℃、早朝は5℃(推定)だって。5℃って、東京の真冬と同じじゃない。旅行で恒例の「朝日を見る」ために、砂漠へ出かけた。午前5時頃で、まだ真っ暗。用意していた全ての衣類を着て出かけた。セーターを2枚、重ね着した。それでも寒くて、じっとしていられない。9月にですよ。しかも砂漠で。
  砂漠は寒い。これ、常識。

  次回は、暑い寒いの中間をとって、「冷たい」と「温かい」ところ。

50:一番「冷たい、温かい」ところ

  「冷たい」…何が?……人の心が。

  それなら、文句なしで、
フランス(パリ)
  フランス人て、どうして、あんなにプライドが高くて、気取ってて、冷たいんでしょうか。フランス語が話せない人種とは、会話をするのも面倒くさいようです。空港のカフェとか、売店とか、どっちが客だかわからないような扱いを受ける。日本人が、ぺこぺこ頭を下げすぎるのかもしれないんですが。頭を下げたうえに、チップを置いてくる。うーーん、自分が、悪いの?もっと堂々とすればいいのかなぁ。
  
フランス人とは、あまり関わりたくない。プライドゆえの「冷たさ」です。

  同率1位が、もうひとつ。
  
ベトナム人です。
  ベトナムは、今でも、一応(一部)社会主義?ですか。(すいません、よく知らない。)社会主義てことは、いくら真面目に働いても、
いくら不真面目に働いても、自分は、1ドンも得をしない。じゃぁ、働かないほうがいいや、適当にだらけよう、となるのは当り前。空港の職員とか、スチュワーデスとか、信じられないくらいの「だらけ」「うざさ」。日本の高校生のバイトのほうが、もっと良く働くぞ。日本が資本主義で本当に良かった。
  ベトナムの町に出れば、そこは資本主義の世界らしいから、それほど「冷たい」とは感じないそうですが。
  社会主義は「冷たい」。

  では、人の心が、一番「温かい」ところは?
  ちょっと以外だったけど、
ウズベキスタン!!
  ウズベキスタンは、ソ連邦崩壊により、一応、資本主義路線に変更。そのせいかどうかわからないけれど、基本的に親切な人たちばかり。町の市場でも、寺院の受付も、自分は何も得しないのに、本当にやさしくしてくれる。入場料をまけてくれたり、食べ物を分けてくれたり。
外国人や観光客が珍しいのは、確かなようだ。カメラを向けると、近寄ってきて、よろこんで、微笑んでくれる。モロッコなら、撮影料を請求されるところだ。
  日本人が失ったものがここにある。ちょっと、おおげさ、かな。
  ぼったくりが少なく、親切な人ばかりなので、
自由旅行の入門には最適の国です。ただ、ビールも、冷蔵庫も、「温かい」ところですが。

  さて、次回は、、
  一番「フェロモン」なところは???

51:一番「フェロモン」なところ

  フェロモン、すなわち、一番ドキドキワクワクする女性の多い国は?

  新宿?まさかね。
 「おにいちゃん、どうだい、本○できるよ。」
  
一番街をひとりで歩いていると、よく声をかけられました。客引きのおやじの横には、確かに金髪の外人が待機しているけど、とてもじゃないけど、ドキドキくらくらするなんて、
   ありえない!!  水っぽすぎる。

  
日本人の好みは東欧の女性、なんていうことをよく聞きますが、、
  200%納得。まさに、その通り。ということで、
一番はウズベキスタン
  断っておきますが、ウズベキスタンは
東欧ではありません。ただし、東欧の血が混じってる人が多い(と思う)し、東欧人も数多く出入りしている(と思う)。ロシアのモスクワを、アジアではなく、東欧と言わせてくれるなら、この推測は正しい。ウズベキスタンで見かけた東欧系だかロシア系だかの女性は、ほーんとに綺麗で美しい。ドキッとするほどフェロモンくらくらです。細長いスタイルに、長い黒髪、黒か濃紺の瞳。ここまでなら日本人。ところが、顔立ちが、西洋人(白人)のようにシャープ。白人と日本人のいいところだけ組み合わせて出来上がったもの。そんな、もともと綺麗な人たちが、最近の文化の西洋化に伴って、薄着で露出の多い服装(ウズベキスタンは1年じゅう暑いから。)なもんだから、こりゃ、たまらないよ。(失礼しました。)もちろん、はずれもいるけど、当たりの割合が非常に高い。
  ただし、注意したいのは、彼女らが、「年をとると太る」、という
白人の悪い遺伝子を受け継いでいるということ。今でこそ、フェロモンぎらぎらな女性も、あと10年もすると、残念ながら、正面視できない体になってしまう。旅行先で、チラッと見て、心ときめかせるくらいが、一番平和なようです。

  真面目な話:
イスラム教の女性は肌の露出を極力抑えなければいけません。ウズベキスタンは、イスラム教の国ですが、最近の西洋文化の流入により、イスラム教の国々の中では、随分と雰囲気が違うようです。

52:一番「バスがミサイル」なところ

  ちょっと割り込みで、もっとも、バスがミサイルみたいに走るところは?
  11月26日のニュースです。「エジプトで日本人の観光バス横転」だそうです。

  
砂漠の風景に、1本の真っ直ぐな道路。その横で、バスがコロンと転がっている。周りには青い空、黄色い砂。バス事故のニュースとともに、飛び込んできたテレビの映像です。あまりにも、見慣れている、なつかしい光景だったため、じーっと見入ってしまいました。
  ツアーを企画した旅行会社は大慌てだそうです。ツアーに行った人と、その家族からは、苦情と問い合わせが殺到していることでしょう。日本なら、バスの運転手やバス会社の責任が取りざたされるでしょう。

  ところが、
エジプトです。イスラムです。しかも、ラマダン(断食月)です。
  おそらく、エジプトでは、そんなに問題になっていない「はず」です。怪我をされた方には、大変お気の毒ですが、多分、「ごめんなさい」程度でしょう。日本の旅行会社が、現地の旅行会社にどんなに文句を言っても、彼らの反応は、「ごめんなさい。でも、しかたないじゃない。」となっていると推測します。

  理由は2つ。
  1つは、テレビでも言っていた、
エジプトの交通事情
 「市街地を時速
80kmで走る。2車線の道に車が割り込んで走るから3車線、4車線になる。大型バスが猛スピードで前の車を追い越す。」
  アナウンサーが、驚いたように話してましたが、モロッコでは、普通のことでした。ウズベキスタンでも、バスは猛スピードだし、カンボジアもそうだった。ミャンマーは?道が悪いから、時速60kmで走ると、車が空を飛んじゃう。
  ちょっと付け加えると、「時速
20kmで走るトラクターやポンコツトラックもいっぱいいるから」実際は、もっと危険。2車線の道を2車線で走るのは、先進国だけでしょ。日本だって、金沢では、1車線の道を2車線として走るのが常識のようですが。教習所は何を教えてるのでしょうか。

  もうひとつの理由は、
イスラム教です。
  イスラム教では、物事の流れは、すべて、
アラーの神が決めることです。バスがスピード出すのも、その結果、横転したのも、すべてアラーの神が決めたことなのです。運転手は、その取り決めどおりに運命を運んだだけなのです。もし、この運転手の日ごろの行いが正しければ、事故を起こすことはなかったかもしれません。さらに加えると、この日までラマダン(断食)だったとのこと。空腹で苛立っていたのでしょう。
  繰り返しますが、エジプトでバスがミサイルのように、ぶっとばして走るのは、当たり前(のはず)。日本人の乗客が「もっと安全運転しろっ」と怒ったところで、イスラム人の運転手が聞くわけがない。(あなたがた日本人が、
朝食に納豆を食べるのと同じように、人種的宗教的常識に基づいて、我々は、アクセルが床にくっつくまで踏み込むんだ。)と思っているに、間違いない!(はず)。公共の交通機関が事故を起こすはずがない、なんてのは、平和的日本人の錯覚です。いくら事故を繰り返しても、今日も、エジプトでは、バスがミサイルのように飛んでいる(はず)。

  海外に行くんだったら、少しは「命がけ」になってください。
    インシャッラー (すべては、神の思し召しのままに)

53:一番「Excuse」なところ

一番excuseなところ、
Excuse me = 失礼します
一番Excuse = 
一番、失礼なやつらは、誰だ。の意味。

  海外で遭遇する日本のおばちゃん、古い言葉なら、オバタリアン。いえいえ、まだまだ、甘いです。日本のおばちゃんも、海外に行ったら、かわいいもの。
西洋系のおばちゃんには、足元にも及びません。

  遺跡を歩いていると、どこからか、突然、
 「Excuse me!!!!」と
怒鳴られる
  声の質から推測して、「失礼します」という意味ではなく、
 「おいっ、ちょっと!!そこの人!!」という意味であることが簡単に想像される。見ると、向こうの方で、ヨーロッパだか、アメリカからだか来た、
キンキラのおばちゃんが手を振っている。もちろん、友好的に手を振るわけがない。
 (写真を撮るんだから、そこをどいて頂戴。)って。もっと簡単に、詳しく訳すなら、
 (邪魔だ、どけっ)
  すると、
日本人の悲しい性(さが)で、体が反射的に動いてしまう。100分の1秒のタイムラグで、頭をペコっと下げて、カメラアングルから逃げる。で、その数秒後に、(なんで、こっちが頭を下げなきゃいけないんだ?)って後悔する。悲しい国民性です。こういうことは、彼ら、欧米人は、全然普通のことと思っているようです。
 
  空港でも彼らは、失礼極まりない。日本人が列を作って並んでいると、平気で割り込んでくる。まるで、
割り込まれるほうが悪いかのように。それは、競輪だけだ、っつうの。意味不明の人、ごめんなさい。人種的優越感が、遺伝子に組み込まれているんでしょうね。彼らは、本当に、困った奴らです。日本で、困ってても、助けてやんないから。

  以上、劣等感で溢れている筆者のうわごとでした。

次回は、、、、一番、「携帯電話に命をかけている」ところ


54:一番「携帯電話に命をかけている」ところ

  日本人は携帯電話に「命かけて」ますよ、絶対!
  だって、自分の
携帯をなくしでもしたら、死にたくなっちゃうでしょ。友達の連絡先が分からなくなるし、スケジュールも困るかも。大事な写真を保存している人もいるかな。もちろん、信長もできなくなるし。

  でも、それ以上に、携帯に命をつぎこんでる人たちがいます。

  
サハラ砂漠。
  見えるのは、黄色い砂と青い空だけ。砂だらけの砂漠を、ラクダに乗って、頭にはターバンを巻いて、アラブ人が旅をしている、
 、、、、そして、、、
 、、、、、、
携帯電話をかけている。

  こんな、シーンが現実にあるんです。
  砂漠のホテルでは、電話が通じました。
1泊200円の、ボロボロホテルのくせに、フロントにポツンと電話が置いてあるんです。しかし、ホテルまで伸びている電線も電話線も見えない。つまり、ホテルにあるのは、「携帯電話」なんですね。おそらく、衛星電話でしょう。だって、砂漠には携帯電話用のアンテナなんてないですから。

 「ちゃんと通じるの?」当然の疑問です。
 「もちろんさ。かけてみようか。」当然の答えです。おもちゃを持ってるわけがない。ボタンを押してかけはじめる。1世代前の、ブッブッブッというボタン音をさせて、使って見せてくれた。すごいね、本当に話せるんです。しかも、砂漠なのに、
「アンテナ3本」立ってた。
 「高いんでしょ。」またまた、当然の質問。
 「高いよ。
日本と同じ値段だって。」これは、意外な解答。
  え?1台1万円くらいするってこと?
  どうやら、そうらしい。日本にあるような携帯電話でなくて、衛星電話だから、もし日本で買うなら、とんでもない値段のはずだ。モロッコなので、少しだけ、物価の影響を受けて、
1万~5万くらいで売っているのだそうだ。
  ちょっと、待ってよ。1万円もするの?1泊200円の宿を経営してて、どうやって1万円の資本投資ができるの?
 「とても高額だよ。一生かけて、買うんだ。」
  だから、彼らは、「携帯電話に命をかけている」のです。携帯をなくしたり、壊したりした日には、、、自殺するかもね。本当に、大事そうに、手のひらの中で転がして、みせびらかしてました。

  いつか、砂漠の旅人が、必ず携帯電話を持って旅をする、そして、
携帯が故障したために(あるいは、電池切れのために)、道に迷って遭難する、なんて時代が来るかもしれない。すぐ、そこに。

55:一番「ゴージャス」なところ

 ゴージャスホテル アマンジェナ(マラケシュ、モロッコ)
  全世界にまたがる有名ぜいたくホテルチェーン。一泊6~15万。1泊ですよ、しかも部屋代だけ。もちろん、それ以上の部屋も多数あり。10万なんて、旅行の全予算だったりします。フランス人のバカンスを狙っているのでしょう。当然、泊まったことはありません。
  タクシーで前を通りかかると、すべての運転手が、
 「ここが、あの有名なアマンジェナホテルさ。」と教えてくれます。
  なんて危険なホテルなのでしょう。運転手のいう
「有名な」は、通訳すると、「金持ちが泊まる」という意味です。宿泊客は、すべて”超”お金持ち。町の人間は、そう信じています。だから、泊まる人は命がけです。ホテルを出たところで、襲われるかもしれないので、専用のタクシーで出入りする必要があります。せっかく高いお金を払っておいて、日本語も通じず、気楽に外出もできない。何が、楽しいんでしょうか。「高いから泊まる」逆説的発想でしょう。

  これまでに泊まったホテルの中で、一番高価だったのは、マラケシュの一泊(ふたりで)2万円のホテルです。
一泊2万円というのは、マラケシュでは(アマンジェナは別格として)、最高級クラスのホテルです。しかし、そこは、「モロッコの隠れ家ホテル」と宣伝されている、路地裏にある小さなホテルでした。(名前は忘れましたが、インターネットで予約したので、検索すると出てくるはず。)
  ホテルの玄関は、両開きの手動ドア。入ると、一応、ドアマン一人、フロント一人、
猫2匹がお出迎え。床はタイル。きらきらに贅沢ではなく、地味に落ち着いています。用意された部屋は、最上階の3階。階段しかない。乏しい想像力でたとえるなら、古い洋館という感じ。部屋は、リビングと寝室とテラス、それに広々したバスルーム。大きな浴槽では、お湯を使い放題。砂漠では、信じられない贅沢です。申し訳ない。寝室には、テレビがある。テレビ好きの日本人代表として、用もないのに、そして、英語もアラビア語も理解できないのに、とりあえず、スイッチをつけておきます。
  チェックインしてから、昼食に外出して、そして再び、部屋に戻ってみると、 テーブルの上には、
花瓶いっぱいに真っ赤なバラ。すごいよ、本物だよ。って、いつのまに、置いていったのでしょうか。うれしい驚きだけど、洗濯物を干しておいたのが、バレバレでした。部屋、サービスともに申し分ないですね。困ったのは、チップをいくら渡すか、くらい。ただし、食事は、モロッコです。固いパンが主体です。やわらかい日本食やハンバーグなんかは、宇宙的に不可能ですから、要求しないで下さい。

  次は、、、?そろそろ終わるかな。。。一番「危険で爽快な」ところ

56:一番「危険で爽快な」ところ

  モロッコのバスもミサイルのように、空を飛ぶように、走ります。
  モロッコには、
アトラス山脈という大きな山脈がありますが、そこを走るバスも、限界に挑戦した猛スピードです。で、限界を超えてしまったバスやトラックを2台ほど見かけました。山脈の高い所、視界の開けたところを突っ走るのは、とても爽快ですが、これが「一番」ではありません。

  
10年前のニュージーランド旅行の際に、1万円のオプションで体験したヘリスキーが、No1です。
  ヘリコプターは、ほんとに不思議な乗り物です。何もかもが、驚きの連続でした。第一、
速いんですよ、知ってました?ヘリって上空に浮かぶだけじゃないんです。水平方向にも移動しますね、当然。で、空の高い所を飛んでいると、乗っているほうも、見ているほうも、その速度を実感できないんです。ところが、パイロットがサービスしてくれて、地面スレスレを飛んでくれました。映画の1シーンのように、まっすぐな道路の上を、浮いたまま、シュバーーーっと走り抜ける。その速さは、時速200kmの新幹線くらい。景色が流れる、とは、こんな感じ。しばらく走ると、スーーッと上空へ浮かび上がる。飛行機の離陸と同じ事だけど、ヘリコプターは全面ガラス張り。視界が100%なので、本当に自分が飛んでいるように感じます。
  でも、危険もいっぱい。山影を飛んでいて、急に広がった空間へ飛び出すと、突然、突風が吹きつけ、機体が上下左右にガタガタ揺れる。失速して落ちそう。大丈夫かよ?
  
ヘリから降車する時も、かなり危険。当然だけど、雪の上に降ろされる。そして、すぐに、その場にうずくまり、ヘリが離陸して行くのを待つ。その時の、プロペラの風と雪嵐が強烈。慌てて立ち上がったら、間違いなく吹き飛ばされるし、プロペラにぶつかるかも。ヘリコプターが去ったあと、皆一様に、顔から体中、雪だらけになってる。
  ヘリスキーツアーの昼食は、山頂でサンドウィッチとコーヒー。ツアー参加者10人くらい、みんなで集まって食べる。たかがサンドウィッチが、最もおいしいと思える環境でした。しかし、食事している場所の5m向こう側は、断崖絶壁。雪のために、崖と地面の境界がわからない。遠くから眺めるだけで、足がふるえる。
  スキー自体は
中級クラスでも十分可能。100%の新雪を、林の中を、えんえんと滑り降りる。日本では未知の体験。
  事故が起きても、全く不思議でないけれど、一生に一回は経験しとかないといけない。

  次回は、「グルメ」を期待したのに、はずしたところ。

57:一番「グルメをはずす」ところ

  こんなもの、いーーっぱいあるよね。

  1位、ニュージーランドの
回転寿司
  ニュージーランドでは、スキー場だけでなく、街中でも日本人をよく見かける。そんな日本人をあてにしたのか、
オークランドで「回転寿司」の看板を見つけた。
  いや、まさか、期待なんてしてません。怖いもの見たさ、ですね。店は回転レーンが1本、その両側にカウンター席が、合計40くらいだったかな。よーく考えれば、魚が取れれば寿司を作れるんだから、島国のニュージーランドで「寿司屋」が、あっても全然不思議じゃない。でも、味とネタは「不思議」でした。どうして、これだけしかないの?魚取れないの?
  ネタが、白身(はまち?)、イカ、えび、カッパ。以上。この4つが、えんえん回りつづけていた。
  僕は決してグルメじゃないから、100円寿司でも、銀座の寿司でも、同じ味がする。そんな僕でも、この白身魚は、不思議な味でした。もともと、怖いもの見たさ、だから、その目的は充分果たしたわけだけど。日本の寿司はこういうもの、日本人はこういうものを好む、寿司はまずい、そんな誤解を与えかねないか心配です。ただし、あれから10年経って、おそらく、その店は存在してないでしょう。
  ちなみに、オークランドは、
ニュージーランド最大の都市(首都はウェリントン)。多種多様な人種が揃い、多国籍な雰囲気です。アメリカからの旅行客に混じって、日本以外のアジア系人種も多いようです。競馬の場外馬券場も数ヶ所あります。ニュージーランド、オーストラリアも、日本のように競馬が盛んです。映画「ベン・ハー」のような、馬車を引っ張るレースもあります。で、その場外馬券場は、アジア人(英語を話しており、おそらく香港人)の溜まり場になってました。どこにいっても、香港人と日本人はギャンブルが好きなようです。もちろん、僕も。

  2位以下、
  ミャンマーで、旅行では恒例の「最後の晩餐」。宿泊したホテルの近くにある、ぜいたくホテルのディナーへ行きました。
  1食100円で食べられる世の中で、1500円のディナー。それが、バイキングだったのは許そう。しかし、
「モロッコ料理特集」だったのには参った。モロッコで何度も食べてるし、モロッコのがおいしいし、、、、。

  ドイツのホテルの朝食は、、?
ドイツと言えば、ソーセージ
 なので、朝食は、ソーセージとパン。
 昼食は?ドイツと言えば、ソーセージ。昼食はソーセージとサラダ。
 夕食は?ドイツと言えばソーセージとビール。夕食は、ソーセージとビール。
  わざわざ探して、中華料理を食べに行きました。

58:一番「行きたい」ところ 【最終回】

  行きたいところ?
  はっきり言って、行けるのならどこでもいい。

  仕事が忙し過ぎ!旅行をするような休みなんて、滅多にとれない。それでも、1年に1回、なんとか取っているのは、日本全国では平均点以上でしょう。毎年ってわけにはいかないけど。
  だから、行けるのなら、どこでもいい。休みが3日くらいしかなければ、近場で充分。
  
香港、韓国、北京、一歩譲って、沖縄、北海道、温泉。
  もし、1週間以上あるなら、もう少し足を伸ばせる。万一、2週間程度の時間が取れるなら、どこに行きたいか?

  
イスラム教徒になろうとは思わないけれど、イスラム教徒は偉い。なんたって、あのラマダンを守るのだから。1日何回か決められたお祈りもするし、あちこち巡礼もするし。そんな偉い人たちを、第三者的に見ていたいから、イスラム圏へ旅行するのがいい。
  
モロッコ、チュニジア、エジプト、サウジアラビア、ドバイ、クウェート、、、。
  イラク?イラン?イスラエル?ま、一応、常識の範囲内でね。危険なところを旅行して死ぬのは勝手。残されたほうに迷惑がかかっちゃう。
  
今、一番行きたいところは、エジプトです。
  砂漠が見たい。カラカラな暑さに、また耐えたい。そして、やっぱり、
      ピラミッドが見たい!!
(スフィンクスは、ガッカリなんだって?)砂漠の中に、とてつもない大きなものを、よく作ったと思います。昔の人は偉いです。よく途中で飽きたりしなかったものです。そんな功績を見せつけられると、たぶん、考え方が、変わるんだろう。人生が変わるんだろう。
  片道2日かかるのが、一番の問題です。約8時間のフライトが、そろそろきつい年齢になってきたかも。  
  その次は、
モンゴルかネパールか。いずれにしろ、山の上の方。なんで?海、砂漠、湿地帯は、行ったから、あとは山。生活条件の厳しいところが好きみたいです。
  あとは、中国の昔の
。ここも、自然が怖いくらいに美しい、らしいです。墨絵の世界が見てみたい。SARSが再発しなければ、いいんだけど。
  最後に、
モロッコ。モロッコには、何度行っても、まだ足りない。ワルザザートでオマールに会わないといけないし、砂漠のホテルがつぶれてないか確認したいし、マラケシュのフナ広場で、もう少し地元値段に近づきたいし、フェズには一度も行ってないし。でも、フランス人には会いたくないな。

  2週間なんて休みは、定年にでもならない限り、無理だろうけど。
  ということで、長い間、お付き合いいただいた方、ありがとうございました。ネタは、まだあるのですが、「師走」の風がきつすぎて、忙しくって、、、、更新が不定期になり、自己嫌悪にさいなまれています。
  僕が、無事に、エジプト(またはモンゴル、またはモロッコ)に旅することができたら、また再会(再開)しましょう。 それまで、マ アッサラーマ。

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by akogarehotel | 2005-01-07 16:35 | あちこち旅行記 | Comments(0)  

【第4章】モロッコ

【第4章】

34:今日だけは真面目な話(10月31日)
35:
砂の砂漠(11月1日)
36:
登砂(11月4日)
37:
砂のホテル(11月5日)
38:
砂漠への道のり、1(11月6日)
39:
砂漠への道のり、2(11月7日)
40:
スーパーマン(11月10日)
41:
砂漠の人々(11月11日)
42:
モロッコのフランス(11月12日)
43:
化石売りの少女(11月13日)
44:
安全基準(11月14日)
45:
まず、お行きなさい(11月17日)

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34:今日だけは真面目な話

  なんで、旅行するの?
  
  きびしい質問ですが、簡単な質問です。
  「気合を入れなおす」ためです。

  かっこつけてるように聞こえる場合は、適当に流してください。今日だけは、真面目な内容です。
  
年取ってからの旅行なら、「景色を楽しむ」とか、「おいしいものを食べる」でも、いいんじゃないですか。でも、海外で、得られることは、そんなちっぽけなことだけではありません。僕も、海外デビューのころは、「景色」「食事」「遊び」を求めてました。正確に言うと、最初の海外が、「仕事でドイツ」。なんか、かっこいい響きですが、全然、そんなことありません。で、仕事以外の時間に何をするかと言えば、教会を見たり、ドイツビールとソーセージを食べたり、と典型的な「観光客」でした。
  「観光客」するんだったら、何も、高いお金で海外まで行かなくたって、日本国内で充分です。

  では、なぜ海外へ?
  その答えは、、、、、、、
モロッコに行って、何を感じたか。 ということです。
 (ここでは、モロッコに限定していますが、他のアジア、アフリカの国々でもほぼ同様のものと思われます。)
  モロッコで、2、3日過ごして、わかったこと。それは、
  
みんな、常に、生きるのに一生懸命
 なんです。生きるため、食べるために、努力をしないと、生きていけないんです。大人も子供も、みんな。日曜も祭日も、いつも。モロッコに行けば、どこに行っても、「一生懸命生きている」人々に出会えます。生きるために、ぼったくりをする人、ぼったくりを考案する人。いろんな手段で小銭を稼ぐ子供。今にも壊れそうなトラックで仕事をする人。原付1台で砂漠の道を通勤する人。足に大きなブロックがぶつかって(骨折?)も、なめて治す人。やっとこさ馬車を引く、やせ細ったロバ。動物だって、もちろん、餌をもらうために一生懸命。
  ヤル気がない、とか、疲れた、とか、社会がわるい、とか、訴えてやる、だとか、彼らは、
そんなこと言っている暇はないんです。生きるのに、一生懸命だから。

  日本は、いい国です。

35:砂の砂漠

  世界地図で「さばく」といわれるところの、大多数が、砂ではなく、「岩の砂漠」「岩漠」です。西部劇のサボテンとか、グランドキャニオンをもう少し平らにしたもの、のような岩の大地。日本人がイメージするような、地面が砂だらけで、夕日にラクダが浮かんでいる、そんな「砂漠」は、実は少ないのです。

  
「サハラ」とは、現地の言葉(イスラム)で、「砂の砂漠」という意味です。つまり、「砂漠」 = 「サハラ砂漠」。モロッコは、その、サハラ砂漠の西端に位置します。カサブランカ、マラケシュ、フェズ、などとともに、サハラ砂漠、は、モロッコ観光のメインのひとつです。

  視界一面が砂だらけ。
目に見えるものは、砂と空だけ。
  サハラ砂漠に立てば、まさに、そう感じることができる。足元は全部、砂。日本の海岸の砂浜とまったく同じ、砂の地面。さらさらの砂。石ころすら、めずらしい。だから、タイヤもの、すなわち車やバイクは走れない。ちょっと歩いただけでも、靴の中は砂だらけだし、足は埋まっていくし。靴なんて、じゃまなだけだから、はだしで歩く。生き物、植物を見かけることは、ほとんどない。表面的には、生命の存在が、全く許されていない。(地中深くなら、何かが生きてるらしい。)
  
砂漠は寒いって知ってた?暑いんじゃなくて、寒いんです。もちろん、昼間は暑いし、砂は焼けている。しかし、日が沈みかける頃から、だんだんと風が強くなり、涼しくなる。大陸内部の気候は、一日の温度差が激しいのが特徴。日が沈んでからは、気温は急激に低下する。そして、明け方には、東京の冬と同じくらいの温度になる。しかし、ふたたび昼になれば、東京の夏の気温に、戻る。そんな所で、生活する人は、やっぱり、偉いです。
  
砂は風で飛ぶ。砂埃のように、当然に。つまり、砂漠は、ずっと平らで、ずっと同じ形、でいるわけにはいかない。時間とともに、表面の形が変わるし、でこぼこが出来上がる。そのでこぼこは、長い年月の結果、大きな山にもなる。だから、サハラ砂漠には、「山」があるのです。公園の砂山の、とてつもなく、でっかいものが。モロッコで一番有名な、砂漠山は、標高300mくらい?でしょうか。正確にはわかりません。
  高いところに昇ってみたい。頭の悪い人、旅行者、の心理です。
  ということで、「あの山に登ろう」となったが、、、、、

  砂漠は怖いところです。凍死するくらい寒くなるし、視界は砂だらけだし、
自分の足跡は風で消されるし、素人が一人で簡単に移動できるものではありません。

36:登砂

  目の前にそびえる砂の山へ向けて出発します。もちろん、現地のガイドがいっしょで、そして、はだしで。その山は、観光ガイドに写真つきで掲載される有名な山(メルズーガ)ですが、すぐ目の前にあり、簡単に手の届く高さのように思われる。しかし、近くにあるように見えるのは、一面砂だらけのための、目の錯覚。遠くて、遠くて、結構、高いんです。

  はじめのうちは、平らな道。でも、砂に足を取られて、なかなか、前に進まない。海水浴のとき、砂浜で、裸足で歩いてるのを想像してください。缶ジュースのピックは落ちてないけど、虫とか、ラクダのフンとか、踏まないように、足元を良く見て歩きます。爪の間に砂がはさまった、なんて文句言ってられるのも、最初の2分だけ。そのうち、そんなこと気になれなくなる。
  歩いても歩いても、頂上への距離が、なかなか変わらない。山が全然、近づいてこない。山登りって、そんなもんですよね。しかも、登りあり、下りあり。下ったところで、ちょっとしたクボミに入ってしまうと、
視界がさえぎられて、本当に砂だらけ。目印もなく、前後左右が完全に分からなくなる。ここで、ガイドに逃げられると、100%遭難する。斜面をよっこらよっこら登って、丘の上に出れば、かろうじて、山の頂上が目印になる。

  2時間くらい登ると、頂上が近づいたような気がしてくる。上り坂の角度が急になり、風も強くなる。自分たちの
足跡が、風のために、見るまに消されていく。帰れるのかな?結構、怖い。僕ら小さな日本人は、風にとばされないように、斜面にしがみつくように、のぼっていく。ほぼ、四つんばい状態。ところが、ガイド(現地の黒いひと)は、背が高く、そのぶん風を受けやすいにもかかわらず、姿勢をただしたまま、ヒョイヒョイと、かけ登っていく。彼らの、運動力、生命力は想像を超える。

  いつか、やっと、頂上に到着。頂上といっても、砂山だから、目印はなく、「この辺が頂上?」といった感じ。風が強くて、立っているのが怖い。座り込んでしまう。しかし、そこは、360度、周り中が、足元に見渡せる。出発したホテルが、黒い点のように、はるかかなたに見える。地面の砂に、名前なんか書いたりして。でも、1分で風に消されてるけど。
  しばらく余韻を楽しむ。疲れ果ててるから、斜面にまたがるように、座り込んで。その間、ガイドさんは、力を持て余すように、むだに、斜面を降りたり登ったりしてる。信じられない。

  いわゆる「登山」と違い、
下りは楽しい
  最初は、おっかなびっくり、すべらないように降りてたけど、実は、
飛び降りても、全然平気。砂だから、飛び降りても、転んでも、クッションになる。助走をつけて、思い切り斜面に飛ぶ。すると、2メートルくらいの高さを、一歩で降りられる。もちろん、着地に失敗すると、砂だらけになるけど。
 帰り道は、30分くらいだった。
 宿では、
砂スキー用に、板を貸してくれる。板を担いで、もう一度、山に行く気には、なれない。

37:砂のホテル

  砂漠に数日滞在したい。
  
  
方法は2通り。ひとつは、砂漠(内部)ツアー。ラクダに乗って砂漠を横断。夜になれば、寝袋かテントで寝る。当然、ガイドがいっしょ。食事は、みんなで自炊。最低でも5日間くらいは、文明に遭遇できません。トイレはなし。砂に隠します。
  こういうのは、ちょっと、、、、。さすがに、新婚旅行では、遠慮しました。

  で、もう1つの方法。
砂漠にもホテルがあります。正確には、「砂漠脇の」「石でできた小屋」ですが。
  さらさらの砂の上には、建物は建てられません。建物が建てられるのは、砂の砂漠の、ギリギリのところ。ここまでは、砂と岩の混ざった砂漠です。地面が、いくらか固く、なんとか建物を建てられます。という場所に、数kmくらいおきに、数軒の宿が並んでます。つまり、隣の宿まで、数km。
  壁は、石というか、ブロックというか、なんかそんな感じの固いもの。こすると、くずれそう。天井には、大きな木材が数本渡してあり、そこに木の枝だか、葉っぱだかが、覆って、屋根のかわりをする。どうせ、雨なんか降らないから、これで充分?雨は降らなくても、虫は、いる。その、すきまだらけの屋根からは、虫は自由に出入りできちゃう。当然、一階建て。
  心配なのは、
水と電気
  ホテル脇には、大きな水タンクがある。これが、僕らの命綱。でも、清潔ではないから、飲むことはできない。シャワーには使うけど、うがいには使えない。清潔な水、ミネラルウォーターは、自分で用意しないといけない。ふたりで、2日で、4リットル持って行った。こぼしたら、と思うと、ちょっと不安と緊張。電気は自家発電。ホテルの外で、ガソリンで動く発電機がブンブン言っている。さすが、アフリカアラブ。ロシアと違って、ガソリンは豊富みたい。しかし、電気のムダ使いはダメ。電気は、あくまでも、調理、緊急用。照明には、ほとんど使わない。日が沈めば、ろうそくの明かりで、食事する。当然、テレビ、ラジオもない。もちろん、必要なんて思わないけど。
  
部屋は、8畳一間、ベット1個。床は砂だか土だか。壁は石。多少の虫には我慢が必要。窓1つ。夜12時で消える裸電球ひとつ。真っ暗闇のなか、懐中電灯だけの明かりで、ビーフジャーキーをぽりぽり。そんな、楽しい夜です。
  
シャワーは水だけ。昼間なら、夏なんだから、水で充分。しかし、夜には冬(と同じ気温)になるから、昼間のうちにシャワーを浴びる。トイレは、溜め?地面のどこかに消えていくんだけど、どこへ?くさくて、あまり観察できませんでした。

  
一泊200円。食事は別で、1食200円。アルコールなし、売店なし、お菓子なし。ラマダン中は、夕食しか提供されません。

38:砂漠への道のり、1

  モロッコでサハラ砂漠が見たい!ときの目的地は、メルズーガ、という村。ここは、まさに「砂漠の中の村」、ドラクエに出てきそう。文明とは、ほど遠い、、、、はずが、村の中心には電線があり、衛星テレビを持ってたりする家庭もある。砂漠の中で、テレビを見る。ちょっと、おかしな光景。
  たとえテレビがあっても、メルズーガは砂漠の村。
タクシーは来ない。なので、砂漠に入る前に、つまり、メルズーガの手前の町で、宿と車をチャーターする。
  一般には、
エルフード、という町で、宿の予約と車のチャーターをする。舗装道路はエルフードまで。エルフードからメルズーガまでは、砂と土の、道なき道、である。
  僕らが、中継地とするのは、いつも
ワルザザートという町。エルフードよりも、文明側へ250kmのところにある町。

 
メルズーガ(サハラ砂漠) ←50km―  エルフード ←250km― ワルザザート

  砂漠から、300kmのところにあるワルザザートでも、
「送迎つき」の宿が予約できる。片道300kmのドライブ、こんなの、モロッコでもロシアでも、朝飯前らしい。ワルザザートからエルフードまでは、「一応」舗装された道路がつづく。舗装道路といっても、道幅は5mくらい。片側5mではなくて、対向車線あわせて5m。道の両端には、じゃりとか、石とか、草とか。町中では歩行者も多い。そんな道を、僕らを乗せた、推定1500ccのフィアット5ドアは、推定速度90kmで駆け抜ける。なぜ、速度が「推定」かというと、スピードメーターが壊れていて、針が動かないから。ちなみに、ガソリンメーターも壊れていて、給油のタイミングは、ドライバーの勘だのみ。
 当然だけど、たまには、対向車がやって来る。しかし、彼らは減速しない。
90kmのまま、音をたててすれ違う。当たってはいないけど、かすってるかも。その際、ドライバーが、片手でフロントガラスを抑える。何かの挨拶?かと思ったら、
 「対向車のはね飛ばす石で、フロントガラスが割れないように」だって。
確かに、モロッコでは、フロントガラスが割れている車をよく見かける。
  追突しそう、と思ってるのは乗客だけ。タバコをくわえながら運転するドライバーは、人間ではなく、視力5.0以上の、まさに動物。

  ワルザザートを出発して、
3時間弱で、エルフードに到着。

39:砂漠への道のり、2

  エルフードから先は、砂漠に突入する。いよいよだぞ、という緊張感がただよう。この町で、しっかり水と食糧を買っておく。
  町の出口、つまり、砂漠の入り口、では、
軍隊が検問をしている。自動小銃を持った軍人が、僕らの車に近づいてくる。こわいよ、これ。なんだかんだ、ドライバーと話してる。ドライバーがお金を払う。どうやら、軍人が、なんくせつけて、お金をせびり取ってるらしい。日本では、信じられない光景。

  町を出ると、すぐに道が消える。ここから先は、いわゆる、
岩の砂漠「岩漠」。はるか向こうに見える砂漠の山を目指して、土の上を、砂埃をあげて、走る。さっきまで90kmで走ってた、われらがフィアットも、さすがに、ここでは、推定時速30kmに減速する。土といっても、固い地面だから、30kmで走っていても、ガタガタがたがた、車が分解しそう。天井に、何回も頭がぶつかる。安全運転の僕らの横を、日本製の4駆が、猛スピードで追い越していく。さすがに、文明国家の車は、パワーが違う。
  
エルフードから、メルズーガまでは、道ではない。岩っぱらを走る。しかし、道がないわけではない。地面に、よく見ないとわからないが、ところどころに、リボンのような目印が埋まっている。そのリボンをたどって、進んでいく。まっすぐ走ってたかと思うと、急に、直角に曲がる。次のリボンが、右にあるから、そっちへ曲がる。もし、気付かずに、そのまま真っ直ぐ進めば、砂貯まりにハマって、あり地獄のようになってしまう。よそ者は、よせつけない。それが、砂漠である。現地人のドライバーは、本当に感心するくらいに、的確にコースを選んで進んでいく。フィアット5ドアは、昔のスターレットみたいなもので、決して、ラリー車ではない。ちょっとした砂でも、スリップして動かなくなってしまうだろう。
  そんな道なので、あっちへくねくね、こっちへクネクネしながら進み、50kmの道のりには、2時間近くかかる。人も車も、ヘトヘト、がたがたになたっところで、ようやく、メルズーガに到着する。
  
メルズーガ、すなわちサハラ砂漠の入り口。ここから先の地面は、砂。本当の砂の砂漠。石や土ではないから、車は進めない。この「砂の砂漠」と「岩漠」の、境界線上に、数軒の宿が並んでいる。

  車から降りると、目の前には、鳥取砂丘の何倍か大きな、砂のかたまりが、そびえ立っている。

40:スーパーマン

  細い道路で時速80kmのまま、対向車とかするように、すれ違う。
  砂漠の「道なき道」を目を凝らしながら運転し、わずかなところで、
あり地獄(砂ポケット)をかわす。
  砂漠の山登りに僕らを案内し、
日が沈んで真っ暗になっても、道に迷わない。

  現地のガイド兼ドライバーは、本当に、スーパーマンです。というか、僕らのスーパースター!!
  彼の名は、
メルウィ- オマール。フランス風のしゃれた名前とは裏腹に、モロッコの現地民族:ベルベル人。こげ茶色の肌で、身長180cm。顔にはアラブ人共通の鼻ひげと、天然パーマ。白い目がキョロッと光り、へんにかわいい。
  そんなオマールは、時速90kmで走る車を、数cm単位で操り、対向車とすれ違い、歩行者をよける。また、数100m先で警察の検問に気付き、あっというまに90kmから30kmに減速し、一瞬の早業でシートベルトをはめる。彼らは、日本人のような「退化した文明人」とは違う種の「動物人間」らしい。アフリカ原住民が、本気を出せば、文明人が、オリンピックでかなうわけがない。ただ、彼らには、生活があるので、「本気をだせない」だけなんです。
  オマールのすごいところは、その、動物のような運動神経だけではない。彼には
「気遣い」という特技がそなわっている。
  日本人は、おそらく、今のところ、世界一の
「気遣い民族」でしょう。外国に行くと、ずうずうしく、遠慮のない、謙譲という言葉が辞書にない、そんな外人ばかりです。この点では、アフリカも、モロッコも、例外ではない。ところが、、、ところが、、、、
  
オマールだけは例外。300kmのドライブ中に、
 「疲れたか?空腹か?トイレは?写真とるか?」
など、カタコトの英語で、こまめに聞いてくれる。日本人以上に、かゆいところに手が届く。彼は、こんな技をどこで習得したのでしょう。本当に、いいやつで、頼りになります。
  オマールは、
ワルザザートのツアー会社「タフクト・カー」で働いている。タフクト・カーは、ホテル・ロイヤルの向い側。僕らが、モロッコ旅行のときには、いつも、ワルザザートを拠点にする理由です。もし、行くのなら、おみやげとして、タバコ(マルボロ)を持っていってあげてください。

41:砂漠の人々

ハッサンは、砂漠の宿のオーナー
  映画に出てくる砂漠人のように、
大きな黒いマントを頭からかぶっている。フードの中には、とんがった黒い顔に野獣のような目と鼻ヒゲ。日本で出会うと、ちょっと怖いかも。表向きは、人当たりのいい「主人」。しかし、内面は、、。
  彼には、守らなければいけない、宿、家族、ラクダ、がたくさん。そのためには、真面目にやってたのではキリがない。すこしくらいの策略を使います。僕らを、執拗に「ラクダツアー」に誘う。ツアーといっても、ラクダの背に乗って、10分くらいの
散歩。ラクダなんて、くさくて、揺れて、おしりが痛くなって、砂漠は暑いし、、。断りつづけていたけれど、ついに、誘いにのってしまった。で、散歩が終わる頃の、料金請求が2000円!一泊200円の宿で2000円!1食200円の宿で2000円?
  彼の気持ちも、わからないでもないが、、、。

ハッシムは、ハッサンの
  兄を補佐する、
外も内も、やさしい弟。武田信繁(信玄の弟)のイメージ。彼の家に誘われて、彼の家族と衛星テレビを見ながら、紅茶をごちそうになった。僕らが、砂漠で1日、何もすることがないから、気を利かせて誘ってくれたらしい。で、紅茶は無料。モロッコで、無料のお茶なんて、初めて飲んだ。

ハマダは「モロッコの原住民」ではなく、「サハラ砂漠の原住民」。本物の、黒い人。茶色じゃなくて、黒い人。砂漠のホテルで、砂漠案内人、兼、お手伝い、として働いている。彼は、本当に、夜になると「透明人間」になる。ただし、目と歯を除いて。

  基本的に、砂漠の宿の人はやさしい。何か食べたい、といえば、すぐに用意してくれる。いつも、陽気に、親切に話しかけてくれる。モロッコにいる、モロッコ人は、優しい人が多い。モロッコにいる
フランス人とは、両極端。

  砂漠の宿には、
観光客も、たまに来る。バイクで、きままに旅をしてるドイツ人のおじさんは、泊まらずに、お茶だけ飲んで、また、旅に出て行った。砂漠の中を、好き勝手に走っていくという。世界には、そんなうらやましい人もいるのね。アメリカ人のお兄ちゃんは、学校の夏休みで、1ヶ月くらい放浪してるとか。日本人だけじゃないの、たった1週間しか休めないのは。1週間だけでも、休めるだけマシか。
  彼らは、夜になると、砂漠に出て、太鼓を叩きながら、歌って踊ってる。現地人、アメリカ、ヨーロッパ関係なく。
酒も飲まずに(イスラムは酒禁止)、どうして、あんなにはしゃげるのだろう。日本人も、恥ずかしさを捨てないといけない。

42:モロッコのフランス

モロッコのフランス
題名は間違いではありません。
モロッコは、その昔、フランスの植民地だったため、現在でもフランスの文化に、かなり影響されてます。そして、たいていの場合、悪いほうへ、影響されています。
  
  
カサブランは、モロッコに行ったことのない人にとって、一番のあこがれの場所。モロッコに行くのなら、まずはカサブランカ。映画のような、っていっても、どんなだかわからないけど、きれいでムードのある町並みに、エスプレッソとクロワッサンの香りがただよう、居心地の良いカフェ。旅に出る前には、そんな風に想像してました。しかし、実際は、、、、
   意地汚い、中途半端な、都会とリゾート。
  だいたい、諸悪の根源は、フランス風なこと、というか、フランス人!
  あくまで、僕らの私見ですが、フランス人は、プライドが高く、冷たい。
  かたことの英語しか話せない僕らに、
当然のように、フランス語で話し掛けてくる。フランス語が通じないとわかると、すぐに態度が冷たくなり、何も努力をしてくれない。僕らが、空港、ホテル、タクシーなど、モロッコで遭遇したフランス人は、例外なく、全員が冷たかった。

  モロッコ、特にカサブランカは、
フランス人のバカンス先として、とても有名。日本人にとっては、ハワイかグアムに相当する。町の中には、休日をぜいたくに過ごそうとしてやってきた、金キラのフランス人がわんさかいる。そんなもんだから、現地のモロッコ人も、フランス人の観光客を目当てに、優先して勧誘し、サービスをする。小汚い、金のなさそうな、チビの、日本人には、見向きもしない。僕らが、レストランに入ろうとして、店の前をうろうろしていても、ウェイターは、ピクリとも動かない。というか、にらまれてるかも。ここが、マラケシュやウズベキスタンなら、店員が手を引っ張ってでも、店に招き入れる。ホテルの受付のフランス語を話すモロッコ人も、
 「泊まりたくないなら泊まらないでいいよ。」
(フランス人と思われる)タクシー運転手は、降車するときに、値段をつり上げてきて、挙句の果てに
 「I don't speak English.」(英語ワカリマセーン)と、英語で答えるし。お前(タクシー)、フランス国内で仕事がないから、こんなところでタクシー運転手をやってるんだろうが!と怒鳴りたくなった。カサブランカにいるあいだは、フランス人からも、フランス系モロッコ人からも、見下されていた感じだった。

  残念ながら、
カサブランカ国際空港(ムハンマド5世空港)が、もっとも利用される空港ですが、、、、、、カサブランカは、モロッコじゃなくて、フランスだから、訪れる必要は、全くありません。カサブランカは、モロッコの首都ではありません。首都は、ラバトです。
  なんで、行っちゃったんだろ。

43:化石売りの少女

  ワルザザートから、砂漠へ向かう300kmのドライブのうち、街中を走る数分間以外は、ほとんどが、岩漠を走る。これまで何度も説明しているが、岩漠とは、砂の砂漠のようなサラサラの地面ではなく、固い土の地面で、まわりには大きな岩がゴロゴロしている。だだっ広い、土と岩だけの平原である。そんな、まっ平らで広大な大地では、人工物といえば、1本の道路だけである。前方の地平線から、後方の地平線まで、まっすぐに突き抜ける道路だけである。水はもちろん、緑さえもほとんどない。視界一面に赤茶色の大地が広がる。
  こんなところで、車が故障したら、、、なんて思うと、不安でたまらない。そんなときは、自分で修理するか、通りがかりの車を捕まえるしかないし、そうしている人たちを時々見かけた。

  道路わきにはいろんなものがある(いる)。
らくだの群れには、よく遭遇する。ノラ?とも思えないが、らくだ飼いの姿は見えない。
  道路に沿って、人の高さほどの土の山が、いくつも並んでいる。左右に、合計50個くらいは、ありそう。なんと、これが、「井戸」だそうです。車をとめて、近づいてみる。なるほど、土の山には、大きな、深ーーーい穴が開いている。掘り出した土が山になったのか。試しに、井戸に石ころを落としてみる。ヒューーーーーーー、、、、、、???音がしない。もし、落っこちたらと思い、足がすくむ。

  問題は、そのあと。
わずか数分、路肩に停めただけなのに、車の周りには、数人のひとだかり。民族衣装を着た現地の子供が、わらわらと集まっている。皆、それぞれ、何か、石みたいなものを握っている。
 「
化石を買ってくれ、と言ってる」ドライバーが通訳する。
  子供たちの手の中の石には、確かに、アンモナイトや、虫みたいなものが固められている。本物なの?化石って、勝手に掘っていいの?
  どうやらニセモノじゃないらしい。
  ウキウキしながら、化石を選びました。

  でも、この子らは、どこからやってきたの?
  見渡す限りの土の砂漠で、車もなく、自転車もなく。はるかかなたの山肌に、目を凝らせば、横穴式住居を少し近代化したような家、というか、穴が見える。あそこから?歩いて、1時間はかかると思うけど。しかも、砂漠の太陽の下を歩くの?
  彼らは、こんな、
岩だらけで、水もないところに住んでいるそれが当り前のように
  山で化石を掘り出して、旅行者に売る。旅行者だって、いつ通りかかるか、ましてや、車を停めるか、なんてわからない。道端の土の山の陰で、日差しをよけながら、いつ停まるかわからない、旅行者の車を待ちつづけている。停まった途端に、我先にと、集まってくる。1個100円で売れれば、1ヶ月の食糧になる。
  「涙ぐましい」ってのは、まさに、こういうことじゃない?

  こんな子供を見てしまったら、、、、
人生観が変わるよ。

44:安全基準

  日本の観光地で手すりが壊れて、観光客が怪我でもしようものなら一大事。管理している自治体やら宗教やらが補償などで大慌て。日本て、本当に卑しい国です。

  
「ファティマの滝」マラケシュから車で1時間くらいにある観光地。「ファティマ」とは、モロッコに昔、いた、だったか、想像上だったかの女性。いずれにしろ、神様のように尊敬されていたらしい。「ファティマの手」というミニチュアがお守りとして売られている。そのファティマさんが、生まれただか、住んでただかしたのが、このファティマの滝。なんで、情報が中途半端かというと、興味がないから!
 「滝はいいところだから、行ってみろ。」ホテルで、なかば強制的に進められ、お金を払わされて、行くことになってしまった。滝に来るくらいなら、マラケシュの市場でゆっくりしたいのに。

  モロッコといえば、砂ばかりで、水がない、というイメージ?かもしれないが、中学で習った
アトラス山脈という巨大な山並みがあり、頂上には10月でもが見える。ファティマの滝は、そのアトラス山脈のふもとにある。
  マラケシュを出て1時間、車が駐車場で停まる。ここから先は、歩きだと言う。僕らは、山登りは嫌いだし、早くマラケシュに帰りたいし、
 「1時間だけで帰ろう。」とガイドに念押しした。ガイドも、
 「では、
1時間以内に、ここに戻ってこよう」といい、実は、エンドレスのハイキングがスタートした。
  道らしい道は、最初の5分だけ。その後は、川の中、川の上を、石を飛び越え、進んでいく。大きな岩をまたぎながら、渓流をさかのぼって行く。のぼり勾配は、進むにつれて、当然、急峻になっていき、岩に手をつかないと、登れないくらいになる。脇では、渓流が、ドシャドシャ音をたてて、高さ2mくらいの滝をつくっている。
  出発してから30分たったころ、僕が「もう帰ろう」と言うと、
 「もうちょっと、もうちょっと」
 と返事される。渋々、もうちょっと登ると、、、目の前には、
高さ5mくらいの石の壁。まさかと思ったけど、これを登れって言う。すぐ脇の渓流の水が、微妙に岩肌を濡らしている。一応、運動靴だけど、さっきから、すでに、滑りっぱなし。日本では、こういうのをロッククライミングという。途中で滑って落ちたらどうするのさ。怪我じゃ、すまないよ、絶対。こんなところで、消息不明になっても、発見されないだろうな、とあきらめた。トカゲのように、両手両足、胸までも使って、よじ登った。とりあえず、登った。ふぅっ、と一息。したのも、つかの間、10mくらい歩いて、また岩の壁が出現。その上にも、岩壁。その上も。。。
  壁のぼりを、
5面くらいクリアーしたところで、本当に一息。目の前には、落差10mくらいの1本の白い滝。
 「これが、ファティマの
ひとつめの滝」
 「ふーん、これが、僕らが苦労した末にたどり着いた滝?って、
ひとつめ?
 「まだ、上につづいている。
全部で7つある。
  ぜんぜん無理。もう、1ミリも登れない。とっくに1時間越えてるし。
  しぶるガイドに文句を言って、帰路についた。一歩滑れば、すぐ死ねる。というか、まじめな話、遭難した人がいるに決まってる。

  規制がないのも困る?
行かなきゃいいんです。

45:まず、お行きなさい

  まず、お行きなさい。
  
マラケシュの、うるさいほどの喧騒、にぎやかさ、民族の交わり、ほどよい汚さ、奇妙な物・味・人、そして、何にも優る楽しさ、は、とても言葉では語れません。

  カサブランカは、モロッコの
「フランス人の文化の中心」。対して、「モロッコ人の文化の中心」が、マラケシュです。だから、マラケシュには、観光客も集まるけれど、それ以上に、モロッコ人(アラブ人、ベルベル人)が、毎日、毎日、押し寄せます。”東京”に出て、ひとはな咲かせるぞ、とか、または、今夜は”東京”でおいしいもの食べよう、ってな感じで、モロッコのあちこちから、マラケシュへ人が集ってくる。

  そのマラケシュのシンボルが、
フナ広場
  東京ドーム1個分?より、ちょっと広いかな。地面がアスファルトの、ただの広場。その一画に、お昼ころから、
何台もの屋台が、うようよとわいて出てくる。推定200くらい?数え切れない。
  オレンジジュース専門屋台、スープ(ハリラ)屋台、シシカバブなどの肉料理屋台、魚料理屋台、ゲテモノ屋台、胃薬のような苦い飲み物屋台、猿回し屋台、ヘビ屋台、もちろん、おみやげ屋台も。
  地元の人も、観光客も、同じ立場で、そんな屋台に群がっている。夕食のピーク時には、すれ違うのも困難なくらいの大混雑。しかも、これが毎日続く。
 「
地元の人と、同じレベルで同じものを食べたい。」自由旅行の目的に、ピッタリはまった空間です。さすがに、同じ値段とはいかないが、何回も、何日も、同じ屋台に通っていると、だんだんと近似値になる(かも)。スープ1杯80円からスタートして、3日目には、20円になった。もちろん、地元の人は、もっと安いんだろうけど。当然、ぼったくり屋台も数多く出現しているので、注意が必要。

  マラケシュの魅力は、フナ広場の屋台村だけではない。広場の北側に、広場以上に大きく広がる
スーク(商店街)がある。商店街といっても、日本のように整然と立ち並んでいる町ではない。ちょっと行くと、右に曲がり、ちょっと行くと交差点、ちょっと行くと行き止まり。まさに、というよりも、本物の「迷路」です。昔、異民族の襲撃に備えて作った町並みだそうです。(スークだけなら、フェズ
という街が一番有名。)
  そのスークも、当然、外国観光客と同程度に、地元の人たちを対象にしている。おみやげ屋が数多く立ち並ぶ一方、生活雑貨、肉、野菜、調味料、布きれなどが、おおざっぱに売られている。はじめて見る、得体の知れない売り物を、ぼーっと、眺めながら、迷路をさまよっているだけで、十分楽しい。ただし、みやげ物屋からの
「買え買え」攻撃と、自称ガイドからの「案内してやる」攻撃
を、うまくかわす必要があります。

  
道に迷って帰れないかも、っていう、心地よい緊張感を、ぜひ、味わってみて欲しい。

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by akogarehotel | 2005-01-06 16:34 | あちこち旅行記 | Comments(0)  

【第3章】ウズベキスタン後編

【第3章】

22:サマルカンドへ(10月18日)
23:
がんばれ韓国自動車(10月19日)
24:
ウズベキスタン4時間耐久レース(10月20日)
25:
ホテル探しを手抜きすると、(10月21日)
26:
食糧調達ミス!(10月22日)
27:
陣取り合戦(10月23日)
28:
サマルカンドのベスト3、第3位(10月24日)
29:
サマルカンド、第2位(10月25日)
30:
そして、第1位(10月26日)
31:
バザールでゴザーーー(10月27日)
32:
ぜいたくホテル(10月28日)
33:
行列のできる、、、(10月29日)

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22:サマルカンドへ

  では、話はふたたびウズベキスタンへ。

  さて、世界遺産の町、ヒヴァには2泊でお別れ。飛行機で、首都タシケントへ戻ってきた。ここから、約300kmはなれたサマルカンドへ向かう。
  サマルカンドは、ウズベキスタン観光の代表地。いくつもの世界遺産級のイスラム寺院が林立し、観光客を集める。高級ホテルも数軒あり、ヨーロッパ、ロシア、日本からのツアー客が、冷房の効いた大型バスに乗って、多数押しかけて来る。その観光客をあてに、たくさんの地元民も集まり、街は人と活気であふれている。もちろん、自由旅行御用達の、安~中級クラスの宿も多く、さがし甲斐がある。しっかり探せば、安くてサービスのいい宿が、どこかに隠れている。

  本当のことを言うと、今回の旅で、僕らは”手抜き”をしました。ウズベキスタンにたった4泊しか滞在できなかったので、少しでも時間をムダにしないようにと、日本で宿を予約しておいたのです。残念ながら、「日本で予約できる」「割高」ということになりますが、「送迎つき」という条件が必要だったのです。「自由旅行者が旅をいそいじゃダメ」と言われますが、休暇が取れないんじゃ仕方がない。(本当は不満)

  で、「送迎つき」なんです。どこから?300kmはなれたタシケント空港からです。大陸に暮らしていると、ケタが違うんです。アフリカでもそうでした。200、300kmくらいのドライブなんて、「じゃぁ行こうか。」くらいの距離なんです。高速道路なしで、ですから、すごい。

  ということで、ヒヴァから飛行機に乗って、タシケント空港に到着。降り立った一行を、毎度おなじみになった、熱烈歓迎の出迎えをしてくれるタクシー屋、両替屋、ホテル屋の群れの中に、「Mr.○○○(僕らの名前)」の紙切れをかざしている小柄なおじさんを発見。近づいて握手する。この方が、送迎の運転手さん。お互いに共通言語がないから、ニッコリするだけで、言葉が出ない。旧ソ連では、「ハロー」は通じるけど「ハワユー」は通じない。当然、
 「How long does it take from here to Samarcand?」
 なんて文法を整えてもダメ。
 「How HOUR? Samarcand?」
 これで、全然OK。
 「300km、3 hours ,,,,,more,,」な感じの答が返ってくる。

  さあ、砂埃の中を、3時間で300kmのドライブが始まる。
  現在、AM11:00

23:がんばれ韓国自動車
  ウズベキスタンにも車が走ってます。ラクダばかりじゃありません、当然。(というか、ラクダのほうこそ、めったに見かけないんだけど、、)
  ウズベキスタンの車は、だいたい2通り
  頑丈で重くて燃費の悪そうなロシア車か、ちょっときれいで軽そうな韓国自動車(ダイウー)。韓国自動車は、事故に遭えば木っ端微塵だけど、燃費がいいから、圧倒的にシェアを伸ばしている。だから、新しい自動車は、ほとんどが韓国車。一方、ロシア車はほとんどが年式不明なほど古くて、日本に持って来たら、クラシックカーとして人気が出そうだ。僕らを迎えてくれた車も、こぎれいな韓国車だった。きれいではあるが、外見、中身とも、サニー、カローラクラスのようだ。

  タシケント空港を出発した我々は、すぐにはサマルカンドへ向かわずに、なぜか街中をうろうろとする。運転手さんが何かを探しているみたい。と、地元の人と砂埃でごったがえす一画で、車を停めて、降りて行ってしまった。なんだろう?と思っていると、ほどなく、40代くらいの陽気なロシア人を連れて戻ってきた。そして、そのロシア人もいっしょに車に乗り込んできた。
  初めてのときは、こういうのは結構こわい。自分のタクシーに、見知らぬ人が乗り込んでくるんだから。でも、このロシア人も乗客、つまり相乗り。せっかく、タシケントからサマルカンドまで、300kmもドライブするんだから、お客は満員にして、お金稼がなきゃ、っていうのが彼らにとっては、当然の考え。そして、相乗りについて、僕らに断る必要もない、ってのも、当然の考え方。所変われば、って感覚です。早く慣れましょう。
  ということで、後部座席に僕たちふたり、助手席に、でーんと構えてロシア人。言葉の通じる乗客が乗ったことで、運転手のストレスも減るから、僕たちにとってもちょっぴり歓迎です。
  そんなこんなで、車はサマルカンドへ向かう。
  タシケントの市街地を抜け出ると、そこは完璧な交通無法地帯。ウズベキスタンの国土は大部分が砂漠地帯だから、真っ直ぐな片側2車線の舗装道路が、地平線の彼方まで伸びている。ブレーキなんて必要ない。車は、あっという間に、限界速度まで加速する。韓国製のカローラもどきは、おそらくアクセルペダルが床にくっついてるだろうスピードで走っていく。風の音と、エンジンの音を、うるさく響かせながら、「300kmを3時間」というタイムリミットと戦うために。(誰も、戦って欲しいなんて言ってないんだけど。)

24:ウズベキスタン4時間耐久レース

  1時間も走ると、道は砂漠の中になる。
  砂漠といっても、アフリカの砂の砂漠とは違って、(アメリカのような)石や岩がごろごろした、岩っ原。まっすぐなアスファルト以外に、前にも後ろにも人工物は何も見えない。そんな道を、なぜか、歩いている人がいる。いったい、どこから来たのか、どこへ行くのか。あの地平線まで歩いていくのか?この辺に住んでいるのか。かなりの脚力があることには間違いない。
  運動能力なら、ドライバーも負けてはいない。
  ウズベキスタンの田舎道では、道路にのら牛、のら馬、のらヤギが飛び出してくる。本当の”のら”、つまり「野生」ではないけれど、誰かの家で飼っているのが、道にはみ出てくる。そんな、障害物のある道を、時速100kmで走っていても、瞬時に減速する。彼らの視力は、サンコンさんのように、5.0くらいあるはず。さらにいうなら、タイヤの性能もすごい。猛スピードの中で、多少の急ブレーキ、急ハンドルには、キーとも言わない。多分、世界一、安定したタイヤが使われているんだ、きっと。そう思わないと、こわくて乗ってられません。
  路肩で、故障したバスが停まっている。ボンネットを開けて、タイヤをはずしたり。これは、民営の長距離バス。自由旅行でも、予算を削ろうと思えば、利用することがある。しかし、こんなバスは、すべてが古くてオンボロ。故障しないのがおかしいくらい。300kmのドライブのあいだに、こんな故障中のバスを3台くらい見かけた。炎天下の中、外に出て待つ旅行者。ほとんどが地元民だけど、彼らって、本当に偉い。

  さて、タシケント空港を出発したのが、昼11時。つまり、昼食前。ノンストップドライブをしていれば、いつの間にか、正午になり、1時になり。昼食は?ツアーじゃなければ、いつもこんな感じです。食事確保は自分の責任。食べられないのは自分のせい。一応、こんなこともあるだろうと、タシケントまでの飛行機の中で、しっかり食べておいた。そして、水も買い込んで。もちろん、トイレも済ませて。ドライブの途中で休憩する、とか、乗客に気を使う、なんて習慣は、彼らにはあまりないみたいです。
  乾燥しきった岩砂漠の中を、時速100kmでびゅーびゅー飛ばす。強い日差しの中、クーラーなんて効くはずないから、窓は全開。顔中、鼻の穴まで、ほこりだらけ。
  そんなこんなで、ドライバーのすばらしい持久力のおかげで、300kmの道のりを、一回も休憩することなく、約4時間で走りぬけた。午後2時、サマルカンドへ到着。乗客もそうだけど、車自体も疲れきっていると思う。

25:ホテル探しを手抜きすると、

  日本から予約した宿は、幸運にも、10階建ての高級ホテルではなかった。そんな、どこにでもあるようなホテルに泊まったら、おもしろさ半減です。
  僕たちが予約した宿は、日本人になぜか有名な「フルカト」という、2階建て、部屋数15くらいの中級の宿でした。一泊1室、推定40ドル前後。ちょっと高い。しかし、宿に着いたら、お茶が出てきた。
 「頼んでないものは、食べちゃダメ」
  非常に怪しかったが、なんと、無料サービスだという。ぼったくり圏で、こんなことありえない。日本人のツボをおさえている。宿の主人が、なかなかヤリ手のようだった。その後も、顔をあわせるたびに、お茶を出してくれる。結構、うれしい。おいしい?かどうかは別。
  だが、昼食抜きでドライブして来たふたりには、お茶は余計に空腹を誘うだけ。こんなときに役立ったのが、リュックの底にしまってあった非常食「ビーフジャーキー」。ありがたい。どこに行っても重宝します。ロシアの、熱ーいお茶と、1,2枚のビーフジャーキーで、長いドライブの疲れが、少し消えた。

  部屋には、ユニークな調度品がいっぱい。
  「エアコンなし」のはずなのに、窓の上には新品のエアコンがあり、室外機にパイプも接続されて、リモコンまで置いてある。で、ためしにスイッチを押してみると、なるほど、動かない。電源が入っていない。というか、電源コード自体がない。「エアコンは設置したけど、動かさない」部屋らしい。なので、暑いときには、扇風機を使う。が、その扇風機がまたスゴイ。ブォンブォンいう音は許してやろう。問題は、「扇風機に囲いがない」こと。ロシアには製造物責任などの概念がないらしい。怖くて、近づけない。
  他にも「”中から”開かないトイレのドア」 …だから、半開きのままで入る。
  「スイッチのない電灯」 …飾りらしい。
  「動かない壁時計」 …これも飾りらしい。
  冷蔵庫の中には、「無炭酸コーラ」 …新品なのに、気が抜けている。
  「スパイシーなビール」 …賞味期限を忘れるくらい過ぎていて、発酵している?

  確かに、宿主は、なかなかヤリ手です。いろんな演出で、心に残る宿に仕上げてます。(まじめな話:朝食が豪華部屋が清潔、で値段には十分こたえてます。)

26:食糧調達ミス!

  お茶ならば、何リットルでも飲ませてくれる宿でも、食事は、朝食以外は提供しないと言う。ということで、3時頃、遅い昼食を探して、街へ出かけた。観光よりも、食糧調達が優先する、それが自由旅行。
  宿を出ると、歩いて1分。オープンカフェ風の大きなチャイハナ(食堂)を発見。白衣のウェイターさんが、忙しそうに立ち回り、僕らに気付くと、ニッコリと手招きする。空腹のため、考える暇もなく、とりあえず、ここに決定。

  屋外の広いテーブルにつくと、まず、ウェイターAがやって来た。
 「飲み物は?」
 「チャイ2つ」と答えた瞬間、ウェイターAは、奥へ入り、お茶の準備。すぐ入れ替わりに、ウェイターBが来る。Bに、食事メニューを聞く。さすがサマルカンド、いろんなものがある。
 「じゃぁ、プロフ、ラグマンをひとつずつお願い。」
  プロフはピラフみたいなもの。ラグマンは、イスラム風うどん。で、最後に値段の確認。その時点では、すでにチャイが運ばれているので、それらを指して「全部でいくら?」と訊いた。ウェイターBが「2800スム(280円)」と答える。まぁまぁ、かな。で、ウェイターBが中に戻ると、ウェイターAがやって来る。「チャイ代金の2000スム(200円)払え」って。え?だって、さっきBさんに聞いて、全部で2800って言われたよ。
  彼らには、そんな理屈は通じないらしい。AとBは別会計だという。は、お茶を持ってきたから、お茶代2000スム。は、じゃぁ、お茶代引いて2500スム、を払え、だって。合計4500スム(450円)。

  セコイというか、アホらしいというか。彼らは、常連客を作るより、一見(いちげん)さんから、取れるだけ取ってしまおう、というポリシーのようだ。たった、100円、200円の問題なんだけど、やっぱり、くやしい。
  ちなみに、この店は、有名なレギスタン広場の近くにある、看板に「Chorso」と書いてある店。「ぼったくられるので注意」と、某サイトのウズベキスタン攻略法掲示板に書いてあるんだとか。そんなサイトがあるんだ?

  食事の話を追加。
  プロフ、ラグマンは、一応、中央アジアの名物らしい。プロフは、ピラフのような米料理だが、ちょっと固い。味付けはおいしいのに、米の炊き方が、ヘタなようだ。ラグマンは、うどんのような、きしめんのような、カップラーメンのような、、。スープの味と匂いは、日本人好みかな。気に入りました。ちなみに、ホークで食べなきゃいけないのが、むずかしい。

27:陣取り合戦

  観光名所のお話も少しだけ。サマルカンドには、ヒヴァ以上に、イスラム建築の寺院、神学校が数多く残され、観光名所となっています。レギスタン広場、グリアミール、ビビハニムなどが有名(後述)。で、これらの観光名所のほとんどすべてに共通していることが2点。
   ①高い入場料
   ②おみやげ屋

  入場料は、日本で言うなら拝観料に相当しますが、物価の安いウズベキスタンのくせに、拝観料だけは、日本並みの価格設定です。(だって、払うのは外人ですから。)通常、1施設でひとりあたり、2000スム(200円)、これにカメラ1台につき1000スム(100円)。二人で行くと、1ヶ所まわる度に、500円!!500円あれば、ぼったくりなしの食堂なら、豪華ディナーが食べられる。そんなことを考えると、かなり高い。しかも、1,2年前に比べると、拝観料は5~10倍に値上がりしているそうです。ソ連崩壊後の物価上昇度は、想像以上のようです。サマルカンドで1日過ごせば、拝観料だけで、20000スム(2000円)くらいかかってしまう。ぼったくり店で、100円、200円に文句をいうのがバカバカしい。
  どこに行っても、一番ぼったくるのは、「お国」

  おみやげ屋。これほど、ショッキングな光景はない。寺院、神学校の「敷地内のいたるところ」に、おみやげ屋が商品をひろげている。おみやげ屋といっても、京都のお土産屋さんのように、雰囲気も大切にする「店」ではなく、渋谷の路上で外人が広げている「小物売り」「アクセサリー屋」とほとんど同じもの。4畳半ほどの「みやげもの屋」が寺の中庭を占拠したり、由緒ある寺院の門をくぐると、そこはじゅうたん屋や帽子屋だったり、ことごとく営利目的のスペースになっている。おみやげを買うには便利だけど、イスラム建築を写真に撮るには、はっきりいって邪魔なだけ。
  彼らも、生きるためにやっていることだから、仕方ないけど、。せっかくの遺跡、名所がもったいない、というのは、贅沢な意見かもしれない。

28:サマルカンドのベスト3、第3位

  名書「歩きかた」に載っていない観光案内を少々。
  サマルカンド観光のベスト3は、、

  第3位、グリアミール廟(びょう)
    … 支配者の墓を祭ってある寺。薄暗い寺院の中には棺がいっぱい。

  僕らが、グリアミールに向かって歩いていると、その手前の建物から、小太りのロシア人が手を振っている。呼ばれるままに、その建物へ。それは、ルハバット廟という、これもイスラム建築の古寺。外壁、内壁とも青緑のタイルで覆われ、内部は20畳ほどの部屋、というかホールが1つあるだけ。天井は、イスラム建築に共通して高く、3,4階の高さまで吹き抜けている。天窓のあたりを鳩が飛んでいる。そこ以外に、窓がほとんどなく、薄暗く、タイルじゅうに、模様のように書かれているアラビア文字が、わずかに光っている。
  促されるままに、壁際の木製の長椅子に座る。10人ほどの、ロシア人、というかアラビア人が、同じように座っている。と、さっきの小太りロシア人が、仰々しく、ホールの中央で一礼。そして、
   うーーーんらーーーー、わらーーーーあらーーーー、
  と、うなり出す。もちろん、うなってるのではなく、コーラン(イスラムの経典、クラーンともいう。)を読み上げている。徐々に、その声は、歌のように、タイル作りの空間にこだまする。コーランは、どこで聞いても、本当に不思議な音で響いてくる。モロッコでは、街頭のスピーカーからコーランが流れ、神秘的で、つい聞き入ってしまう。それを、こんな音響効果抜群の空間で聞かされたら、もう、魔法にかかったみたい。イスラム教っていいな、と思わざるをえない。魔力だ。
  約15分のコーランが終わると、一礼して、おしまい。
  廟の外へ出るときに、僕らだけ、200スム(20円)請求されて、現実に戻った。

  グリアミールのことは、本にいっぱい載ってるから、。

29:サマルカンド、第2位

  第2位、ビビハニムモスク 
      … 中央アジア最大のモスクエメラルド色のタイルがドーム屋根にしきつめられている。
  中央アジアで最大のモスクは、観光客でごった返し、中庭もみやげもの屋の陣取りでいっぱい。
  一方、道をはさんで反対にある、ビビハニム廟。ビビハニムさんのお墓をまつった寺院。本家のビビハニムモスクには、大きさで、ちょっと負けるだけなのに、集客力では、大差負け。なぜか、誰も見に行かない。で、僕らは、当然、人気のない方を選んで行くわけで、。
  こんなに人の来ないところでも、一人前に拝観料を請求され、中に入る。客は、ぼくらだけ。寺の主のようなロシア人のおやじが、マンツーマンで相手をしてくれた。寺の由来を説明しているらしいが、ロシア語なまりの英語は、判別困難。愛想笑いしながら、案内されるがままについて行く。棺の間を抜けて、なんかの通路を通り、窓の上の細いすきまを渡り、らせん階段を昇ると、そこは、モスクの「屋根裏」。屋根裏といっても、4階くらいの高さまで吹き抜けの、ホールの屋根裏。しかも、足元には、幅30cmくらいの木が、適当にわたしてあるだけ。すきまから、1階の床が、はるか下方に見える。渡してある木だって、うすっぺらいから、落ちようと思えば、簡単に落ちられる。本当に「危ない橋」。
  その、こわい屋根裏を抜け、階段を昇ると、屋根の上へ。そこでは、サマルカンドの町並みが360度の展望で見渡せる。町の外の砂漠まで、視界が広がる。これは、すごい。まじめに感動した。写真を撮りまくる。

  ふたたび、こわい通路を通って、地面に降りたら、当然、ガイド料を請求されたけど、これは、金額分の価値があった。
  なんで、誰も行かないんだろう。

30:そして、第1位

  第1位、レギスタン広場 
    …大きなメドレセに三方を囲まれた広場。観光案内の表紙になることが多い。

  「広場」だからといって、24時間営業ではない。寺の拝観と同じで午前9時~午後7時?くらいで、入り口を閉鎖する。そして、時間外に人が立ち入らないように、警官が交代で監視している。
  この警官が、ベスト1!!
  外見は、斉藤清6(なつかしい)みたいな、おっとりした、やさしい感じの気の弱そうな警官。夕方、閉門時間が近づくと、日本人観光客に声をかけてくる。
 「明日、朝7時にここに来れば、朝日をみせてやる。」と。

  で、まだ暗い、朝7時。広場の入り口へ。当然、門は閉まったまま。と、斉藤警官がちゃーんと我々を待っていた。門のカギを開けて、僕らを広場の中へ招きいれ、1つのメドレセへ。ここも、カギがかかっているが、マスターキーで突破。薄暗い建物の中を、急な階段を、落っこちそうになりながら登っていく。はい上がること、約5分。ようやく、頂上へ到達。
  そこは、メドレセの横にあるミナレット(塔)の、本当のてっぺん。塔の屋根の、1mくらいの穴から、もぐらのように顔を出すと、約40mの高さから、周りが見渡せる。穴がせまいので、一人ずつ、顔を出すだけ。ビュービューと風が吹き付ける。待つこと、数分。すると、山の向こうに、朝日が昇り始め、眼下に絶景が広がる。旅行に行ったら、とりあえず、朝日を見る。基本です。
  数分、絶景を堪能した後、地面に戻る。そして、当たり前のように、公務員である警官から、ガイド料、というか、不法入場料として、3ドル請求される。他の人は、2ドルだった、なんて話も聞くが、拳銃を突きつけられて、10ドル取られるよりはいいか。ちなみに、この警官は、夕日ツアーも開催して、大銭を稼いでいるらしい。

31:バザールで、ゴザーーーー

  地元の人となるべく同じ次元に立つこと。
  そんなことは、できっこないけど、それを求めるのが、旅の楽しみ。地元の人が行くところに行き、食べるものを食べ、寝るところで寝る(?)。
  その条件に近いのが、バザール(市場)。どこの町にもあり、地元の人用に、食料品生活用品など、なんでも売っている。町が大きいほど、バザールも大きい。
  「シャブ・バザール」はサマルカンドで一番大きい市場。東京ドーム3つぶん(推定)の広さに、屋台のような露店が、所狭しと、びっしりと並んでいる。そして、人、人、人、人の壁。毎日が、「アメ横」状態。というより、アメ横をさらに巨大にした感じ。パン屋、肉屋、調味料屋、衣類屋、洗面器屋、紙袋屋、音楽カセット屋、携帯ゲーム機屋(テトリス?)など、ないものはない。ナン屋(パン屋)だけでも、一角に20店以上がひしめく。肉屋では、よくわからない動物が皮をむかれて、丸ごと吊るされている。
  あくまでも、「地元の人」用の市場なので、地元の人は、「地元の人用値段」。一方、旅行者は「旅行者用値段」推定10~100倍違う。だから、歩いていると、あちこちから呼び止められる。「あれ買え、これ買え」と。なんたって、100倍の値段で売れるんだから、彼らも必死に売りつける。
  「カレー屋っ」と誰かが僕らに声をかける。カレー屋?正しくは「カレーヤ?」英語では「Korea?」そこの韓国人、これ買ってって。という意味らしい。ウズベキスタンでは、韓国人のほうが裕福なようだ。ちなみに「Japonnner」は「ヤポーナン」「シャボンなん?」

  声、怒鳴り声、ぶつかる音、耳にはいるものすべてが地元バージョン。外国に来たなーって、シンから感じられる。こういう場所が好きです。(モロッコなら、マラケシュのフナ広場が有名。)暇があると、バザールへ行き、ただ、時間を過ごす。何も買うつもりはないのに、いつのまにか、両手にいっぱいの買い物袋。焼きたてのナンを買った。固くないナンを食べたのは、ここに来てはじめてだった。ひよこ豆というおつまみは、1kg200円。1週間でも食べきれない。おいしいので、おみやげに買ったが、重いので、500gが限界。つまり、たったの100円分。これで、おみやげ終わり。

32:ぜいたくホテル

  「アフロシャブ」1泊20000「円」前後の、サマルカンド随一の高級ホテル。6階建てで、トレーニングセンター、プールがある。インターネットコーナーもあり、地球の裏側から掲示板に書き込むこともできる(なんか、すごい)。
  最終日の夜くらい、ホテルのディナーにしよう、てことで、わざわざ、15分も歩いてやって来た。ホテルの入り口は、東京都心の1流弱?くらい。フロントはエアコンが効いていて、床はピカピカで清潔。ほこりだらけのGパンとトレーナーでは、日本だったら、入り口で止められそう。だが、ここでは、顔が日本人であれば、問題なし。それでも、内心はすこしビクビクしながら、レストランへ。
  すると、レストラン入り口に、「本日、撮影のため貸切」の表示?何?撮影って?
  がっかりして帰ろうとすると、ウェイターがやって来て、丁寧に聞いてくる。
 「どうしました。」
 「食事に来たのですが、、。」
 「では、別の場所をご案内しましょう。」
  ということで連れてこられたのは、2階の屋外テラス。夜7時から、バイキングが始まるという。でも、今は6時。日本なら、あと1時間待ってて下さい、となるはずが、このホテルの教育はすばらしい。
 「こちらに、ただいま、席をご用意します。コース料理しかありませんが、よろしいでしょうか。」
  全然OK。バイキングよりも、ホテルのコースを食べに来たんだから。こんな、時間外の薄汚れた客に、驚くほどのサービスです。

  コースの内容は、スープ、たっぷりの前菜、ポテト、チキン、ナン、デザート、コーヒー、あとアルコール10%のロシアビール。とても食べきれる量じゃない。前菜は、あやしい味がしたけど。「ディナー」という響きの味でした。ビールが効くんですね、10%だし、暑いし。
  さて、問題は値段。さすがに、こんなところで、食べる前に値段を確認するわけにはいかない。もちろん「ぼったくられる」とは思わないが、正規の値段自体が、高値設定のはず。1泊20000円のホテルのディナーだから、1人10000円くらい?財布を見たら、ギリギリ足りるかな。でも、それ以上だと、、、。チキンは、野菜とからめて、「地中海風」にアレンジしてある。日本のホテルでも充分通用する味。1万円と言われても、納得するかも、、、
 「カードがあるしね。」最後の切り札を隠しつつ、ドキドキしながら、ビールをあけた。
 「会計お願いします。」
  、、、、、、ウェイターが持ってきた伝票は、、、、
    30ドル!! 3000円、ふたりで!?
  これだけのサービスで、この値段じゃ申し訳ない。もちろん、外界にくらべれば高いけど、最終日ぜいたくディナーとしては、極めて「予算内」でした。満足。

33:行列のできる、、、、

  日本人とロシア人は行列が好き。好きといっても、ロシア人は、好きで並んでいるんじゃない。品物がないから、並ばないと買えないから、行列している。民主主義の混入で、ものが豊かになったというけれど、どうしても行列しないと買えないものがある。
  それが、ガソリン
  幹線道路にあるガソリンスタンドには、どこも車の長ーい行列30~40台くらいが、常に並んでいる。信じられないけど、驚いちゃう光景。

  さて、旅行の最終日、再び、サマルカンドからタシケントへの、長い長い、300kmのドライブが待っている。サマルカンドを出発したときに、メーターの半分くらいだったガソリン。いくら燃費のいい韓国自動車でも、200km近く走れば、emptyが近い。しかし、ガソリンスタンドはどこも大渋滞。給油までに1時間待ちくらい?そんなに待ってたら、飛行機の時間に遅れちゃう。何軒か空いてるガソリンスタンドを発見するが、決って「売り切れ」。やばいんじゃない?
  運転手さんも、僕も、言葉を交わすことはできないが、心は同じ。ガソリンメーターの針が底に近づいているのに、「タシケントまで90km」の標識。タクシーを乗り換えるといっても、肝心なときに、あいつらは見当たらない。空港に、離陸時間ギリギリに着いても大丈夫かな、なんて本当に心配を始めた。
  すると、車が急に、田舎道の路肩に停まった。もちろん、ガソリンスタンドなんて見えない。まわりは農家だけ。農家?
  運転手さんが、車を降りて、1軒の農家へ入っていく。農家の主人、といっても、30くらいのおにいさんと、なんやら交渉している。約3分。無事に交渉成立して、ふたりで車へやってくる。おにさんの手には、ペットボトル3本の水
  水なわけないです。ガソリン!!!
  普通に、自然に、ガソリンをペットボトルにいれて運んでる。不純物ありそう。でも、そんなのどうでもいい、車が動けば。ペットボトル3本で、5リットルくらい?給油タンクへ流し込む。おにいさんが、なんと頼もしく見えたことか。5リットルあれば、80kmくらいは充分走破できる。おかげで、無事にタシケント空港に到着した。
  今、ここに、帰ってこれたのは、農家のおにいさんのおかげ。今旅行のMVP獲得です。

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by akogarehotel | 2005-01-05 16:32 | あちこち旅行記 | Comments(0)  

【第2章】自由旅行のさだめ

【第2章】

第2章 自由旅行のさだめ
12:
旅行の値段(10月8日)
13:
格安航空券(10月9日)
14:
宿探し、初体験(10月10日)
15:
宿探し、神の手(10月11日)
16:
宿探し、手抜き(10月12日)
17:
食探し、(10月13日)
18:
断食生活(10月14日)
19:
足探し、タクシー探し(10月15日)
20:
ぼったくり警報(10月16日)
21:
ぼったくり発動中(10月17日)
第1章  ウズベキスタン前編(1~11節)
第3章  ウズベキスタン後編(22~33節)
第4章  モロッコへの誘い(34~  )

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12:旅行の値段

  みなさんを自由旅行にいざなうことが、このページの目的です。洗脳です。
  なので、今回は少し現実的なお話です。

  だいたい、旅行1回で、いくらかかるの?

  「海外なんて高くて行けないよ」
  こんな声を聞いてたのは、もう10年以上も前じゃないですか。H●Sなどの安売り航空券が発売されて、今では、国内よりもハワイで遊んだ方が安いでしょ。という流れにのって、モロッコ、ウズベキ、ミャンマーなど、あこがれの勧める国々も、安く行けるようになっています。さすがに、ハワイや韓国にはかないませんが、アメリカ、ヨーロッパに比べたら、間違いなくリーズナブルです。

 1航空券:
  当然ですが、合計金額に最も影響します。ということは、予算が少ないなら近いところ、余裕があるなら遠いところにすればよい。当然、エコノミークラス限定の話です。間違っても「ビジネスクラスで」なんて考えている人は、自由旅行なんて向いてません。カンボジアの場合、往復航空券が7万円から9万円。もし、ツアー旅行なら、6日間で11万から24万(本日、HI●のホームページ)。カンボジアでは、ツアーで高級ホテルに宿泊することが多いため、高めの金額になります。ウズベキスタンの場合、往復航空券は10万円から12万円。HI●には、ツアーはありませんでした。モロッコだと、往復航空券は14万強だったか。モロッコは、遠いから(アフリカ)高い。一般に、東南アジア(ベトナム、タイ、カンボジア、ミャンマー、マレーシアなど)は6万円から10万円くらいと安いので、予算の少ない場合にオススメです。購入はHI●、JT●などの大手でも、雑誌に載ってる小さな代理店でも、あまり差はありません。その地域専門の小さなところが、一番いいでしょうか。

 2宿泊:
  ピンからキリまであって当り前。僕の考えでは「普通」一泊10ドル弱(1000円)くらい?かな。もちろん、安いところを探せば、いくらでもあるし、高いところは探さなくても、いっぱいある。新婚旅行でサハラ砂漠で泊まった宿は1泊200円でした。今回のウズベキスタンはちょっと贅沢して、3000円くらい。ちなみに外国は、「食事なし」「一部屋の値段」だから、一人よりも二人のほうが、安上がりです。誰と寝る?

 3食事:
  ぼったくりに遭遇しなければ、、、ということは、かなり幸運ですが、1日1000円あれば、大丈夫かな。って、日本と同じじゃないの。ということで、食事も自分でよーーく探してみれば、1日200円くらいで食べられる所が絶対にあるはずです。多少の下痢を覚悟しましょう。

 4移動、入場料:
  いろんな移動がありますが、予算がなければ、移動しなければいい。自分の足で歩きましょう。予算が少しある時に、まず利用するのが、こういう国では、なんとタクシーなんですね。遠距離の移動でなければ、1日で数百円の予算です。
  観光で生きている国々では、ひとつひとつの遺跡でバカ高い入場料が請求されます。ウズベキスタンでは、1施設200円くらい。あちこちで、請求されるので、合計1人4000円くらい払いましたね。カンボジアのアンコールワットは、なんと1日2000円!3日いれば6000円。モロッコでは、なかった。ミャンマーもなかったけど、賽銭を強要された。

 5おみやげ:
  奇抜なものを買わない限り、5000円あれば、持ちきれないくらい買えます。

 その他:結構忘れがちなのが、成田(または関西空港)までの交通費。国内の移動は高くつきますから。

  合計して、10万円から15万円。
  確かに、安くはないですよね。(1年間のパケット代と同じくらい?または、温泉旅行2回分くらい?)


13:格安航空券

  はやりの格安航空券。星の数ほど、うるさいほどに宣伝を見かけます。でも、実際はこれが、なかなか買えないんですね。ハワイだ、グアムだとかの人気どころは、大丈夫なんでしょうけど、うちら夫婦が行きたがるような辺境の地は、飛行機自体が少ないのか、本当に手に入りにくい。
  もともと、格安航空券って、どうしてあんなに安いのか、というと。航空会社や大手旅行会社が、ツアー旅行用に航空券(座席)をキープする。そのツアーが、人気がない、とか、テロだとかで、売れ残りがある場合に、航空券だけを売りに出す。だから、ツアーが満員になってしまえば、格安航空券としては出回らなくなる。

 だいたい、3ヶ月ちょっと前に、旅行予定を決め、旅行会社へ電話。
  「○○行きの航空券が欲しいんですけど。」
  「3ヶ月前にならないと発売されませんので、その頃、もう一度お電話ください。」
 で、ぴったり3ヵ月前にあたる日。
  「○○行きの航空券下さい。」
  「もう、売り切れですので、キャンセル待ちになります。」
 えっ!初めてだと驚くけど、いつもこんな感じ。もちろん、全部「売り切れ」た訳ではなく、ツアー会社が「キープ」しているということ。ということで、いつものようにキャンセル待ちを申し込む。

  ツアーの締め切りが、出発ギリギリということは少ないが、売れ残りがあるかどうかは、2,3週間前になるまで決められない。つまり、2,3週間前にならないと、旅行に行けるかどうか分からない。困りますね。仕事も休むかどうか、決めないといけないし。微妙に人気のあるところ、とか、人気のある時期(ゴールデンウィークなど)だと、かなりむずかしい。去年のGWに、中国の西安に行こうとした。三国志の蜀ですね。だけど、キャンセル待ちが、通らなくて中止。なので、当家の旅行シーズンは9月になったんです。

  大手(●IS、J●B)よりも、その地域専門の小さい代理店のほうが、航空券が買いやすい印象です。「ちいさい代理店」とは、地球の歩き方などに広告が出ている「アフリカ専門」とか「アンコールワット専門」とか、うたってるような店。そう言えば、これまで、大手(H●S、JT●)では一度も買えたことがないや。ちなみに、今回のウズベキスタンは、「へき地専門」のファイブスターという旅行会社でした。

  まあ、どうしても行きたいのなら、ツアーを申し込めばいいんですけど。「ツアーなんて、絶対いや」って、うちの大奥が言うもんで。


14:宿探し、初体験

  新婚旅行の、最初の夜。ちまたでは「初夜」などと、色ぼけた表現をすることもあるが、僕らにとっては、「初めて」海外で宿を探した「夜」でした。

  モロッコのカサブランカにたどり着いたのが、午前11時。カサブランカは、アフリカ大陸の大西洋沿岸にあり、4月というのに真夏の日差し。海水浴に充分な気温で、じめじめしている。アフリカ=田舎、というイメージは、カサブランカでは全く感じられない。モロッコの商業の中心都市であり、高いビルがいくつか見かけられる。東京には、ほど遠いが、地方の県庁所在地レベル。フランスの植民地だったため、多くのフランス人が定住し、また、フランスからの観光客が大勢おとずれる。そんな町中を、大きなリュックを背負った、薄汚い小さい日本人ふたり。やっぱり「ヘン」です。

  ふたりは、「地球の歩き方」で目星をつけていた「きれいで安い」ホテルへ。
  ホテルのカウンターでは、鼻の高いフランス人女性が、さらに鼻をツンの上げて、
 「何、あんたら。泊まるの?」 と、おそらく言ったはず。フランス語で。
 「We would like……(泊まりたいのですが、部屋は空いてますか)」 と、英語で尋ねる。
 「ツインルーム、50ドル(5000円)」 と、ひとこと。
 わっ、高ーい、と第一印象。だけどね、カサブランカは、アフリカというより、フランスの一部みたいなものだからね。道も舗装されてるし、電車網も発達してる。物価だって、フランスに近いはず。そして、このホテルは、日本のビジネスホテルなんかよりきれいで、ロビーも広い。英語が話せないくせに、「高いよ。値切ってもらおうよ、通訳して。」と、おっしゃる嫁と、議論していると、鼻高フランス人は奥へ行ってしまう。さすが、フランス人、冷たさ世界一。
 「Excuse me!! お湯は出ますか?」 ―自由旅行の基本その1
 「出るよ。」       当り前です、こんなホテルで。
 「部屋を見せてもらえますか?」   ―自由旅行の基本その2
 「だめです。」      当り前です、こんなホテルで。
  また、あっちへ行きかけたフランス人を引き止めて、「泊めてください」と。

  たかだか5000円の宿でね。こんな扱いされて、腹立ちますね。でも、それは、若さゆえ。今にして思えば、モロッコと言っても、カサブランカは「自由旅行」。飛び込みで宿泊することは可能だけど、少しばかり礼儀が必要です。一方、「自由旅行」の町での宿探しなら、基本が大事。部屋を見て、お湯を確認して。こっちから言い出さなくても、自ら部屋を案内してくれる宿も多い。

  宿探しに、半日くらい費やすこともあるけれど、それも自由旅行の楽しみの一部です。でもね、新婚旅行では、宿探ししたくないよ。


15:宿探し、神の手

  では、今回は、「自由旅行」の宿探しのお話。

  モロッコのマラケシュ。
  モロッコといえば、マラケシュ。まさに「自由旅行の聖地」。どこから、これだけの人間がわいて来たんだ、というくらい大勢のイスラム人であふれるバザール「フナ広場」に来ずして、アラブ、イスラム、異国、そして、自由旅行、は語れない。そんな、マラケシュでの宿探し。
  いつもどおり、「歩き方」片手に、重たいリュックをしょって、目的の宿へ。今回は「1泊10ドル」「きれい」がキーワード。では、1軒めへ。
 「とても、ごめんなさい。今日は満員だから、明日来てもらえる?」
  あら、残念。では、2軒め。
 「今日は、ハイシーズンだから、あいてないよ。」
  まじ?3軒めは、、、、入り口に宿泊希望の旅行者があふれていて、中へも入れない。本当に「ハイシーズン」(4月)らしく、道にはリュックをしょった旅行者だらけ。ただし、ほとんど西洋系。
 「やばいよ。どこも空いてないかも。」
  さらに、2,3軒回ってトボトボしている2人。すると、神の手が、いや、アラーの声が。

  「Japanese tourist? Hotel?」

  振り向くと、ピーナッツ顔で、背の高い、いわゆる普通の「イスラム系黒人」。
 「宿を探しているんでしょ。ついておいで。」
  限りなく怪しい。どっかのオンボロ宿か、誰かの家に連れてかれて、金を奪われるかもしれない。ところが、そのピーナッツ顔は、躊躇しているふたりを尻目に、ドンドン歩いて行く。ふたりが立ち止まっているのに気付くと、ニッコリして手招きする。悪い人には見えないんだよなぁ。と思った時点で、すでに謀略に嵌っているか。
  インシャッラー。「神の思し召しがあれば(うまくいく)」
  やばくなれば、逃げればいい。そんなつもりで、ついて行った。
  ピーナッツは、路地をくねくね、地図にもない道や、民家の軒先を歩く。ひとしきり歩いていくと、「Hotel」の看板。少なくとも、個人の家ではないみたい。だけど、ここも他と同じように、フロント前では数人の観光客が交渉している。だけど、さすがに、ピーナッツは地元の人。ずけずけ、押し分け、宿主へ直接交渉。
 「部屋、あるでしょ。」 多分、そう言ってる。
 「ごめん、今日は本当に満室なんだ。」 多分、そう言われてる。
 「えー、俺が頼んでもダメ?」 多分、そう言って、ねばっている。
  多分、この人、本当に親切なんだよ。残念そうに、肩を落として戻ってきた。
 「よし、次、行こう。」

  そんな感じで、3、4軒、渡り歩いた結果。そのホテルも、フロントは観光客が詰め掛けていたが、地元民・ピーナッツの交渉成立。にっこりして、僕らを部屋へ案内する。その宿は、1泊10ドル。1000円相当の部屋。無事に、部屋に荷物をおろして一息入れていると、再び、ピーナッツがやってきた。
 「チップちょうだい。」
 って、宿泊料と同額の10ドルを要求している。100ドルじゃなくてよかった、といって払う。

  ピーナッツさんは、一生懸命に宿を探してくれました。もちろん、僕らのためではなく、自分のために。


16:宿探し、手抜き

  宿を探せるかどうか、心配するのがいや。
  夜遅く、町に到着するから、不安。
   などと、お嘆きのあなたには、
   ……前もって、日本で宿を予約していく
という方法があります。

  日本で宿を予約する旅行は、本当は、自由旅行とは言わず、バウチャー旅行と呼ばれます。ただし、初めての自由旅行で不安だらけ、という人には、旅行の最初の数日分だけでも予約しておけば、安心して海外へ飛びたてます。

  では、日本での予約方法は?
  最も簡単なのは、とても便利な「旅行代理店」を利用することです。あちこちで看板や広告を見かける、どんな代理店でも結構です。当然、日本語の通じる、日本の会社です。その代理店が、目的国にパイプがあれば、問題なく宿泊予約が可能です。パイプがなければ、他をあたりましょう。何度も言うとおり、大手よりは、「その地域専門」の中小の代理店のほうが、へき地に精通していて、マニアな宿まで予約してくれることが多いようです。一泊1000円前後の手数料がかかりますが、安心料と思えば、安いものです。
  他人の手を借りずに、自分で予約したいと思うのなら、インターネット予約です。予約できるのはホームページを開設しているような宿に限られますが、手数料はかかりません。英語の文章で、予約申し込み書を作成し、メール、またはファックスで送信します。数回のやりとりで、予約完了となります。実際に行ってみるまで、ちゃんと予約できているかどうか不安です。クレジットカードの番号を教えないといけないのも、やはり心配です。ただし、少しくらい英語を鍛錬しましょう。

  旅行先で、直接、現地の旅行代理店を利用する、というのは、よくある方法です。モロッコの代理店は、商売根性が旺盛で、宿だけを予約したいと思っても、近くの観光地へのツアーとか、次の町への移動だとか、なんでもかんでも勧められます。代理店の所在は「歩き方」に書いてあるものもありますが、本には載っていないような小さい代理店も多くあります。「travel agency」なんていう看板を目指して飛び込めばいいのですが、もちろん、ぼったくり、不当な高額を請求するツアーもあります。
  それも、「自由旅行」の一部ですから。


17:食探し

  宿が落ち着いたら、次は食欲を落ち着かせましょう。
  自炊する材料と道具を持っていく、あるいは調達するのは、自由旅行上級者に限ります。通常の自由旅行では、食事はすべてレストラン、食堂での外食となります。では、その外食の内容は?

  どっかの芸能人が(個人的にはウォーターボーイズとかで結構好きなんですが)、「ウズベキスタンのロケでは、パスタがまずかった。」なんて言ってましたが、当り前です。だって、日本に、おいしいウズベキスタン料理屋がありますか?その国に行ったら、がまんして、その国特有の料理を食べましょう。うまいか、まずいかは、どうだっていいんです。
  でも、すべて、どうだっていい訳じゃない。注意点はふたつ。
 その1、あたらないか
 その2、ぼったくられないか

  あたらないか、とは、つまり食中毒のこと。薬持っていけばいいじゃん、なんてのは甘い。ひどいものは、入院するくらいだから、注意するにこしたことはない。で、もっとも注意するものは、「水」です。生水を飲んではいけない、は当然として、生水が付着しているものもダメ。つまり、氷、生野菜、アイスクリーム類ですね。レストランで注文したジュースに氷が入っていたら、残念だけど、一口も飲んじゃダメ。あとで、どうなっても知りません。おいしそうな果物(すいか、とかメロンとか)もよだれを誘うけど、食べちゃダメ。一方、得体の知れない生き物、肉などは、煮たり焼いたりしてあるものならば、生焼けでなければ大丈夫です。もちろん、例外はありますが。
でも、どんなに注意しても、結局、何かにあたっちゃうんですよね。シャワーの水とか、食器についてる水とかが悪いのかな。
  「ぼったくり」は、ちょっと油断してると、すぐヤラレてしまいます。注文した後に、すぐ値段の確認をするというのは原則です。ちょっとした屋台、売店でもそうしないと、すぐにタカられてしまいます。とはいっても、10円のジュースを100円で売りつけられる、くらいなんですけど。

  以上の注意だけ、ちょっと気にしていれば、あとは、運次第です。おいしいものが食べられるか。ちゃんと注文したものが出てくるか。実はゲテモノを食べさせられるとか。
  どんなところで、外食するか。それを探すのも自由旅行の大きな楽しみです。できれば、「日本料理屋」で食事をするのは避けましょう。


18:断食生活

  イスラム教の戒律のひとつに、ラマダン、「断食月」という、厳しい風習がある。
  1年に1回まわってくるラマダン月(イスラム教の9月)のあいだ、その1ヶ月間は、日が昇っているうちは、水も食事も口にしてはいけない。だから、人は日中は、エネルギーを消費しないように、なるべく動かず、日陰でゴロゴロしている。そして、日没を知らせるサイレンとともに、ムクっと起き上がり、まるで祭りのように、異様な雰囲気で「打ち上げ」を始める。一日じゅう我慢した食欲、口渇を満たすために、あるいは、それ以上に食べて、飲みまくる(ただしアルコールは禁止)。しかも、それが、毎日つづく。

  そんな戒律を守っている人も尊敬するけど、そんな期間に旅行する旅行者も大変。それなりの準備が必要です。
  日本人旅行者は、おそらくイスラム教徒(ムスリム)ではないから、ラマダンを守る必要はない。だからといって、昼間、おなかが空いたからって、空腹を我慢している人たちの目の前で、自分達だけパクパク食べられますか?西洋人は、そんなのおかまいなしって感じで、堂々と飲み食いしてます。しかし、謙虚こそ人の道、と教えられている日本人には、ちょっと無理。なので、空腹時には、宿に戻って、部屋でこっそりビスケットなどをつまむしかない。町なかの宿なら、お菓子などの食料品を買いだめしておけるからいいけれど、砂漠の宿では、それもできない。

  その宿は、モロッコのサハラ砂漠の中にポツンと立っていて、隣の家まで車で30分。見渡す限り、砂だらけ。売店なんて、あるわけない。で、宿泊を頼んだときは「食事つき」ということだったのに、とても当たり前のように、昼食なんて用意してくれない。朝5時(日の出前)の朝食の次は、日没後、7時くらいの夕食まで、宿は何も提供してくれない。そして、やはり、売店はない。(水道はあるけど衛生上、飲めない。)
  一応、そんな状況は想像できたので、2泊分として、ミネラルウォーター2本と、ビスケット1箱、ビーフジャーキー1袋を持っていった。ところが、モロッコ製のビスケットは甘すぎて、とても食べられない。おなかが空くと、あてになるのは、成田でたまたま買ったビーフジャーキー1袋だけ。その、ビーフジャーキーもだんだん減っていく。もったいなさげに、なるべく長くしゃぶっている。でも、でも、いつかはなくなる。「これが、最後の食糧だー。」って時が来る。予想外のプチ・ラマダンでした。成田で買ったビーフジャーキーがこんなに貴重品に思えたことはない。
  それ以後、旅行に行くときは、非常食として”必ず”ビーフジャーキーを持っていきます。どこで、遭難したり飢饉になるか、わからないしね。


19:足探し = タクシー探し

  町の中を移動するには、徒歩かタクシー
  町から町へ移動するには、バスかタクシーか電車か飛行機か。
  つまり、日本と違って、タクシーにお世話になる機会がとても多い。そして、日本と違って、メーター付タクシーは皆無で、料金はいいかげんである。日本と同じところは、少しでも多く料金を取ろうとするところかな?たまーに、メーター付タクシーに遭遇することがあるが、メーターが機能していることはなく、アクセサリー、というか、取り外すのがむずかしいから付けてある、という感じ。なので、値段は乗車前に交渉する。
 「○○までいくら?」「XXドル」「もうちょっと安いでしょ」「Xドル」「じゃあ、お願い。」
 てな具合に。市内の移動なら、だいたい1~3ドルで足りる。タクシーは、町中にあふれているから、道端でリュックしょって、ちょっとキョロキョロしただけで、餌に群がる鯉のように、タクシーが寄って来る。
  市外へ行く場合にも、不思議と値段が変わらない。100Kmや200Km離れた町へ行く場合でも、10~20ドル(1000円~2000円)ですむことが多い。もし日本だったら、天文学的な値段になっていて、ちょっと想像できない。そう思うと、市内距離の値段が1ドルというのが高いのかな、と感じてくる。ちなみに、モロッコの遠距離タクシーは、ほとんどがベンツだった。年式など全く分からないオンボロだけど、生まれて初めてベンツに乗りました。あまり、感動しなかったけど。
  足探しも手抜きしようと思えば、現地で送迎つきのツアーを申し込めばよい。日本で申し込むよりは、もちろん安い。砂漠の宿に泊まったときは、当然、帰りのタクシーが拾えないだろうから、近くの町から送迎つきのツアーにした。で、その送迎距離は、片道300Km、で、その所要時間が4時間たらず、って?恐ろしい。高速道路なんか、ないですからね、モロッコには。広い国では、移動距離も移動速度も、ケタが違う。

  カンボジアでは、ベトナムのように、原付バイクタクシーが多い。初めて、3人乗りを体験した。結構、簡単だったが、日本では真似する訳にはいかない、警察に捕まっちゃうから。馬車の客車部分を原付バイクで引っ張るタクシーとか、手作りのサイドカーなんかもあって、遊園地の乗り物のようだった。ただし、そのおもちゃの乗り物の横を、普通の乗用車が、ビュンビュン走っていくのだから、遊園地よりは、少し緊張感がありますが。

  乗り物の話をもうひとつだけ。カンボジアで、手抜きして頼んだ送迎つきのツアーで、僕たちを迎えに来てくれたのが、オンボロだけど、大きな観光バスだった。マイクロバスじゃなくて、観光バス。日本製の中古車だろうけど、30人か50人くらい乗れるもの。それを、たった二人で占有。豪華!ゆったり!というよりは、さびしい!もったいない!かな。


20:ぼったくり警報

  現地の人から見れば、日本人は誰もが「金持ち」。少しくらい金をもらっても当然、と考えています。ぼったくる彼らにしても、生きるための本能でやっている人が半分、悪意を持っている人が半分です。悪意だとしても、所詮、軽犯罪。凶悪事件の多い日本に比べたら、100倍、平和な町です。純な人ほど、ぼったくりに引っかかりやすい。そうです、僕らは、とても引っかかりました。

 「タクシー」
  乗車前に値段を確認しておかなければ、ふっかけられて当たり前。たとえ、確認しておいたとしても、口頭の確認であれば、到着時に値段が変わることもある。
 目的地に着いて、「200ください」とタクシー運転手。「え?100って、言ってたでしょ。」
 「いや、200って言ったはず。日本語ワカリマセーン」なんてこともある。または「ひとり当たり100だから、ふたりで200よこせ」なんて場合も。目的地がよく分からずに、つまり自分のせいで、あちこち遠回りしたのに、「あれこれ探してやったんだから、もっと払え」なんてのにも驚いちゃいけない。目的地の数百メートル手前で降ろされて、「ここから先は(ナワバリ?)行けないから、あとは歩いて行って」ってこともあった。彼らも、いろんなことを思いつきます。

 「ガイド」
  自由旅行では、とても有名。知らない人のために説明します。
  街中を観光しながら歩いていると、ふと、地元人(おっちゃん、あるいは子供)がついて来る。そんで、勝手に、「この建物は、あーで、こーで、」とか、「こっちへ行くと、~がある。」とか、聞いてもいないことを親切そうに話しかける。礼を大切にする日本人としては、彼らを無視することができずに、愛想笑いしながら、しばらくいっしょに歩いてしまう。と、数分歩いたところで、「ガイド料」が請求される。
  「うまい店を教えてやる」なんて言って、連れて行かれると、同じテーブルで、当然のように、いっしょに食事したりして、そして当然、おごらされている。小判ザメのような人種だ。知らない土地で、見知らぬ人に声をかけられても、相手しちゃけない。
  ミャンマーでは、子供がこれをやる。7,8歳の元気な子供が寄ってきて、「日本から来たの?トーキョー?オーサカ?フクオカ?」「オネーサン、キレイダネ」目をつぶれば、日本人が話しているかのような流暢な日本語で話しかけてくる。適当に相手して、適当に案内されて、適当にお駄賃をあげれば、典型的な「金持ち日本人」になれるが、自由旅行者は不必要な出費は極力避けなければならない。涙をのんで、彼らを無視する。生きるために日本語を覚えて、必死で頭を使ってる彼らは、本当は尊敬すべきなんだけど。


21:ぼったくり発動中

  町中、いたるところにボッタクラーが待ち構えています。いたるところに。

 「食堂」
  ボッタクラーの巣窟。値段を確認しないで注文すれば、間違いなくぼったくられる。日本人だから、これくらいでいいかな、って値段をふっかけられる。食べちゃったんだから、文句は言えない。現地の人が、5円くらいで飲んでる紅茶を、100円とか言われた日にゃ、たかが100円だけど、投げつけたくなるわな。日本(いわゆる新宿)のように、とても払えない値段をふっかけたりしないところが、かわいいけど、。
  値段の確認が必要なのは、メニューそのものだけじゃない。カレーの付け合せかと思わせるように、漬物とかナッツが出てくる。いっしょに食べてしまうと、そんな漬物ごときが、カレーの何倍も高価なものに化けてしまったりする。店内に座っただけで出てくるフルーツは悪魔の誘い。金持ちにしか出てこないが、食べてしまえば、まさに「金持ち」扱いされて「金持ち」相当の請求が来る。紅茶についてきた砂糖が、別会計で1ドルって言われたときには、さすがに怒りましたね、日本語で。

 「商店、露店」
  値札を付けて販売しているスーパーマーケット以外は、値段は交渉次第。つまり、ふっかけられることが前提。
 「この小物入れ、最初は1000円て言われたけど、600円に値切ったよ」と言って喜んでいると、他の店で200円くらいだったりして、真実は神のみぞ知る。自分が納得する値段が、正しい値段。

 「写真モデル」
  もちろん、水着モデルってことじゃなくてね、当然。
  モロッコなんかで、民族衣装を着たじいさんが、道端にぼーっと立っている。めずらしい、きれいな衣装だから、つい、つられて写真をパチリ。その瞬間、じいさん豹変。「オラ、写真撮ったろ。撮影料よこせ。」バスケットボールのディフェンスのようなしつこさで、付きまとう。相場は1000円、めちゃくちゃ高い!しかし、払うまでは離れてくれない。
  他には、サルを首縄つけて散歩させてる人。わざと、サルをこっちへ向けて、けしかける。「写真撮ったな、餌代よこせ。」町の片隅に、つながれているラクダも、自称「モデル」。撮った瞬間、脇に隠れていたおやじが出てきて、撮影料の請求。そもそも、町の中にラクダなんているわけないんだから。

 「電話屋」
  モロッコでの話。公衆電話の前に陣取っている20代くらいの男。
 「電話かけたいなら、カードを売ってやるよ。」って。で、500円くらいで”新品のカード”を買う。それで、電話をかける。なぜか、つながらない。男に文句を言う。
 「カード見せてみな」と言って男がカード(新品)をうばう。すると、あら、不思議!!!。わたしたばかりの新品カードを手の裏で、マ○ー司郎もびっくりするような下手な手つきで、使いきった古いカードと交換してる。で、その古いカードを見せて「カードが終わったから、かからないよ。新しいの買いな」って。あんた、言葉が通じないのをいいことに、セコ過ぎる。


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by akogarehotel | 2005-01-04 16:31 | あちこち旅行記 | Comments(0)  

【第1章】ウズベキスタン前編

【第1章】
ウズベキスタン前編

1:自由旅行

  自由旅行って分かりますか?
  旅行といえば、自由旅行か、ツアー旅行(主催旅行)。
  ツアー旅行とは、旅行会社が主催計画し、日本を出てから帰るまでの交通手段・宿泊・観光場所など、何から何まで準備してくれる旅行のこと。
  一方、自由旅行は、往復の飛行機チケットだけを購入して旅行に出発。現地の交通手段・宿泊・観光場所は、現地調達。着いたところで、自分で探して、自分で交渉。探して交渉するには、当然、ことばが必要。だから、「ことばが不安な人はツアー。ことばに自身がある人は自由旅行」と思うかもしれないけど、、、、全然、そんなことはない。はっきり言って、「元気な人は自由旅行、そうでない人はツアー」。ちょっと、誤解があるかもしれませんが、ツアー旅行なんて、定年後の楽しみで旅行する人たちで充分。
  ツアー旅行には、「安全」とか「計画性」とか「添乗員」とか、頼れるものがたくさんついてくる。でも、自由旅行には、ツアーでは感じられない、見られないものが、とてつもなくたくさんあります。レストラン以外の所で食事をしたり、ホテル以外のところで寝たり、おなじ観光場所に2度行ったり、現地の人とホンネで会話したり、現地の人と喧嘩したり、疲れたところで昼寝したり、道に迷ったり、タクシーにぼったくられたり、命の危険を感じたり、食中毒になったり、野性に戻ったり、生きることの大変さを知ったり、、、、などなど。
  いわゆる「若いうちにできること」、それが自由旅行。いつまでが、「若いうち」かは、あえて定義しませんが。


2:あこがれの軌跡

  モロッコ、ミャンマー、再びモロッコ、カンボジア、ウズベキスタン

  あこがれの軌跡です。基本的に、すべて自由旅行です。しかも、1回目のモロッコは、なんと「新婚旅行」なんです。
  Gパン、Tシャツにノッポさんの帽子。それに子供くらいの大きさのリュックサックを背負った汚い男女ふたり。手ぬぐいで汗拭きながら、黙々と歩いていると、とても新婚旅行とは思えませんね。まあ、海外でなら、こんな格好でもまわりに溶け込めますが、日本だとちょっと恥ずかしい。ほこりまみれと汗まみれで、成田からの帰りに、上野で乗り換えるのに勇気が必要です。(ちなみに、これらはあこがれ本人の趣味ではなく、あこがれ大奥の趣向です。)
  で、その初めての自由旅行、かつ、新婚旅行はというと。
  文明を、「ちょっと」はなれた、「全手動」の生活。朝一番に、新婚旅行先ですることが、お互いの下着を宿の共同洗面所で手動洗濯することだったりします。部屋のドアに鍵をかければ、人間は入ってこないけど、隙間から虫がたくさん入ってくる。飛ぶ虫だけじゃなく、はう虫も。シャワーはちょろちょろしか出ない。お風呂なんて、ぜーったい、ありえない。だけど、現地の人にとっては、こんなこと当り前。
  彼ら、現地の人の生命力はものすごい。食べるため、生きるために、目を輝かせている。大人も、子供も。だって、そうじゃなければ自然淘汰されるから。。一所懸命生きているこの国の人々を見てると「日本て、なんて甘いんだろう」と感じますね。「楽しすぎ」(たのしすぎ、じゃなく、ラクしすぎ、)ってね。若いうちに、子供のうちに、海外行って、こういう世界もあるんだな、って感じてほしいです。いじめとか、引きこもりとか、そんな暇ないんですよ、こういう国の人々は。生きなきゃいけないんだから。

  その後の、人生観が大きく変わった旅行でした。
  では、次回は、やっとウズベキスタンへ。


3:ウズベキスタン入門

  ウズベキスタンって何?どこ?

    アフガニスタンの隣、
    最近、映画のロケ地になった、

  日本のみなさんには、そんなイメージでしょうか。これじゃ、ちょっとかわいそう。
  もうちょっと正確に言うと、
   以前のソ連の一部、今は独立して、ウズベキスタン共和国(首都タシケント)。隣のキルギス、カザフスタンなどとともに「中央アジア」と総称されます。世界地図では、中国の左、イラン・アフガニスタンの上、カスピ海の右、ロシアの左下にあり、シルクロードで行けば、中国の2,3こ向こう側。学校で習ったものなら、アラル海、アムダリア川、シルダリア川があり、周辺を天山山脈などの山で囲まれ、国土のほとんどが砂漠地帯。ただし、「砂漠」といっても、日本人が想像するような、一面砂だらけの砂漠(サハラ)ではなく、岩がゴロゴロした、「岩漠」です。
   どちらかというと途上国で、イスラム教が主流。ウズベク語、ロシア語が公用語。イチャン・カラ、ブハラなどのイスラム建築が世界遺産に指定されています。

  といったところが、本を読めば分かる、表面的なウズベキスタンです。

  では内面的には、、、
  昔のロシアだから、一見、社会主義風。空港などの公共の仕事をしている人は冷たく、警察も怖そうな人ばかり。物価は、当然安い。日本の10分の1から、100分の1くらいの感覚。観光客を「だまそうとする人々」は意外に少なく、「友好的な人」が多いのには、正直驚いた。(モロッコは「だまそうとする人」が多い)イスラム教の割には、肉、酒は自由で、女性も肌を隠さない。そういう意味では、たとえ、英語が通じなくても、自由旅行者にとっては、初級クラスの国です。

  ちなみに、旅行の目的は、世界遺産を見ることだけではないですからね。


4:ウズベキスタンへ!

  2003年9月17日~9月23日、 ウズベキスタン4泊7日
  関西空港から、ウズベキスタン(タシケント国際空港)へは週2便の直行便が運行されています。

  関西空港、夜9時30分。”最後の日本食”たまごうどんとカレーうどんを食べた我々二人は、空港受付へ。こんな時間に出発する便はほとんどないから、空港内は、ガラーーンとして、誰もいない。これから、未知の国へ旅立つふたりに哀愁を誘う。
 「ウズベキスタンへ行く人なんて、めったにいないから、どうせ飛行機も空(す)いてるよね。」ところが、機内は東京(羽田や成田)からの乗り継ぎ客で満員御礼。団体ツアー客がほとんどで、そのうち半分以上が、ウズベキスタン乗換えのトルコ行きツアー。別に、空いてても、席が広くなるわけじゃないけど、団体は、おばちゃんが多いから、うるさい。
  9時間、座ったままのフライトで、ウズベキ(タシケント国際空港)へ到着。現地時間は早朝5時(日本時間9時)、当然、まだ真っ暗。面倒な手続きを、やっと終えて、空港出口へ来てみると、、、、。
  もう一度言うけど、現地は朝5時、日の出まで1時間半、あたりは真っ暗闇。
  そんな時間に、空港出口は、人人人、、、。現地の出迎えの人人人。
  まるで、ベッカムを出迎えた時の成田空港のように、日本人旅行者をあやしいウズベキ人が出迎える。これが、自由旅行名物の「お出迎え」。そう、彼らの標的は、僕たちなんです。
 「ホテル決ってるか?予約してやろう」とか、「タクシーいるか」とか、「両替してやろう」とか、真っ暗な空港出口で、よくも、これだけ賑やかなもんだ。当然、こういう人たちの世話になることは、遠慮したい。なぜなら、彼らは高額な、といっても日本人にとってはたいしたことないけど、高額な手数料をふっかけてくるから。彼らも、生きるためにやっていることだから、仕方ないんだけど。
 「このまま、国内線の飛行機に乗り換えるから、ホテルもタクシーもいらない。」
と、言って断ると、
 「国内線の空港は、ここから15分かかる。タクシーで行ったほうがいい。」
と、あたかも親切そうに答える。本当?そんな話、聞いてないよ。(日本のように、国際空港と国内空港が遠く離れていることはあるけど、、、ウズベキごときで??)
  おかしいと思えば、自分で確かめよう。真っ暗闇の中、500mくらい向こうに、光が見える。何かの建物?テクテク歩いて行ってみれば、
   タシケント エアロポールト
なんだ、あるじゃん、こんな近くに。歩いて5分、車で2分、うさぎ跳びなら15分かかるかもな。「お出迎え」の現地人に愛想笑いしながら、国内線用空港に歩いて向かう、あこがれ一行でした。空港に着いたろころで、1節終わっちゃった。


5:ウズベキ空軍

  夜明けのウズベキスタン(タシケント)で、国内線空港にたどり着いたあこがれ。ここから、ウルゲンチ行きの飛行機に乗り換える。
  ウルゲンチは、世界遺産の街・ヒヴァの玄関町。数人の(正確には8人の)日本人旅行者が同じように乗り換える。搭乗待ち合いでは、お客は、日本人8人と、数人の外国人。合計30人くらい。
 「今度こそ、飛行機、空(す)いてるよね。」
  あくまでも、飛行機は空いているほうがいい、と主張するあこがれ一家。
  ところが、、、、

  みなさんは、戦争映画で落下傘部隊を輸送するような飛行機を想像できますか?歩兵が30人くらい乗れば満員になるような、小さな飛行機。出口は一ヶ所。飛行機のおしりのところ、尾翼の真下が口を開けるように開き、そこから、頭をこごめて、一人ずつ、やっと出入りする。セスナより、一回り大きいくらい。日本の観光バスのほうが、絶対に大きい。外見だけなら、遊園地の飛行機?
  そんな、こじんまりした飛行機が、我々を待ってました。内部は、うすっぺらい背もたれのイスが並び、定員32人。当然、満員でぎゅうぎゅう詰め。
  これ、飛ぶの?乗ってた日本人が、全員、そう思ったはず。
  とりあえず、無事に飛んで、無事に着陸したわけだけど、小さい飛行機のほうが離着陸が揺れないんですね。離陸なんて、車が坂道登ってる感覚で、いつのまにか空の上だった。ただし、気流の揺れは「分解しちゃうんじゃない?」って感じでしたが。

  約2時間の、ふらふら飛行のすえ、現地時間で朝9時、ウルゲンチ空港に到着しました。そろそろ、日差しが強くなる時間です。


6:熱烈歓迎!

 日差しが、そろそろ厳しくなってきた午前9時、ウルゲンチ空港に降り立ったあこがれ一行を、こちらでも、予想通りに、たくさんの地元の方々が「お出迎え」をしてくれる。

  「どこ行くんだ。」「タクシーいらないか。」
  「ホテルは決まってるか?」「両替必要だろ。」

 もし、これらの「出迎え」の方々にお世話になるには、どのようにしたらいいか?
 バスや電車などの公共交通機関がある街なんて少ないから、移動には、どうしてもタクシーを使わざるをえない。なので、「タクシーいらないか」の声の主、この人が運転手なんだけど、この人と交渉を始める。そもそも、メーター付きタクシーなんて皆無だから、出発する前に、行き先と値段を確認する必要がある。紙に、「○○ホテル、いくら?(もちろん、ロシア語で書く。ハウマッチ?はロシア語では、スコーリカ?)」と書いて見せる。すると、タクシー運転手は、携帯電話を、ピッピッピ、と押して、こちらに見せる。「10」と書いてある。携帯電話を、メモや計算機の代わりに使ってる。「10」は、10ドル、の意味。これが、高いと思えば、値下げ交渉となるが、どんな距離でも、通常、1~5ドルくらいで落ち着く。つまり、交渉して安くなる金額は、せいぜい数百円である。しかし、数百円で1ヶ月食べられるウズベキスタンでは、彼らは本気である。あんまり、値切るのは、ちょっとかわいそう。ちなみに、タクシーが目的地に着いて、交渉額以上の金額を請求されることは、稀。(ないことは、ない。)彼ら(ウズベキ人)も、結構、善人です。しかし、行き先のホテルを告げるときに、高級ホテルの名前を言ってはいけない、なんてのは常識ですね。
 では、「ホテル決まってるか?予約してやろう。」の人に世話になるか?これは、あまり好ましくない。うそでもいいから、「ホテルはもう予約してある。」と言わないといけない。断りきれずに、ホテルを紹介してもらうと、不要な紹介料を請求される。といっても、せいぜい10ドル程度だけど。ホテルは「地球の歩き方」に載ってるから、自分で探そう。
 じゃあ、「両替してやろう」はどうする?これは論外。不思議と高レートで両替してくれるので、儲けた、なんて思ってはいけない。旧ソ連地域では、銀行以外の両替はご法度。おとり捜査もしているらしいから、こういう申し出は丁重にお断りしましょう。

 ということで、ウルゲンチ空港から、タクシーで30分。
 世界遺産の街、ヒヴァへ向かいます。


7:世界遺産の街、ヒヴァ

  周辺を砂漠に囲まれながら、アムダリア川のオアシスに、シルクロード上の交易地として発展した街、ヒヴァ。ヒヴァがもっとも繁栄したのは、17世紀。日本では徳川幕府初期(信長時代後半)。チンギス・ハーン(ジンギスカン)の血を引く、イルバルスという王が建てたヒヴァハーンという国、その首都がヒヴァである。ヒヴァの町には、当時の宮殿、寺院(20)、塔(6)、学校(20)などが、周囲6kmの城壁の内側に、ぎっしりと詰め込まれている。城壁の高さは、10メートル弱。正方形の街には、東西南北の4ヶ所に門が開けられている。イスラム教の建物は、豪華なタイルがふんだんに使われているが、一方、人々の住居は、砂漠らしく、土でできている?かのように、みすぼらしい黄土色の塗り壁であり、土ぼこりが風に舞っている。女性は、体をすっぽり隠す、真っ黒い、イスラム系の民族衣装。男性は、黒い口ひげと、四角い帽子。暇そうに、道端に座っている人がたくさんいる。ヒヴァの街には、軍人、警察官はほとんどいない。ロシア、ヨーロッパからの団体観光客が、ちらほら。

  というのが、日本にいて、本を読めば分かるヒヴァのこと。ちなみに、「地球の歩き方、シルクロード」の表紙の絵はヒヴァ。解説は12ページに及ぶ。
  では、観光。
  ガイドブック片手に、一つ目のメドレセ(イスラム神学校)へ。「ムハンマド・ナンタラ・カンタラ・メドレセ。18XX年ころ建設、、、うんぬん。」ふーーん。
  では、次へ。「シェル・ナントカ・ハーン・メドレセ。16XX年の建設。奴隷が、、どうのこうの。」へぇーー。
  では、さらに次へ。「アコガレ・ドンベエ・ハーン・メドレセ。20XX、開設、、???」

  ん?なんか、外見も、みーんな同じようで、違いがわからない。写真撮ったけど、まるで、間違い探しみたい。京都、奈良で、お寺回りしてる外国人も、こんな感じなのかな?別に、足利義満だとか、義政だとか、よくわかんないよ、ってね。
  モスクモスクモスクミナレットミナレット、そして、またモスクモスクモスクメドレセメドレセメドレセ、、、、、、。(モスクは寺院、ミナレットは塔、メドレセは宗教学校)こうして、ヒヴァ観光の1日目が終わります。ツアー旅行なら、これでおしまい。こっから先が、自由旅行のお楽しみ。

  断っておきますが、イスラム建築の遺跡は、とてもきれいで、荘厳な雰囲気のあるすばらしい建物です。本当に。


8:ヒヴァの自由旅行

  自由旅行で、街に着いて、最初にするのはホテル探しです。お目当てのホテルへ行って、値段を聞いて、部屋を見て。納得すれば、お金を払う。ポイントは、当然、トイレ洗面が固有か共同か。きれいか、汚いか、我慢できるか。お湯シャワーが出るか、など。トイレと洗面は共同で、シャワーは水だけ、なんてのも、ザラ。「お湯が出る」って言われても、出ないこともあるから、自分で確かめる必要がある。ちなみに、電話つき、というのは滅多にない。
  ということで、ヒヴァの宿は、、、、、
        「ロリータホテル」
  、、、、え?AVの題名じゃないんだからさ。どういう意味?小さくて、きれいなホテル?それとも別に意味があるのか?つづりはLOLITAでした。部屋は割と広く、ベットが3つあっても狭く感じない。トイレ、洗面、湯シャワーつき、朝食2人分を含めて、1泊(1部屋)が40ドル、4500円。1泊10~20ドルが主流の自由旅行としては、いい値段してます。まあ、部屋もきれいだし、朝食だって、パン(ナンといいます。インドカレーのナンとはちょっと違う。後日説明。)に、マーガリン、ジャム、バター、チーズがついて。(いったい、どれだけ付ければ気が済むのか。)さらに、目玉焼き、これは砂漠ではめずらしい。そして、食後のコーヒー。こんな、豪華な朝食は、なかなかお目にかかれません。シャワーのお湯が少ししか出なくて、一人が終わると、次の人が使えるようになるまで、しばらく待たないといけないけど、これくらいは、当たり前だから、許しましょう。4500円相当の宿でした。

  さて、昼食と夕食は?
  そう言えば、ホテルの1階に「レストラン」って看板がかかってる。だけど、時間になっても真っ暗のまま。「最近は営業していない。ホテルの外で食べてきてくれ。」だって。午後7時、砂漠の夜は真っ暗で、(夏なのに)外は寒く、気温15度。はて、さて。。。


9:ヒヴァの食の事情

  自由旅行者たるもの、自分のは自分で探す。
  レストランつきのホテルに泊まることなんて、ほとんどない。というか、レストラン付きのホテルなんて、一部の高級ホテル以外には、ありえない。だから、ロリータホテルで、レストラン付きって宣伝してあるくせに、営業してなくても、どちらかというと、予想通り。ということで、食糧調達のために、街へ出る。
  観光の町、ヒヴァには、数軒のチャイハナがある。チャイハナとは、ウズベキスタンでは、食事のできる喫茶店、という意味。ロリータホテルの裏口前に、一軒のチャイハナがある。名前などない。ただ、「チャイハナ」という看板がかかっているだけ。前を通りかかる旅行者に、気の弱そうな20代のにいちゃんが、「ヘイ、チャイ?チャイ?ウェルカム」と手招きする。通訳すると「お茶でもどうだい。よってかないかい?」の意味。店の前では、得体の知れない肉を焼き、香ばしい匂いが客を誘う。ちなみに、チャイとは、西アジア近辺では、いわゆるお茶のこと。ブラックチャイが紅茶、グリーンチャイがお茶。

  初日の昼食、ウズベキスタンで最初の食事。まずは、ここらで運試し。レンガ作りの建物の中庭がチャイハナ。つまり、屋外。木製の桟敷席に靴を脱いで座る。6人用の大きいテーブルで、頭上には、つる草で覆われた網棚が日差しをさえぎる。結構、居心地がいい。靴を脱ぐ、ってのは外国ではめずらしい。
  「メニューありますか?」 「ありません」
  予想通りの答。一応、確認しただけ。
  「何が食べられるの?」
  「サラダ、スープ、シャシリキ、フィッシュ、チキン」 以上!
 シャシリキとは、ケバブ、あるいはシシカバブと同じもの。ジャンボサイズの焼き鳥。フィッシュ、チキン、スープ、、、いちいち、どんな料理か訊いてたら、日が暮れる。出てきたものを食べるしかない。
  「ツー シャシリキ、チキン、スープ、ナン、チャイ、コーラ」(原文のまま)
 わずかな英語のみ通じる。丁寧語にするためには、にっこり笑えばいい、多分。

  ただし、注文をこれで終わりにしてはいけない。最後に値段の確認をすることが重要。金額を確認しておかないと、食後にとんでもない額を請求してくる悪意のある店も多い。
  「スコーリカ?(=ハウマッチ?)」 「7000(スム)」
  7000スムは約700円高い!日本人用の値段に間違いないが、それでも高い。まぁ、こぎれいな店だし、仕方ないか。
  で、出てきた700円分の食事は。
  スープ(どんぶり)、ナン(Mサイズのピザくらいのパン)、シャシリキ(4cm角の肉が4つ刺さった焼き鳥、2本)、チキン(太もも1本、そのまま煮込み)、チャイ(ポットいっぱい)、コーラ(ペットボトル1リットル)。訂正します。高くなかったです。食べきるわけないよ、こんなに。コーラをボトルで出すか、普通。


10:ヒヴァの食の事情、その2

  異国の地で、日本人旅行者と出会うことがある。小汚い日本人度同士、会話がはずむ。
 「そこの通りのチャイハナは、頼んでもいないのに、フルーツやらサラダやらたくさん出て来て、つまんでたらお金を取られた。」
  よくある話。せっかく教えてもらったので、そちらは遠慮しよう。

  で、初日の夕食、もう真っ暗な夜7時。今度は、ロリータホテルの正門側、はす向いにあるチャイハナへ。こちらの女主人は、艶っぽい未亡人(と勝手に想像してる)。松下由樹を、さらに細く、ひ弱に、きれいにした感じの若奥様。かわいそうだから、あれもこれも注文したくなる。でも、ここもメニューは同じ。
 「チキン、サラダ、スープ、シャシリキ、フィッシュ」 以上!
 「じゃぁ、フィッシュ以外全部
  さらに、夜だからビールも注文。ウズベキスタンでは、イスラム教なのに、お酒は自由。どこの店にも置いてある。《ウズベクビール、アルコール10%》ロシア系国家のお酒は、アルコール濃度で勝負するみたいです。1本2000スム(200円)、お酒は、地元の人にとっては、ちょっと高級品です。砂漠気候の日差しの下を一日じゅう歩き疲れ、涼しくなった夜に木陰で飲む一杯のビール。真昼の暑さがウソのように涼しくて気持ち良い。まさに「別世界」、当然か。あぁー、しわあせ。

  せっかくなので、もう一軒、すばらしいチャイハナの話。
  こちらは、地元の人であふれる市場(バザール)の入り口にある。これまでの2軒が、周囲を塀で囲い、静寂感を演出しているのに対し、こちらは、大勢のウズベキ人が行き交う大通りの角に面した屋外の店。屋外、というか、露天というか、歩道にテーブルとイスが置いてあるようなもの。テーブルの1メートル先は、市場へ出入りする人の波、と砂ほこりの風。大きな竃(かまど)の中で、なんか分からないが、いい臭いのものが焼かれている。パンかパイか、ピロシキか。おいしそうな一方、衛生面では全く不安。竃って洗ったの?しかし、これこそ、自由旅行。多少の下痢は我慢しよう。
  サモサ(ピロシキの変形したもの。中身不明。)とチャイ2人分。
  さて、値段は?なんと180スム(18円)!!
  これが、本来の値段(に近い)でしょう。これまでの店は、やっぱり高い。しかも、間違って、800スム払ったら、丁寧に返してくれた。こんなことないよ、普通。
  安いと分かると、「すごくおいしいねぇ」 となる律儀な二人でした。

  語り尽くせない食の事情を、最後に1つだけ。
  市場の中に、かなり生臭いにおいの漂う一角がある。日差しを浴びて、ハエが元気に飛交っている。怖いもの見たさに行ってみると、やっぱり怖かった。地面に敷かれた新聞紙の上に、魚が丸ごと、ドサドサ置いてある。どうやら魚市場らしい。口を開けて、白目をむいて、ちょっと血がにじんで、何より臭い。そんな深海魚のような魚を見ると、チャイハナの「フィッシュ」を遠慮して、正解!!


11:だって自由旅行でしょ

 「観光地じゃない所を観光したり、
  同じ観光地に何度も行ったり、
  地元の人とけんかしたり」

 
高さ10m弱の四角い城壁に囲まれた街、ヒヴァで、一番目立つものは何?寺院や塔?ではなくて、城壁そのもの。どこに行っても見えるから。
 「高いね。これって登れるのかな?城壁に開いている狭間(弓や鉄砲を撃つ窓)が見てみたいな」
  ちょっと戦国時代的な感情が涌いてくる。
 「登ってみるか」
  さすがに外側からは登れない。それじゃぁ、敵に攻められちゃうから。城壁の内側をクルクル歩いていると、上り口、というか上り坂を発見。カメラを壊さないように、ゆっくり登る。すんなり登れる。城壁の上の通路は、高さ6、7メートルくらい。2階の屋根よりちょっと高い程度だが、柵も何もないから、落ちようと思えば、簡単に落ちられる。眺めは、、、、?ま、こんなものか?民家が見えるだけ。でもね、言葉では表せないくらいの、満足感、征服感なんです。日本人初登頂!ってね、ひょっとして。
  城壁の上をてくてく歩く。狭間は三角やひし形で、やはり、どこの国も同じだ。1キロほど歩くと、行き止まり。一息ついて、もとの道を戻って来る。ただ、無駄に歩いただけなんだけど、これも、すごーーい満足感。東洋人初の足跡ってね。これが、自由旅行。

 クフナ・アルク(宮殿)。
  ここの屋上は、ヒヴァの中で、もっとも眺めの良いところ。朝日夕日を見るために、合計4回も通ってしまった。門番のおばさんに顔を覚えられたほど。あの東洋人また来たよ、ってね。ツアーなら、1回だけしか入れない。これも、自由旅行。

 イスラム・フッジャ・ミナレット(塔)。
  ヒヴァの中で、もっとも高い塔。じゃあ、もっとも見晴らしがいい?ではない。塔のてっぺんは、小さな窓が開いているだけで、開放感が全くない。窓の格子の隙間から外をのぞいても、あまり景色を堪能できない。
  というよりも、この塔は、あこがれ家では「ぼったくりの塔」と呼ぶ。
  まず、入り口に、どしんと構える太ったおばさん。
 「塔に登るんなら2000スム(200円)払いな。」
  相場より、明らかに高い入場料。しかも、払ったとたんに、あっという間にポケットへ隠す。絶対にあやしい。この料金所はニセモノか?一回り、塔を登って、下りてくると、当然、そこには、さっきのおばさん。
 「疲れただろうから、コーヒーでもどうぞ」って、手招きする。確かに、疲れていたので、値段も聞かずにコーヒーを飲む。完全に謀略にはまった。(智才発動された!)飲み終わって、「いくら?」と聞くと、奥で相談している。おいっ、相談して値段を決めるのかっ。で、相談の答えが、2000スム(200円)、一杯100円!日本の自動販売機と同じ値段?「ふざけるな」と、ロシア語では言えない。昨日の店の約20倍。めちゃくちゃ気分悪い。たかが、100円なのにね。

  これこそ、自由旅行。


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by akogarehotel | 2005-01-03 16:30 | あちこち旅行記 | Comments(0)  

【第7章】ミャンマー後編(H16年9月)

【第7章】ミャンマー後編(H16年9月)

15:第2部はチャイティーヨー

その昔、ずーーっと昔、まだまだ昔。
どこかの神様が、海底に沈んでいた黄金の岩を、よっこらせっと持ち上げて、ある山の斜面にポツンと置いた。大きさが6~7メートルもある、その大岩は、山の斜面に、今にも転げ落ちそうな状態でとどまっているのに、雨が降っても、風が吹いても、人が押しても、絶対に斜面を落っこちていかない。これこそ、神様の不思議な神通力じゃ、とういことで、敬虔深いミャンマー人から、非常な尊敬と信仰の的となっている。

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 神様なんていないからっ。
 岩を持ち上げるわけないじゃん。風化して、あたかも岩が浮いているような形ができあがった。それとも、岩の下をボルトで止めてある。そんなのに決まっているじゃん。
 要するに、ただの岩でしょ?
なんてのは、宗教概念が世界一希薄な日本人の考え方。
ミャンマー人は、実際はどう思っているのか知らないが、少なくとも表面上は「この岩は仏様のパワーの集大成」と信じ、熱心にお参りにやってくる。岩のまわりには、大きな寺院を作り、寺の管理のもとに、岩を超金ピカに装飾している。金メッキをこれでもか、というくらいに貼り満たし、岩のてっぺんには豪華な王冠がちょこんと鎮座している。大勢集まる参拝客のために門前町には旅館や食堂がいっぱい。みやげ物屋もいっぱい。

ゴールデンロック(読んで字の如し)と呼ばれるこの岩については、日本ではあまり紹介されない。「歩き方」には1ページしか掲載されてない。
…すごく綺麗な岩らしいよ。金色に光ってて。
…行くのは、とても困難らしい。片道1日かかるとか。
なんか、そんな噂を、あちこちのHPで耳に。

「行くのは困難」なんて言われた日には、こりゃ、行くしかないよね。

本来は
電車→電車→バス→バス→歩き
となるところを、かなりショートカットして
車チャーター→バス→歩き
というプランを立てた。
ところが、これでも「行くのは困難」な石っころでした。


16:片道300Km。近い、近い。

モロッコでも、ウズベキスタンでも、ミャンマーでも、200~300Km離れたところに車で移動するのは当たり前。これくらいの距離なら、2,3時間で到着するので、休憩すら取らないのも当たり前。

気高き銘岩「チャイティーヨーのゴールデンロック」に向かうため、朝7時に首都ヤンゴンを出発。車は、いつものワンボックスワゴン。スピードメーターが時速90Kmを指したまま壊れているやつ。
朝7時はミャンマーでも通勤時間。あふれるほどの人間を乗せたバスやトラックが、ほんとに真っ黒な排気ガスを噴出しながら、ヤンゴン方面へ走っていく。それらと逆走するように、都会の喧騒から離れていく我々。他人が仕事をしている時に、自分は休暇中。これぞ快感、ちょぉ気持ちいい。
30分ほど走ると、軍隊が検問していて、車がとめられた。運転手に向かって、こわそうな軍人がアレコレ文句を言っている。よくわからないけど、コワイ。運転手が適当なお金を払って、無事にその場を通過。払ってたのは、公式の通行料だけだったようだけど、、、。
ミャンマーは軍事国家。観光地から一歩、外に出ると、あちこちに軍隊が駐留している。これから向かうチャイティーヨーは、その昔、軍事的に重要な位置にあったそうで、そこまでの間に、いくつもの検問がある。軍隊としては、外国人がうろうろするのは、戦争が少ない現在でも、あまり気持ちのいいものではないらしい。一方、ミャンマーの一般人は、軍事政府のことが大嫌い。検問では、軍隊、運転手ともに、これでもかというくらいに無愛想。イラクほどじゃないけれど、ちょっと緊張感が漂うドライブです。
その後、5,6箇所の検問を通り抜け、300Km弱を3時間ほどで走りぬけ、チャイティーヨーのふもとの町に到着。もちろん、ここまで休憩なし。朝7時に出発して、口にしたのはミネラルウォーターだけ。忍耐力は養われます。

ここから先は、車を乗り換える。この先の山道が急斜面で細道なので、一般車の乗り入れが禁止されている。ここから先に入ることができるのは、特に許可されている「バス」のみ。

そのバスが、今、目の前にある。
バス?これが、バス?
どう見ても、日本語的には、「ダンプカー」なんですけど。。。
たぶん、世界的にも「ダンプカー」です。

ダンプの荷台に、木を渡して、横並びのベンチを作る。ここに、みんなして、肩をくっつけあって、乗り込む。普通の大きさのダンプカーだけど、荷台は25人乗りだという。冥土の土産に乗ってみるか、といいたいところだが、慣れていないと、本当に冥土の土産になってしまう。山道が険しいため、ダンプは上下左右に大揺れするし、つかまるところは、隣に座っているミャンマー人の肩だけ。「やめておけ!」というガイドさんの強い言葉にしたがって、我々小柄な日本人は車内の助手席に座らされた。しかし、ダンプの運転手を含めて、車内に横並びに4人。こっちも、かなりの穴倉状態なんですけど。

上って、上って、下って、、。ゆれて、揺れて、倒れそうになるくらいに左右に傾いて、、。
平均時速30kmで、1時間ほど運ばれた。助手席の脇につかまり、天井につかまり、ぐらぐら、ゆらゆら、1時間耐えた。
通勤ラッシュで山手線を1周するほうが楽だと思います、たぶん。

そして、到着したのが、奥深い山の中の、それは、とてもとてもひなびた村。植物製の住居が数件立ち並ぶだけの広場に到着。ここで、バスという名のダンプカーから降りる。
しばらくぶりに身体を伸ばせることができて、一安心。超エコノミー症候群の一歩手前だったから。

しかし、しかし、まだ到着ではないんです。
ここから先に、本日、最大の難関が待ち受けているのでした。


17:金の玉

あこがれ夫婦は、一応、バックパッカーです。登山用のリュックをしょって旅行してます。このチャイティーヨーへの旅行の時も、いつものリュックサックを背負ってます。重さはだいたい4Km弱。

バスという名のダンプカーから降りた、その場所は、「バスステーション」。簡単にいうと、ただの広場。周囲には、木と葉っぱでできた家が数軒ならんでいる山間の村。文明からかなり遠くへ離れてきたな、と実感できる。そんな地べたへ、よっこいしょ、とリュックといっしょに腰をおろした。バス(ダンプ)の揺れのせいで、かなり疲れたが、当然、まだまだ目的地には着いていない。
「目的地は、あの山のてっぺんにあります。ここからは歩きます。」
って言われたけど、山のてっぺんなんて見えないよ???

時刻はちょうど12時。たまに小雨が降る、湿度約100%の中、我々は歩き始めた。登り始めた。
道は、予想外にも、完全に舗装されている。道幅も6,7mくらいある。しかし、傾きが尋常ではない。スキー場の中級者ゲレンデくらいの平均斜度があり、カーブでは、さらに勾配がきつくなる。たとえ中野浩一でも、自転車で登ることは不可能、そんなくらいの坂道を、重さ4kgのリュックを背負って、ひたすら歩く。登る。
厳しい自然に鍛えられたミャンマー人(ただし都市在住)にとっても、ちょっと苦しいらしい。ましてや、温室でもやしのように育てられた日本人には、かなりこたえる。(ちなみに、私、夏の間は高校生と部活をやっているんですけど、それでも、急坂をつらく感じます。)かなり疲れたな、と思って時計を見ると、まだ5分くらいしか経過してない。ガイドブックによると、この坂道が1時間つづくということだ。ぐはぁ。

そんな坂道、外国人旅行者が登れるわけない。特に、ぶよぶよの西洋人なんて、絶対無理!なので、それをあてにした商売が発達している。
ひとつは、荷物運び。途上国独特の黒い子供が、自分の体と同じくらいの大きなかごを持って、なにやら近づいてくる。どうやら、かわりにリュックを持ってくれるらしい。頂上まで、荷物を運んでくれて、だいたい100円(1ドル)ということだ。はっきり言って、はした金。でも、もっとはっきり言って、プライドが許さない。これから向かう目的地は、一応、仏教の聖地。お参りに行くのに、お金を払って荷物を持ってもらったのでは、ご利益なんぞあるわけがない。リュックのひもが肩に食い込んで痛いけど、そして、荷物運びの子供がかわいそうだけど、断固拒否。自分のものは自分で運びます。
しかし、上には上があるもので。荷物運びよりも究極のサービスがある。それは、人運び、すなわち「かご屋」。イスをお神輿のような状態で、太い竹にくくりつけ、前に2人、後に2人、計4人で持ち上げる。旅行者はイスに座ってれば、お気楽に、のんのんと、頂上まで運んでもらえる。時代劇のかご屋ではなくて、お神輿のようにかつぎ上げられる。坂道が急角度なので、かご状態では地面にすってしまう。頂上までの料金は4人分なので、400円前後。これも、はした金。
さぁ、あなたなら、乗りますか?
同じアジア人として、恥ずかしくて乗れないですよ、普通。人間も、ここまで腐ってしまったかってね。もちろん、そんなカゴを利用しているのは、まん丸の西洋人だけ。

とかなんとか、強がりを言ってみても、やはりきつい。むしむし暑くて、汗が、本当に滝のよう。シャツは、汗でびしょびしょで、しぼれば簡単に水がしたたりおちる。タオルで拭くことなんて、完全に意味なしお。
道はクネクネくねくね曲がっていて、「ここを曲がれば、そろそろ視界が開けるはず」なんて思っても、曲がればやっぱり、道はまだまだ先へつづいている。
いったい、どこまで登ればいいんだよー、チャイティよー。
一度立ち止まると、二度と歩き始める気力が沸かなくなる。だから、休まず、立ち止まらず。どんなにゆっくりでもいいから、常に前進。本当に修行だわ、これは。
約1時間の難行苦行の末、死人を出さずに、どうやら頂上へ到着。ほんっとに、よくがんばりました。

しかし、頂上で待っていたものは、そんな疲れをさらっと吹き飛ばすのに充分な絶景、そして、金の岩だったのです。

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18:金の岩

昔むかし、海底に沈む巨大な岩をお釈迦様が、ヨッコイショ、どっこいしょと持ち上げて、この山の斜面にチョコンと置いていった。その岩は金色に光り、山の斜面から今にも転げ落ちそうな状態で、そこに留まっている。いくたの地震や、大雨にも、ピクリともせずに、落ちそうで落ちないでいる。これこそ、お釈迦様の神通力じゃ、ということで、信仰心の篤いミャンマー仏教徒は、この「ただの岩」のことを、非常に貴重に崇拝している。岩のある高台には、大きな寺院をつくり、毎日毎日、多くの観光客、参拝客が、あの急な坂道を登ってやってくる。
それが、チャイティーヨーのゴールデンロックである。

でも、ただの岩ですから!

という表現は正しくないかもしれない。僕はてっきり、ちょうどいい形の岩を見えない位置でボルトで止めてあるのかと思ったけれど、「風化してできた、まるで岩がのっているように見える地形」というのが正解らしい。

とか、日本人は仏教徒じゃないから、そういう無意味なことを考えるんですね。いいんです。信じる者は救われるんです。
ゴールデンロックの大きさは約5m。金ぴかのめっきが、まんべんなく塗られている。ミャンマー人は金めっきが大好きである。ゴールデンロックをまつるために作られた寺院も、非常に豪華絢爛。こんな山のてっぺんに、よくも建てたな、というくらいの大きなお堂がいくつも並んでいる。
ちなみに、女性は、ゴールデンロックを触ってはいけない。こんなこと言われると、余計に、ありがたく拝んでしまったりする人は、純粋な心を持った「オカ仏教徒」です。

あれこれと、いらないことを言ってますが、結局はゴールデンロックこそが、ミャンマー最大の観光スポットだと思ってます。仏教概念をまったく無視しても、一見の価値があります。山道の苦難を乗り越えてきて、ぱっと目の前に広がる景色。その中に、宙に浮かんでいるような金色の大岩。夕暮れ時には、足元のほうから夕日に照らし出されて、まるで、岩自体が発光しているよう。夕日が沈みきるまで、1時間くらい、うっとりと眺めています。まったく飽きません。
こんな山奥の、こんな貧乏な村に、これだけ経済効果のあるものが眠っている。ミャンマーって、もったいない国です。

しかし、豪華絢爛なのは、あくまでも岩と寺院だけ。それ以外のもの、つまり、周辺の住居、ホテル、食堂は、これこそ質素の見本というようなもの。ホテルは、山頂にある「一番いいホテル」。1泊3000円(ふたりで)はミャンマーの物価を考えれば高級ホテル。しかし、部屋は木造一間。当然、トイレ、洗面、シャワーは1部屋。シャワーは天上に固定されているから、わきの下はどうやって洗えばいいの?すきま風は入り放題。風だけじゃなくて、羽虫や、それを餌にしているヤモリも自由往来。しかし、それで納得しないといけないですね。だって、こんな山の上なんですから。

可愛そうなことに、1年程前に、ゴールデンロック周辺で大火事があったという。寺院、門前町などのほとんどが焼失してしまったらしい。こんな山奥で復旧作業がはかどるはずはなく、寺社以外の建物は、今も焼け落ちたままか、改修中か。それを思えば、屋根の下で雨露をしのげるだけしあわせ。


19:学校に行く子供と、行かない子供

チャイティーヨーで、夕日と朝日を拝む。お決まりの1泊コースを終えて、翌日は朝8時に下山。死にそうだった上り坂も、下るときはそれなりにラクラク。8時30分ころには、麓のバス乗り場に到着した。昨日、来るときにも立ち寄った、ただの広場で、周辺には萱葺きの家しか存在しない。ここで、バスという名のダンプカーが来るのを待つ。

5分ほど待つと、山の下から1台のダンプカーが上ってきて、バス乗り場でとまった。これは、僕らのバス(ダンプ)ではないらしい。そのダンプがパォォン、とクラクションを鳴らした。すると、どこに隠れていたのか、小学生くらいの子供達がワラわらと、集まってきた。30人から50人くらい。みな、白いシャツと黒いズボンをはいている。制服着用の小学生である。それらの小僧達は荷物のように、ダンプの荷台にあふれるように乗っている。そして、ダンプは、もう一度、プォォンと吠えると、急な山道を頂上めざして上っていった。そういえば、頂上近くに学校があった。どうやら学校行きのスクールバス(ダンプ)らしい。頂上には、一般人の車は立ち入り禁止だが、工事用車両とスクールダンプは通行可能のようだ。こんな険しい山道を毎日通っていたら、全員がスーパー小学生になっちゃうから、そりゃ、バスも必要でしょう。
 そんなことよりも、こんな山奥に学校があり、さらに、子供を学校に通わせられる家庭が、こんなにあるとは、ちょっと意外だった。
さらに数分待っていると、下りのバスが来た。ひ弱な日本人は、運転席に乗せられ、約50分のドライブで、ふもと町の駐車場に到着した。ここには、ヤンゴンから乗ってきた我々のワンボックスが停めてある。

その駐車場で車を乗り換えようとすると…
「バナナ、バナナ」
と、頭に大きなお皿をのせた「バナナ売り」の集団が近づいてきた。ここを通る外国人にバナナを売って、生活費を稼いでいるらしい。10人くらいいる「バナナ売り」は、みな子供である。せいぜい小学校低学年である。さっきの制服の子供達をほとんど変わらない。かたや、制服で学校へ。かたや、なかなか売れないバナナをさばいて生活費を稼ぐ。日本では考えにくい貧富の差だ。
頭の上にのっけているバナナが1束(15本くらい)で200円(2ドル)だという。そんなにいっぱい買ったら、持ってかえるのが大変。2本で50円に交渉(かなり割高)して、1本をその子供に。いやらしい?

道端では、野ブタが草を食べていた。ミャンマーの山奥は悲しい。


20:華僑の根性

今回のミャンマーの滞在は6泊7日。
到着初日がヤンゴン泊。翌日からバガンに2泊。
戻ってきて、ヤンゴン1泊。翌日からチャイティーヨーへ、1泊2日。
戻ってきて、三度めのヤンゴン1泊。

ヤンゴンには、とびとびとびで、1泊ずつ、合計3泊。
ホテルは3度とも、前述のとおり、「グランドミヤーター」レジデンスを予約しておいた。華僑が経営する(「超」はつかないけれど)豪華ホテル。
部屋は、3泊とも同じ部屋が確保されていた。とびとびであったにもかかわらず、絶好の眺望を持つ特別ルームが、僕たちがバガンやチャイティーヨーへ行っている間も、誰にも利用されずに、僕らの帰りを待っていてくれた。
中国系経営者の粋なはからい。
「小金持ちの日本人にはこんなサービスをしておけば、また来てくれる」と。
おそらく、シーズンオフで空いているからでしょうが、通常のツイン料金で、特別ツインルーム(通常のツインの2倍の広さ)に泊めてくれて、なおかつ、こんなサービスまで。心にくい。
もちろん、次にミャンマーに行くときも、ここ「グランドミヤーターレジデンス」に決定です。(しかし、次はあるのか?)

そんなわけで、”ただいま”という感じで、ヤンゴンのホテルに帰ってきた。3度目ともなると、本当に自分の部屋に帰ってきた感じがします。
さて、ホテルに帰って、まず始めなければいけないのが洗濯。どの国へ行っても、どこから帰ってきても、これだけは避けて通れない。洗面所と浴室が2つずつある特別室なので、早速、夫婦で2手に分かれて洗濯開始。自分の下着を自分の手で洗うなんてのは、海外旅行をするまで経験なし。最初は抵抗があったけど、今は慣れたもの。石鹸さえ、日本から持参した泡どけのよいものを使えば簡単に洗濯できる。
問題は「出発までに乾くかどうか」。アフリカのモロッコでさえも、1日じゅう干していても乾かないことがあるんです。だから、ホテルの部屋に入った時は、いつも「どこに洗濯物を干すか」を最初に考えてしまいます。
その点、このグランド宮田ホテルはすばらしい。南向きの特別室には、南側に2畳ぶんくらいのテラスが3つも備え付けられている。テラスの手すりに干しておけば、数時間で完全乾燥。湿気の国にやってきて、これは非常に助かります。

ところが、
ところが?
テラスへの出入り口がオートロック??

洗濯物を抱えて外に出た。一通り干して、さぁ中に入ろう、としたら、、、、
ドアが開きません。部屋の中へ入れません。。オートロックが、しっかりとオートロックされています。

思い切りドアを叩いても、高級ホテルのドアは頑丈。しかも、うちの奥さんは、はるかかなたの、もうひとつの浴室で洗濯中。部屋が広すぎて、叩いても、わめいても、声は届かない。
ミャンマーの殺人的な日差しの中で、2畳ほどのベランダに一人取り残されてしまいました。
約15分後、そろそろ脱水気分になりかけた頃、「そんなところで何しているの?早く、他の洗濯物も干してよ。」と、何も知らない奥様がドアを開けて声をかけてくれました。

これって死亡事故が起きないかな?


21:山手線めぐり

ヤンゴンも2度目なら、「あまり観光客が立ち寄らないところ」へ行きたくなるもの。
そんな思いで、「歩き方」を眺めていたら、見つけました。
モバ・ヤター

ミャンマーの「山手線」です。
ヤンゴン駅を出発して、そのへんをぐるっと1周。そのまま乗っているだけで、自動的にヤンゴンへ戻してくれるという、旅行者にはとても安心できる乗り物。山手線と違うところは、電車ではなくて貨車であり、1周するのに3時間かかること。そして、なにより…

ホテルからヤンゴン中央駅までは歩いて5分。こんなところが、このホテルのグレイトなところ。
ヤンゴン中央駅は、ミャンマーとはいえ、1国の首都のターミナル駅。さすがにでかい。そして、相変わらずの金メッキ。屋根全体にしゃちほこが載っているといえば、わかりやすいでしょうか。もちろん人も、うじゃうじゃ。地方からやってくる行商は、家族総出でやってくる。お父さん、お母さん、お兄ちゃん、妹、おじいちゃん、おばあちゃん、みんなして、かごいっぱいの野菜やら、鳥やら、ジャガイモやら、魚(?)やら、何だかよくわからないものなど、どさどさ持って都会に出てくる。これらを全部、売っ払って、帰りには生活用品を買って帰ろう、というわけ。人と同じくらいの荷物がやってくるのだから、あちこちで大混雑。旅行者だってやってくる。ただし、外国人ではなく、ミャンマー人。ヤンゴンにある気品あふれる金メッキの寺院にお参りをしようという、本当に尊敬に値してしまう人たちが、地方からワンサカやってくる。そんなお客を当てにして、タクシーだって大集合。駅の中、駅の前、駅の外、ほこりにまみれて大混雑です。

そんな駅の、おそらく「改札」にやってきた我々。
切符を買いたいんだけど…
駅内、すべてがミャンマー文字。東南アジア特有の丸っこい文字。こんなのガイドブックと照らし合わせても判読不能。切符の買い方どころか、切符売り場がどこだかすらわからない。

こんな時に、女性は強い。うちの奥様様が、それらしい制服のおっちゃんに向かって、
「モバ・ヤター?」
と一言。モバ・ヤターとは、ミャンマー語で「環状線」という意味らしい。しかし、「歩き方」に書いてあっただけで、アクセントも不明。「どこ?」とか「切符」とかいう言葉もなく、単に「モバ・ヤター」と言って、最後に「?」。こんなので、通じるわけないじゃん!
たった1つの単語だけで通じるようなら、日本語の「助詞」の立場がないぞ!

と思ってたら、以心伝心するもんだ。アジア人同士、通じ合う?

ついて来い、みたいな合図でおっちゃんが改札を素通り。僕らも素通り。そのままホームの端っこの駅長事務室みたいなところへ案内された。そこが、どうやら外国人専用の切符売り場だった。一人分1ドル(100円)払って、モバ・ヤター1周チケットを購入。さらに、おっちゃんがついて来い、と。今度は、ホームまで案内してくれた。

切符を買って、ホームまでくればもう大丈夫。「ありがとう。ここでいいですよ。」と、おっちゃんに言いたいけれど、まったく言葉が通じない。おっちゃんは「ここで待ってろ」みたいなことを言っている。

 南国の日差しと亜熱帯の雨の中、線路は草ぼうぼう。ホームは線路よりも1mくらい高くなっているが、ふかふかな線路の上は自由に歩行可能。当然、電車にひかれても「自己責任」だからね。ホームは3本で、5番線まである。そのひとつには、戦争映画にでてくるような貨物列車が20両編成くらいで止まってる。スティーブマックィーンとかが、走ってる貨車へ飛び乗るような、あんなやつ。こんなのが今でも現役で働かされているんだから、すごいよ。と思って見ていると、想像通りのギクシャクした音を出しながら、その貨物列車が動き出した。見たことないけど、ブリキのおもちゃのように、やっとこさっとこ動いていった。本当に偉いよ、ミャンマー人は。

おっちゃんといっしょに待つこと30分。やっと、お目当ての「モバ・ヤター」が到着した。
電車の到着とともに、そのへんにいたミャンマー人が、うじゃらうじゃらと電車の入り口に集まってくる。当然、みんな電車に乗る人。「整列」なんて言葉が辞書にない国の人だから、われもわれもと、押し合いへしあい。「謙虚」な日本人はなかなか乗せてもらえない。「これじゃ座れないね、3時間立ったままかな。」と、あきらめ状態だった我々を救ってくれたのが、そのおっちゃん。そのためにいっしょに待っていてくれたのか。

というわけで、次回へ、つづく。


22:特別列車

20両編成くらいのポンコツ貨車がホームに到着。山手線ほどではないけれど、たくさんの人が降りてくる。そして、降りてくる人を押しのけて、さらに多くの人が乗り込もうとする。こんなのは、「礼儀正しい」日本人にとっては、とても理解不可能。降りる人を押し返しながら乗り込んでいくミャンマー人。相手に悪いとか、効率悪いとか、そこまで思考回路が回らないようです。

そんなこんなの乗降風景。私たち夫婦は完全に取り残され、、、、
と思っていたら、さっきまでいっしょにいた付き添いのミャンマー人が、
「こっちへ来い!」と。
降りてきた人をかきわけかきわけ、ホームを歩き、後ろのほうの車両へと連れて行かれる。
そして、ある特定の車両の前に来ると、「ここへ乗れ」と手招き。
なんとそこは、”特別区域”。入り口付近はミャンマー人で埋め尽くされているけれど、それら人ごみをよけながら車内にはいると、ちゃんと座る場所が用意されている。
付き添いのおっちゃんは、車内の軍人らしき人に一言二言。われわれを席に案内すると、にこっと笑って列車から降りていった。
すっげぇ、いい人。(こういうときのチップは、喜んで渡します。)

”特別区域”であって、”特別車両”ではない。車両はすべて同じで、戦争に出てくる軍用列車のようなもの。座席は窓側にあるベンチだけ。窓に背を向けて座ることになるので景色が見えない。床は当然、木でできている。
車両の真ん中あたりを、一本のひもが、あっちの窓から、こっちの窓まで渡してある。この紐の内側が特別地域。紐の外側、つまり出口側が一般地域。一般地域にはミャンマー人がぎっしりと乗っている。ベンチはもちろん満席で詰めあいながら座ってる。
特別地域に入っていいのは、外国人旅行者と軍人だけ。僕らを合わせて8人の客。全員がベンチに座っても、おしりの間には空間ができる。
一般地域からのうらめしい視線をあびながら、特別地域の冷たいベンチに腰をおろした。ミャンマーのみなさん、ごめんなさい。でも3時間、立ったままはつらいし、電車代だって、あなた方の100倍以上も払っているんだから、許してちょうだい。
私たちの値段:ひとり1ドル=1000Ks
ミャンマー人の現地値段:7Ks
Ks(チャット)は現地通貨。

ミャンマーの青い空の下、モバ・ヤター1周3時間の旅がスタート。
さて、飛行機の時間までに、無事にホテルに帰れるのでしょうか。


23:世界の車窓から

外国人特別車両に座れた我々夫婦。ひも一本へだてた「一般車両」にはミャンマー人がぎゅうぎゅうで立っています。
「なんか、悪いね」なんて、思っていたら…

向かい側に座っている軍人が、ベンチ椅子に寝そべり始めた!外国人特別地域に入っていいのは、外国人旅行者と軍人。軍人はもちろん、ミャンマー人。隣で立っているミャンマー人と、同じミャンマー人。立っているミャンマー人を尻目に、寝そべっているミャンマー軍人。限度ないです、彼らは。やつらに比べると日本人の節操は、天下一品です。

ミャンマーは熱帯の国。レールが、暑さのために少しずつ溶けているみたいです。
日本では想像もつかない縦ゆれと、さらに危険を感じるような横ゆれに、車体をぎしぎしギシギシさせながら走っていきます。そんなに揺れるから、さすがにスピードは出せません。というか、ミャンマーのエンジンでは、20両も引っ張っていては、氷の上でもスピードは出せません。最高でも時速50km程度で、カーブや踏み切りが近くなると30kmくらいに減速します。
「そんなんじゃ、自動車よりも遅いじゃん!」と言いたくなるのですが、ミャンマーには時速50km出せる車のほうが少ないですから。
時速30kmといえば、自転車並みのスピードなので、走っている列車から勝手に乗り降りしてる冒険者を数多く見かけます。もともと、列車にはドアがついていません。無駄なものにはお金をかけないお国柄ですから。そんなもんだから、青空の下で乗り降り自由なんですね。でも、ドアがないなんて、混んでいるときには、落とされないかどうか心配です。ミャンマーは「礼儀」よりも「自己責任」を重んじる国なのです。

線路脇では、レールに洗濯物を広げている風景をよく見かけます。
レールが熱いから、よく乾くのでしょう。しかし、しまい忘れたら大変だよなぁ、と他人事ながら心配です。

そんな景色を見るために、窓の外に上半身を乗り出してみました。危ないかもしれないけど、これも自己責任。でも、確かに、木の枝がすれすれを通る、ではなくて、ぶつかってくるよ、おい。細かいことは気にしないミャンマー鉄道です。

5分くらい、風をうけて進むと、次の駅に到着します。最初のうちは、快適な旅です。


24:タイムマシーン鉄道

「ヤンゴン中央」駅を無事に出発。窓の外に顔や手を出しながら、5分も走ると、次の駅に到着。駅名は絶対に判読不能な文字だけども、一応、”街”といった感じの駅。その後も、5分から10分ごとに駅へ到着するが、駅を通り過ぎるごとに、だんだんと時代がさかのぼっていく。
駅の建物から、電化製品が消え、鉄筋コンクリートが消え、売店が消え、人口塗料が消え、、、。30分後に到着した駅では、石造りのホームと駅舎に木製の看板だけだった。町並みも同様。ヤンゴン中央を離れるにつれ、車が消えていく。そのうち、見渡す限りの亜熱帯の草原とジャングルだけになる。視野の中にある人工産物は、われわれが乗っている貨物列車とレールだけ。それ以外は、緑色に生い茂った得体のしれない植物と、手作りの木製住居、そして、青い空と痛い日差し。遊園地の電車が、いわゆる「ジャングルゾーン」に入ったようなものが、実際に目の前にあった。これほどまでに文明が違うものかと、驚いてしまう。湿地帯の上に高床式住居を作って住んでいる彼らにとっては、おかしな服を着た外国人こそ、まさに「異国の人」なのであろう。しかし、彼らは、それを望んでいるのか・不満はないのか?かわいそうに思えるのは、日本人の自分勝手な心なのか。

そんな未開の土地だから、文明人には予測できないことが絶対にあるはず。鳥インフルエンザもそのひとつ。線路脇を自由自在に歩いている「鳥」。たぶん「にわとり」。それらを売るために、足をしばって吊るしながら運んでいる子供。そんなのが、電車に乗ってくる。鳥の羽がふわふわと飛んでいる。免疫力の低下している文明人は、こんなところで「鳥インフルエンザ」にかかっちゃうんでしょうね。私の帰国後の発熱も、この電車旅行でウイルスをもらった可能性が高いです。

ジャングル→大稲作地帯→湿地→砂埃の小さな町→
こんな感じで風景が変化していきます。

時には、大きな工業団地があったりする。日本や欧米資本の食品か繊維関係の工場がドシンと構えていて、その周辺には街が発展している。こんなのを見ると、「資本主義がミャンマーを助けている」と感じてしまうのだが、「資本主義が自然を破壊している」ともとれるのでしょうか。

窓の外には熱帯アジアの壮大な景色、一方、乗客は種々多様な服装と荷物。あちこちに眼をキョロキョロさせながら、1、2時間が経過します。


25:ゴールイン、そしておみやげ

いくら風変わりな景色でも、1、2時間もすれば、飽きてきます。
ごとごとゴトゴト、木のいすの上で揺られながら、お尻も痛くなってきた。

本当は駅で降りてみればいいんだけど、そこまで時間がなかったのが残念です。

山手線の5分の4くらいを回ったはず。ゴールのヤンゴン駅が近くなってきたはず。なぜなら、一時は空いていた車両が、再び混雑しはじめてきたから。田舎ゾーンの人々が、特産物を持って電車に乗りこみ、都会ゾーンに下りて、それらを売り払う。売り上げのお金で、生活品をどっさり買って、行きも帰りも荷物をいっぱい抱えて電車に乗り込む。そんな、経済の教科書みたいなことが、目の前で起きているミャンマー。正午近くの電車の中は、これから市場で売るはずの野菜、鳥、手工業品などが所狭しと置かれている。電車内は人もいっぱい、ものもいっぱい。そんな中をすり抜けていく「水売り」の少年。大きな桶を抱えながら、コップ一杯の水を売る。コップは共通利用。水は、完璧に「自然の水」。日本人が飲んだら、そのへんの下剤よりもよく効くはず。
僕らの目の前の、外人地域側ででかい態度で座っている軍人が、水売りを呼びとめた。少年から、コップ一杯の水をうばってガブ飲み。しかし、お金は払わない。軍人と民間人は、かなり仲が悪そうです。

2時間45分のツアーは、ヤンゴン中央駅に戻って終了。何時間ぶりかに、背中をのばして、大あくび。楽しかったけど、疲れた。

さて、もうすぐ飛行機の時間だから、帰りましょうか。


26:五感で感じるミャンマー

ミャンマーが、残念だけれど貧乏な理由は、いくらでもあります。

熱心な仏教徒があまりにも多い。
失礼ですが、お坊さんて、何するの?
お祈りをして、寺を掃除して、あとのメインは、托鉢行脚。他人から、お供えをもらうのが仕事。つまり、自分では何も生産的な活動をしていない。米を育てるでもなく、タオルを編むでもなく、ただ、他人のものを少しずづめぐんでもらうだけ。
極端に言うと、お坊さんは、その国のGDPにプラスになることを何もしていない。
ミャンマーにでは、視野の中のあちこちに、朱色の僧衣をまとったお坊さんがわんさかといる。朝、昼の托鉢ラッシュ時には、ほんとにあちこちで、行列でお坊さんがやってくる。
いや、彼らは偉いですよ、間違いなく。軟弱な、エセ仏教徒の日本人に比べたら、比較するのが申し訳ないくらいに精神的に崇高です。朝っぱらから、どんなに寒くても、どんな砂利道でも、裸足で歩いて、ひたすら托鉢しているんだから。
でも、残念ですけど、生産的価値はゼロなんです。
人口がいるのに、国の価値が上がらない、ひとつの理由です。

一応、仏教寺院が観光資源となってますので、それはそれで、よいのですが、
ならば、寺に管理人をつけて掃除して貰えばいいでしょう。
なんてのは、頭の中に経済観念しかない日本人的発想なんでしょうね。

軍人が多い
同じく、軍隊だって生産的価値ゼロです。それどころか、かなり莫大な消費者です。
ミャンマーは、いわゆる軍事国家で、軍隊の力で民衆を押さえつけています(ように見えます)。国民が地道に稼いだ国家予算が、軍隊に無駄に消費されてしまうなんて悲しいです。日本もそうならないでほしい。
街中で、軍人は我が物顔で歩いてますが、一般人とは決して友好的ではないようです。

自然が厳しいのもハンデキャップ。
あの熱さは、文字ではあらわせません。夏、といっても、9月頃の日差しの下、20m歩くと、意識が遠くなります。そこで、水を飲むと、汗をかいて体力が奪われる。
昼間の間に、外で何か仕事なんて、できっこない。
ビルを建てる、道を造る、こんなことが昼間にできないんだから、進歩するはずがない。
夜にできるって?電気代がないのに、夜間の工事なんて不可能です。

そんなマイナス要素の中で、本当に彼らは元気に生活しています。
生きる目標はなんですか?と聞けば、間違いなく、
「生きることです」と答えるはずです。
「その日暮らし」の運命を黙って受け入れている。彼ら、ミャンマー人は、本当に尊敬に値する人々です。

そんな人々に、少しでも「生きる力」を分けてもらいたい。そういう気持ちで、ミャンマー、あるいは、その他の途上国へ旅をします。
物価が安い国だからこそ、我々セレブ国には想像もつかない苦労と生命力が隠されています。

見る、聞く、これくらいならテレビで充分。
臭いをかいで、手足で触って、味を楽しむ。
ここまで感じるためには、実際に行ってみないとわからない。
みなさま、是非、一度お越しください。
切符の買い方など、不明な点は、いくらでも相談にのります。

ヤンゴンのおまけ
「カフェアロマ」日本でいうなら、スタバのような喫茶店。コーヒー100円、ケーキ100円。地元の相場の10倍以上。外国人旅行者がほとんどだが、中には地元の若者がいたりする。1杯4000円(相当)のコーヒーを飲みに来るなんて、IT企業の社長みたいなもんか。
「読売新聞」なんと400円。インターネットで取り寄せた内容をプリントアウトして売っている。ミャンマー公務員の月給の10分の1。大事に読みます。
「ゲームカセット」将棋、オセロ、麻雀がひとつに入ったゲームカセット。ファミコン用。ヤンゴンのおもちゃやで、1つ100円前後。間違いなく海賊版。

みやげ話って言うくらいだから、おみやげってのは品物じゃなくてもいいんだよ。

(ミャンマー編終了)


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by akogarehotel | 2005-01-02 23:03 | あちこち旅行記 | Comments(0)  

【第6章】ミャンマー前編(H16年9月)

【第6章】ミャンマー前編(H16年9月)

1:旅行記のはずが、闘病記

旅行帰りの新幹線の車内電光掲示板「タイで鳥インフルエンザで2人死亡」
同じく、手に抱えているスポーツ新聞にも
 「タイ北部で2人死亡」「死亡」「死亡」…

今回の旅行は、
ミャンマー7日間。
ミャンマーは以前はビルマといっていた国。首都もラングーンという名前から、ヤンゴンに変更された。アウンサンスーチーさんと、軍事政権との微妙な関係の上に成り立っている。国名、首都名の変更もその影響。

ミャンマーには日本大使館があるが、航空機の直行便がない。
そのため、一般的に、
タイ経由で訪れることが多い。日本(成田)とタイ(バンコク)の間は、一日に何便も往復している。なんで、こんなに日本人ばっかりなの?という感じのバンコク国際空港である。日本語表示ばっかり、というか、マッサージ屋なんて、絶対に日本人しか利用していないと思う。

そんなわけで、タイ経由なわけで、
9月19日に成田からタイを経由してミャンマーへ。
9月26日にミャンマーからタイを経由して成田へ帰国。
そして、
9月26日帰宅直後、39度の発熱。

そこへ「タイで鳥インフルエンザ」のニュース!
インフルエンザの潜伏期を最長1週間と考えれば、往路で感染。
潜伏期を最短半日と考えれば帰り道に感染。この場合は、超重症。(潜伏期が短いほど重症)そんなことより、タイで鳥インフルエンザが発生しているなら、隣国の
ミャンマーで発生していないわけない。単に、マスコミにばれていないだけ。
 ミャンマーで感染した、、、とすると、潜伏期は、、
ミャンマーなんて、生の鳥がそのまんま、市場で売られてるし、野鳥なんて、あちこちにいたから、、、
もし鳥インフルエンザなら、死亡率80%。。。自分だけならいいけど、あちこちに拡散するかも…

などの考えが、頭の中をグルグル。
おまけに、
SARSだったらどうしよう。
咳が出ないから、大丈夫かな。でも、明日にはゴホゴホいったりして。
遊びに行って、SARSなんてもらってきたら、切腹じゃすまされない。

そんな、眠れぬ夜を過ごしました。
眠れないのは、心配なためだけではなくて、
一向に下がらない熱(38度)のためと、
口にしている「
N95マスク」(ウイルスの拡散防止)のためでもありますが。


2:闘病記2

ということで、念のため隔離されました。
でもって、インフルエンザの検査。

鳥インフルエンザは、A型インフルエンザの一種。
(人の)インフルエンザの検出キットで、検出することができる。

綿棒を鼻の穴に7cmくらいつっこみ、鼻水を採取する。
これだけで、病気になりそう。
でもって、あれこれ、手順を踏んで、、、検査結果待ち。
仮に、
A型インフルエンザ(+)と出ても、人インフルエンザかもしれない。
仮に、
A型インフルエンザ(-)と判定されても、検査の手順などで陰性になってしまうこともありえる。
そんなことを考えれば、検査結果がどうだろうと関係ないし、検査する必要性すらないかもしれない。

しかし、当の本人は、かなり本気。

結果は
陰性(A型に感染なし)でした。

少しだけ、ホッとしたけど、、、、
しかし、日曜日に発熱して、月曜日の夜になっても38度のまま。
さすがに、疲労してくる。心配もあるし。
しかし、何もできずに、ただ寝ているだけ。
眠ろうと思っても、一日中寝ていたから、ちっとも眠くない。
気晴らしに本を読むと、なんと、文庫本が重たく感じる。
それほど疲れてる。
携帯で掲示板など、と思っても、ボタンを押す手に力が入らない。
結局、だまって、天井を見上げつつ、
「もう、絶対に東南アジアになんか行かないぞ」
と何度も心に誓ってました。

不思議なのは、500mlくらい点滴して、汗をかくと、0.5度くらい熱が下がる。点滴の威力って、すごいね。ただの水なのに。

その後、徐々に解熱。
木曜日の朝から平熱となり、無事にシャバへ復活させられました。
たったの4日間。だけど、長かった4日間。


3:なぜにミャンマー

モロッコ、ミャンマー、カンボジア、ウズベキスタン
私たち夫婦が、リュックサックをしょって旅した国に共通しているのは、
物価が安くて、小汚いジーパンでも恥ずかしくない国。
こんな国々を旅する理由は、
「日本にない何か」を感じたくて。
「生きるために生きている人」と接したいから。

今回、本当は
ネパールに行く予定でした。しかし、直前のイラク関連爆破事件のために渡航延期勧告。仕方ないので、ミャンマーに変更しました。モロッコ、チュニジア、ブータンは航空券が取れなくてダメ。ミャンマーは、はずれ1位なんです、ごめんなさい。

ある国が裕福になるためには、外貨を獲得しなければなりません。日本なら自動車、家電製品など。東南アジアの国々は?そんな、外国に自慢できるものなんて、観光資源くらいしかありません。だから、旅行者の懐を必要以上にアテにしています。例えば、カンボジアには、アンコールワットという目玉商品があります。ここを訪れる旅行者には、
1日2000円程度の入域料が請求されます。1日に1万人もやってくれば、かなりの金額になります。(実際に、それくらい訪れているような印象でした。)
ミャンマーの場合は、もっと極端に、もっとストレートです。外国人は、入国する際に空港で
200ドル(2万円)請求されます。代わりに200FECという、ミャンマー国内でしか使用できない紙幣を渡されます。つまり、強制的に、2万円ぶん使って来い、ということです。
ラーメン1杯が外国人値段でも50円の国です。2万円あれば、1ヶ月暮らせます。

というくらいに、外国人を藁とも思い、すがっている国です。(途上国は皆同じようですが。)
(ところが、このFECが廃止されたらしい。空港職員が、旅行者から賄賂(500円)を受け取り、FECへの交換を免除している、ということが、原因らしいです。空港職員だって、外国人旅行者に頼っているんです。)

旅行者の落とすアブク銭に支えられている国。
1日1000円で贅沢三昧の国。都会を1歩離れれば亜熱帯のジャングルに迷い込む国。中国系(華僑)の富裕層がはばをきかせている国。
そんなミャンマーへの1週間でした。


4:熱烈大歓迎

休みの日はどんなに早起きしても大丈夫。AM4:00に目覚ましに起こされたが、夜明け前でも眼はパッチリ。気合で着替えて、朝ご飯食べて、5時に出発。
成田のチェックインは午前9時。連休なので空港内は人の波、渦、群れ。飛行機も当然、満員御礼。成田を11時に飛び上がった飛行機は、予定通りに6時間後にタイ(バンコク国際空港)へ着地。10点。
乗り換え待ち2時間の後に、ふたたび空の上。そして、1時間半のフライトの末に、ようやく
ミャンマー(ヤンゴン国際空港)に到着。家を出てから16時間。日本は午後9時。現地は午後6時半。緯度の低いミャンマーでは、すでに真っ暗。
それにしても、座っているか、食べているか、だけの1日。足はむくんで、腰は痛い。そろそろ、体にこたえてくる年頃です。

空港では、いつもどおりの熱烈歓迎。旅行者の10倍くらいの数の、ほこりまみれのおっちゃん、お兄ちゃんが、わさわさと群がってくる。
「タクシーあるよ。町まで5ドル!」
「宿、大丈夫か?」「チェンジマニー?(両替しようか?)」
僕らのようなバックパッカーには、彼らの襲撃が集中する。ホテルを予約したり、送迎者を待たせているとは、とても思えない格好だから。

ヤンゴン空港からヤンゴンの市街地まではタクシーで30分。現地人値段は
0.5ドル(50円)くらいらしい。しかし、旅行者への相場は5ドル(500円)。ただし、到着したばかりで物価もわからず、疲れている上に、外はもう真っ暗。タクシーに30分乗って、500円でいいのなら、喜んで払っちゃうでしょ、普通。
ちなみに、ミャンマーの公務員の月給は
40ドル
ホテルの紹介屋は1件につき2~5ドルのチップ、両替屋は5%(100ドル両替なら5ドル)程度のマージンがあるらしい。
もう一度いうけど、公務員の月給は
40ドル

そんな、暴利があふれている空港だから、公務員だって黙ってない。
今回は、なんと、空港内で襲撃を受けた。
税関を抜けようとすると、白と紺のかっこいい制服のおねえさんから、
「こっちへ来て。ついてきて!」と声をかけられた。
なんか、悪いことしたかなぁ?と思って、後へついていくと、
「今、タクシーを呼んであげるから、ちょっと待ってて。宿は決まってるの?」

彼女の目当ては、もちろん、紹介料という名の
2ドル程度のチップ。職権を乱用して、空港内で先に金づるをキープしようという作戦だ。
何度もいうけど公務員の月給は40ドル。たった2ドルのために、汚いGパンとほこりで汚れたリュックの僕らに、ガンダムの連邦軍のような制服のお姉さんが、ごきげんとって、へつらわなければならない。
ミャンマーに到着して2分で、その悲しい現状を見せられてしまった。

注)このような客引きを初めて体験した場合、ちょっと引いてしまいますが、値段さえ確認すれば、利用してもかまいません。もちろん、彼らは、かなりふっかけて来ます。といっても、日本人にとっては微々たる金額。かわいそうと思えば、それで納得してあげて、あるいは、妥協できなければ、とことん交渉して、利用できるものは利用しましょう。


5:20年前の日本の風景

というわけで、空港でガンダムのセイラみたいな人に声をかけられた我々。
ところが、申し訳ないけど、ホテルも予約してるし、送迎も来ているんです。

真のバックパッカーとは、往復の航空券だけ買ってやってくる。足も宿もその場しのぎ。地元の人と同じ足を使い、同じ場所に寝る。気の向くまま、安いほうへ安いほうへと旅をする。
しかし、こんなこと、時間のない、忙しすぎる、平均的日本人には無理。社会人には無理!
1週間の休暇なんて、あっという間に終ってしまう。
なので、はなはだ恐縮ですが、宿だけは日本で予約しておいたのです。宿を探すために費やす時間を節約するために。

僕たちがホテルを予約していると知ったセイラさんは、急に、ミライ(同じくガンダム)のようになり、むすっとしてどこかへ行ってしまった。挨拶もなしに。200円の儲け話が消えてしまって、ショックのようでした。

空港の外は、旅行者をあてにしたタクシーで大渋滞。
ただし、タクシーといっても、日本人が想像する「タクシー」ではなく…

ミャンマーを走っている車は、トラックもバスも全部含めて、7割くらいが日本車。他に韓国、あとは国籍不明など。
日本車といっても、現在の日本で見かけるような車種は、まったくなし。ほとんどすべてが、
日本ではもう走れなくなった中古車。どんなに新しくても、10年はたっているだろうという車ばっかり。
車検がないのをいいことに、とりあえず、「走ればいい」車。ある意味、「走ることしかできない」車。というか、「たぶん走れる」車。「いつ壊れるかわからない」車。
そんなのばっかり。
まさに、昭和の日本がそこにある。
ギリギリ走っている車ばかりだから、走る能力以外は置き去りにされている。
排気ガス基準なんてのはありえないし、サスペンションという単語も知らないかもしれない。
窓が開かない、のではなくて、閉まらない車があちこちに。エアコン車は稀に見つけられる。
ライトがつかなければ、夜は走らなければいい。ガソリンメーターが壊れているのは、野性の勘で対応する。
ワイパーは動かない、というか、ない。でも、前は見えるでしょ?
ナビのアンテナがついている日本車を見つけた。仮に機能していたとしても、日本地図しか見れないはず。
日本の盗難車なんかも走っているんだろうな。

そんなミャンマーなので、僕たちを迎えにきた「送迎車」は、トヨタのワンボックス。
12年前くらいの車種。色は「ほこり色」。窓は「ほこりスモック」
5人乗れる後部座席に我々2人だけだから、まぁ、ある意味、”ミャンマーのリムジン”みたいなもの?エアコンも動いていたからね。
停車中でも、スピードメーターが90kmを指しているのはミステリー。


6:中学で習った「華僑」

日本の中古車店なら20万円くらいの「送迎車」が僕らを乗せてヤンゴン市内のホテルに着いたのは、夜の7時(日本時間午後9時30分)。首都ヤンゴンは、そこそこの明かりが灯っている。

ホテルの名前はグランド・ミーヤター・レジデンス。
宮田ホテルではありません。中国系資本、つまり華僑が関係しているホテルのようです。
超高層ではありません。だって、レジデンス(居住用)ですから。
日本と違って、横に広々とした造りになってます。レジデンスですから。
3年前に来た時には、まだ建築中で「ずいぶん大きなビルを建てているなぁ」と思って眺めてました。ずいぶん大きい、と思ったけれど実際は12階建てです。まわりが低いので、必要以上に高層に感じます。
日本からインターネットで予約できるので、ここに決めました。予約したのは、1泊7000円のツイン。
参考までに、前回、ミャンマーに来た時に泊まったセントラルホテルは、1泊3500円。ミャンマーで最も由緒あるストランドホテルは1泊30000円。ヤンゴンの公務員の月給は4500円。渋谷のセルリアンは40000円。前橋のビジネスホテルは朝食つきで一人7500円。

ツイン1室ということは、ふたりで7000円。ひとり3500円。日本人の感覚なら、決して高い宿ではありません。しかも朝食つき。どんなレベルのホテルだろう?楽しみ半分で予約してきました。

そしたら、なんと「レジデンス」
とりあえず、外見は大合格。そして、案内された部屋は…

部屋が間違ってます。私たちが予約したのはツインです。
しかし、ポーターに案内されたのは、スイートです。
リビングは15畳くらい。ベッドルームと浴室が二つずつ。キッチン、洗濯部屋がそれぞれ8畳くらい。洗濯部屋には日本製の乾燥機完備。
間違いではなくて、ここが7000円の部屋だそうです。
こんな広い部屋、泊まったことありません。というよりも、自宅よりも広いかも。
洗濯物が乾かない、というのが最大の悩みだったのですが、乾燥機、しかもメイドインジャパンがあれば、いくらでも洗濯できます。
アウンサン市場の目の前なので、立地も抜群。
ヤンゴンの定宿に決定しました。

ホテル内には、当然だけど、中華レストラン。
ミャンマー人は、もともと外食の文化がなかったので、「ミャンマー料理店」というのは、実は少ないのです。移住してきた華僑、タイ人、インド人が、自分たちのために開いた中華料理屋、タイ料理屋、インド料理屋がミャンマーの外食文化を担ってます。
そんなわけだから、ミャンマーなのに何故中華なの?とは言わないでください。

で、その日の夕食は、高級ホテルの中華レストラン。やはり豪華です。大きな水槽には得体の知れない生き物が浮遊しています。たぶん、カニもいます、奥のほうに。ウエイターの数が、テーブルの数よりも多いです、絶対に。
その豪華レストランの、気になるメニューは、、、
漢字を頼りに、頭を使って、、、
結局、春巻とか麻婆とかチャーハンとか、安心できるものを注文。
蟹とか蝦とか鱶(フカ)とかいう漢字も見かけたけど、はずすと恐いから。
料理3つ、ビールにデザート。こんだけ頼めば、2人とも限界。
ところが会計は、1000円ぽっきり。
高級レストランでふたりで酔っ払って1000円。

ミャンマー、悲しい。


7:国内線事情

ミャンマーの国内飛行機路線は、国営1社と民営2社。
そのうち、国営は「事故が多いから乗るな」と「歩き方」に書いてあるほど。はいはい、乗りません。

ヤンゴンに着いた翌日は、早朝6時30分の飛行機に乗るために、4時に起きて5時に出発。本当に、遊びだといくらでも早起きできる。
まだ朝日も見えない早朝5時。しかし、空港は予想外に旅行者であふれている。午前出発の便が多いらしい。それにあわせて、タクシー野郎もこんな朝早くから仕事してる。日本人以上に仕事の虫です、彼らは。

ガンダムの制服を着た空港職員に、切符を見せて、「国内線の受付はどこですか?」と尋ねた。職員のお兄さんは、ニッコリして、「ついてきな」と。チェックインして、荷物を預けて、指定された待合室まで、テクテク歩いて案内してくれた。
もちろん、チップをあてにして。こちらも大助かり。空港には案内板がほとんどないとか、あっても間違っているから、全くわからない。実際に「国際線」と書いてあるところが「国内線」の入り口だった。1ドル渡して、双方から「Thank you」。彼らが国からもらう日給も1ドル。

バガン行きの飛行機は、小型のプロペラ機。60人くらいしか乗れない。乗客に日本人も多く、彼らは、あまりにも小さい飛行機に感動して、写真を取りまくり。僕らはウズベキスタンで、もっと小さい、20人乗りの飛行機に乗ったことがあるので、感動も半分。本当は空港内では撮影禁止なのに、笑いながら見ている警備員(軍人?)も悲しい。旅行者を注意して、機嫌を損ねさせたら、損するのは彼らだから。

1時間のフライトでバガンに着陸。滑走路の脇を歩いて、空港の建物へ。預けた荷物は空港の外で、地面に転がされている。そこから勝手に持っていく。のどかだねぇ。
空港の出口では、ひとりあたり10ドルの入域料を払う。バガン全体の遺跡への入場料みたいなもの。カンボジアのアンコールワットでは1日2000円。バガンでは何日いても全部で10ドル(1000円)。
空港の外には、いつもの光景が待っている。タクシー運転手やら両替屋やらホテル業者やらの熱烈アタック。
「タクシー?4ドル?」(原文まま)
約20分の距離が4ドル。まぁ、最初なので、これくらいで。

タクシーは途中、有名な「アーナンダ寺院」の前を通る。
「あれがアーナンダテンプル(寺院)。アーナンダ、コーナンダ、ソーナンダ」(原文まま)
誰だ、ヘンな日本語を教えたのは。


8:いやんバガン

バガンはミャンマー中央部にある「遺跡の町」。遺跡しかない町。
亜熱帯の草原には、得体の知れない植物が「うっそう」という言葉の見本のように、うっそうと茂っている。その中の、ある6Km四方の領域の中だけに、レンガ作りの寺院や仏塔が、ぐぐっと密集している。小さいものは高さ2,3m。大きいものは、6階建てのビルくらいで、高さ20m以上。高いところから眺めてみれば、見渡す限りの草原の中に、たけのこのようにニョキニョキと顔を出している寺院仏塔を無数に見ることができる。その数、合計2700だという。よく数えたもんだ。
青い空、緑の草原、その中に、無数の茶色の古代の芸術的建造物。遺跡とか、仏教とか全然興味がない僕でも、これだけは感動してしまう風景でした。

これらの寺院は、すべて赤茶色のレンガでできていて、アーチ型の部分などは、よくも崩れてこないものだと感嘆してしまう。
ところが、崩れているんです。崩れるんです。
30年前にこの地方を大きな地震が襲った。古ぼけたレンガ作りの遺跡群は、ほとんどすべてが倒壊してしまったという。その後、がんばって修復したのが現在の遺跡だという。古そうだけど、古くないのかも。倒壊したまま、あるいは、倒壊しかけていて、危険だから進入禁止になっている寺院もいくつかある。
いつ崩れてもおかしくないレンガ作り。そんなだから、旅行者が屋根の上のギリギリのところで写真を撮っていると、現地の人はひやひやしながら見ている。遺跡から滑落死、なんて新聞に載ってしまったら、日本で笑われます。

遺跡群と、数件のホテルと、小規模な市場、そして世界地図にも載っているイラワジ川(エーヤワーディ川)。バガンには、それしかありません。一番高い建物は、遺跡の一つ、シュエサンドーパゴダ。ヤンゴンのような「ビル」と呼べるものはいっさいなし。
もし、ここに遺跡がなかったら、たぶん、ウルルンで訪れるような超developpingな地域になっていたことでしょう。遺跡があっても、この状況なので。


9:騎手変更

「バガン遺跡群」と呼ばれる地域は、約6Km四方。
その区域内に遺跡が点在しているが、あまりにも数が多く、お互いが近接しているために、タクシーでの遺跡巡りは一般的ではない。地面もほとんど舗装されていないので、もともと車で通行できる道が多くないのもその理由。
熱さ、風、ほこり、にわか雨のために、歩いて回るのも常識的には不可能。
一般に、自転車か馬車を使うことが多い。レンタサイクルは1台1日2~6ドル。ホテルのランクにより値段が変わり、自転車の質も変わる。馬車は1日5~10ドル。交渉次第で値段が変わる。
ふたりで回るなら、自転車も馬車も同じ値段。それなら、みやげ話にということで、馬車をご用意いたしました。

それなりのホテルの前には、客待ちの馬車がたむろしている。その1台と交渉。御者は身長160cmくらいで浅黒く、典型的な小柄アジア人。1日10ドル、2日で20ドルだという。明らかに高いので、ちょっとごねてみる。すると、小柄アジア人いわく、
「2日で15ドル。これが限界。あなた方にはたいした値段ではないでしょう?」
最後の言葉が殺し文句。見るからに貧相なアジア人に、こう言われると、それ以上の交渉は良心が許さない。はい、その金額でお願いします。
よく聞くと、馬車は馬車会社の持ち物。彼ら御者、すなわち運転手は、売上のすべてを会社にわたし、かわりに1日1ドルの給料をもらうだけだという。交渉した料金の中には、彼らのポケットにはいる金額も含まれていたはず。200円、300円を値切るのは、ちと可愛そう。同じアジア人だし。

馬は背骨とあばらがくっきり見えるくらいにやせ細っている。そんな痩せ馬が、僕ら3人を乗せた幌を引っ張る。馬車に乗せてもらうのが本当に申し訳ないくらい。
しかし、さすがに痩せ馬だから、テクテクぽかぽか、歩くだけ。いくらムチで打たれても、キャンターにもならない。自転車にも追い越されるほどゆっくりだけど、移動速度の遅い旅ほど、いろんなものを感じ取れる。

われらが馬車の騎手は、バガンに生まれてバガン育ち。1日1ドルの給料で奥さんと子供二人と暮らす。バス代、飛行機代なんてあるわけないから、自分の国の首都のヤンゴンにさえ行ったことがない。僕のほうがヤンゴンに詳しい。
旅行者が一人でも多く来て、100円でも多く消費してくれること。それが彼らの未来を支えているようです。

「もう歩けないよ、疲れたよ」という馬をムチで叩きながら遺跡巡り。最後のしめくくりは、ティーローミンロー寺院での夕日撮影。寺院の高さは何10m?わからないけど、このへんでは最高の建造物。旅行者が高いところに登りたくなるのは万国共通。バガンにいる、ほとんどすべての旅行者が、夕日時にはこのあたりに集まり大撮影会。それでも、せいぜい100人弱かな。


10:静かなる、おみやげ戦争

ウズベキスタンはすごかった。
寺の境内だろうが、通路だろうが、仏像の隣だろうが、ところ構わず「みやげ屋」がゴザを敷いて住み着いている。どこを見渡しても、みやげ物屋。どの写真にも土産物屋。

ミャンマー人は敬虔な仏教徒。
彼らは、寺院の中では商売はしない。ただし、一歩外に出れば…
寺院の敷地は、ほぼすべて正方形。その一辺にだけ、土産物屋の屋台が集結している。おかげで、どこが入り口かすぐわかる。別に、ありがたくないけど。どんな小さな寺院でも、観光客が一日に5人くらいしか来ないような寺院にも、入り口の門の前には、数軒のお土産屋が必ずたむろしている。観光客の数よりも、土産物屋のほうが多い。観光客が一人やってくるたびに、数人の売り子がワラワラと集まってくる。ここでも、空港のような「熱烈歓迎」。

売っている品物はどこでも同じものばかり。絵ハガキ、漆器、金物、風景画。1ミリほども心が動かされない。少しは個性のあるものでもあればねぇ。
「イチドールゥ、ヤズイネ(安いね)」
どこでも共通のかけ声。彼らにとっては、まさにサバイバル日本語。
…1$なの?安いね、じゃぁ、これ下さい。
「ソレハ、ビックダカラ、サンドルね」
どこでも共通の受け答え。

バガンでは、布に書いた風景画を売るのが流行らしい。軽くてかさばらないし、A4版1枚が、1~4ドルと手ごろな値段。おそらく日本人にはよく売れるでしょう。
だから売り子も多い。どこの寺院でも、入り口には、地面に布絵を広げて、「ヤズイヨ、ヤズイヨ」と声を張り上げている、自称「絵描き」が星の数。
そのうちの一人いわく「(和訳)私はバガンじゅうの絵描きに絵を教えている。あちこちにいるのは、すべて自分の生徒たち。だから、私の絵は、ちょっと高いけど、質はバガンで最高さ。」
どう見ても20代前半の兄ちゃんが、先生なわけないだろっ!
ぼったくりが横行するとはいえ、所詮200円~300円。2つ買ってしまった。

絵葉書を売るのは子供の役目。小学校に通うはずだけど、通えない6、7才のちっちゃな子供たち。彼らが、絵葉書をかざしながら「イチドル、イチドル」と言って、集まってくる。絵葉書20枚が100円だから、本当に「ヤズイ」んです。だけど、どこにでもある写真の紙切れだし、絵葉書の場所へ行った人じゃないと価値が分からないから、おみやげにはできないし。。。
カンボジアにもたくさんいたけど、子供が、生きるために商売をしているのは、やはり悲しい。


11:バガン水軍

2日目のバガンの夕刻。
今度は、船の上から夕日を見よう、ということで、「イラワジ川豪華クルージング」
イラワジ川は世界地図に載ってる、ミャンマー最大の川。川というより、「河」。川というよりも、海か湖。対岸は、はるかかなた、かすんで見えない。しかし、海ではなくて川だから、当然「流れ」がある。泳ぎに自身のある私でも、おそらく北島コウスケでも、対岸まで泳いで渡るのは至難の業。海のように大きく、海よりも危険。そんな大自然に囲まれて夕日を見ましょうという「クルージング」

たぶん、お分かりだと思いますが、我々が豪華客船でクルージングとかするわけない。
一応、船着場の看板に書いてあったからクルージングと言っているだけ。その実情は…

船は公園のボートよりも、ちょっとだけ縦長。横幅はボートと同じくらい。船というよりは、エンジン付のカヌー。エンジンの先には、プロペラ1枚。競艇のボートを細長くした感じ。
これを、やはり小柄で、浅黒いアジアン兄ちゃんが操舵する。船で浅瀬から川に乗り出すと、ものすごい勢いで下流へ流される。帰ってこれるのか心配になるくらい、川の流れが早い。ゲーム「水滸伝」で「川の流れが急ですぞ」というセリフが頭をよぎる。
兄ちゃんがエンジンを回して、舵を上流へ向ける。ブルルゥゥン!ブドドドドドッッッ。エンジン音がものすごい轟音となって響きわたる。難聴になってしまいそう。流れの速い大河を、ゆっくりゆっくり溯る。
川の流れのように、風も流れている。自然の扇風機は爽快爽快。「ナチュラル エアコンさ。」と兄ちゃん。泣かせるねぇ。彼らは「本物のエアコン」なんて見たことないはず。

兄ちゃんは、船の男、水上の男。肌が黒いのは、船の油のせいか、日焼けのせいか、判別不能。非常に聞き取りにくいアジアン英語を話す。
「俺たちは1日300チャットで働いている。あんたの時計は高そうだねぇ。うらやましい。」
ここでも、話題はお金のこと。チャットとは現地通貨。300チャットは、約30円。ちなみに、私の腕時計は日本のホームセンターで買った1000円のデジタル時計。旅行のときは、紛失してもいいように安物を持っていく。こんな時計くらい、あげてもいいけど、、、。
クルージング代金は10ドル(1000円)。意外に高い。ところが、これは、すべて親分が取っていってしまうらしい。
自分にとっては1年分の給料を、小一時間で使ってしまう同じアジア人を見て、彼らはどう思っているのだろうか。少なくとも、船が転覆すれば、我々は溺れるが、彼らは泳ぎ帰る。


12:バガンにある日本

田舎町バガン。ヤンゴンとは一味違う日本の風景を発見。

「はがき、にじゅうまい、いちどる」絵ハガキを売る子供の声。彼ら、彼女らは、その意味がわかるのか。韓国人はもちろん、西洋人にも同じ声をかけているような。単に、「こんにちわ」程度の意味かもしれない。

「いちごいちえ」ある寺院での絵描き兼みやげ物屋兼怪しい兄ちゃんの呼び声。ここで会ったのも何かの縁、だから絵を買ってってよ、という意味だろうが、いったい誰が教えたんだろう?間違いなく、「一期一会」ではなくて「イチゴイチエ」

ソニーセンター
バガンの街中で見かけた看板。カタカナと英語の表記。その実態は、、、
ゲームセンター。といっても、ファミコンをつないだテレビが数台置いてあるだけ。しかし、2件ある店は、両方とも満員。ここにも、日本からウイルスが感染しているらしい。他人のことは言えませんが。
ちなみに、ソニーセンターとは固有名詞ではなくて、ゲームセンターという意味の一般名詞。また、置いてある「ファミコン」のことを、ミャンマーでは「プレステ」というらしい。そして、本物のプレステ、つまりCDで動くゲーム機はミャンマーでは見かけなかった。都会の電気店で「プレステ」と書いて売っているゲーム機は、カセット型、つまりファミコンだった。

サクラホテル
日本人をあてにしたホテルだが、日本語は通じない。1泊7000円強。明らかにバガンでは常識を超えた値段。
ロビーには日本語入力可能なパソコンがあり、インターネットに接続できる。10分300円。のろし程度の通信力しかないバガンだから、日本よりも高いのは仕方ない。しかし、接続がとんでもなく遅く。20分奮闘して、自分のHPにさえ、たどり着けず断念。高かった600円。
食堂のメニューには、ミャンマー料理に混じって「とんかつ」「お茶漬け」ともに10ドル。これを注文する人は、なんのためにミャンマーへ来たのでしょうか。
「推す」ホテルのドアノブに書いてあった文字。こんな難しい漢字をどこで見つけてきたんでしょね。

補足:決められた金額を寄付すると、バガンに自分の仏塔を建ててもらえます。仏塔の前には、建てた人(寄付をした人)の名前が記されているが、ほとんどがミャンマー文字。ところが、その中に日本語を発見。それなりの金額を払って、1戸建て程度の仏塔を建てたらしい。信仰心が篤いのか、その真実を知りませんが、ミャンマー人、バガン人は非常に喜んでました。にほんじんおかねもちあります。

世界の端まで届いている日本の力に、あらためて感服。


13:政治的文章ではありません

もともと、バガン遺跡地域には多数の旅館と民家が集合して、大きな町を形成していた。ところが10数年前、「政府の方針」などといわれて、それらの地元民家、小規模旅館が、バガン遺跡地区からの立ち退きを強制された。その後、それまでのバガン遺跡地域を「オールドバガン」といい、立ち退かされた民家、旅館が集まってできた地域を「ニューバガン」という。ニューバガンは、オールドバガンから6,7Kmの南方にあり、見るべき遺跡も少ない。高級ホテルは「オールドバガン」に居残ることが許され、また、日本人旅行者が泊まるような中級ホテルは、空港近辺に多い。そのため、ニューバガンまで足をのばす旅行者は少なく、非常にすたれている。
 すべては、「政府の政策で移住させられたのが悪い。」ほとんどのバガン人が、そう思っているらしい。

そのため、一般的に「政府は悪者」。
その1例が考古学博物館。バガン遺跡地区の中央にどすんと構える3階建ての国立博物館。いやがおうにも目立ってしまう。ところが、馬車の御者やガイドは完璧に無視。
「あの建物は何ですか?」と聞いても、
「あれは、政府が建てたミュージアム。何もないし、高い入場料までとられる。つまらないところさ。」

観光本には載っているのに、地元の人には観光スポットとして、全く認識されていない。高い入場料(5ドル)も悪いし、なんといっても、自分の住んでいた土地から強制退去させられて、そこに政府が建てた、宗教的概念の皆無な建物。地元から歓迎されるわけがない。
「歩き方」ではタックシールをつけておいたんだけど、とても「見に行こう」とはいえない雰囲気だった。当然だけど、客がいる気配もない。

そんな逆境の中でも、バガン人は、へこたれない。
市場では、口をあけた魚が丸ごと一匹、ざるの上に無造作に置かれている。数十匹以上が天日の下に売られており、辺りは魚の臭いが漂っている。臭いにつられて、ハエも数え切れない程、集まっている。野良犬もウロウロしている。
よくわからない鳥が皮をむかれて、これも丸ごと吊るされている。
生もの大丈夫かい?食中毒大丈夫かい?鳥インフルエンザ大丈夫かい?
煮込んでカレーにしちゃえば大丈夫さ。
そんな声が返って来そうである。

雨期のため、あちこちの川が増水し、日本語でいうなら「洪水」。しかし、ミャンマー語では「洪水」→「プール」または、「洪水」→「洗車場」。
川が氾濫すれば、そこは天然のプール。どんなに汚い水であろうと、子供たちは元気に泳ぐ。
わざわざ洪水している川の淵まで来て、車を洗っている。そんなのも当り前。てっきり浸水して動けなくなったのかと思った。
世界は狭いけど、アジアは広い。

2泊3日のバガン滞在を終えて、再び首都ヤンゴンに戻ります。


14:近づけ!

旅行先で地元の人と、お近づきになる。これも、旅の目的。
さて、ミャンマーでは?

バガンから、空路でヤンゴンへ。国内線の空港では、待ち時間に停電。飛行機は自由席。新鮮な経験をさせてくれます。

正午前の暑い日差しの中、ヤンゴン空港を一歩、外に出れば、そこは再び、人の渦、波、嵐。
「タクシー?タクシー?チェンジマニ?」
こんな気温と湿度の中で、なんでそんなに元気なの?
そのうちの、ひとりの黒い兄ちゃんと交渉。
「ヤンゴン?ファイブダラ」と黒い兄ちゃん。ヤンゴン市街まで車で30分の距離が500円。あまり高いとも思わないけど、もうちょっと冒険してみよう。
「スリーダラー?」と聞いてみる。
「ノー」と手を振って、兄ちゃんはあっちへ行ってしまった。
ミャンマーに来て、初めて冷たい扱いを受けた。やはり、世の中、金次第。
仕方ないので、別のタクシーを探す。
ワゴン車を運転している黒いおじちゃんに、
「ヤンゴン、スリーダラー?」と声をかけてみる。
当然、いやな顔をするおじちゃん。でも、
「ちょっと待ってて。別の客を探すから」のようなことを言って、車を止めてあっちへ行ってしまった。どうやら、ヤンゴン市街まで3ドルでOK。ただし、他にも客を乗せるから、ちょっと待っててくれ、ということらしい。
数分、ワゴンタクシーの中で待っていると、ミャンマー人の観光客を3人引き連れて戻ってきた。
どうして、外人って、あんなに荷物が多いのかね。
そのミャンマー人観光客は、外国から来た僕たちよりも、倍以上の荷物を持ってて、それを遠慮なく車の中へ押し込んでくる。僕の足元、体のわきへぎゅうぎゅう、ギュウギュウ押し込んでくる。「礼儀」とか「謙譲」とか「遠慮」とかは、日本にしかない言葉だね。
ワゴン車は、それなりの大きさなのに、5人の客と、5人分以上の荷物を詰めこみ、ちょうどいいサウナ状態。そんな感じで、空港を出発。

車内は正午前の東南アジアの日差しを受けて、わりと我慢くらべに近いかも。窓を開けても、排気ガスしか入ってこないから、究極の選択。そんなの慣れっこのように、隣のミャンマー人は、お互いに、ひたすらしゃべりまくっている。
そのうち、タクシーが小さな路地へ進入し、あちこち、くねくね曲がった挙句、到着したのが、(昨日、地震でもあったの?)というようなビルの前。土ぼこりの中に、一応、まっすぐ建っているけど、壁は、建築以来、一度も手を加えられていない様子。壁の一部がはがれ落ちてきても、全然不思議じゃない。未舗装道路わきに密集している、3,4階建ての雑居ビル。周囲にはドブとゴミ。これが、ミャンマーの一般的なアパートらしく、客の1人がここに住んでいるらしい。ミャンマーで飛行機に乗れるのは、少なくとも上流階級。そんな人が、こんな場所に住んでいるとなると、上流以下の人達は、いったいどんな所に住んでいるんでしょう。

そこで降りた客が、タクシーに料金を払っているのをちらっと盗み見。500チャット払っている。500チャットは、0.5ドル(50円)。僕らは(ふたりで)3ドル、300円。
どう?近づいた?

客が1人降りるごとに、車内の酸素濃度が少しずつ上昇する。残りのミャンマー人を順々に降ろし、最後に、僕らのホテルの前へ。たった、40分そこそこだったけど、中身の濃いドライブでした。僕らの順番を最後にしてくれたタクシーの運転手さんに感謝。

ちょっと苦労して、2ドルの利益を得たけど、それ以上の収穫。


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by akogarehotel | 2005-01-01 22:47 | あちこち旅行記 | Comments(0)