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初心者目線の緊張感 平成26年8月30日(土)

初心者目線の緊張感 平成26年8月30日(土)


あくまでも個人的な経験。


大学水泳部時代の話。あるいは、中学水泳部時代の話。
(高校時代は”水泳部”じゃないので。)


いつもいつものことだが、
試合(レース)が始まる瞬間には、ものすごーーーーーく、緊張していた。

自分のレースが始まる30分前、プールサイドに集合している時間から、体が固まってしまうくらいに緊張した。
まわりの人と冗談話をしている選手もいるなかで、僕はいつもひとりでじっとうずくまっていた。もはや、このレースを何秒で泳ぐか、なんてことよりも、無事に泳ぎきれるかどうか、と不安になりながら。

そんな状況で、ときには「決勝戦」というものを泳いだりもしたが、心の中はもちろん、

…最下位でもいいから、離されないように。恥ずかしいダントツの最下位になりたくない。

と念じていた。
今にして思えば、緊張感というより、不安感というほうが正しいだろうね。
で、当時は、これが性格というものなんだろう、と普通に受け止めていた。


………


状況が変わったのは、大学3年生のころ。
当時の水泳部のキャプテンが、ものすごい熱血漢で、「誰からも慕われて」いる素晴らしい人で、(現在、防衛大学教授さまで、)
だから、部内の誰もが、僕も含めて、一所懸命練習していた。その前年までの練習が少なかった?というわけではないが、みんなのやる気がかわったことは間違いない。
(キャプテンって、大事だね。すべてにおいて。)


練習に熱心になると、練習中の自分のタイムをコトコマカに気にするようになる。
練習の100mを何秒で泳げるか、200mなら何秒で泳ぐか。それを8回繰り返すと何秒になる、とか。
そして、来週には、もう少し早く、再来週にはもっと早く泳ぐようにしよう、などと妄想する。

すると、不思議なようで、実は当然でもあるが、

次回のレースで、自分が何秒で泳げるのか、泳ぐ前から分かってしまう。

たとえば、
「練習でのタイムから換算すると、今日のレースでは2分40秒か41秒で泳ぐだろう。とすると、順位はこれくらいで、いつものライバルとはこれくらいの差になるだろう。」
と、レース直前に妄想できてしまう。
練習で、100回やれば、100回同じ結果(タイム)になることなのだから、よほどのことがない限り、この妄想は現実となり、だいたい1秒の誤差でゴールすることになる。

もちろん、この1秒が大事で、そこで順位が3つくらい変わるわけだけど、
不思議なことに、こんな思考回路が成立すると、全くといっていいほど緊張しなくなった。

レース前にあれほどドキドキしていた不安感が、気が付けば、
「150のターンで、この位置についていけばなんとか…」
と、妄想含みの楽しみなワクワク感に変わっていた。


これだよ、これ!

すべては練習が解決する。
しっかり練習していれば、緊張なんて全くしない。
練習してないからこそ、不安とともに緊張するんだよ。緊張するやつなんて、単に練習が足りないだけなんだよ。

練習してない奴が、試合でどんだけ緊張してがんばったところで、結果は変わらない。勝負は「練習」にある。試合は、単なる成果発表の場なんだよ。
あれ?なんだか競輪と同じだ。
でも、私は学生時代は競輪なんて知りませんでしたので。


これが大学3年のとき。
以後、大学6年までレースを繰り返すが、毎回のレースが楽しみで仕方なかった。


………


じゃぁ、今は?

ひっでぇー、緊張してます。
赤城に向けて。


練習が足りない。
今のままでは、どれだけのタイムで登れるかなんて想像もつかない。
悲しいほど遅かったらどうしよう、と不安でいっぱい。

嬬恋ヒルクライムが中止になったので、ぶっつけ本番になったことも、緊張感マシマシの原因。


だからといって、、、

練習する時間が、ねぇ、、、アルワケナイシ…
そういうもんだよ、いい大人だから。
家族や仕事を無視して練習するわけにはいかない。
だから、「いい大人」が緊張感を打ち消すための、違う思考回路を発案しないといけない。

by akogarehotel | 2014-09-01 09:14 | 本気のサイクリング | Comments(0)  

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