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【第4章】モロッコ

【第4章】

34:今日だけは真面目な話(10月31日)
35:
砂の砂漠(11月1日)
36:
登砂(11月4日)
37:
砂のホテル(11月5日)
38:
砂漠への道のり、1(11月6日)
39:
砂漠への道のり、2(11月7日)
40:
スーパーマン(11月10日)
41:
砂漠の人々(11月11日)
42:
モロッコのフランス(11月12日)
43:
化石売りの少女(11月13日)
44:
安全基準(11月14日)
45:
まず、お行きなさい(11月17日)

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34:今日だけは真面目な話

  なんで、旅行するの?
  
  きびしい質問ですが、簡単な質問です。
  「気合を入れなおす」ためです。

  かっこつけてるように聞こえる場合は、適当に流してください。今日だけは、真面目な内容です。
  
年取ってからの旅行なら、「景色を楽しむ」とか、「おいしいものを食べる」でも、いいんじゃないですか。でも、海外で、得られることは、そんなちっぽけなことだけではありません。僕も、海外デビューのころは、「景色」「食事」「遊び」を求めてました。正確に言うと、最初の海外が、「仕事でドイツ」。なんか、かっこいい響きですが、全然、そんなことありません。で、仕事以外の時間に何をするかと言えば、教会を見たり、ドイツビールとソーセージを食べたり、と典型的な「観光客」でした。
  「観光客」するんだったら、何も、高いお金で海外まで行かなくたって、日本国内で充分です。

  では、なぜ海外へ?
  その答えは、、、、、、、
モロッコに行って、何を感じたか。 ということです。
 (ここでは、モロッコに限定していますが、他のアジア、アフリカの国々でもほぼ同様のものと思われます。)
  モロッコで、2、3日過ごして、わかったこと。それは、
  
「みんな、常に、生きるのに一生懸命」
 なんです。生きるため、食べるために、努力をしないと、生きていけないんです。大人も子供も、みんな。日曜も祭日も、いつも。モロッコに行けば、どこに行っても、「一生懸命生きている」人々に出会えます。生きるために、ぼったくりをする人、ぼったくりを考案する人。いろんな手段で小銭を稼ぐ子供。今にも壊れそうなトラックで仕事をする人。原付1台で砂漠の道を通勤する人。足に大きなブロックがぶつかって(骨折?)も、なめて治す人。やっとこさ馬車を引く、やせ細ったロバ。動物だって、もちろん、餌をもらうために一生懸命。
  ヤル気がない、とか、疲れた、とか、社会がわるい、とか、訴えてやる、だとか、彼らは、
そんなこと言っている暇はないんです。生きるのに、一生懸命だから。

  日本は、いい国です。

35:砂の砂漠

  世界地図で「さばく」といわれるところの、大多数が、砂ではなく、「岩の砂漠」「岩漠」です。西部劇のサボテンとか、グランドキャニオンをもう少し平らにしたもの、のような岩の大地。日本人がイメージするような、地面が砂だらけで、夕日にラクダが浮かんでいる、そんな「砂漠」は、実は少ないのです。

  
「サハラ」とは、現地の言葉(イスラム)で、「砂の砂漠」という意味です。つまり、「砂漠」 = 「サハラ砂漠」。モロッコは、その、サハラ砂漠の西端に位置します。カサブランカ、マラケシュ、フェズ、などとともに、サハラ砂漠、は、モロッコ観光のメインのひとつです。

  視界一面が砂だらけ。
目に見えるものは、砂と空だけ。
  サハラ砂漠に立てば、まさに、そう感じることができる。足元は全部、砂。日本の海岸の砂浜とまったく同じ、砂の地面。さらさらの砂。石ころすら、めずらしい。だから、タイヤもの、すなわち車やバイクは走れない。ちょっと歩いただけでも、靴の中は砂だらけだし、足は埋まっていくし。靴なんて、じゃまなだけだから、はだしで歩く。生き物、植物を見かけることは、ほとんどない。表面的には、生命の存在が、全く許されていない。(地中深くなら、何かが生きてるらしい。)
  
砂漠は寒いって知ってた?暑いんじゃなくて、寒いんです。もちろん、昼間は暑いし、砂は焼けている。しかし、日が沈みかける頃から、だんだんと風が強くなり、涼しくなる。大陸内部の気候は、一日の温度差が激しいのが特徴。日が沈んでからは、気温は急激に低下する。そして、明け方には、東京の冬と同じくらいの温度になる。しかし、ふたたび昼になれば、東京の夏の気温に、戻る。そんな所で、生活する人は、やっぱり、偉いです。
  
砂は風で飛ぶ。砂埃のように、当然に。つまり、砂漠は、ずっと平らで、ずっと同じ形、でいるわけにはいかない。時間とともに、表面の形が変わるし、でこぼこが出来上がる。そのでこぼこは、長い年月の結果、大きな山にもなる。だから、サハラ砂漠には、「山」があるのです。公園の砂山の、とてつもなく、でっかいものが。モロッコで一番有名な、砂漠山は、標高300mくらい?でしょうか。正確にはわかりません。
  高いところに昇ってみたい。頭の悪い人、旅行者、の心理です。
  ということで、「あの山に登ろう」となったが、、、、、

  砂漠は怖いところです。凍死するくらい寒くなるし、視界は砂だらけだし、
自分の足跡は風で消されるし、素人が一人で簡単に移動できるものではありません。

36:登砂

  目の前にそびえる砂の山へ向けて出発します。もちろん、現地のガイドがいっしょで、そして、はだしで。その山は、観光ガイドに写真つきで掲載される有名な山(メルズーガ)ですが、すぐ目の前にあり、簡単に手の届く高さのように思われる。しかし、近くにあるように見えるのは、一面砂だらけのための、目の錯覚。遠くて、遠くて、結構、高いんです。

  はじめのうちは、平らな道。でも、砂に足を取られて、なかなか、前に進まない。海水浴のとき、砂浜で、裸足で歩いてるのを想像してください。缶ジュースのピックは落ちてないけど、虫とか、ラクダのフンとか、踏まないように、足元を良く見て歩きます。爪の間に砂がはさまった、なんて文句言ってられるのも、最初の2分だけ。そのうち、そんなこと気になれなくなる。
  歩いても歩いても、頂上への距離が、なかなか変わらない。山が全然、近づいてこない。山登りって、そんなもんですよね。しかも、登りあり、下りあり。下ったところで、ちょっとしたクボミに入ってしまうと、
視界がさえぎられて、本当に砂だらけ。目印もなく、前後左右が完全に分からなくなる。ここで、ガイドに逃げられると、100%遭難する。斜面をよっこらよっこら登って、丘の上に出れば、かろうじて、山の頂上が目印になる。

  2時間くらい登ると、頂上が近づいたような気がしてくる。上り坂の角度が急になり、風も強くなる。自分たちの
足跡が、風のために、見るまに消されていく。帰れるのかな?結構、怖い。僕ら小さな日本人は、風にとばされないように、斜面にしがみつくように、のぼっていく。ほぼ、四つんばい状態。ところが、ガイド(現地の黒いひと)は、背が高く、そのぶん風を受けやすいにもかかわらず、姿勢をただしたまま、ヒョイヒョイと、かけ登っていく。彼らの、運動力、生命力は想像を超える。

  いつか、やっと、頂上に到着。頂上といっても、砂山だから、目印はなく、「この辺が頂上?」といった感じ。風が強くて、立っているのが怖い。座り込んでしまう。しかし、そこは、360度、周り中が、足元に見渡せる。出発したホテルが、黒い点のように、はるかかなたに見える。地面の砂に、名前なんか書いたりして。でも、1分で風に消されてるけど。
  しばらく余韻を楽しむ。疲れ果ててるから、斜面にまたがるように、座り込んで。その間、ガイドさんは、力を持て余すように、むだに、斜面を降りたり登ったりしてる。信じられない。

  いわゆる「登山」と違い、
下りは楽しい
  最初は、おっかなびっくり、すべらないように降りてたけど、実は、
飛び降りても、全然平気。砂だから、飛び降りても、転んでも、クッションになる。助走をつけて、思い切り斜面に飛ぶ。すると、2メートルくらいの高さを、一歩で降りられる。もちろん、着地に失敗すると、砂だらけになるけど。
 帰り道は、30分くらいだった。
 宿では、
砂スキー用に、板を貸してくれる。板を担いで、もう一度、山に行く気には、なれない。

37:砂のホテル

  砂漠に数日滞在したい。
  
  
方法は2通り。ひとつは、砂漠(内部)ツアー。ラクダに乗って砂漠を横断。夜になれば、寝袋かテントで寝る。当然、ガイドがいっしょ。食事は、みんなで自炊。最低でも5日間くらいは、文明に遭遇できません。トイレはなし。砂に隠します。
  こういうのは、ちょっと、、、、。さすがに、新婚旅行では、遠慮しました。

  で、もう1つの方法。
砂漠にもホテルがあります。正確には、「砂漠脇の」「石でできた小屋」ですが。
  さらさらの砂の上には、建物は建てられません。建物が建てられるのは、砂の砂漠の、ギリギリのところ。ここまでは、砂と岩の混ざった砂漠です。地面が、いくらか固く、なんとか建物を建てられます。という場所に、数kmくらいおきに、数軒の宿が並んでます。つまり、隣の宿まで、数km。
  壁は、石というか、ブロックというか、なんかそんな感じの固いもの。こすると、くずれそう。天井には、大きな木材が数本渡してあり、そこに木の枝だか、葉っぱだかが、覆って、屋根のかわりをする。どうせ、雨なんか降らないから、これで充分?雨は降らなくても、虫は、いる。その、すきまだらけの屋根からは、虫は自由に出入りできちゃう。当然、一階建て。
  心配なのは、
水と電気
  ホテル脇には、大きな水タンクがある。これが、僕らの命綱。でも、清潔ではないから、飲むことはできない。シャワーには使うけど、うがいには使えない。清潔な水、ミネラルウォーターは、自分で用意しないといけない。ふたりで、2日で、4リットル持って行った。こぼしたら、と思うと、ちょっと不安と緊張。電気は自家発電。ホテルの外で、ガソリンで動く発電機がブンブン言っている。さすが、アフリカアラブ。ロシアと違って、ガソリンは豊富みたい。しかし、電気のムダ使いはダメ。電気は、あくまでも、調理、緊急用。照明には、ほとんど使わない。日が沈めば、ろうそくの明かりで、食事する。当然、テレビ、ラジオもない。もちろん、必要なんて思わないけど。
  
部屋は、8畳一間、ベット1個。床は砂だか土だか。壁は石。多少の虫には我慢が必要。窓1つ。夜12時で消える裸電球ひとつ。真っ暗闇のなか、懐中電灯だけの明かりで、ビーフジャーキーをぽりぽり。そんな、楽しい夜です。
  
シャワーは水だけ。昼間なら、夏なんだから、水で充分。しかし、夜には冬(と同じ気温)になるから、昼間のうちにシャワーを浴びる。トイレは、溜め?地面のどこかに消えていくんだけど、どこへ?くさくて、あまり観察できませんでした。

  
一泊200円。食事は別で、1食200円。アルコールなし、売店なし、お菓子なし。ラマダン中は、夕食しか提供されません。

38:砂漠への道のり、1

  モロッコでサハラ砂漠が見たい!ときの目的地は、メルズーガ、という村。ここは、まさに「砂漠の中の村」、ドラクエに出てきそう。文明とは、ほど遠い、、、、はずが、村の中心には電線があり、衛星テレビを持ってたりする家庭もある。砂漠の中で、テレビを見る。ちょっと、おかしな光景。
  たとえテレビがあっても、メルズーガは砂漠の村。
タクシーは来ない。なので、砂漠に入る前に、つまり、メルズーガの手前の町で、宿と車をチャーターする。
  一般には、
エルフード、という町で、宿の予約と車のチャーターをする。舗装道路はエルフードまで。エルフードからメルズーガまでは、砂と土の、道なき道、である。
  僕らが、中継地とするのは、いつも
ワルザザートという町。エルフードよりも、文明側へ250kmのところにある町。

 
メルズーガ(サハラ砂漠) ←50km―  エルフード ←250km― ワルザザート

  砂漠から、300kmのところにあるワルザザートでも、
「送迎つき」の宿が予約できる。片道300kmのドライブ、こんなの、モロッコでもロシアでも、朝飯前らしい。ワルザザートからエルフードまでは、「一応」舗装された道路がつづく。舗装道路といっても、道幅は5mくらい。片側5mではなくて、対向車線あわせて5m。道の両端には、じゃりとか、石とか、草とか。町中では歩行者も多い。そんな道を、僕らを乗せた、推定1500ccのフィアット5ドアは、推定速度90kmで駆け抜ける。なぜ、速度が「推定」かというと、スピードメーターが壊れていて、針が動かないから。ちなみに、ガソリンメーターも壊れていて、給油のタイミングは、ドライバーの勘だのみ。
 当然だけど、たまには、対向車がやって来る。しかし、彼らは減速しない。
90kmのまま、音をたててすれ違う。当たってはいないけど、かすってるかも。その際、ドライバーが、片手でフロントガラスを抑える。何かの挨拶?かと思ったら、
 「対向車のはね飛ばす石で、フロントガラスが割れないように」だって。
確かに、モロッコでは、フロントガラスが割れている車をよく見かける。
  追突しそう、と思ってるのは乗客だけ。タバコをくわえながら運転するドライバーは、人間ではなく、視力5.0以上の、まさに動物。

  ワルザザートを出発して、
3時間弱で、エルフードに到着。

39:砂漠への道のり、2

  エルフードから先は、砂漠に突入する。いよいよだぞ、という緊張感がただよう。この町で、しっかり水と食糧を買っておく。
  町の出口、つまり、砂漠の入り口、では、
軍隊が検問をしている。自動小銃を持った軍人が、僕らの車に近づいてくる。こわいよ、これ。なんだかんだ、ドライバーと話してる。ドライバーがお金を払う。どうやら、軍人が、なんくせつけて、お金をせびり取ってるらしい。日本では、信じられない光景。

  町を出ると、すぐに道が消える。ここから先は、いわゆる、
岩の砂漠「岩漠」。はるか向こうに見える砂漠の山を目指して、土の上を、砂埃をあげて、走る。さっきまで90kmで走ってた、われらがフィアットも、さすがに、ここでは、推定時速30kmに減速する。土といっても、固い地面だから、30kmで走っていても、ガタガタがたがた、車が分解しそう。天井に、何回も頭がぶつかる。安全運転の僕らの横を、日本製の4駆が、猛スピードで追い越していく。さすがに、文明国家の車は、パワーが違う。
  
エルフードから、メルズーガまでは、道ではない。岩っぱらを走る。しかし、道がないわけではない。地面に、よく見ないとわからないが、ところどころに、リボンのような目印が埋まっている。そのリボンをたどって、進んでいく。まっすぐ走ってたかと思うと、急に、直角に曲がる。次のリボンが、右にあるから、そっちへ曲がる。もし、気付かずに、そのまま真っ直ぐ進めば、砂貯まりにハマって、あり地獄のようになってしまう。よそ者は、よせつけない。それが、砂漠である。現地人のドライバーは、本当に感心するくらいに、的確にコースを選んで進んでいく。フィアット5ドアは、昔のスターレットみたいなもので、決して、ラリー車ではない。ちょっとした砂でも、スリップして動かなくなってしまうだろう。
  そんな道なので、あっちへくねくね、こっちへクネクネしながら進み、50kmの道のりには、2時間近くかかる。人も車も、ヘトヘト、がたがたになたっところで、ようやく、メルズーガに到着する。
  
メルズーガ、すなわちサハラ砂漠の入り口。ここから先の地面は、砂。本当の砂の砂漠。石や土ではないから、車は進めない。この「砂の砂漠」と「岩漠」の、境界線上に、数軒の宿が並んでいる。

  車から降りると、目の前には、鳥取砂丘の何倍か大きな、砂のかたまりが、そびえ立っている。

40:スーパーマン

  細い道路で時速80kmのまま、対向車とかするように、すれ違う。
  砂漠の「道なき道」を目を凝らしながら運転し、わずかなところで、
あり地獄(砂ポケット)をかわす。
  砂漠の山登りに僕らを案内し、
日が沈んで真っ暗になっても、道に迷わない。

  現地のガイド兼ドライバーは、本当に、スーパーマンです。というか、僕らのスーパースター!!
  彼の名は、
メルウィ- オマール。フランス風のしゃれた名前とは裏腹に、モロッコの現地民族:ベルベル人。こげ茶色の肌で、身長180cm。顔にはアラブ人共通の鼻ひげと、天然パーマ。白い目がキョロッと光り、へんにかわいい。
  そんなオマールは、時速90kmで走る車を、数cm単位で操り、対向車とすれ違い、歩行者をよける。また、数100m先で警察の検問に気付き、あっというまに90kmから30kmに減速し、一瞬の早業でシートベルトをはめる。彼らは、日本人のような「退化した文明人」とは違う種の「動物人間」らしい。アフリカ原住民が、本気を出せば、文明人が、オリンピックでかなうわけがない。ただ、彼らには、生活があるので、「本気をだせない」だけなんです。
  オマールのすごいところは、その、動物のような運動神経だけではない。彼には
「気遣い」という特技がそなわっている。
  日本人は、おそらく、今のところ、世界一の
「気遣い民族」でしょう。外国に行くと、ずうずうしく、遠慮のない、謙譲という言葉が辞書にない、そんな外人ばかりです。この点では、アフリカも、モロッコも、例外ではない。ところが、、、ところが、、、、
  
オマールだけは例外。300kmのドライブ中に、
 「疲れたか?空腹か?トイレは?写真とるか?」
など、カタコトの英語で、こまめに聞いてくれる。日本人以上に、かゆいところに手が届く。彼は、こんな技をどこで習得したのでしょう。本当に、いいやつで、頼りになります。
  オマールは、
ワルザザートのツアー会社「タフクト・カー」で働いている。タフクト・カーは、ホテル・ロイヤルの向い側。僕らが、モロッコ旅行のときには、いつも、ワルザザートを拠点にする理由です。もし、行くのなら、おみやげとして、タバコ(マルボロ)を持っていってあげてください。

41:砂漠の人々

ハッサンは、砂漠の宿のオーナー
  映画に出てくる砂漠人のように、
大きな黒いマントを頭からかぶっている。フードの中には、とんがった黒い顔に野獣のような目と鼻ヒゲ。日本で出会うと、ちょっと怖いかも。表向きは、人当たりのいい「主人」。しかし、内面は、、。
  彼には、守らなければいけない、宿、家族、ラクダ、がたくさん。そのためには、真面目にやってたのではキリがない。すこしくらいの策略を使います。僕らを、執拗に「ラクダツアー」に誘う。ツアーといっても、ラクダの背に乗って、10分くらいの
散歩。ラクダなんて、くさくて、揺れて、おしりが痛くなって、砂漠は暑いし、、。断りつづけていたけれど、ついに、誘いにのってしまった。で、散歩が終わる頃の、料金請求が2000円!一泊200円の宿で2000円!1食200円の宿で2000円?
  彼の気持ちも、わからないでもないが、、、。

ハッシムは、ハッサンの
  兄を補佐する、
外も内も、やさしい弟。武田信繁(信玄の弟)のイメージ。彼の家に誘われて、彼の家族と衛星テレビを見ながら、紅茶をごちそうになった。僕らが、砂漠で1日、何もすることがないから、気を利かせて誘ってくれたらしい。で、紅茶は無料。モロッコで、無料のお茶なんて、初めて飲んだ。

ハマダは「モロッコの原住民」ではなく、「サハラ砂漠の原住民」。本物の、黒い人。茶色じゃなくて、黒い人。砂漠のホテルで、砂漠案内人、兼、お手伝い、として働いている。彼は、本当に、夜になると「透明人間」になる。ただし、目と歯を除いて。

  基本的に、砂漠の宿の人はやさしい。何か食べたい、といえば、すぐに用意してくれる。いつも、陽気に、親切に話しかけてくれる。モロッコにいる、モロッコ人は、優しい人が多い。モロッコにいる
フランス人とは、両極端。

  砂漠の宿には、
観光客も、たまに来る。バイクで、きままに旅をしてるドイツ人のおじさんは、泊まらずに、お茶だけ飲んで、また、旅に出て行った。砂漠の中を、好き勝手に走っていくという。世界には、そんなうらやましい人もいるのね。アメリカ人のお兄ちゃんは、学校の夏休みで、1ヶ月くらい放浪してるとか。日本人だけじゃないの、たった1週間しか休めないのは。1週間だけでも、休めるだけマシか。
  彼らは、夜になると、砂漠に出て、太鼓を叩きながら、歌って踊ってる。現地人、アメリカ、ヨーロッパ関係なく。
酒も飲まずに(イスラムは酒禁止)、どうして、あんなにはしゃげるのだろう。日本人も、恥ずかしさを捨てないといけない。

42:モロッコのフランス

モロッコのフランス
題名は間違いではありません。
モロッコは、その昔、フランスの植民地だったため、現在でもフランスの文化に、かなり影響されてます。そして、たいていの場合、悪いほうへ、影響されています。
  
  
カサブランは、モロッコに行ったことのない人にとって、一番のあこがれの場所。モロッコに行くのなら、まずはカサブランカ。映画のような、っていっても、どんなだかわからないけど、きれいでムードのある町並みに、エスプレッソとクロワッサンの香りがただよう、居心地の良いカフェ。旅に出る前には、そんな風に想像してました。しかし、実際は、、、、
   意地汚い、中途半端な、都会とリゾート。
  だいたい、諸悪の根源は、フランス風なこと、というか、フランス人!
  あくまで、僕らの私見ですが、フランス人は、プライドが高く、冷たい。
  かたことの英語しか話せない僕らに、
当然のように、フランス語で話し掛けてくる。フランス語が通じないとわかると、すぐに態度が冷たくなり、何も努力をしてくれない。僕らが、空港、ホテル、タクシーなど、モロッコで遭遇したフランス人は、例外なく、全員が冷たかった。

  モロッコ、特にカサブランカは、
フランス人のバカンス先として、とても有名。日本人にとっては、ハワイかグアムに相当する。町の中には、休日をぜいたくに過ごそうとしてやってきた、金キラのフランス人がわんさかいる。そんなもんだから、現地のモロッコ人も、フランス人の観光客を目当てに、優先して勧誘し、サービスをする。小汚い、金のなさそうな、チビの、日本人には、見向きもしない。僕らが、レストランに入ろうとして、店の前をうろうろしていても、ウェイターは、ピクリとも動かない。というか、にらまれてるかも。ここが、マラケシュやウズベキスタンなら、店員が手を引っ張ってでも、店に招き入れる。ホテルの受付のフランス語を話すモロッコ人も、
 「泊まりたくないなら泊まらないでいいよ。」
(フランス人と思われる)タクシー運転手は、降車するときに、値段をつり上げてきて、挙句の果てに
 「I don't speak English.」(英語ワカリマセーン)と、英語で答えるし。お前(タクシー)、フランス国内で仕事がないから、こんなところでタクシー運転手をやってるんだろうが!と怒鳴りたくなった。カサブランカにいるあいだは、フランス人からも、フランス系モロッコ人からも、見下されていた感じだった。

  残念ながら、
カサブランカ国際空港(ムハンマド5世空港)が、もっとも利用される空港ですが、、、、、、カサブランカは、モロッコじゃなくて、フランスだから、訪れる必要は、全くありません。カサブランカは、モロッコの首都ではありません。首都は、ラバトです。
  なんで、行っちゃったんだろ。

43:化石売りの少女

  ワルザザートから、砂漠へ向かう300kmのドライブのうち、街中を走る数分間以外は、ほとんどが、岩漠を走る。これまで何度も説明しているが、岩漠とは、砂の砂漠のようなサラサラの地面ではなく、固い土の地面で、まわりには大きな岩がゴロゴロしている。だだっ広い、土と岩だけの平原である。そんな、まっ平らで広大な大地では、人工物といえば、1本の道路だけである。前方の地平線から、後方の地平線まで、まっすぐに突き抜ける道路だけである。水はもちろん、緑さえもほとんどない。視界一面に赤茶色の大地が広がる。
  こんなところで、車が故障したら、、、なんて思うと、不安でたまらない。そんなときは、自分で修理するか、通りがかりの車を捕まえるしかないし、そうしている人たちを時々見かけた。

  道路わきにはいろんなものがある(いる)。
らくだの群れには、よく遭遇する。ノラ?とも思えないが、らくだ飼いの姿は見えない。
  道路に沿って、人の高さほどの土の山が、いくつも並んでいる。左右に、合計50個くらいは、ありそう。なんと、これが、「井戸」だそうです。車をとめて、近づいてみる。なるほど、土の山には、大きな、深ーーーい穴が開いている。掘り出した土が山になったのか。試しに、井戸に石ころを落としてみる。ヒューーーーーーー、、、、、、???音がしない。もし、落っこちたらと思い、足がすくむ。

  問題は、そのあと。
わずか数分、路肩に停めただけなのに、車の周りには、数人のひとだかり。民族衣装を着た現地の子供が、わらわらと集まっている。皆、それぞれ、何か、石みたいなものを握っている。
 「
化石を買ってくれ、と言ってる」ドライバーが通訳する。
  子供たちの手の中の石には、確かに、アンモナイトや、虫みたいなものが固められている。本物なの?化石って、勝手に掘っていいの?
  どうやらニセモノじゃないらしい。
  ウキウキしながら、化石を選びました。

  でも、この子らは、どこからやってきたの?
  見渡す限りの土の砂漠で、車もなく、自転車もなく。はるかかなたの山肌に、目を凝らせば、横穴式住居を少し近代化したような家、というか、穴が見える。あそこから?歩いて、1時間はかかると思うけど。しかも、砂漠の太陽の下を歩くの?
  彼らは、こんな、
岩だらけで、水もないところに住んでいるそれが当り前のように
  山で化石を掘り出して、旅行者に売る。旅行者だって、いつ通りかかるか、ましてや、車を停めるか、なんてわからない。道端の土の山の陰で、日差しをよけながら、いつ停まるかわからない、旅行者の車を待ちつづけている。停まった途端に、我先にと、集まってくる。1個100円で売れれば、1ヶ月の食糧になる。
  「涙ぐましい」ってのは、まさに、こういうことじゃない?

  こんな子供を見てしまったら、、、、
人生観が変わるよ。

44:安全基準

  日本の観光地で手すりが壊れて、観光客が怪我でもしようものなら一大事。管理している自治体やら宗教やらが補償などで大慌て。日本て、本当に卑しい国です。

  
「ファティマの滝」はマラケシュから車で1時間くらいにある観光地。「ファティマ」とは、モロッコに昔、いた、だったか、想像上だったかの女性。いずれにしろ、神様のように尊敬されていたらしい。「ファティマの手」というミニチュアがお守りとして売られている。そのファティマさんが、生まれただか、住んでただかしたのが、このファティマの滝。なんで、情報が中途半端かというと、興味がないから!
 「滝はいいところだから、行ってみろ。」ホテルで、なかば強制的に進められ、お金を払わされて、行くことになってしまった。滝に来るくらいなら、マラケシュの市場でゆっくりしたいのに。

  モロッコといえば、砂ばかりで、水がない、というイメージ?かもしれないが、中学で習った
アトラス山脈という巨大な山並みがあり、頂上には10月でもが見える。ファティマの滝は、そのアトラス山脈のふもとにある。
  マラケシュを出て1時間、車が駐車場で停まる。ここから先は、歩きだと言う。僕らは、山登りは嫌いだし、早くマラケシュに帰りたいし、
 「1時間だけで帰ろう。」とガイドに念押しした。ガイドも、
 「では、
1時間以内に、ここに戻ってこよう」といい、実は、エンドレスのハイキングがスタートした。
  道らしい道は、最初の5分だけ。その後は、川の中、川の上を、石を飛び越え、進んでいく。大きな岩をまたぎながら、渓流をさかのぼって行く。のぼり勾配は、進むにつれて、当然、急峻になっていき、岩に手をつかないと、登れないくらいになる。脇では、渓流が、ドシャドシャ音をたてて、高さ2mくらいの滝をつくっている。
  出発してから30分たったころ、僕が「もう帰ろう」と言うと、
 「もうちょっと、もうちょっと」
 と返事される。渋々、もうちょっと登ると、、、目の前には、
高さ5mくらいの石の壁。まさかと思ったけど、これを登れって言う。すぐ脇の渓流の水が、微妙に岩肌を濡らしている。一応、運動靴だけど、さっきから、すでに、滑りっぱなし。日本では、こういうのをロッククライミングという。途中で滑って落ちたらどうするのさ。怪我じゃ、すまないよ、絶対。こんなところで、消息不明になっても、発見されないだろうな、とあきらめた。トカゲのように、両手両足、胸までも使って、よじ登った。とりあえず、登った。ふぅっ、と一息。したのも、つかの間、10mくらい歩いて、また岩の壁が出現。その上にも、岩壁。その上も。。。
  壁のぼりを、
5面くらいクリアーしたところで、本当に一息。目の前には、落差10mくらいの1本の白い滝。
 「これが、ファティマの
ひとつめの滝」
 「ふーん、これが、僕らが苦労した末にたどり着いた滝?って、
ひとつめ?
 「まだ、上につづいている。
全部で7つある。
  ぜんぜん無理。もう、1ミリも登れない。とっくに1時間越えてるし。
  しぶるガイドに文句を言って、帰路についた。一歩滑れば、すぐ死ねる。というか、まじめな話、遭難した人がいるに決まってる。

  規制がないのも困る?
行かなきゃいいんです。

45:まず、お行きなさい

  まず、お行きなさい。
  
マラケシュの、うるさいほどの喧騒、にぎやかさ、民族の交わり、ほどよい汚さ、奇妙な物・味・人、そして、何にも優る楽しさ、は、とても言葉では語れません。

  カサブランカは、モロッコの
「フランス人の文化の中心」。対して、「モロッコ人の文化の中心」が、マラケシュです。だから、マラケシュには、観光客も集まるけれど、それ以上に、モロッコ人(アラブ人、ベルベル人)が、毎日、毎日、押し寄せます。”東京”に出て、ひとはな咲かせるぞ、とか、または、今夜は”東京”でおいしいもの食べよう、ってな感じで、モロッコのあちこちから、マラケシュへ人が集ってくる。

  そのマラケシュのシンボルが、
フナ広場
  東京ドーム1個分?より、ちょっと広いかな。地面がアスファルトの、ただの広場。その一画に、お昼ころから、
何台もの屋台が、うようよとわいて出てくる。推定200くらい?数え切れない。
  オレンジジュース専門屋台、スープ(ハリラ)屋台、シシカバブなどの肉料理屋台、魚料理屋台、ゲテモノ屋台、胃薬のような苦い飲み物屋台、猿回し屋台、ヘビ屋台、もちろん、おみやげ屋台も。
  地元の人も、観光客も、同じ立場で、そんな屋台に群がっている。夕食のピーク時には、すれ違うのも困難なくらいの大混雑。しかも、これが毎日続く。
 「
地元の人と、同じレベルで同じものを食べたい。」自由旅行の目的に、ピッタリはまった空間です。さすがに、同じ値段とはいかないが、何回も、何日も、同じ屋台に通っていると、だんだんと近似値になる(かも)。スープ1杯80円からスタートして、3日目には、20円になった。もちろん、地元の人は、もっと安いんだろうけど。当然、ぼったくり屋台も数多く出現しているので、注意が必要。

  マラケシュの魅力は、フナ広場の屋台村だけではない。広場の北側に、広場以上に大きく広がる
スーク(商店街)がある。商店街といっても、日本のように整然と立ち並んでいる町ではない。ちょっと行くと、右に曲がり、ちょっと行くと交差点、ちょっと行くと行き止まり。まさに、というよりも、本物の「迷路」です。昔、異民族の襲撃に備えて作った町並みだそうです。(スークだけなら、フェズ
という街が一番有名。)
  そのスークも、当然、外国観光客と同程度に、地元の人たちを対象にしている。おみやげ屋が数多く立ち並ぶ一方、生活雑貨、肉、野菜、調味料、布きれなどが、おおざっぱに売られている。はじめて見る、得体の知れない売り物を、ぼーっと、眺めながら、迷路をさまよっているだけで、十分楽しい。ただし、みやげ物屋からの
「買え買え」攻撃と、自称ガイドからの「案内してやる」攻撃
を、うまくかわす必要があります。

  
道に迷って帰れないかも、っていう、心地よい緊張感を、ぜひ、味わってみて欲しい。

by akogarehotel | 2005-01-06 16:34 | あちこち旅行記 | Comments(0)  

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