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2134. あちこち旅行記 「いわゆる有名な青春18切符の旅」 平成30年3月

あちこち旅行記 「いわゆる有名な青春18切符の旅」 平成30年3月



僕が中学2年生のころ、

あまりにも有名な青春18切符が新発売となった。各駅停車の電車なら、一日中乗車して2000円という、当時としては破格のサービス。



これを利用しないという手はない。

クロと一緒に、新潟一周の旅に出た。

目的は「いい旅チャレンジ」、および、途中下車印を集めること。


長距離切符を途中駅で下車すると、切符に「途中下車印」が押される。ただ駅名が書いてあるだけのハンコだが、これを「切符にたくさん押す」ことが、当時、ブームであり、美徳だった。



クロ(本名黒崎)は中学の同級生。僕同様に時刻表が好きで、時刻表に精通しているくせに、成績がものすごく悪い。当時、たくさんいた「なめ猫」みたいな外見の同級生よりも、さらに成績が悪い。

ま、そんなことどうでもいいか。僕同様に鉄道が大好きであることに変わりはない。


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新前橋-(上越線、信越本線)-新津-新発田-(新発田線)-新潟-(越後線)-弥彦-柏崎-来迎寺-…徒歩…小千谷-(上越線)-新前橋

【走破】上越線、新発田線、越後線、来迎寺線



………



新潟は広く大きい。

移動に時間がかかる。だから、朝早く出発して、夜遅く帰りつく日程。


当時、新潟方面への始発電車は、上野駅を24時頃に出発する夜行の各駅停車。

新前橋駅の通過時刻は午前3時。まだ真っ暗な真夜中。

さすがに、こんな夜中に遊びに出かけることを許す親ではない。


じゃぁ、


許されないなら、秘密に出かけよう。



親には「朝5時くらいに出かけるから」と言っておいた。

そして、夜中にコッソリと家を出る。

新前橋駅でクロと待ち合わせ。クロの親は朝3時出発を許可してくれてるらしい。いいなぁ。



真夜中の新前橋駅に電車が到着。

暗闇の中に、電車の明かりだけ。いやでも興奮する。


土曜の夜に上野駅を出発した夜行列車はほぼ満員。リュックを背負ったおばちゃん、おじちゃんが多数。

さらに、当時はまだ行商のおばちゃんもいた。腰が曲がっているくせに、自分と同じくらいの大きな「つづら箱」を担いでいます。偉いです。尊敬します。

それに比べたら、元気な子供は、1時間でも2時間でも立っていればいい。

真っ暗な景色を見ながら、友達と2人で電車話。それで十分に楽しい。



わずかに空が明るくなりだしたころ、水上を越え、ループで名高い清水トンネルへ。当時、日本一長いトンネルだった。トンネルの中に駅がある。これが土合駅(どあい)。


こんな駅で誰が降りるんだよ?

と思ったら、ドアが開いたとたんに、グワーーーっと。

上野からやってきた山男、山女姿のおばさん、おじさんが大挙して降りていった。

その後、ここが谷川岳の登山口だと知った。


一方、電車の中はガラガラで貸切状態。

ここぞとばかりに、座席に横になり、夜明けの景色を楽しむ。

トンネルを抜けるとそこは雪国だったを通り、越後湯沢、石内などのスキー場を抜け、

新潟県第二の都市、長岡を過ぎて、新潟平野の穀倉地帯を越え、

やっとのこと、新津駅に到着。

新前橋から4時間以上。上野からなら7時間くらいか。

(今なら新幹線で、高崎新潟なら2時間。上野新潟でも3時間。だからといって、どっちがいいとも限らない。)



新津駅は路線が十字路に交差するターミナル。乗客も多い。売店も多い。

立ち食いうどん屋で朝食をすませ、秋田方面の羽越線に乗り換え。

数分で新発田駅に到着。新潟方面に戻る新発田線に乗る。この短い新発田線(新潟-新発田間)に乗るため、わざわざ遠回りした。



新潟駅からは日本海沿いに南下する越後線。

海を見ながらの列車旅は、海のない群馬県民にとっては至福の時間。

途中、弥彦を通過。(当時、競輪場があるなんて知らなかったが、)前橋の小学生が毎年、臨海学校に来ていた海岸が弥彦と寺泊。もちろん、僕もクロも。未知の地域への旅行のなかに、知った場所があると、懐かしすぎるくらいに懐かしく感じる。

海を見ながら、臨海学校の話をしながら、暑い日差しの中を海岸線の電車は続く。

(ちなみに、弥彦の臨海学校は中越地震で崩壊、中止となった。)


越後線はディーゼル。

限りなく遅い。新潟から、終点の柏崎まで何時間かかったのだろう。

記憶を整理すると、4時間くらいはかかっていた計算になる。

(今なら高速道路で1時間。)



柏崎から長岡へ向かう信越線に乗り、長岡の手前の来迎寺駅で下車。

もう夕方。空がオレンジ色だ。


当時、ここに来迎寺線という短いローカル線があった。

来迎寺から「西小千谷」という駅まで10km程度。これは乗っておきたい。

しかし、枝線のため、突き当たりまで行ったら、戻らないといけない。

でも、もう夕方のため、帰りの電車はない。


仕方ない、歩こう。


地図を見たら、来迎寺線の終着駅「西小千谷」から、上越線の「小千谷」駅までは歩けそうだ。

「地図」といったって、今のようにヤフーが教えてくれるわけはない。

本屋さんで買った新潟県全図だ。

本当に歩ける距離なの?


陸地が続いていれば歩ける。

問題は、乗り換えまで30分。

地図上の「西小千谷」から「小千谷」までの距離は、約2km

もしも乗り遅れたら、もう前橋へ帰る電車はない。

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(赤い線が当時存在した「来迎寺線」。赤い線の終点から、信濃川の対岸にあるのが小千谷駅。)



大人なら躊躇する「冒険」だ。子供の脳みそには、(どんなに神童の僕でさえも)もしも乗り遅れたら、なんていう発想はなかった。

乗れ。間に合わないなら走れ。



残念ながら、クロは運動が苦手だ。

僕の走る速さにはついてこれない。(クロに限らず、無理か。)

2人ぶんのリュックを背負って、夕闇のなか、初めての土地「小千谷」界隈を疾走する僕。その200mくらい後を、ハァハァ言いながら追いかけてくるクロ。

途中でわたった信濃川は今でも覚えている。

懐かしいなぁ。



小千谷駅には、余裕を持って到着。

急がせてごめんな、クロ。

駅でうどんを食べて、上野行の電車に乗った。もう真っ暗。

あとは寝るだけ。


再び、真っ暗な景色の上越線に、3時間ほど揺られ揺られて。

新前橋駅に到着したのは、たぶん夜10時頃だったはず。

楽しい楽しい、ただ電車に乗るだけの旅でした。



自宅で、

僕が朝3時に出発したことに気づいた親が、激怒していたのは、言うまでもない。







by akogarehotel | 2018-03-09 20:25 | あちこち旅行記 | Comments(0)  

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