2136. あちこち旅行記「まったく医者ってものは九州」 平成30年3月
あちこち旅行記「まったく医者ってものは九州」 平成30年3月
僕が中学生の頃、
父親は総合病院に勤務する医者だった。
ある日、鉄道好きの僕を見るに見かねて、
『 今度、九州で「学会」という大事な仕事があるから、それに連れて行ってやる。電車に乗れるぞ。 』
大喜びの僕。
しかし、父親が仕事なのだから、電車に乗れるのは九州(博多)の往復だけかな、と思っていた。が、、
『 仕事はすぐ終わるから、博多からどこへ行くか予定を立てておけ。 』
………
新幹線がやっと博多へつながった当時、
九州へ行くには、100%の前橋市民が飛行機を利用していた。
が、僕に予定を立てさせるのなら、当然、そのころ大人気だったブルートレイン(寝台列車)になる。
鉄道好きにとって、「ゆっくり」と「遠くへ」を兼ね備えている夜行列車は、最高の楽しみ、夢、ご褒美。遠くへ行けるけれど、あっという間についてしまう新幹線とは、全くもって価値が違う。
途中駅で時間調整をしながら、必要以上にゆっくりと目的地へ到着する夜行列車は、まさに「銀河鉄道の夜」の物語にいるような錯覚。大人には見れない夢を、子供は見ることができる。
………
大喜びで予定を考えた。
旅程を考えるため、一日5時間くらい、時刻表を眺めていた。
そして、王道にして最高峰の
往路:さくら
復路:富士
というプランに決定した。
唯一の問題点があるとすれば、僕としては非常に稀有で貴重な、神経が休む暇もない、父親との2人旅 ということだけか。
………
まだ名古屋までしか行ったことのない僕にとっては、初めての関西以遠。
まるで外国へ行く気分で、東京駅からブルートレインに乗った。
客車は、青い座席の2段ベッド。通常はボックス席で4人が向かい合って座り、夜になると、二段ベッドを組み立てて、2人が上にあがって寝る。
中学生の僕にとっては、不自由ない大きさだったが、大人にとってはどうだろう?ギリギリで窮屈だったと思う。
夕方5時ころ、東京駅を出発し、夕暮れの東海道を西へ。食事はもちろん駅弁。
到着時刻の調整のため、ブルートレインはゆっくり走る。静岡あたりで真っ暗になり、景色は全く見えない。それでも外を眺めているバカな「乗り鉄」。寝るつもりなど全くない。
深夜の大阪駅や神戸あたりで20分くらい停車する。意味もなくホームに降りたりする。もしもドアが閉まったら?なんてことは想像もしないバカな中学生。
眠るつもりはなくても、いつか眠り込む。
とすると、残念ながら夜明けは見られない。バカだよなぁ。
山口あたりで夜明けだったはずだ。
博多到着は朝8時頃。
通勤客で混雑する博多駅で朝食は「うどん」。
その「うどん」は衝撃的だった。
なにこれ?
こんなまずい物、人生で初めて食べた。
日本人の塩分摂取量は東(北)へ行くほど多い。西へ行くほど少ない。
関東の人間からすれば、関西の食事はすべて薄味。九州なんてもってのほか。
真っ白なつゆのうどんは、まったく味がしない。人間の食べるものではない。
(僕の父親は東北出身。なので、我が家の食事は関東平均よりももっと濃い味。不健康極まりない。医者のくせに。)
………
その日は、父親の「お仕事」。
駅からタクシーに乗り、平和台球場近くの学会場へ。
学会場の入り口で、
『 ここで待ってろ 』と。
待つというほども待たずに、数分後。父親が出てきた。
『 仕事は終わった。行こう。 』
学会というのは、持参した手帳にハンコを押して、それで終わりらしい。
ずいぶん、大事な仕事なんだね、学会って。
…という中学生の僕の感想
………
その後、父親と二人旅。
博多→鹿児島→指宿(いぶすき)、枕崎(まくらざき)、開聞岳(かいもんだけ)、池田湖(恐竜イッシーがいるといわれる湖)、桜島→
→宮崎→日南海岸、青島(昭和初期の新婚旅行の名所、鬼の洗濯岩)
鹿児島には、伊集院とか新納(にいろ)とか肝付とか、人名が地名になっている駅がたくさんあります。
しかし、島津という地名はなかったような。
線路のない場所は一部タクシー。池田湖では初モーターボート。鹿児島から桜島までフェリー。
桜島では火山灰のため喘息発作を起こしたが、灰の降らないところまで来たら、発作は治った。
↑青島。波の浸食でできた「鬼の洗濯岩」で有名。中学生の僕でも知っていた。
宿泊は鹿児島市内と青島近く。車中泊を含めて、4泊5日。
旅行中の食事は、博多のまずいうどん以外はほとんど記憶がない。
父親は大好きな海産物をたくさん食べていたが、その中になぜか「イセエビ」があったのは謎。
………
帰りは宮崎駅から寝台特急「富士」。
ふたたび、至極の時間を過ごし、翌朝、東京駅へ到着。
【走破】
東海道本線、山陽本線、九州本線、鹿児島線、指宿枕崎線、日南線など
(よく覚えていない。今は廃止された路線が多数。)
父親とはあまり仲が良かったわけではないけど、これだけ濃密な旅行をしても苦痛ではなかったみたいだ。
医者というものが、移動の際は、すぐに、
『 タクシーで行くぞ 』
と言う生き物であると、初めて知った旅行でもある。
by akogarehotel | 2018-03-16 19:34 | あちこち旅行記 | Comments(4)
親子で旅というのも、中々出来そうでそう機会があるものではありませんから。
あこがれさんの親子旅とは比べ物になりませんが、私の父は長距離トラックの運転手で、小学校の頃よく(内緒で)トラックに乗せてもらいました。
敦賀まで行った帰り道、眠ってしまった私が起きた時に、一面に広がる水平線を見て
「お父さん、もう大阪についたん?」
「いや、まだや。なんでや?」
「だって大阪湾やろあれ」
「(笑)あれは琵琶湖や」
ってのが未だに語り草です(笑)
その当時の、その職業の方って、それなりに恐いのでは?っと勝手に想像してますが、
仲良し親子ですね。(うちとは違って(^^))
和歌山から敦賀って、さすが遠距離ですね。ご苦労さまです。
今なら、賤ケ岳や小谷はどこ?と、眠る暇もなかったでしょうね。
エピソードとして、ある日私と弟がケンカをしていまして。
その時父は入浴中。
で、父が上がって来て、私達のケンカを見て一瞬で頭に血が上ったのか、
「ぃやかましぃぃっ!!!」
と怒鳴ると当同時に近くにあったホットプレートを私達に投げつけましたもん。
ホットプレートは私達の手前に落ちましたが、衝撃で床に穴が開きました(笑)
当然、父に恐れをなした私達兄弟はすぐにケンカを辞めました(笑)
ps・ちな、私の実家は大阪府堺市なので、勿論その頃は
大阪に住んでましたよ。
まぁ、大阪から敦賀でも充分遠いですが。
そうだ、堺ですよね。
そりゃ、その職業以外の人でも怖いし、日本語(標準語)は通じないし、関西弁ではなく堺弁が使用されていて、
っていう所ですよね。
その反動ですか?ツキノさんには全然怖い印象がないです。