サハラ砂漠弾丸ツアー【2】 令3年1月 #2313
サハラ砂漠弾丸ツアー【2】 令3年1月
2001年のラマダンにサハラ砂漠を訪れたときの記録、記憶
ラマダン中の旅行について。
イスラム教徒以外の人間は戒律を守る必要はない。
マラケシュなどの都会では、日中から問題なく食料を手に入れることができる。
しかし、ワルザザート以上の田舎部ではほとんどの商店が門を閉ざしている。また、食料を入手できたとしても、空腹のイスラム教徒の目の前で、遠慮なく食べるわけにはいかないのが、理性ある常識人。
………
オマールとも会えて、明日からの旅程も決まり、空腹以外の全てが落ち着いた。
日没まであと数分だが、その数分が待ちきれず、ホテルの前にある「スーパーマーケット」という名のコンビニへ出かけた。
軽食とともに、明日以降の保存食としてビスケット1箱と水を買った。
砂漠のホテルには売店も水道もない。自分の命は自分で守らないといけない。
ホテルに戻ると、まもなくクラーンが聞えてきた。
まだ外は明るいが、天文台的には日没の時刻らしい。一斉に、街が騒がしくなった。
僕らも、前回旅行時に教えてもらった、現地人御用達の地元レストランへ出かけ、モロッコでの最初の食事にありついた。
翌朝8時。ワルザザートを出発。
オマールの運転するフィアット5ドアは、おそらく前回と同じ車で、スピードメーターと燃料計の針が壊れている。
ワルザザートからメルズーガまでは、約300km。
メルズーガの直前の街エルフードまでは舗装路が続く。しかし、舗装路といっても、ギリギリ2台がすれ違える幅だけのアスファルト。アスファルトの外側は石ころ道なので、すれ違うたびに砂埃が舞い上がる。
理性のあるオマールを含めて、全てのモロッコ人の運動能力は日本人のそれよりはるかに高い。だから(?)運転速度も、日本人の常識のはるか上を行く。
まっすぐな舗装路を、通常は時速80kmくらの速度で走り、対向車を見つけると時速40kmくらいまで減速し、ギリギリの車両間隔ですれ違う。すれ違うときに注意すべきは「飛び石」。いかに彼らでも、飛び石を避けることはできない。フロントガラスの割れた車を時折、見かけた。
飛び石をさける唯一の方法は、すれ違うときにフロントガラスを手で押さえること。これで効果があるのかどうか分からないが、助手席に座った人間は、対向車とすれ違うたびに、フロントガラスを両手で押さえる。結構、疲れる。
モロッコの一般道を、日本の高速道の感覚でぶっとばして、3時間。
エルフードに到着した。
エルフードは、砂漠の手前の最後の文明拠点。
もうメルズーガ(サハラ砂漠)はすぐそこだが、
ここから先、メルズーガまでの約20kmは、前回の旅行記にもあるとおり「砂の道」がつづく。
日本人の想像する「道路」ではない。
エルフードからメルズーガまでは、砂の地盤と、岩の地盤が混在している。
もしも砂の地盤の上を走ってしまうと、車はスリップしてしまう。あわててアクセルを踏めば、まさにあり地獄のように穴にはまってしまい、動けなくなる。これは4WDでも同じこと。
岩の地盤の上だけを、丁寧に選んで進まないといけない。
岩の地盤には、先人たちの経験により車輪のあとが残っている。ピンク色のリボンが道に刺さっているところもある。
彼らモロッコ人は、まるで獲物を追うライオンのような目つきで、それらの目印を追い、
頻繁に左右へハンドルを切り替えながら、遠くに見える砂丘を目指して、ゆっくりゆっくりと進んでいく。
(↓地図。これ以上の情報は存在しない。)
さっきまでのスピードがうそのように、時速20km以下で、ゆっくりと前進する。
オマールが運転をミスったり、このおんぼろフィアットが壊れたりすると、貧弱な日本人は命が危ないかもしれない。ジェットコースターよりも緊張する。
石ころの上をガタガタと音を立てながら、岩の地盤を走ること1時間。遠くにメルズーガの大砂丘(いわゆるモロッコのサハラ砂漠)が見えてきた。
いやがおうにも興奮してくる。
砂漠って、「山」なんですよ、知ってた?
風でできた山なんです。しかも、毎日毎日、風のおかげで形が変わるのです。
だから、砂漠の旅人は道に迷うのです。
………
モロッコ時間で正午12時。
僕ら日本人の祈りのおかげで、フィアットは故障せずに、オマールは能力どおりにハンドル操作を続け、約1時間半ののろのろドライブが終了した。
「サハラ砂漠」のホテル・ラバラカへ到着。
成田から49時間。
RPGの最速クリア記録は49時間だ。
すべてを飲み込む砂漠に到達した。
★★★
さて、最速クリアの次はラマダン(断食)。
昨日は移動中のため、昼食抜きでも気がまぎれたが、今日はどうなる?
砂漠のホテル・ラバラカを申し込むときに、一応「食事つき」と確認している。
3年前に宿泊したときは、しっかり3食が提供された。
しかし、今回はラマダン。
正午に到着して、本来なら昼食のタイミングだが、部屋で待っていても、食事の呼び出しはない。
「やっぱり、食事は出ないよね…」
ハッシム(ホテル兄弟の弟。話しやすい方。)に聞きにいけばよいのだが、
断食最中の人間に、俺たちだけ食事をくれ、とは言いにくい。
当然だが、砂漠のホテルには売店どころか、水道もない。
自分たちが持参した「非常食」と「水」しかない。それが砂漠のホテル。
ある程度予想していたことなので、昨日ワルザザートで買っておいたビスケットを食べよう。非常食のつもりで買っておいたオヤツだ。
イスラム教徒(オマールやハッシム)に見つからないように、部屋にかくれて、食べちゃおう。
ところが、
一口食べてビックリ。
なにこれ?たべもの?
薬の味がする粘土?
味も異常だけど、食感はもっと異様。
食いしん坊で有名な私ですが、
海外のお菓子が、必ずしもおいしくはないということを、このとき初めて知った。
なんでこんなにまずく作れるの?
どんなに空腹でも、これ無理。
とすると、あとは成田で買った「なけなしのビーフジャーキー一袋」しかない。
砂漠のホテルには2泊3日の予定。
ビーフジャーキーだけで生き延びることはできるのか。
プチイスラム教徒の気分…
………
砂漠のホテルに余分なものは何もない。
電気は来ない。夜はガソリン発電機で、最低限の電灯だけを光らせている。
水はタンクにたまっている。一応、シャワーがあるらしいが、使っている人を見たことがない。
夜10時になると電灯が消え、視界一面から人工的な光が消える。
夜空の星明りしかない。
星が、ものすごーーーーーく明るく、大きく見える。まるで手が届きそうだ。
この空を見るだけでも、ここに来た価値がある。
(写真には撮れません。)
………
断食中とはいえ、目の前の砂漠は魅力的だ。
昼は、空腹感など忘れて、砂漠へ散歩に出かける。
目の前の「シェビ砂丘」という山を目指して、裸足で歩く。靴をはいていたら、靴に砂が入ってしまい歩けない。
丘を越え、丘を下り、丘を越え、丘を下り。
くぼ地に入ると、視界に砂と空しかなくなる。方向感覚が全く消えてしまう。
道に迷いそうになる。
丘の上に上ると、視野が開けて、ほっと安心する。
緊張感のある散歩だ。これ、夕方だと怖いだろうね。
1時間ほど歩いて、「山」の頂上へ到達。
ただ、これだけ。でもこれで十分。
………
日没。
ホテルで夕食が提供された。
王道的な、タジンとナン。そして、コーラ。
生き返りました。
アラーの神様、ありがとう。
食堂には、ぼくらの他に西洋人の夫婦が着席していた。彼らはどうやってこの困難を乗り越えているのだろう?
わざわざ聞いても、「食品を分けて欲しい」と思われるといやなので、話しかけなかった。
さて、「明日の朝ごはんはどうなるのだろう?」
………
翌朝、6時。すでに朝日が昇っている。
朝ごはんの連絡はない。当然、ない。
仏教徒の我々日本人夫婦は、部屋にこもって、貴重なビーフジャーキーを一切れずつ食べて、ペットボトルの水を飲む。
ひもじい。
「みんな朝ごはんはどうしているのかな?」
『もしかして、夜中に食べてるんじゃない?』
「じゃぁ、明日は早朝4時頃、ロビーに行ってみようか。」
昼間は、何もせず、ただボーっと過ごす。
砂漠を見ながら、野良猫をあやしながら、ただボーっと過ごす。
だって、そのためにここへ来たのだから。
(モロッコは野良猫が有名。野良らくだ、野良ひつじ、野良サルも見かけるが、それらの写真を撮った瞬間に、隠れていた飼い主がやってきて撮影料を請求される。野良猫では、そういうことは起こらない。)
当然、昼食は来ない。
仏教徒夫婦は部屋にもどって、ビーフジャーキー1切れと、水を飲み、飢えをしのぐ。
午後は、またホテルのロビーで、何もせず、満足して空を眺めていた。
地球の回転を遅く感じる。
こんな経験は初めてだ。なんて楽しいのだろう。
「そろそろ夕方かな?」
『いや、まだ3時だよ。日没までには、まだあるね。』
また、ブラブラと山へ向かって歩いたりする。病人のように。
夕方6時。タジンとコーラで、再び、息を吹き返す。
コーラ最高。
断食を1ヶ月も続ける彼らを本当に尊敬します。
(右がオマール、左がホテル兄弟の弟のハッシム。なれなれしいやつら。)
夜。
というか、深夜。
「もしかして、太陽が昇る前に、あいつら朝ごはんを食べてるんじゃない?」
という疑惑を解明すべく、早朝4時にロビーへ行ってみた。
無人のロビーは真っ暗だった。
イスラム教徒って、空腹感が麻痺してるの?
夜明け。
ビーフジャーキー1切れの朝食を、ちびちびと味わって食べた。
さて、今日で砂漠とはお別れ。
(シャワーなしの生活は、2泊が限界。)
午前10時、オマールの運転で、ワルザザードへ向かって出発した。
岩漠(がんばく)のノロノロ区間を越えたあとは、
舗装された一般道をモロッコ風制限速度で、快適にぶっ飛ばした。
………
途中、ワルザザードの少し手前のオアシスの町に立ち寄った。
しゃれたホテルの前で、オマールは車を停め、僕らをあるホテルの中へ案内した。
僕らは丸テーブルの前の椅子に座らされ、オマールは離れたところでオーナーらしき人物となにやら交渉している。
すると、なんと、
ナンとバターとスープが運ばれてきた!
時刻は正午過ぎ。もちろん、太陽がさんさんと輝いている断食タイムだ。
オマールが、僕たちに気を使って、昼食を頼んでくれたらしい。
せっかくのご厚意なので、ありがたく食事をさせてもらった。
僕らがナンを食べている間、オマールは別の部屋で待っている。
この涙ぐましい気遣いがオマールのオマールたる所以。
僕らが、こいつのためなら、そこそこの費用でも決して高くはないと信じる理由だ。
………
昼過ぎ、ワルザザードへ到着した。
僕らは満腹で、オマールは空腹で。
しかし、ここが今日のゴールではない。
この日、さらに100㎞先のマラケシュまで戻る予定にしていた。
先日、それをオマールに相談したら、ふたつ返事でOKされた。
『メルズーガからワルザザードを越えてマラケシュ。OK。400kmくらいあるけど、ノンプロブレム。ノンプロブレム。』
本当にオマールは尊敬すべきスーパーマンなのだが、さらに、もうひとつ気配りを発揮して、
『マラケシュの宿は決まっているのか?』と。
『決まってないのか。じゃぁ、予約してやる。』
といって、電話で予約も取ってくれた。オマール本人には何の利益もない電話なのに。
ということで、僕らはワルザザードを通り越し、マラケシュへ向かった。
メルズーガから4時間運転を続けた男が、ここからさらに100km4時間のアトラス越えの山道に向かう。断食をしながら。
………
僕らが、この道を通るのはこれで3回目だ。
国営バスとグランタクシー、そしてオマール。
もっとも危険を感じたのが国営バス(それでも、民営バスの3倍くらい、安全運転らしい。当社比。)
もっとも安心して乗れたのは、もちろんオマール。
アフリカ民族の、この持久力は驚異的。
日本人がマラソンで勝てるわけないと思う。
途中、写真休憩などもこまめに気遣う。
楽しい4時間のドライブの末、夕方、マラケシュに到着した。
日没間近の市街地は、空腹ゆえに短気な運転が多い。
さすがのオマールもいらつき気味に、クラクションを数回叩きながら、僕らを無事にフナ広場まで送り届けてくれた。
ここから先は車は進入禁止。ホテルはすぐそこだ。
↓夕方のマラケシュ、フナ
オマールと僕ら夫婦は、別れを惜しんだ。
こんなに世話になった人間は、人生で彼以外にはいないかもしれない。
またモロッコへ来れば会えるのだろうが、僕らの人生がなかなかそれを許すものではない。
『今度は子供をつれて来い』と言われたが、それが簡単ではないことはお互いが承知だ。
僕らは予約されたホテルへ向かって歩き出し、オマールはまたワルザザードまでの4時間のドライブへ出発した。
日没のクラーンが鳴り響き、マラケシュは祭りに突入した。
by akogarehotel | 2021-01-12 11:47 | あちこち旅行記 | Comments(2)
一気に読みました。
奥さんと同じ旅を楽しめるのも、いいね!
コロナが落ち着いて、お子さんたちと行けるといいね〜
まだ終わりではなくて、もうちょっとだけ【3】へ続きます。
新婚旅行以来、毎年海外へ行ってたよ。幸せでしたね。
無謀だったともいえるけど。
子供を連れていきたいけど、どこに行っても感染症の可能性があるから、難しい問題です。
コロナ以外にも、鳥インフル、エボラ、デング出血熱が身近にありえるので。
子供も大きくなれば抵抗力がつくので、そうなれば出かけてみたい。