2018年 03月 29日 ( 1 )

 

2141. あちこち旅行記「ロードバイクブログの原点、三連勝」 平成30年3月

あちこち旅行記「ロードバイクブログの原点、三連勝」 平成30年3月



僕がロードバイクを本格的に始めたのは、40歳を過ぎてからだが、

以前から、なにかにつけ自転車に挑戦することがあった。高校の通学も自転車で片道8kmだったし、東京に住んで間もなく、ロードバイクというものを買ってみた。



ロードバイクを買ったのは、池袋の東急ハンズ。

知的アイデアにあふれた品揃えの東急ハンズは、当時から大人気で、渋谷店と池袋店ともにいつも混雑していたが、自転車も売っていた。

ロードバイクに関しては、今のように丁寧な雑誌などなく、どんなメーカーを買っていいか全く分からない。店員さんにオススメを聞いて、あとは財布と相談するだけ。

大学生の予算8万円をもとに、店員さんが勧めてきたのが「三連勝」。


『 この三連勝というメーカーは非常に有名。いい自転車ですよ。 』


と店員さん。

今にして思えば、この店員さんは何かの人だ。(つまり競輪関係)



自転車に関する知識が全くない僕は、もちろん、何を疑うこともなくオススメに従って購入したが、

その後、ことあるごとに、知人友人に

 「 三連勝っていう自転車なんだよ、いいでしょ? 」

と自慢するのだが、そんなメーカーは誰も知らない。え、騙された?

結果的に、つい最近まで三連勝を知る人には遭遇しなかった。(rosuket師匠に出会うまで。)



三連勝:

競輪用自転車の超有名職人的メーカー。最近は製作を中止しているとか。



当時の僕は競輪なんて全く知らない。前橋市民なのに競輪を知らない。

だから、三連勝の名前の由来も知らない。

8万円なら、こんなものかな、という感覚で乗っていた。

(そんな貴重な自転車は引越しの際にどこかへ消えてしまった。)



………



購入後、荒川区一周とか、浅草までサイクリングとかして、なんか物足りなく感じて、

じゃぁ、前橋まで自転車で帰ろう。となった。



大学2年の夏休み。

まだ真っ暗な早朝4時に、上野を出発した。


上野駅から前橋駅まで、JRの距離は約100km

自宅から大宮までは道路地図を確認したが、そこから先は「ただひたすら国道17号を走ればいいか」と、テキトー。

荷物もテキトー。タオル1枚持っただけで、着替えなし、食べ物なし、飲み物なし。パンク修理道具もなし、というか、このときパンクの修理方法を知らなかった。(当時のタイヤは現在とは構造が違う。)

ヘルメットも手袋も着用していなかった気がする。


自転車技術もテキトー。ビンディングではなく、引き足という単語も知らない。

前傾姿勢が理想形と錯覚していた頃だ。

水泳部だったので体力だけは十分だったと思われる。

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赤羽、浦和あたりは、立体交差を快適に走り抜ける。

電灯のあかりがつきはじめ、交通量もまばらで、涼しく快適な時間帯だ。


ところが、大宮の手前で雨が降り始めた。

もちろん、天気予報もテキトー。確認なんかしていないし、「雨が降るはずがない」と信じていた。

とりあえず、吉野家へ非難。遅めの朝ご飯を食べた。

牛丼を食べているうちに、雨がやんだ。快晴だ。(運がいい!)



再び、前橋を目指して走り始めた。国道17号を北へ向かって。

大宮を過ぎると、一気に「土」が多くなる。アスファルトが少なくなり路肩に「地面」が見えてくる。景色も緑が多くなってきた。

いわゆる、田舎だね、もう。(1980年頃の話)

いつのまにか、国道17号が、のどかな1車線になった。

鴻巣とか上尾あたりだったのかもしれない。



太陽も高くなり、朝の雨はどこへやら、普通に真夏の晴天となった。

ただし、温暖化など話題にもなかった30年前なので、猛暑ではない。30度を越えてはいなかっただろう。


しかし、そろそろ苦痛になってきた。

ビンディングのない踏み足だけのサイクリングだから、ちょっと疲れた。

でも、そんなことよりもお尻が痛い。尋常じゃない。座っていられない。人生初の長距離サイクリングなので、こんなことが起こるなんて想像もしていなかった。

サドルにタオルを巻いたり、立ちこぎで走り続けたり、ちょっと歩いたり。



すると、もうひとつアクシデント。

パンクした!



前述の通り、パンク修理の技術も、道具もない。どうしようもない。

仕方ないので歩いた。

自転車屋を探して歩いた。

当然、ネットも何もない時代。

町並みから、においを感じ取り、自転車屋さんがありえる方向へ。

でも、基本は北へ、前橋方面へ。



おそらく熊谷あたりだったと思う。

30分くらい歩いた。おかげで、お尻の痛みは消えた。

そして、運よく、自転車屋さんを見つけた。

(運がいい!本日2回目)



若い店主さんが、

「このタイプのタイヤは、縫い糸を切らないといけないんだよね。」

と言って、15分くらいで修理してくれた。

まさに神様だ。



それにしても、大学生とはいえ、随分無謀なサイクリングに出かけたもんだ。

タイヤも直って、お尻の痛みも軽くなった。

さて、ふたたび真夏の日差しの中を北へ、北へ。

あとは順調。体力だけあれば問題なし。


深谷、本庄を過ぎ、カラス川を渡って群馬県へ。群馬県内に入れば、井野川サイクリングロードで自宅まで行ける。

午後4時過ぎ、無事に到着。

12時間の無謀なサイクリングは、どうにかゴールできた。

(数年前、今のロードバイクで東京から帰ったときは、7時間でゴールした。)




………



その夏休み。

もうひとつ、旅に出た。



電車小僧だったころ、何度も乗った足尾線が忘れられない。

じゃぁ、自転車で足尾まで行ってみよう。時間があれば、日光まで行こう。

前橋から足尾まで、約30km


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夏休みの快晴の日、朝8時頃、のこのこと前橋を出発した。

前橋から大胡方面へ。名門M橋高校の横を通り、赤城山を左に見て、桐生栃木方面へ(東へ)。赤城山の裾野部分を走るアップダウンの道だ。


大間々(おおまま)という町に着いたら、進路を北へ。

ここからは山道。

足尾線(JR、当時は国鉄)に沿って、渓谷沿いの道が足尾銅山まで続く。

今で言うなら、まさに「ヒルクライム」だ。ただし、斜度はゆるい。レベルは低い。

しかし、その頃の俺も、レベルは低い。ビンディングはない。


「自転車で登れない坂が、この世に存在するとは思わなかった。」


ギアを軽くしても、上れない坂が数ヶ所あった。

押して歩いた。

自動車が横を通り過ぎていく。恥ずかしい…

(注:あくまでも、当時の個人的な感想です。たぶん、8%もない坂だと思う。)



昼過ぎ、やっとのことで足尾銅山(足尾駅、間藤駅)にたどり着いた。

たぶん、午後2時は過ぎている。

足尾から数km走ると、日光へ行ける。しかし、空模様が怪しくなってきた。

前橋へ帰ろう。日光へ行くのに、長いトンネルもあるから。



下りは爽快だ。

典型的に、アホな若者のサイクリストだ。今まで上った貯金を自慢するように疾走する。車を追い越すんじゃないかという速さで、大間々まで、一気に下った。


大間々から、前橋へ向けて道を曲がったとたんに雨が降り始めた。

夏の雨だ。それなりの大雨だ。

みっともないくらいにビショビショだ。しかも、前が見にくい。こぎにくい。



歩道の段差に気づかずに落車した。



幸いにも、自転車は無事だった。(運がいい!!!)

雨の中を、低血糖になりながら2時間くらい走り続け、やっと前橋の自宅にたどり着いた。

あいかわらず、冒険的な暴力的なサイクリングだった。



………



今思い返してみても、どうみても頭の悪い無謀な大学生だ。

偏差値と常識は比例しないってことは、わかりきっていますが。


ちなみに、当時、自転車競技は全く普及しておらず、こんな自転車好きな僕でも、練習したりレースに出たりする機会は全くなかった。

無駄なお金を使わずにすんだので、それはそれでよかったのかもしれない。






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by akogarehotel | 2018-03-29 19:37 | あちこち旅行記 | Comments(0)