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2142. あちこち旅行記「まったく医者ってやつは、ドイツ編」 平成30年3月

あちこち旅行記「まったく医者ってやつは、ドイツ編」 平成30年3月



「学会発表」という仕事が、医者にとって非常に楽しいそうだということは、九州旅行のときに感じていたが、自分が医者になって、それを再確認した。



大学病院に勤務している新米医者は、入院患者さんに何かあると、もれなく速攻でお呼び出しがかかる。夜中だろうが、日曜だろうが関係ない。とすると、1年のうちに、病院に一度も行かない日が、10日間あるかないか。夜だって、寝てる気がしない。

「働き方改革」とか、なに寝言みたいなこと言ってんの?と医者は思っている。

(当時、それが普通だったので、それほど文句はなかった。)


しかし、唯一、「学会出張中」なら呼ばれない。呼ばれて来れる距離にいないから。

そんな素晴らしいイベントが学会発表。

だから、みんなこぞって学会に行きたがる。

海外ならなおさらだ。



…………



僕は、カッコイイ言い方をすると、

「留守の間に他人に迷惑をかけるのが申し訳ない」

から、学会にはあまり参加しなかった。


本当の言い方をすると、

「他人に頼んでおいても解決することは少なく、学会から帰って来ると、結局はたくさんの面倒が待ち受けている」

ので、学会参加を拒否していた。



しかし、立場上、参加せざるをえなかったのが、医者になって4年目のとき、ケルン(ドイツ)での国際学会。


「今度はお前が発表する順番だから、行ってこい」と、恩師からの命令だ。

「(たまには休んで、羽を伸ばして来い)」というのが、行間だ。



………



国際学会なので、ハンコをもらうだけではない。演題発表をしないといけない。


演題発表の方法には2種類ある。

スライドを使って聴衆の前で話すのが「プラットホーム」。かなり緊張する。

紙に書いて壁に張り付け、見に来た人が勝手に眺めていくのが「ポスター」。


僕の発表は「ポスター」。畳1つぶんくらいの英文の「ポスター」をつくり、眺めていった外人から、質問があれば、それに英語で答える。当時、それくらいの英語力はあった。「ポスター」なら全然緊張しない。

やはり旅行気分だ。

それよりも問題は、初の海外ということ。



………



この「ドイツ旅行」には、同じ大学病院から、10人くらいが参加した。

何も知らない僕は、飛行機の切符、宿泊など全てを先輩にお任せ。パスポートだけ用意して、あとは成田空港の集合場所へ。



日曜の夜の成田空港。

音量的には静かなんだけど、今から海外に行く人たちのなんともいえない雰囲気が充満している。大好き。


飛行機に乗ったらすぐに眠り、起きたら、ドイツのフランクフルト国際空港。

乗り換えのため、空港で4時間くらい待った。

初海外だから、空港内を見学してもいいのだけど、現地時間で朝の5時。シャッターしか見えない。


フランクフルトからは、国内線で1時間程度でケルンへ到着。

空港から、タクシーでホテルへ。


タクシーがベンツだ!

くるくる回る交差点がある!(ランアバウト)


初の海外に興奮が止まらない。

ホテルでチェックインするだけでも、なんだか楽しい。



………



学会は、月曜か金曜までの5日間。

僕の発表は、2日めの火曜。残りの4日間は、その他の発表を見て回る(ことになっている)。

でも英語だからなぁ。

他人の英語を聞いても理解半分だから、聞いてても時間のムダだよなぁ


ということで、ケルンの街へ。

下調べは何もしていなかった僕。

ライン川沿いに大きな寺院がある。これが有名な「ケルンの大聖堂」らしい。回転階段を登って頂上へ。


うーん、こんなもんか。

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川沿いの土手は市民の憩いの場になっている。たくさんのカフェや食堂が、ところせましと、テーブルや椅子を出し、それに見合ったたくさんのケルン市民が散歩やサイクリングなどで集まってくる。貸しボートもある。

どこのカフェも食堂も、お客さんでいっぱいだ。



レストランのメニューは、「ソーセージばかり!」

日本では、小学生でも、「ドイツ=ソーセージ」のイメージだろうが、笑っちゃうくらいにそれが真実だ。レストランのメニューもそうだけど、ホテルの朝食も夕食もソーセージだらけ。よく分からないソーセージが何種類も並んでいる。

聞いたところによると、腸に脳みそや肝臓や血液を詰めたソーセージもあるとか。聞かないほうがよかった。


日本料理は皆無。まったく見かけなかった。

中華料理はたくさん。これは全世界共通。しかし、米はおいしくない。種類も悪いのだろうが、炊き方も悪く、パサパサしていた。全然、別の食べ物。



夕食を食べてからも、適当に散策していたが、一向に日が落ちない。


まだ明るいよ。

と思ったら、夜9時。


素直に、緯度の違いに驚いた。



………



さて、お約束。


「知らない町に行ったら、ゲーセンを探す」



水曜日は中日(なかび)に指定されている。学会主催者も、この日は観光を推奨し、マジメな演題発表は午前中で終わってしまう。

といっても、ケルンの街中は昨日のうちに探索して、ゲーセンがないことは確認した。

じゃぁ…

乗り鉄らしく、電車でGO



そもそも、ケルンなんていう地名はこのときまで知りもしなかった。サッカーに全く興味がなかったので。

そんな僕でも知っている地名が、ケルンの北にあるデュッセルドルフだ。

ケルン駅で調べたところ、デュッセルドルフまで「特急で1時間弱」らしい。

各駅停車なら3時間くらいという情報も確認。

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さあ、

切符を買う、特急券を買う

間違わずに特急に乗る


なかなか楽しい挑戦でした。

ケルン駅の規模は高崎駅と同じくらい。

切符購入はカタコトの英語でOK.


問題は、どの電車?どのホーム?

ホームの表示はドイツ語だけ。デュッセルドルフという地名は探せるけど、「特急」って、ドイツ語で何?

さらに駅には改札もなく、噂どおりに「発車のベル」も鳴らない。

(日本って、素晴らしい!)



まぁ、間違って乗ったとしても、各駅停車で3時間だから。。。。

という気分で乗ったのは特急だった。



快適に、駅を通過し、北へ北へと向かった。

途中、車内改札の車掌さんが来た。こうでもしないと無賃乗車の嵐だ。

車窓はドイツ風の田舎な景色。高崎線の熊谷ー高崎を洋風にした感じ。この説明で十分に分かっていただけるでしょう。

駅で、ジュースとおやつを買ってこなかったことを後悔。車内販売や自販機などあるわけないし。



1時間後、デュッセルドルフに到着。

一応、ケルンよりも都会だ。

ケルンは、大聖堂に人が集まるのどかな観光地。

デュッセルドルフは、ビジネス中心の都会。交通量も人口も多い。


さぁ、ゲーセンを探そう。

ふらふらと勘を頼りに歩き出す。

しかし、それらしき「ネオン」がひとつもない。平日の昼間ということもあるけど、日本ならどんな街でも、犬も歩けばパチンコ屋に当たる。そんなネオンも、デュッセルドルフにはなかった。

ただ、目的はゲーセンではなく「街探検」なので、結果はどうでもいい。


そろそろ帰ろうかなと思った、駅近くの細い路地。

ついに見つけた!


看板は覚えていないが、間違いなくゲーセンだ。



【雑談:「ゲームセンター」という看板はもちろん日本だけ。

ミャンマーでは「ソニーセンター」という「日本語のカタカナ」が書いてあります。】



その店は、小さな雑居ビルの1階。

自動ドアの先は、薄暗いというか非常に暗いワンルーム。

ちょっと狭いコンビニくらいの部屋の片側に、ピンボール、スロット、サッカーゲームなどの、当時としても「レトロ」なゲームが6,7台。部屋の反対側にはイスとテーブル。

窓はない。


そして、そのいすとテーブルでご休憩されていたのが…

いわゆるアメリカ映画のスラムの光景。

背が高く、体格もごつく、どうみても「ゲーセン」なんて縁のないお兄様方が4,5人。ジーンズに光物がキラキラ。ビンのまま、何かを飲んでる。もちろん、タバコの煙もモクモク。


僕が入っていったとたんに、会話をやめて、一斉にジロっと注目。

照れるなぁ。


「なんだ、このチビなアジア人は?」


と彼らの心の声が、視線から感じられる。


ま、僕のような人間は彼らにとって無害だから、、、、

熱い視線を背中に受けながら、ピンボールを1クレジット。


1ゲームしたところで、やはり雰囲気もあまりよろしくないし、

そもそも、面白いゲームが置いてないし、さっさと退散した。



結論:ゲーセンが進化したのは日本だけ。海外ではゲームセンターなんて存在しない。風紀的にも存在できない。(1995年頃の話)



帰り道。

渋谷くらい大きなデュッセルドルフ駅で、間違わずにケルン行きの特急に乗る。今度は駅で、ちゃんとジュースを買い、無事に夕食前にホテルに戻って来た。


「学会」って楽しいね。







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by akogarehotel | 2018-03-31 23:38 | あちこち旅行記 | Comments(0)  

2141. あちこち旅行記「ロードバイクブログの原点、三連勝」 平成30年3月

あちこち旅行記「ロードバイクブログの原点、三連勝」 平成30年3月



僕がロードバイクを本格的に始めたのは、40歳を過ぎてからだが、

以前から、なにかにつけ自転車に挑戦することがあった。高校の通学も自転車で片道8kmだったし、東京に住んで間もなく、ロードバイクというものを買ってみた。



ロードバイクを買ったのは、池袋の東急ハンズ。

知的アイデアにあふれた品揃えの東急ハンズは、当時から大人気で、渋谷店と池袋店ともにいつも混雑していたが、自転車も売っていた。

ロードバイクに関しては、今のように丁寧な雑誌などなく、どんなメーカーを買っていいか全く分からない。店員さんにオススメを聞いて、あとは財布と相談するだけ。

大学生の予算8万円をもとに、店員さんが勧めてきたのが「三連勝」。


『 この三連勝というメーカーは非常に有名。いい自転車ですよ。 』


と店員さん。

今にして思えば、この店員さんは何かの人だ。(つまり競輪関係)



自転車に関する知識が全くない僕は、もちろん、何を疑うこともなくオススメに従って購入したが、

その後、ことあるごとに、知人友人に

 「 三連勝っていう自転車なんだよ、いいでしょ? 」

と自慢するのだが、そんなメーカーは誰も知らない。え、騙された?

結果的に、つい最近まで三連勝を知る人には遭遇しなかった。(rosuket師匠に出会うまで。)



三連勝:

競輪用自転車の超有名職人的メーカー。最近は製作を中止しているとか。



当時の僕は競輪なんて全く知らない。前橋市民なのに競輪を知らない。

だから、三連勝の名前の由来も知らない。

8万円なら、こんなものかな、という感覚で乗っていた。

(そんな貴重な自転車は引越しの際にどこかへ消えてしまった。)



………



購入後、荒川区一周とか、浅草までサイクリングとかして、なんか物足りなく感じて、

じゃぁ、前橋まで自転車で帰ろう。となった。



大学2年の夏休み。

まだ真っ暗な早朝4時に、上野を出発した。


上野駅から前橋駅まで、JRの距離は約100km

自宅から大宮までは道路地図を確認したが、そこから先は「ただひたすら国道17号を走ればいいか」と、テキトー。

荷物もテキトー。タオル1枚持っただけで、着替えなし、食べ物なし、飲み物なし。パンク修理道具もなし、というか、このときパンクの修理方法を知らなかった。(当時のタイヤは現在とは構造が違う。)

ヘルメットも手袋も着用していなかった気がする。


自転車技術もテキトー。ビンディングではなく、引き足という単語も知らない。

前傾姿勢が理想形と錯覚していた頃だ。

水泳部だったので体力だけは十分だったと思われる。

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赤羽、浦和あたりは、立体交差を快適に走り抜ける。

電灯のあかりがつきはじめ、交通量もまばらで、涼しく快適な時間帯だ。


ところが、大宮の手前で雨が降り始めた。

もちろん、天気予報もテキトー。確認なんかしていないし、「雨が降るはずがない」と信じていた。

とりあえず、吉野家へ非難。遅めの朝ご飯を食べた。

牛丼を食べているうちに、雨がやんだ。快晴だ。(運がいい!)



再び、前橋を目指して走り始めた。国道17号を北へ向かって。

大宮を過ぎると、一気に「土」が多くなる。アスファルトが少なくなり路肩に「地面」が見えてくる。景色も緑が多くなってきた。

いわゆる、田舎だね、もう。(1980年頃の話)

いつのまにか、国道17号が、のどかな1車線になった。

鴻巣とか上尾あたりだったのかもしれない。



太陽も高くなり、朝の雨はどこへやら、普通に真夏の晴天となった。

ただし、温暖化など話題にもなかった30年前なので、猛暑ではない。30度を越えてはいなかっただろう。


しかし、そろそろ苦痛になってきた。

ビンディングのない踏み足だけのサイクリングだから、ちょっと疲れた。

でも、そんなことよりもお尻が痛い。尋常じゃない。座っていられない。人生初の長距離サイクリングなので、こんなことが起こるなんて想像もしていなかった。

サドルにタオルを巻いたり、立ちこぎで走り続けたり、ちょっと歩いたり。



すると、もうひとつアクシデント。

パンクした!



前述の通り、パンク修理の技術も、道具もない。どうしようもない。

仕方ないので歩いた。

自転車屋を探して歩いた。

当然、ネットも何もない時代。

町並みから、においを感じ取り、自転車屋さんがありえる方向へ。

でも、基本は北へ、前橋方面へ。



おそらく熊谷あたりだったと思う。

30分くらい歩いた。おかげで、お尻の痛みは消えた。

そして、運よく、自転車屋さんを見つけた。

(運がいい!本日2回目)



若い店主さんが、

「このタイプのタイヤは、縫い糸を切らないといけないんだよね。」

と言って、15分くらいで修理してくれた。

まさに神様だ。



それにしても、大学生とはいえ、随分無謀なサイクリングに出かけたもんだ。

タイヤも直って、お尻の痛みも軽くなった。

さて、ふたたび真夏の日差しの中を北へ、北へ。

あとは順調。体力だけあれば問題なし。


深谷、本庄を過ぎ、カラス川を渡って群馬県へ。群馬県内に入れば、井野川サイクリングロードで自宅まで行ける。

午後4時過ぎ、無事に到着。

12時間の無謀なサイクリングは、どうにかゴールできた。

(数年前、今のロードバイクで東京から帰ったときは、7時間でゴールした。)




………



その夏休み。

もうひとつ、旅に出た。



電車小僧だったころ、何度も乗った足尾線が忘れられない。

じゃぁ、自転車で足尾まで行ってみよう。時間があれば、日光まで行こう。

前橋から足尾まで、約30km


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夏休みの快晴の日、朝8時頃、のこのこと前橋を出発した。

前橋から大胡方面へ。名門M橋高校の横を通り、赤城山を左に見て、桐生栃木方面へ(東へ)。赤城山の裾野部分を走るアップダウンの道だ。


大間々(おおまま)という町に着いたら、進路を北へ。

ここからは山道。

足尾線(JR、当時は国鉄)に沿って、渓谷沿いの道が足尾銅山まで続く。

今で言うなら、まさに「ヒルクライム」だ。ただし、斜度はゆるい。レベルは低い。

しかし、その頃の俺も、レベルは低い。ビンディングはない。


「自転車で登れない坂が、この世に存在するとは思わなかった。」


ギアを軽くしても、上れない坂が数ヶ所あった。

押して歩いた。

自動車が横を通り過ぎていく。恥ずかしい…

(注:あくまでも、当時の個人的な感想です。たぶん、8%もない坂だと思う。)



昼過ぎ、やっとのことで足尾銅山(足尾駅、間藤駅)にたどり着いた。

たぶん、午後2時は過ぎている。

足尾から数km走ると、日光へ行ける。しかし、空模様が怪しくなってきた。

前橋へ帰ろう。日光へ行くのに、長いトンネルもあるから。



下りは爽快だ。

典型的に、アホな若者のサイクリストだ。今まで上った貯金を自慢するように疾走する。車を追い越すんじゃないかという速さで、大間々まで、一気に下った。


大間々から、前橋へ向けて道を曲がったとたんに雨が降り始めた。

夏の雨だ。それなりの大雨だ。

みっともないくらいにビショビショだ。しかも、前が見にくい。こぎにくい。



歩道の段差に気づかずに落車した。



幸いにも、自転車は無事だった。(運がいい!!!)

雨の中を、低血糖になりながら2時間くらい走り続け、やっと前橋の自宅にたどり着いた。

あいかわらず、冒険的な暴力的なサイクリングだった。



………



今思い返してみても、どうみても頭の悪い無謀な大学生だ。

偏差値と常識は比例しないってことは、わかりきっていますが。


ちなみに、当時、自転車競技は全く普及しておらず、こんな自転車好きな僕でも、練習したりレースに出たりする機会は全くなかった。

無駄なお金を使わずにすんだので、それはそれでよかったのかもしれない。






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by akogarehotel | 2018-03-29 19:37 | あちこち旅行記 | Comments(0)  

2140. あちこち旅行記 「あてのない東北北海道」 平成30年3月

あちこち旅行記 「あてのない東北北海道」 平成30年3月



数年前、草津でサイクリングをしていると、後輩が電話してきて、


「今、仙台にいます。すぐ来てください」


と言われ、急いで駆けつけたことがある。

というのも、同じようなことを以前、逆の立場で、やったことがあるから。



当時、神奈川県の厚木あたりに住んでいた大学生のキヨシ君に、駅の公衆電話から電話した。携帯電話なんて存在しなかった時代だ。


僕 「今、みんなで遊んでいるから、来ない?というか、来い!」


キヨシ 『 え、どこのにいるの? 』


僕 「 盛岡 」



★★★



大学4年の夏休み。

中学の同級生のウッチの提案で、東北へ旅行した。


メンバーは3人。ウッチは都内の大学へ通う4年生。ゲッチャンは福島県郡山市の大学に通う4年生。僕も4年生で、当時、上野近くに住んでいて、セフィーロという名車を買ったばかり。3人とも中学(前橋市)の同級生だが、高校は別々。


ウッチ 『 せっかく車を買ったんだから、東北方面へドライブしよう。適当に走って、適当なところで民宿を探して泊まろう。行ければ、北海道まで行っちゃおうか。 』


僕は「乗り鉄」を自称している。

乗り鉄の常として、時刻表には精通しているし、それは言い換えれば、予定はすべて時刻表のように分刻みで計画されている。2分ごとに来る山手線でさえも、何時何分の山手線に乗る、と予定を組む。


「車を適当に走らせて、宿を探す」なんていうテキトーな旅行は僕のポリシーにない。


しかし、仲の良い同級生の意見なので、渋々従った。仕方ない。



………



夏の日の夜明け前、ウッチと二人で上野を出発。ひたすら北へ、北へ。

途中、福島県郡山市で、ゲッちゃんを乗せる。3人になっても、ひたすら北へ、北へ。

体力に自信のある大学生だから、何時間運転しても大丈夫だ。意味もなく東北道を北上した。


しかし、東北ってデカイ。

東京から郡山だって、一応、「遠いところ」という意識があるが、

そこから北へ行っても、えんえんと道は続いている。


結構走ったと思って、仙台。

ずいぶん来たぞ、と思っても、盛岡。

走り続けて、いつのまにか夕方だぞ、で八戸。

まったく寄り道せず、ただ走り続けた。セフィーロご苦労。


ウッチが、そろそろ宿を探そう、と言ったのが青森県の三沢。東京から800km

真っ暗ななか、電灯の光をたよりに市街地を放浪。ネットのない時代だから、足で探さないといけない。

やっと見つけた親切な小さな民宿。

8時過ぎなのに夕食を出してもらった。

空を飛行機の音が何度も聴こえた。


夜は、当時、大ブレイクしたばかりのファミコン

テレビに、ドライバーを使ってコードを接続するという原始時代だったが、遊びのためなら面倒くさがることはない。



………


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翌朝、さらに北へ。

青森市には向かわずに下北半島へ。

下北半島の先っぽ。言い換えれば本州の先っぽへ来た。

ここからはフェリー。海の向こうに見えそうで見えない函館へ。


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人生初のフェリー、というかもしかして人生初の客船。

大きな船底に愛車を停めて、デッキへ。車がひとりぼっちでさびしそう。

大きな船なので、揺れてるようで、揺れてないようで。

船のスピードのおかげか、風が強い。真夏の快晴だけど、まったく暑くない。



あっという間に、対岸の函館へ到着。初北海道。

船に乗ってる人の全員が「はるばる来たぜー」と心の中で歌ってる。



函館。

早めに宿を決めて、あちこち観光へ。


五稜郭。

戦争の事情は知らないけど、きれいな星型の現代城。

戦国武将とは関係ない城だけど、幾何学的な形に感動した。たくさんの観光バスにもびっくりした。

五稜郭近くで「いかそうめん」を食べた。今回の旅行で「いか好き」の僕が絶対に譲れない項目。いか、大好き!


四稜郭。

五稜郭から車で30分のところにある、パロディーではなく本当の明治時代の城。

幾何学的な4角形、、、、って、つまり普通の城。なので、観光客もまばら、というか皆無。なんだ、この差は?!

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トラピスチヌ修道院。

こちらは、ウッチの譲れない項目。バターナントカを買ってくるように頼まれたとのこと。あやしい。理由が不純だ。

あまり宗教的なものに興味がないので、買い物だけして終了。



民宿に戻って夕食。

いかなどの海鮮づくし。肉が好きなはずの若者だけど、十分に満足できた。



夜、さてお約束。

函館山。

ロープウェイで山頂へ。

「夜景なんて、所詮人工物でしょ?一歩ゆずって、彼女とみて、テキトーに「きれい!」って言っとけばいいやつでしょ?」

と思ってたら、全然違う。

なにこれ。

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全面の明かり。函館半島の形に沿って、きれいに黄色く色塗りされてる。

イルミネーションなんていう言葉のなかった昭和の時代なので、この感動は忘れられない。男だけで見ても、十分に思い出になった。


帰りは歩き。男だけなので、体力使え。

そして、宿に戻って、夜中までファミコン。

短く濃縮された北海道の一日。競輪場や競馬場なんてものは全く気がつかなかった。



………



翌朝、早朝のフェリーで青森へ。


よくわからず、有名な観光地ということで、まずは恐山(おそれざん)へ。

イタコが死者を呼び起こすという恐い山。

一面、白い砂利と白い砂と白い山肌だったような。厳かな雰囲気で、よくわからない煙が立っていた。観光バスはほとんど見かけなかった。



そのまま南下して、奥入瀬渓谷から十和田湖へ。

ただの川だけど、なんだかすごい。夏なのに暑くなく、静かな場所だった。



さらに南下して、岩手県。

小岩井牧場へ。大学生が思いつきそうな単純な観光地めぐりだ。

しかし、到着したのが夕方。もう閉園だった。ただの森を外から眺めて終了。

そして、本日の宿を求めて、盛岡市街へ移動。

大都会盛岡では、難なく宿を見つけられた。



………



さて、冒頭のキヨシ君を迎えに、盛岡駅へ行こう。

この日の朝、函館を出るときにキヨシ君の下宿先(神奈川県相模原)に電話した。

 

「夜7時に盛岡駅で待ってるから、よろしく」


約束どおりに、7時の新幹線でやってきたキヨシ。

尊敬しますね、ホント。


キヨシ君は中学と高校の同級生。諸事情により3浪しているので、大学1年生(医学部)。中学時代はエースで4番。高校時代は水球で、いわゆる「代表レベル」のゴールキーパー。自慢の同級生です。


 『 お前ら、こんなとこで何してんの? 』


と、実は、うれしそうなキヨシ君。

大食いのキヨシが来たので、わんこそばへ行こうとしたが、どこも満員。常識的には予約しないとほぼ不可能らしい。仕方なく、普通の居酒屋へ。

そして、恒例のファミコンで遊んでから就寝。



翌朝、岩手県の名所中の名所、中尊寺を目指す。

僕らは中学の同級生。

中学時代の修学旅行は中尊寺。あれから7年。

すっげぇ久しぶりに、また行こうぜ。(今にしてみれば、たったの7年。)


が、道路が大渋滞。

この旅行で初の渋滞。夏休みだから、というよりは、中尊寺だからかな。

さっさとあきらめた。



そのまま南下して、一気に仙台松島へ。

ここも修学旅行で来たところ。なんだか思い出をめぐる旅になった。



松島のあとは、石巻へ。

大震災で崩壊する前の海岸線を男4人でドライブ。群馬県民は海を見れれば十分。それが「リアス式」ならなおさら文句なし。

「これが教科書にあるリアス式か!」

その夜は、石巻の民宿で海鮮三昧。



………



翌日、福島県に入ったところで、北上川の土手へ。

単に「北上川」が見たいから。

ここも大震災で有名になってしまいましたね。


福島市から、山道を抜けて五色沼を過ぎ、裏磐梯を越え、猪苗代湖へ。

猪苗代湖って、子供の頃から何度も見ているけど、本当に海みたいだ。日本で3番目に大きい湖。

まさに東北地方全部のせみたいな旅だ。



その夜は福島県郡山市へ。

ゲッちゃんの家に泊まる。久しぶりに、無料の宿泊だね。



翌日、郡山市にある僕の親戚の「料亭」へ。

以前は「大衆食堂」だったのに、あっという間にリフォームして割烹料亭になった。

近くに行ったので、挨拶に寄ったら、


『 ごちそうするから、食べていけ。 』と。


東北の人って、ホント、やさいいんですよね。

大衆食堂ではなく、割烹料亭のフルコースをごちそうになった。大学生にはもったいないな。



そして、ゲッちゃんに別れを告げて、東京へ。

5泊6日の長ーーいドライブでした。

セフィーロ、ご苦労。


今回の旅行のおかげで、あてのない旅って意外と可能なものだね、と認識した。

その影響で、、、(つづく)






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by akogarehotel | 2018-03-27 18:45 | あちこち旅行記 | Comments(2)  

2139. あちこち旅行記「水泳と勉強」 平成30年3月

あちこち旅行記「水泳と勉強」 平成30年3月



高校と大学時代では、鉄道旅行は激減した。

僕が18歳のときに「いい旅」キャンペーンが終了したこともあるが、水泳と勉強もその理由のひとつ(ふたつ)。

水泳(水球)と勉強が楽しくて仕方ないので、鉄道旅行どころではなかった。


が、その時期にわずかに旅行をしたのも、理由は水泳(水球)と勉強。



………



当時、超名門M橋高校の水球部の顧問は、過去に全日本を指導したこともあるカリスマ先生だった。ちなみに、外見は安西先生そっくり。その安西先生のご威光により、M橋高校水球部は必ず関東大会に出場できた。(理由は省略)


春と夏に、関東大会という「旅行」が恒例の行事になっていた。

レギュラーではない僕にとっては、関東大会は試合ではなく「旅行」だった。

というか、レギュラーの先輩だって「遊び100%、試合0%」だったと思う。

堂々と学校を休んで、友達と一緒に電車で宿泊旅行。ホテルでは体力の続く限り夜更かしして麻雀。往復の電車でもトランプや麻雀(ポータブル!)


アルコールがあったかどうかは、全く記憶がない。(もしかして、あった?)

安西先生は、遠く離れた別の部屋、あるいは別のホテルだったりする。

高校の部活なんてそんなものだ。

そんな手間のかかるうるさい子供たちを、ゾロゾロと手際よく引率する安西先生は偉かったなと、今にして思う。




受験や夏期講習も「旅行」だった。

宿泊先の町を探検して、ゲーセンを放浪した。

(詳しくは「受験戦争」に)



★★★



大学時代はひたすら水泳と麻雀だった。

誇張ではなく、大学時代はほとんど勉強していない。医学は、数学や物理のように興奮しない。


だから、「旅行」は、水泳関係。



………



大学水泳部は「旅行」ばかりだった。

合宿が年に2回。

遠征試合が年に1回。

(他にスキー旅行や海旅行など。バブル時代の頭の悪い学生がやりそうなこと。)



5月のGWは毎年、伊豆修善寺で合宿。

競輪学校に併設されている、あの有名なサイクルスポーツセンター。

当時は室内長水路のプールがあり、合宿の名所だった。シンクロの小谷みか子と遭遇したこともある。

残念ながら、現在は取り壊されてしまったらしい(ベロドロームになってしまった!!)。

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大学生は、高校生以上に爆発する。

それでいいんかよ?!と思うが、夜は毎晩毎晩、体力と肝臓の限界まで宴会が続く。

それなのに、翌朝ちゃんと起きて、死ぬほど泳ぐ。夜になるとまた、死ぬほど飲む。

体育会を名乗っているので練習は手抜きしない。宴会も手抜きしない。

よくも誰も死なないね。若いってすごい。



合宿最中に1日だけ休養日があった。

修善寺付近をドライブしたり、サイクルスポーツセンターで遊んだり。

サイクルスポーツセンターでは周回コースをレンタル自転車で走ることができる。

その頃の僕は、競輪というものを全く知らなかった。今にして思うと、かなりもったいなかった。


それにしても、GWの伊豆なんて、平日の新宿くらいに人間が集まる。

都内からの往復は超絶混雑。高速道路も、その側道も車でいっぱいだった。東京から伊豆まで、車で12時間以上かかることもあった。



………



大学時代、水泳の試合で一番遠くへ行ったのは札幌。

飛行機に乗るのは人生で初めて。電車で半日かかる距離を1時間で飛んでしまうのだから、便利な世の中だよ。でも、面白くないけど。

当時、一応キャプテンという立場だった僕。部員総勢50人くらいが移動するので、とても大変。「札幌係」という役職の学生が、飛行機や宿の予約など、かなり苦労してやってくれた。


せっかくの北海道なので、試合が終わったら現地解散。夏休みでもあるので、あとは自由に帰りなさい、と。

ということで、30年前の札幌旅行記。



札幌で朝9時に水泳部が解散。

 先輩と、パチンコ屋の新装開店に並んで昼過ぎまで。そこそこ勝たせてもらって、夕食はイクラ丼超大盛。先輩と別れて、釧路行きの夜行列車へ。一人旅。相変わらず、真っ暗な景色に見入ってしまう。一人旅の夜行って、何もかも自分の好きなものしか見えない、感じられない。雑音のない世界。


翌朝、釧路駅でレンタカーを借りて、釧路湿原と阿寒湖へ。

一般道でも100km出るという恐ろしい地域を突き抜ける。夏休みなのにガラガラな道路。地図では遠いはずなのに、予想外に早く到着してしまう。恐ろしい。


釧路湿原は何もない。湿原しかない。何もないのを見に行くんだから、これでよし。

阿寒湖は観光地。観光バスの団体が多数。それで地元が潤うならそれでよし。

お土産に本物の生きている「まりも」を本場で購入。1200円くらい。(まりもって、生きているんだよ、知ってる?動物か植物かは知らないけど。)

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その後、どうやって帰ったかは記憶がない。もしかしたら、札幌から寝台列車。ただし、当時、青函トンネルがあったっけ?



………



本来なら、大学生なんて「旅行以外に何をするの?」というくらいに旅をするべきだ。

人生のうちで、最低限のお金と、有り余る時間があるのは、この時期しかない。

いろいろとしがらみがあるだろうが、その隙間を見つけて、どんどん旅して欲しい。


歌舞伎町だって旅行の目的地となりうる。







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by akogarehotel | 2018-03-26 18:36 | あちこち旅行記 | Comments(0)  

2136. あちこち旅行記「まったく医者ってものは九州」 平成30年3月

あちこち旅行記「まったく医者ってものは九州」 平成30年3月



僕が中学生の頃、

父親は総合病院に勤務する医者だった。

ある日、鉄道好きの僕を見るに見かねて、


 『 今度、九州で「学会」という大事な仕事があるから、それに連れて行ってやる。電車に乗れるぞ。 』


大喜びの僕。

しかし、父親が仕事なのだから、電車に乗れるのは九州(博多)の往復だけかな、と思っていた。が、、


『 仕事はすぐ終わるから、博多からどこへ行くか予定を立てておけ。 』



………



新幹線がやっと博多へつながった当時、

九州へ行くには、100%の前橋市民が飛行機を利用していた。

が、僕に予定を立てさせるのなら、当然、そのころ大人気だったブルートレイン(寝台列車)になる。


鉄道好きにとって、「ゆっくり」と「遠くへ」を兼ね備えている夜行列車は、最高の楽しみ、夢、ご褒美。遠くへ行けるけれど、あっという間についてしまう新幹線とは、全くもって価値が違う。

途中駅で時間調整をしながら、必要以上にゆっくりと目的地へ到着する夜行列車は、まさに「銀河鉄道の夜」の物語にいるような錯覚。大人には見れない夢を、子供は見ることができる。



………



大喜びで予定を考えた。

旅程を考えるため、一日5時間くらい、時刻表を眺めていた。


そして、王道にして最高峰の

 往路:さくら

 復路:富士

というプランに決定した。

唯一の問題点があるとすれば、僕としては非常に稀有で貴重な、神経が休む暇もない、父親との2人旅 ということだけか。

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………



まだ名古屋までしか行ったことのない僕にとっては、初めての関西以遠。

まるで外国へ行く気分で、東京駅からブルートレインに乗った。

客車は、青い座席の2段ベッド。通常はボックス席で4人が向かい合って座り、夜になると、二段ベッドを組み立てて、2人が上にあがって寝る。

中学生の僕にとっては、不自由ない大きさだったが、大人にとってはどうだろう?ギリギリで窮屈だったと思う。



夕方5時ころ、東京駅を出発し、夕暮れの東海道を西へ。食事はもちろん駅弁。

到着時刻の調整のため、ブルートレインはゆっくり走る。静岡あたりで真っ暗になり、景色は全く見えない。それでも外を眺めているバカな「乗り鉄」。寝るつもりなど全くない。

深夜の大阪駅や神戸あたりで20分くらい停車する。意味もなくホームに降りたりする。もしもドアが閉まったら?なんてことは想像もしないバカな中学生。


眠るつもりはなくても、いつか眠り込む。

とすると、残念ながら夜明けは見られない。バカだよなぁ。

山口あたりで夜明けだったはずだ。



博多到着は朝8時頃。

通勤客で混雑する博多駅で朝食は「うどん」。


その「うどん」は衝撃的だった。

なにこれ?

こんなまずい物、人生で初めて食べた。

日本人の塩分摂取量は東(北)へ行くほど多い。西へ行くほど少ない。

関東の人間からすれば、関西の食事はすべて薄味。九州なんてもってのほか。

真っ白なつゆのうどんは、まったく味がしない。人間の食べるものではない。

(僕の父親は東北出身。なので、我が家の食事は関東平均よりももっと濃い味。不健康極まりない。医者のくせに。)



………



その日は、父親の「お仕事」。

駅からタクシーに乗り、平和台球場近くの学会場へ。

学会場の入り口で、


 『 ここで待ってろ 』と。


待つというほども待たずに、数分後。父親が出てきた。


 『 仕事は終わった。行こう。 』


学会というのは、持参した手帳にハンコを押して、それで終わりらしい。

ずいぶん、大事な仕事なんだね、学会って。

…という中学生の僕の感想



………



その後、父親と二人旅。


博多→鹿児島→指宿(いぶすき)、枕崎(まくらざき)、開聞岳(かいもんだけ)、池田湖(恐竜イッシーがいるといわれる湖)、桜島→

→宮崎→日南海岸、青島(昭和初期の新婚旅行の名所、鬼の洗濯岩)



鹿児島には、伊集院とか新納(にいろ)とか肝付とか、人名が地名になっている駅がたくさんあります。

しかし、島津という地名はなかったような。

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線路のない場所は一部タクシー。池田湖では初モーターボート。鹿児島から桜島までフェリー。

桜島では火山灰のため喘息発作を起こしたが、灰の降らないところまで来たら、発作は治った。


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↑青島。波の浸食でできた「鬼の洗濯岩」で有名。中学生の僕でも知っていた。



宿泊は鹿児島市内と青島近く。車中泊を含めて、4泊5日。

旅行中の食事は、博多のまずいうどん以外はほとんど記憶がない。

父親は大好きな海産物をたくさん食べていたが、その中になぜか「イセエビ」があったのは謎。



………



帰りは宮崎駅から寝台特急「富士」。

ふたたび、至極の時間を過ごし、翌朝、東京駅へ到着。



【走破】

東海道本線、山陽本線、九州本線、鹿児島線、指宿枕崎線、日南線など

(よく覚えていない。今は廃止された路線が多数。)



父親とはあまり仲が良かったわけではないけど、これだけ濃密な旅行をしても苦痛ではなかったみたいだ。

医者というものが、移動の際は、すぐに、


 『 タクシーで行くぞ 』


と言う生き物であると、初めて知った旅行でもある。







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by akogarehotel | 2018-03-16 19:34 | あちこち旅行記 | Comments(4)  

2134. あちこち旅行記 「いわゆる有名な青春18切符の旅」 平成30年3月

あちこち旅行記 「いわゆる有名な青春18切符の旅」 平成30年3月



僕が中学2年生のころ、

あまりにも有名な青春18切符が新発売となった。各駅停車の電車なら、一日中乗車して2000円という、当時としては破格のサービス。



これを利用しないという手はない。

クロと一緒に、新潟一周の旅に出た。

目的は「いい旅チャレンジ」、および、途中下車印を集めること。


長距離切符を途中駅で下車すると、切符に「途中下車印」が押される。ただ駅名が書いてあるだけのハンコだが、これを「切符にたくさん押す」ことが、当時、ブームであり、美徳だった。



クロ(本名黒崎)は中学の同級生。僕同様に時刻表が好きで、時刻表に精通しているくせに、成績がものすごく悪い。当時、たくさんいた「なめ猫」みたいな外見の同級生よりも、さらに成績が悪い。

ま、そんなことどうでもいいか。僕同様に鉄道が大好きであることに変わりはない。


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新前橋-(上越線、信越本線)-新津-新発田-(新発田線)-新潟-(越後線)-弥彦-柏崎-来迎寺-…徒歩…小千谷-(上越線)-新前橋

【走破】上越線、新発田線、越後線、来迎寺線



………



新潟は広く大きい。

移動に時間がかかる。だから、朝早く出発して、夜遅く帰りつく日程。


当時、新潟方面への始発電車は、上野駅を24時頃に出発する夜行の各駅停車。

新前橋駅の通過時刻は午前3時。まだ真っ暗な真夜中。

さすがに、こんな夜中に遊びに出かけることを許す親ではない。


じゃぁ、


許されないなら、秘密に出かけよう。



親には「朝5時くらいに出かけるから」と言っておいた。

そして、夜中にコッソリと家を出る。

新前橋駅でクロと待ち合わせ。クロの親は朝3時出発を許可してくれてるらしい。いいなぁ。



真夜中の新前橋駅に電車が到着。

暗闇の中に、電車の明かりだけ。いやでも興奮する。


土曜の夜に上野駅を出発した夜行列車はほぼ満員。リュックを背負ったおばちゃん、おじちゃんが多数。

さらに、当時はまだ行商のおばちゃんもいた。腰が曲がっているくせに、自分と同じくらいの大きな「つづら箱」を担いでいます。偉いです。尊敬します。

それに比べたら、元気な子供は、1時間でも2時間でも立っていればいい。

真っ暗な景色を見ながら、友達と2人で電車話。それで十分に楽しい。



わずかに空が明るくなりだしたころ、水上を越え、ループで名高い清水トンネルへ。当時、日本一長いトンネルだった。トンネルの中に駅がある。これが土合駅(どあい)。


こんな駅で誰が降りるんだよ?

と思ったら、ドアが開いたとたんに、グワーーーっと。

上野からやってきた山男、山女姿のおばさん、おじさんが大挙して降りていった。

その後、ここが谷川岳の登山口だと知った。


一方、電車の中はガラガラで貸切状態。

ここぞとばかりに、座席に横になり、夜明けの景色を楽しむ。

トンネルを抜けるとそこは雪国だったを通り、越後湯沢、石内などのスキー場を抜け、

新潟県第二の都市、長岡を過ぎて、新潟平野の穀倉地帯を越え、

やっとのこと、新津駅に到着。

新前橋から4時間以上。上野からなら7時間くらいか。

(今なら新幹線で、高崎新潟なら2時間。上野新潟でも3時間。だからといって、どっちがいいとも限らない。)



新津駅は路線が十字路に交差するターミナル。乗客も多い。売店も多い。

立ち食いうどん屋で朝食をすませ、秋田方面の羽越線に乗り換え。

数分で新発田駅に到着。新潟方面に戻る新発田線に乗る。この短い新発田線(新潟-新発田間)に乗るため、わざわざ遠回りした。



新潟駅からは日本海沿いに南下する越後線。

海を見ながらの列車旅は、海のない群馬県民にとっては至福の時間。

途中、弥彦を通過。(当時、競輪場があるなんて知らなかったが、)前橋の小学生が毎年、臨海学校に来ていた海岸が弥彦と寺泊。もちろん、僕もクロも。未知の地域への旅行のなかに、知った場所があると、懐かしすぎるくらいに懐かしく感じる。

海を見ながら、臨海学校の話をしながら、暑い日差しの中を海岸線の電車は続く。

(ちなみに、弥彦の臨海学校は中越地震で崩壊、中止となった。)


越後線はディーゼル。

限りなく遅い。新潟から、終点の柏崎まで何時間かかったのだろう。

記憶を整理すると、4時間くらいはかかっていた計算になる。

(今なら高速道路で1時間。)



柏崎から長岡へ向かう信越線に乗り、長岡の手前の来迎寺駅で下車。

もう夕方。空がオレンジ色だ。


当時、ここに来迎寺線という短いローカル線があった。

来迎寺から「西小千谷」という駅まで10km程度。これは乗っておきたい。

しかし、枝線のため、突き当たりまで行ったら、戻らないといけない。

でも、もう夕方のため、帰りの電車はない。


仕方ない、歩こう。


地図を見たら、来迎寺線の終着駅「西小千谷」から、上越線の「小千谷」駅までは歩けそうだ。

「地図」といったって、今のようにヤフーが教えてくれるわけはない。

本屋さんで買った新潟県全図だ。

本当に歩ける距離なの?


陸地が続いていれば歩ける。

問題は、乗り換えまで30分。

地図上の「西小千谷」から「小千谷」までの距離は、約2km

もしも乗り遅れたら、もう前橋へ帰る電車はない。

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(赤い線が当時存在した「来迎寺線」。赤い線の終点から、信濃川の対岸にあるのが小千谷駅。)



大人なら躊躇する「冒険」だ。子供の脳みそには、(どんなに神童の僕でさえも)もしも乗り遅れたら、なんていう発想はなかった。

乗れ。間に合わないなら走れ。



残念ながら、クロは運動が苦手だ。

僕の走る速さにはついてこれない。(クロに限らず、無理か。)

2人ぶんのリュックを背負って、夕闇のなか、初めての土地「小千谷」界隈を疾走する僕。その200mくらい後を、ハァハァ言いながら追いかけてくるクロ。

途中でわたった信濃川は今でも覚えている。

懐かしいなぁ。



小千谷駅には、余裕を持って到着。

急がせてごめんな、クロ。

駅でうどんを食べて、上野行の電車に乗った。もう真っ暗。

あとは寝るだけ。


再び、真っ暗な景色の上越線に、3時間ほど揺られ揺られて。

新前橋駅に到着したのは、たぶん夜10時頃だったはず。

楽しい楽しい、ただ電車に乗るだけの旅でした。



自宅で、

僕が朝3時に出発したことに気づいた親が、激怒していたのは、言うまでもない。







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by akogarehotel | 2018-03-09 20:25 | あちこち旅行記 | Comments(0)  

2133. あちこち旅行記「そうだ東北いこう」 平成30年3月

あちこち旅行記「そうだ東北いこう」 平成30年3月



僕の父親は福島県の郡山市出身。


8人兄弟の末っ子だった僕の父親だけが、群馬へ転居。残りの7兄弟は郡山にいる。

もちろん、その7兄弟に「群馬へ引越して来い!」と何度も要求しているが、残念ながら動く気配がない。

だから、僕は福島県には募金しない。

というのは震災後の話。



もちろん、震災前から、僕が物心つく前から、郡山の親戚には非常にお世話になっている。東北の人間は、前橋の人間よりもとても人懐っこく、子供からするとこの上ない遊び相手になってくれた。


その恩があるからこそ、前橋へ引っ越せ、と訴えているのだが。



………



小学6年のとき、前橋から郡山まで一人旅をした。

小学4年生以来、あちこちへ電車で乗りまわっているので、親ももう文句を言う理由がない。「親戚によろしく。迷惑かけるな」くらい。


僕の目的はもちろん「いい旅チャレンジ」。

ただ郡山を往復するだけではつまらない。寄り道をして路線数を稼ぎたい。

このときの経路は、

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往路:

新前橋-(上越線)-小出-(只見線)-会津若松-(磐越西線)-郡山


復路:

郡山-(磐越西線)-新津-長岡→



遠回りすることによって、3路線に乗れるうえに、只見線や磐越西線のような景色のよいローカル線を経験できる。

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(しかし、現在は、大雨か地震のため崩落。復旧の予定なし。)

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この旅行のことは、夏休みの課題として作文で提出した。

が、その作文は紛失。いい思い出になったろうに。

その記憶を頼りに、


夏休みの朝7時。大人たちが平日で、そこそこ混雑している新前橋駅を小学生が一人で出発。

今なら新幹線で30分くらいの越後湯沢。当時は鈍行列車でゴトゴトと。

渋川を越えれば通勤ラッシュはない。快適な車内で、爽快な景色。群馬新潟県境の渓谷の中を、ちょっとしたジェットコースターのように走る列車。子供ながらにも、自然の山々に見入っていた。



水上(みなかみ)を越えると、「るーぷでなだかいしみずとんねる」がある。

ループ状のトンネル。よくこんなものを造ったよね。

トンネルの中には駅もある。土合駅(どあい)。谷川岳の玄関口です。

トンネルを越えたら、そこは雪国だった、はずの新潟県。その物語の場所ですが、今は夏。暑い。



越後湯沢を越えて、小出駅で下車。

ここから只見線に乗り換える。

ここが只見線の始発駅なので、そのへんの大人に声をかけて、「いい旅」用の写真を撮ってもらう。偉い小学生だよ。

只見線は、これぞローカルというローカル線。単線のため、すれ違い用に「通行証」のようなものが存在し、すれ違う駅で運転手どうしが交換する。

だから、全線で2,3ヶ所あるすれ違い待ちの駅では停車時間が非常に長い。

しかし、電車を降りて、ホームから遠い山を眺めているだけで、何も退屈しない。

本当に、視界のなかには山と空と水しかない。あと電車と鳥。

(自転車で行ってみたい。あの頃が懐かしい。)



2,3ヶ所のすれ違い待ちの末、小出から3時間くらいかけて、会津若松に到着。

写真を撮ってもらい、磐越西線に乗る。

猪苗代湖、磐梯山を眺めながら、夕方近く、郡山駅(こおりやま)に到着。


郡山は、福島県の第二の町で、電車的には最大のターミナル(ハブ)駅。

群馬でいうと、高崎と似ている。

駅舎は大きく、駅前は活気があった(当時)。



郡山には父方の兄弟が多数いる。料亭をやってる人、ホテルを経営している人など。なので、泊まる場所や食事場所には全く困らない。みんなが、

 『 うちへおいで、おいで。 』

と言ってくれる。子供ながらに、「こっちの人は親切だな」と感じた。



従兄弟の料亭に泊めてもらい、翌日はまた一人旅。

猪苗代湖、会津若松、喜多方を一回りしてきた。

白虎隊がどの時代なのか知らずに。野口英世が何をした人なのかも知らずに。



その後、さらに数日お邪魔して、さあ帰る。

帰りは、郡山始発の磐越西線に乗り、ひたすら西へ。会津若松を越えたら、イタイイタイ病で有名な阿賀野川に沿って、新潟県の新津(にいつ)へ。

ここが磐越西線の終点(または始点)。


写真を撮ってもらったら、長岡方面の電車へ乗る。電車には上越線「水上行」と書いてあるが、長岡までの路線の正式分類は信越本線。

そんなことどうでもいい?


新潟の特徴ある田園風景を眺めながら、ひたすらまっすぐな線路。

このあたりはコシヒカリの産地。道も電車も、完璧に区画整理された田んぼの中を、ひたすらまっすぐ走る。

田んぼの脇には「ハンノ木」が立っている。知ってる?小学生のテストにも出る、米ワラを乾燥するのに使う木です。

上越国境の山が近づいたかな、というところが長岡。

長岡で下車する。


なぜか、このとき、父親が長岡駅に迎えに来た。

前橋の自宅から、高速道路のない時代に、3時間以上もかかるのに?理由は覚えていない。



3県にまたがって、200km以上の電車旅。上越線、只見線、磐越西線をクリア。

小学生が、よくも一人で出かけたもんだ。

楽しかったなぁ…



………



翌年も、というか、「いい旅」がある以上、毎年のように郡山に出かけた。

いわゆるひとつの拠点ですね。



中学1年のときは、小学生の妹を連れて行った。

妹がいたって、もちろん、遠回り。今度は東回り。

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前橋-(両毛線)-小山-(水戸線)-水戸-(常磐線)-いわき-(磐越東線)-郡山


出発前に、両親が、僕には何も言わず、妹にだけ、

 『 お兄ちゃんの言うことをよく聞けよ 』

と何度も言っていたのを覚えている。



朝7時に新前橋を出発。前橋、伊勢崎、桐生という地方小都市を通過。平凡な景色だ。でも、電車に乗っていれば楽しい。


小山は栃木県のハブ駅。宇都宮よりも乗り換えが複雑。

東北線に乗れば郡山へ直行できるのに、あえて遠回りの水戸線。ローカルなので、乗り換え番線も駅の端っこのほうに置かれている。不遇だ。


水戸線も、結城、友部などの地方小小都市を通過。同じく平凡な景色を見ながら、水戸へ到着。

水戸からは常磐線で「いわき」駅へ。


「いわき」は当時唯一のひらがな表記の駅。

もちろん、競輪場があることなど当時の好青年の僕が知る由もないが、

「いわき」に行ったのは、これが最後。もったいなかったな。

地図上は海岸近くを走る常磐線だが、あまりその記憶はない。


「いわき」からは、待ってました、ローカル線の磐越東線に乗り換え。阿武隈山地のなかをうねうねとノロノロと通り抜け、終点の郡山へ。

ほぼ一日かけて、親戚の待つ郡山へ到着。



両毛線、水戸線、磐越東線をクリア。

あまり興味のない妹がよくも付き合ってくれたもんです。



………



僕が郡山(福島県)のことをうるさく言うのは、こんな訳があるからなんです。







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by akogarehotel | 2018-03-02 19:47 | あちこち旅行記 | Comments(0)  

2132. あちこち旅行記 「いい旅チャレンジ20000km」 平成30年3月

あちこち旅行記 「いい旅チャレンジ20000km」 平成30年3月



その昔、昭和の頃、大赤字だった国鉄が経営建て直しを賭けて始めたキャンペーンが、「いい旅チャレンジ20000km」。


国鉄全路線(当時約2万km)を走破すると豪華な景品。全部でなくとも、走破した路線数に応じてそれなりの景品がもらえるというもの。

山口百恵の「いいひー、たびーだちー」という歌とともに、一応、一瞬ではあるが「鉄道ブーム」「乗り鉄ブーム」の火付け役となった。



乗った評価は、「距離」ではなく「路線数」でカウントされる。

高崎線、東北本線、山手線…という単位で、それらを始点から終点まで乗車し、両端の駅で、駅名と自分の顔が写った写真を撮影する。その写真を事務局に郵送すると、折り返しに乗車認定証が来る。その数が一定数になると賞品がもらえる。

もちろん、賞品も目当てになるが、それよりはコレクター感覚の自己満足のほうが大きい。おかげで、観光ではなく、「電車に乗るために電車に乗る」という人間が増えた。



この「いい旅~」が始まったとき、僕は小学校6年生。

当然、非常に夢中になり、時刻表を見つめる日々が続いた。



………



路線数単位だから、短い路線がお得。長い路線は損をする。

東北本線なら東京と青森の写真が必要だが、(当時あった)赤羽線なら赤羽と池袋の写真でよい。

必然的に、都内の路線は短いものが多く、路線数を稼ぎやすい。

が、せっかく乗るのなら、もちろん遠くへ行ってみたいのが人情。



………



このキャンペーンのおかげで「路線」には非常に詳しくなった。


たとえば、

勘違いしている田舎モノが非常に多いのだが、

水道橋、市谷、信濃町、千駄ヶ谷などの駅の路線は何?

黄色い電車だから「総武線」?



答えは「中央本線」。中央線ではなく、中央本線。黄色い電車は総武線から乗り入れているだけ。東京-神田-御茶ノ水-新宿-甲府-名古屋の「線路」は中央本線。

ちなみに、中央本線は中央東線と中央西線にわかれている。



もう一問。東京-上野間の路線は何線?

京浜東北線?そんな路線は存在しない。これは愛称。

山手線?山手線の正式部分は、品川-新宿-田端まで。


正解は「東北本線」。東北線ではなく東北本線。

東京-上野-田端-大宮-仙台-青森、と続く東北本線。(現在は、新幹線開業とともに東北地方内での路線が細切れで廃止されてます。)


などという、どうでもいい話で盛り上がれるのが、「乗り鉄」「路線マニア」なんです。



………



路線数を稼ぎたいなら都内を乗ればよい、


ということで、

小学校6年のとき、カメ(本名イノウエ君)と2人で、都内1周の旅に出た。

写真を撮らないといけないので、2人組みだと便利だ。

(当然、一人旅もする。そのときには、そこらへんの大人の人に写真を撮ってもらうように頼む。小学生が大人とコミュニケーションを取るきっかけになるのだから素晴らしいイベントだ。)


山手線(品川-田端)

赤羽線(赤羽-池袋)

武蔵野線(西船橋-府中本町)

南部線(立川-川崎)

横浜線(八王子-東神奈川)

と往復の高崎線(大宮-高崎)

などを1日で乗り切った。

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日が沈むまでに帰らないといけないので、小学生2人で、大急ぎで駅から駅へと走り回った。お昼ごはんを食べた記憶などない。

根岸線(横浜-藤沢)にも乗りたかったが、時間が足りなかった。鶴見線は距離は短いのだが枝線が多く、不便で手間がかかるので無視した。同じく相模線も寒川の枝部分がネックになり断念した。



まるでポケモンを集めるのと同じ感覚で、ワクワクしながら電車に乗っていた。

しかし、カメは僕ほどには電車マニアではなかったので、実は迷惑だったかも。



その後も、一人旅などあちこちへ旅行して、10年後にキャンペーンが終了するころには、全国242線区のうち、100路線くらい走破していた。


ちなみに、賞品として、レールから作られた「文鎮」をもらったが、僕は習字などしない。







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by akogarehotel | 2018-03-01 19:18 | あちこち旅行記 | Comments(0)  

2131. あちこち旅行記「のぼるはるなのきゃんぷむら」 平成30年2月

あちこち旅行記「のぼるはるなのきゃんぷむら」 平成30年2月



誰もが知っている世界的に有名な上毛カルタ。その『の』は、

 のぼる榛名のキャンプ村

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つまり、榛名といえばキャンプ村、キャンプといえば榛名、と世界が認めている。




………



中学1年のとき、

またまた、焼肉屋の金ちゃんたちと旅に出た。しかも、今度は、


 「 夏休みに、キャンプ行こうぜ 」


と、子供としてはかなり無謀なご意見。



メンバーは、金ちゃんと、ノボルとタダシと、僕の4人。

ノボルとタダシは、小学校時代に東京から転校してきた双子。スポーツ万能。


さすがにテントを張るのは無謀と判断し、ガイドブックを買って、コテージタイプのキャンプ場を探す。(そもそもテントなんて持ってないし。)

前橋から近くて、「風紀のよさそうな場所」を探した。

榛名湖なら、渋川からバスで伊香保温泉を経由して、2時間くらいで行ける。イニシャルナントカで有名な伊香保界隈の道路は、当時からも走り屋さんたちに人気だったが、まぁギリギリ許されそうだろう。

榛名湖畔のキャンプ場を、中学生の子供が偉そうに電話で予約をした。



もちろん、親には、

 「キャンプ行くから、お金ちょうだい」

の一言だけ。



………



キャンプの数日前から、自宅に集まって荷物の相談など。


2泊3日ぶんの食事メニューをすべて決めておいて、それに必要な材料を買い込む。二日目の昼が王道のカレー。二日目の夜以降は缶詰だけ。冷蔵庫はないから。


キャンプ用品店で飯盒を買い、庭で炊飯の練習。本を読みながら火加減を調節。というか、庭で子供だけで焚き火って、大丈夫か?

今やれ、と言われても、できる自信がないが、当時は難なくご飯を炊くことができた。子供の行動力は褒められる。



………



出発日。

電車とバスで、伊香保温泉を通り越して、榛名湖へ。

友達同士で、しかも、子供たちだけの旅行。

楽しくないわけがない。


ノボルが「荷物が重い」って文句を言っていたのを覚えている。

お前の運動能力なら、それくらいがんばれ。



子供は夏休みだけど、世間は平日。

榛名湖はそれほど混んでない。バンガローも駐車場も、空きが目立つ。

バンガローの事務所で手続きして、ゴミやトイレの場所を聞いて、お風呂は近くの日帰り入浴施設を教えてもらって、。


バンガローは8畳の掘っ立て小屋。電源なし。トイレ、炊事場は共同。


食事で困った記憶がほとんどない。

飯盒炊飯は、ちょっとくらい焦がしたかもしれないが、ほぼ問題なし。

二日目に作ったカレーは、皆様の予想通りに、水を入れすぎてスープになってしまった。売店でカレールーを買って投入したら、超大量になって逆にうれしかった。

三日目の朝は納豆を食べたはずだが、冷蔵庫のない夏のキャンプで、前橋から持って行った納豆が安全であるという証明ができた。

もしも、何も食べるものがなければ榛名湖のドライブインで食べればいい、と思っていたが、結果的に食事は全て自給自足できた。

これもひとえに、僕個人の企画力の賜物ですね。

ちなみに、バーベキューはしていない。あんなの、ゴミが出て片付けるのが大変で、その割りに満足感がない。完璧な火力管理がない場合、やる価値がない。



お風呂も楽しかったなぁ。

バンガローから、真っ暗な道を15分くらい歩いて、どこだか知らない入浴施設へ。

騒ぎながら、お風呂に入って、また真っ暗な道を騒ぎながら帰る。



しかし、真夜中になると、急激に気温が低下した。山につき当然。

毛布を余分に借りておいたが、それでも足りずに、4人でくっつきながら眠った記憶。



当時(昭和55年頃)は、子供だけでこんなことができた。今は難しい。

幸せな時代でしたね。



………



自由時間は、何して遊ぶ?

榛名湖なんだから、ボートとかロープウェイとか山登りとか?

そんな教科書みたいなことをするわけない。



そこは、ドライブイン様にお世話になる。

当然のゲームコーナー。

子供同士だから、何から何まで自由で天国。

ちなみに、俺よりも、ノボルとタダシのほうがゲームが好きで、うまい。

ボートに乗っても数百円。ゲームは100円。

ゲームのほうが長持ちする。当然、ゲーム優先。

かなり長時間、榛名湖畔のドライブインにたむろしていた記憶がある。むしろ風紀を悪くさせているのは俺たちだったか?


楽しく遊んでいると、なんと、うちの父親がやってきた。

心配なので、見に来たらしい。自宅から車なら1時間で来れてしまうから。

で、むしろゲーセンで遊んでいるのを見て、ほっとしたらしく、ご丁寧にお小遣いを配って帰って行った。ありがとう。これで、さらに遊べるぞ!


そのドライブインでひたすら遊びまくったのが「ディグダグ」。

この絵を見ると、今でもあのキャンプを思い出す。

f0131183_13563293.png



………



楽しい2泊3日は、あっという間に終了。


帰り道。

4人のバス代よりも、タクシー代のほうが安いことが判明。

なんと、榛名湖から伊香保温泉までタクシー。

その車内で、みんな熟睡。楽しかった証明。



………



電車とバス乗り継ぎ

宿泊あり

寝具不明

入浴不明

火を使って自炊

湖で遊ぶ

ゲーセン

どれひとつでも、今、子供たちだけではさせてやれない。

本当に、あの頃は幸せでした。


子供に、もっと冒険させてやるべきなんだろうなぁ…








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by akogarehotel | 2018-02-27 13:55 | あちこち旅行記 | Comments(2)  

2130. あちこち旅行記「放浪ぐせ」 平成30年2月

あちこち旅行記「放浪ぐせ」 平成30年2月



金ちゃんたちとの高崎行きは失敗に終わったが、おかげで切符の買い方や、電車の乗り方が分かるようになった。

例外的な電車に乗らなければ、1番線が高崎に向かうのも理解したし、同じようなことは別の駅でも設定されていることが分かった。


じゃぁ、一人で行ってみるか。



本来、ロードも旅も、スキーも、一人旅が好きな性格らしい。


………



小学校4年。

学校から帰ると、どこから持ち出したか知らないが、100円玉を2つ持って新前橋駅へ。

本庄までの切符を購入。

100円未満であることを確認。大丈夫、帰りのぶんのお金は足りる。


そして、新前橋駅の「1番線の電車」に乗車。

大丈夫、今度は高崎の方向へ走り出した。



当時の電車は、ほとんどが「高崎線上越線直通」。

え、意味がわかんない?

今のように高崎駅を始発終点とする電車はあまりなかった。ほとんどが上野駅を始発とし、上越線方面、信越線方面、両毛線方面へ、そのまま走っていた。


つまり、新前橋から1番線の電車に乗れば、高崎を通り越して上野方面へ向かう。

 高崎 → 倉賀野 → 新町 → 神保原 → 本庄 → …



小学4年生が荷物も持たずに、(ポケットに入れた小銭だけで)一人で電車に乗っている。今でなら、補導されるかも?

当時は、ほとんどそんなことは考えもしなかった。

初めて見る景色にワクワクしてただけだ。

いや、正確には景色というよりも、線路、車両、駅舎など、電車関係の構造物をワクワクしながら眺めていたらしい。

このときに見た倉賀野駅の駅舎が忘れられず、その後、小学校の授業で水彩画にしたら入選した。

↓こんな絵(もちろん、絵も、駅舎も、実物は今は存在しないし。)

f0131183_18435709.jpg

だいたいの構図。倉賀野駅の二階建て乗り換え通路が印象的だった。新前橋は地下道だったから。

止まるはずのない特急(L特急)を停車させているのはご愛嬌。




約30分の乗車で、本庄に到着。


なぜ、本庄?

そりゃ、大都会だからさ。

本庄鼓舞の本庄。なぜか子供の僕でも、その地名だけは知っていた。

「さいたまけんのとかいのまち」って。

全くの誤解です、はい。



本庄駅で何をするでもない。

帰りの電車の時刻を確認して、帰りの切符を買う。


時間があまった。

残った10円玉で、家に電話をしてみた。僕としては、自慢したかったのだろう。


 『 なんで、そんなとこにいるの! 』


電話から聞こえたのは、母親の怒鳴り声だった。

ま、どうでもいいや。



帰りの電車は、やや通勤ラッシュ。

夕日が沈む頃、新前橋駅に到着した。駅から歩いて10分で家に到着。

大満足の一人旅だった。



もしも同じことを、今、自分の子供がやったら、怒りはしないけど、超ヒヤヒヤするだろうな。

あの時代は、よかった。



………



その後、「日帰りならどこに行ってもいい」という自分のルールができた。


日曜日などに、(本当にどこで手に入れたかしらないが)電車賃だけ持って、あちこちに「旅行」した。

旅行といったって、「観光」なんて全く興味がない。単に、電車に乗ることだけが目的の一人旅だ。

足尾銅山、万座鹿沢口(草津)、長野、水上…

こんだけ旅させてもらえる小学生も、幸せだよな。



『 そっか、新幹線を使うと名古屋まで日帰りできるのか。 』

(当時の最大可能航行距離)






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by akogarehotel | 2018-02-26 18:42 | あちこち旅行記 | Comments(0)