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2123. 受験戦争今昔(外伝)

受験戦争今昔(外伝)



マジメな内容です。

書こうかどうか悩んだけど、記録として残すために。


すぐ下げます。



………



僕の長男は1歳半検診で異常を指摘された。


1歳半検診では、意味のある発語が3つ必要だ。(ぱぱ、まま、ぶーぶーなど)

しかし、長男は、3つどころか、1つも言語を発していない。「あー」とか「うー」しか言えない。


発育障害の疑いと言われ、県立小児医療センターへ通わさせられた。

しかし、何かの治療をしたところで言語を発するようになるわけもなく、数ヶ月通ったところで通院を中断した。

そのまま、言語を発っせずに1年以上が経過する。

このまま何も喋れないのだろうか。



ただし、自発言語はないものの、こちらの言語は理解している素振りがある。名前を呼べば振り向くし、あっち、こっちという親の指示にも従う。ジェスチャーのようなもので、コミュニケーションも可能だ。


でも、親(俺)は心配でたまらない。

少しでも、子供の脳みそに刺激を与えようとする。

毎日、昼休みに帰宅して、2時間近く一緒に遊んだ。

長男は楽しければ笑う。笑うことによって、言葉を発するのではないかと期待して、ひたすら遊んだ。

歌を聴けば歌いだすかと思い、「おかあさんといっしょ」の歌をひたすら聴かせもした。



当時、長男は乗り物とアンパンマンが大好きだった。

特に電車は、見るのも、乗るのも楽しいようで、何度も駅に連れ出した。「わーわー」言いながら、電車を見て喜び興奮していた。高崎駅の新幹線ホームには何度行ったことか分からない。そのまま適当な電車に乗って、本庄くらいまで二人旅をもした。



しかし、2歳で保育園に通っているときも、意味のある発語はなかった。

担当の保母さんはとてもいい人で、長男に非常に優しく対応してくれていた。

保育園からは何も言われなかったが、何か心配なまなざしで見られていた気はする。



長男が、もうすぐ3歳になる頃、長女が生まれた。

その前後くらいに、やっと、長男に変化があった。


僕と長男が公園で遊んでいるとき、

忘れもしない、大利根公園(ミネさんちの目の前)のコンクリート山の上で、

長男が、遠くの車を見て、『ぶーぶー』と言った。

2歳10ヶ月くらいの子供が、生まれて初めて、「ぶーぶー」と言った!


自分の人生史上、一番うれしかった日かもしれない。

大学受験なんて1浪すれば受かるし、水泳でいい成績出したって人生が変わるわけないし。どう考えても、この日以上にうれしかった日はないと思う。



その後、3歳の誕生日前後に言葉が増えていき、4月に幼稚園に入園するとき(3歳9ヶ月)は、周りの子供とほぼ同程度になった。



………



特に男児には、言葉の発達が非常に遅い子供がいる。

とは、聞いたことがあるものの、いざ自分の子供のこととなると心配で仕方がなかった。


当時のことを、今、長男に言うと、本人はまったく気にも留めず、『ふぅーん』としか言わない。

そりゃ、そうだ。



長男は、その後、親に似て非常に聡明な少年に成長し、小学校でも優秀な成績となり、先日の「どうでもいい」受験も合格してくれた。

受験については、「非常に不甲斐ない試合内容」だったので、その夜は激怒したが、

幼児期のことを考えると、受験できるようになっただけで十分に幸せだし、

言葉の発育が悪かった子供が、記述中心の試験に合格した、ということも喜ばないといけないことと思う。


これまで、このことは誰にも言わず、長男に心配させられた約3年間は、友達付き合いも断っていた。

もしかして気づいていた人がいたかも?

特に○福さんとかね、あいつ、意外と繊細だから。






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by akogarehotel | 2018-02-10 13:54 | 子育てられ | Comments(2)  

2122. 受験戦争今昔(あとがき、その2)

受験戦争今昔(あとがき、その2)



「この大学」は、一般に「品のいい金持ち」の大学と誤解されがちですが、必ずしもそうではありません。

(某広告研究会のことを思えば、「品がいい」なんて、決して言えません。)



僕自身は、親の約束どおり、遊びながら大学生活を送りましたが、ほとんどの学生が、特に地方出身者はほぼ全ての学生が、アルバイトで稼ぎながら生活していました。


アルバイトは家庭教師です。

相場は時給4000円から6000円。

それなりの大学なので、それなりの時給になります。友達には時給10000円なんて破格の設定もいました。

僕も「夢が塾の先生」なので、家庭教師をしていましたが、お金のためではないので、時給3000円という親切設定です。小学生~女子高生まで担当しましたが、楽しい仕事です。少なくとも、医者より楽しい。

(フランス人の女子高生に数学を教えろ、ただし英語で、ってのは困った。)



………



この大学では、「医者の子」率はそれほど高くはありません。1割くらい。

しかし、他の私立医大では圧倒的に高くなります。その理由はもちろん、学費。


1年間の学費(30年前):

 国立(東大他) 90万円

 慶応  200万円

 慈恵  400万円

 他の私立 1000万円


↓参考までに現在の学費

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順天堂に合格したサトケン(前述)が、入学時に払った金額は2000万だそうです。施設費や寄付金を含めると、卒業までの6年間で1億円に達する大学がざらにあります。それらの大学では、当然、「医者の子」率は高いでしょうね。


つまり、昔は、金を積めば医者になれる、と言われた。



しかし、現在は違います。

最近は、医学部志向が非常に高いため、


『東大に入れるレベルにないと、どこの医学部にも受からない』

(あやのいち談)


だそうです。たとえ、K医大でも、K医大でも、K医大でも、(Kばっかり)、

現在は、かなりの学力が必要です。



………



有名なことですが、「この大学」の学生は非常に愛校心が強いです。

ラグビーや野球など、たかがOBなのに一所懸命に応援します。その理由は、学校がそのように煽っているからです。

「高田馬場にあるおバカ大学」をライバルに仕立て上げているのも、愛校心を煽り立てる道具にするためです。

(半分くらいの学生OBはそれを知っています。知ったうえで、あえて仕立てあげられたライバルとの掛け合いを楽しんでいます。)



愛校心を煽る目的は、当然お金です。

OBの集まりにはもれなく「寄付金募集」がついてきます。お付き合い程度に諭吉一人を寄付するだけでも、もともとの人数が莫大なので巨額の寄付金になります。(この大学に限っては、「福沢諭吉」以外のお札を寄付する人は絶対にいませんから。)



ふざけてますね。

大嫌いです。


寄付金というのは「足」で集めるものです。

「通達」という紙切れで集めるものではありません。


たとえば、今だと、

   「大学病院新棟建築費 寄付金 100万円から」

なんて紙切れが回ってきます。

アホらしいので、当然無視してます。


しかし、洗脳されている学生やOBは寄付しちゃうんだよね。そんなお金があるのなら慈善団体に寄付しなさい。僕はそうしています。

お金は、足りなくて困っている人に寄付してあげるべきでしょう?

(今年は甲子園に出場するから、がっぽガッポですね。)



………



何事もそつなくこなす学生が多いので、勉強だけの「ガリ勉」タイプはほとんどいません。


しかし、例外はあるもので、

1学年に1人か2人くらい、勉強以外のことを何も知らない、人生で勉強だけしかしてこない生徒がいます。もちろん、僕からすると尊敬に値します。自分には「勉強だけ」なんて人生は絶対に無理だから。



同級生のイシイ君は、ひたすら勉強しかしてこないタイプ。

大学でも全ての授業に出席して、すべてのノートをマジメに記載する。彼がいたおかげで、私たちの学年では「出席者ゼロ」の授業が発生しませんでした。

そんな彼は、そのマジメさと勤勉さのおかげで、ついに精神を病んでしまいました。

むずかしいですね。


余談ですが、

イシイ君は学習院小中高卒業で、皇室の方と小学生からのご学友で仲良しだそうです(新天皇の弟さま。カワシマキコさんとご結婚された人。)。

遠足に行って、お弁当を分け合ったり、結婚式には個人的に贈り物を送ったと。



★★★



大学に入ってからの私。


大学では、期末テストで満点を取ろうが、最下位でギリギリ通過しようが、どっちでも同じです。もう順位は関係ありません。試合ではありません。


勉強が「試合」ではなくなると、一気にヤル気がなくなりました。

それまで大好きだった数学・物理・化学は、最低限の勉強をした。けれど、それ以外は本当に最低ラインをすれすれ通過。

医学という学問は「暗記勝負」なので、理系の脳みそには縁遠かったのも大きな要因です。


5年生から6年生になるときに、かなりやばく留年しそうになりながら、一応、6年で卒業。卒業時に、6年間総合の成績順が発表されて、105人中100番でした。

まったく意味のない数字なので、何も気にしていません。


が、

前述の洋子さんは1位。

このへんが「運命の人」ではない理由でしょうね、当然。



………



医者になるのに、医学が嫌いでどうするの?


と言われても、

くどいけど、医学部に入った理由は「親の命令」です。心底、医者になりたいと思ったことは一度もありません。

そのため、在学中も、常に違う職種へのチャンスをうかがっていました。


麻雀プロの試験を受けたけど、落ちた。

DJの一般募集試験の日時を確認したけど、自重した。

あの「光栄」の入社資料を取り寄せて、「三国志I」の解説を書いて送った。

(火攻のやつ。PCゲームの名作。)

当時、最も住みたかった町「越後湯沢」を放浪もした。

(働き口がないと悟り、あきらめた。)

保険会社の面接も行った。



ま、「どうせ医者になる」という甘えた気持ちがあったから、就活もヤル気が中途半端だったのでしょう。

お恥ずかしい。

ちなみに、当時(学生だったので)競輪の存在を知らなかった。知っていたら当然、受験していたでしょうね。受かるわけないのに。



★★★



僕が中央中等を否定する理由は、僕の大学の同級生にあります。


同級生には、灘とか麻布とか開成とか、錚々たる中高一貫校の出身者がいますが、

こいつらが、到底、6年間勉強してました、なんてわけがない。


もともとのデキも違うけれど、

本気で受験勉強をしたのは後半2年程度。それでは不十分なことが多いから、浪人して、一浪で合格。

こんなパターンばかりです。

僕は、これが個人の能力を最大限に引き出す方法だと信じています。


1年生(中学1年)のときから、猛勉強(猛練習)したって、6年間も気力体力が維持できるわけがない。

それなのに、群馬の中高一貫は、公立なので、残念ながら、杓子定規に

 「6年後の大学受験を目指してがんばれ」

なんです。


だから、いまだに、前橋高校に進学率で勝てないんだよ。

リンク(中央中等、前橋高校、高崎高校の進学率へ)






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by akogarehotel | 2018-02-09 18:23 | 子育てられ | Comments(0)  

2121. 受験戦争今昔(あとがき) 『品のいい大学のこと』

受験戦争今昔(あとがき) 『品のいい大学のこと』



長文失礼。

興味のない人は無視してください。

芦田マナのファンならどうぞ。




「品のいい大学」の医学部の定員は100人。

そのうち、60人が一般受験生。「外部」という。

残りの40人が付属高校からの進級。「内部」という。


40人の内部生のうち、

 慶応義塾高校 28人

 慶応女子高校 4人

 慶応湘南高校(神奈川) 2?

 慶応志木高校(埼玉) 4?

 ニューヨーク高校(海外) 1?



慶応義塾高校は、「嵐」のナントカ君が通っていた男子高校。いわゆる「慶応高校」。神奈川県の日吉という町にある。マンモス高校で、1学年は24クラス(45人)くらい。

そのうちの28人しか、医学部には進学できない。クラスで一人だけ。


進級の判別方法は、高校3年間の「通知表」による。

音楽、体育、美術を含めた、全ての教科の通知表を20段階で数字にして、3年間の平均値が高い順に医学部へ進学できる。


数学の1点と、体育の1点が同じ価値ってのは、はてしなく納得がいかないが、

当人たちによると、


『医学部希望を表明していると、美術音楽体育の先生がいい点数をくれる』


とのこと。それはそれで、問題じゃないの?とは思うが、

いずれにしろ、

高校1年のときから「いい子」にしていないと医学部へ進級できない。しかも、クラスで一人だけなので、1年生のころからライバル意識がぶつかり合う。

俺には無理… 絶対に無理。




さらに厳しいのは女子。

慶応女子高は6クラスくらい。そのうち4人なので、クラスで1番でも医学部へ進学できない。元来、女子は男子よりも優秀だから、より一層難しい。

とすると、中学生の頃から、ライバルと意地の張り合いと思われるが、意外と皆様はお互いに仲がよいようだ。そして、当然に、医学部に進学してくるような女子は、キレキレの秀才ぞろい。その反面、外見は多種多様。

ちなみに、昭和の時代の慶応女子校は超ミニのタイトスカートで有名でした。


某有名子役女優さんが、こちらの中学に入学したそうです。医者になりたいらしいですが、むしろ他の学校に行くべきでしょう。どんなに成績が良くても、出席日数が少ない生徒が医学部に進学したら、まわりじゅう敵だらけになります。



………



一方、外部生は、受験のエキスパート。

理数系の超難問を「大好き」と言えるヘンタイばかり。

東大理Iは受かるが、理IIIは受からないという、微妙な立ち位置。

ほとんどが関東~東日本出身。関西は1学年に5,6人。

各地の有名高校から一人ずつ、という具合の合格者。なので、出身高校を見れば、全国受験レベルの風潮がわかる。

群馬県は前橋高校だけ(過去30年)。隣の市の高校は、総理大臣が出て、新幹線が停車するくせに、合格ゼロ。へーん。



現役と浪人生は、半分半分。

僕の頃の、最大勢力は「駿台予備校」。現役浪人含めて、入学者の半分くらいが「駿台卒業」でした。高校別にすると、各校一人くらいだけど、駿台予備校の理3アルファクラスからは、10人以上が合格(当時)。


外部生の半分以上が、Z会(通信添削)の会員。入学後3ヶ月くらいは、ペンネームや問題の難しさの話題で盛り上がれる。



外部から入学する女子は6人だけ(当時)。

男子のほうが成績がよいのか、

それとも、(東大の噂のように)男子を優先して合格させているのかは、不明。

模試の成績からすると、たぶん、何も操作していないと思いますが。



(女子も含めて)外見上、いかにも勉強ばかりしている生徒は1割くらい。ほとんどの同級生が、楽器、スポーツ、あるいは「おしゃれ」「放蕩」など、何かしらの特技を持っている。

外見でいうなら、群馬出身で浪人歴のない僕は、まるで、


 「田舎から出てきたばかりの、勉強しかできない眼鏡の学生」


でしたね。



★★★



医学部には、医学部だけの「部活(体育会)」があります。

全学部生が加入する「通常の体育会」は、基本的に毎日24時間以上練習にあけくれています。彼らには、「学校の授業」ってものが存在しませんから。

しかし、医学部は、「最低限の授業」がある。通常の体育会に入ることは物理的に不可能です。留年しても不可能です。

なので、医学部だけ別の組織として「医学部体育会」が存在します。医学部水泳部とか、医学部野球部とか。


もちろん、レベルは通常の運動部にくらべて、ガクーーーーと下がりますが、練習意欲と練習時間だけは、通常の運動部に非常に近くなっています。



医学部運動部は全国の全ての医科大学に存在します。が、それらに対する学生の意識は、各大学によってまちまちです。


慶応

 ほぼ全ての生徒が、なにかしらの運動部に入ります。どんな運動オンチでも、どこかに所属しています。無所属は、100人中、1人か2人。一方、


東大医学部「あんなもん、マジメにやってるって、笑っちゃう?」

 ごく一部の生徒を除いて、基本的に運動部には入らないそうです。天才の考えることは常識を超えています。


福井や群馬などは、半々だそうです。



………



それが目的ではありませんが、医学部運動部に入ることにより、非常に堅固な縦のつながりができます。


縦のつながりは、医学の世界でも特に重要で、たとえば、

大学病院で働いているときに、あの科の偉い先生は同じ部出身というだけで、お互いに「異様な」親近感がわきます。当然、困ったときの助けになります。


「私失敗しませんから」などとほざく医者は、世の中に一人も存在しません。

誰かの助けを借りないと、たとえスーパードクターKでも「失敗します」。縦のつながりは、この業界では「失敗しないために」とても重要で、それを構築してくれるのが運動部なんです。

だから、運動部が新入生を勧誘するときに誘う甘い言葉が、


『うちの部は、歴史が古いから、あの教授とか、あの院長とか、あの医師会長とか、みんなOBなんだよ。』


野球部のように由緒ある運動部が良く使う常套句です。



………



まぁ、運動部に入るかわりに、それ以上のものをやってる!と言えれば、それで十分です。何かがやれる能力と環境があればね。

おそらく東大は、そういう意識なのでしょう。


(あとがき後半へつづく)







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by akogarehotel | 2018-02-08 18:31 | 子育てられ | Comments(0)  

2120. 受験戦争今昔(14) 『塾で教えないこと』

受験戦争今昔(14) 『塾で教えないこと』 



勉強は「競技」。

スポーツと同じ「競技」。


練習して、力をつけて、応用練習をして、自分の能力を確認して、試合に挑む。

ライバルを意識して、足りない部分を補強すれば、最大限の成果を生み出す。

(しかし、それでも勝てないときには勝てないよ。)



眠い目で勉強してもムダ。

それと同じくらいに、低血糖で勉強してもムダ。

それと同じくらいに、つまらないと思いながら勉強してもムダ。


楽しいと思ったら勝ち。

試合を思うと、練習したくなる。練習が好きな人は強い。

試合に向けて、練習メニューは自分で組み立てる。他人がわかるわけない。横槍を入れる他人は、親であろうと無視。

試合なんだから、ライバルがいるといい。賞品があってもいい。



………



そういえば、僕が小論文の「医者になりたい理由」で、どんなことを書いたか?


 『 僕は子供の頃から喘息もち。病気の僕を内科医である母親が一所懸命に看病しれくれた。母親自身の仕事も夜遅くまであるのに、その忙しいなかで僕を治療してくれた。僕も大人になって、母親の仕事を手伝ってあげたい、と子供心に思った。だから僕は医者になりたい。 』


みたいな内容を書いた記憶がある。涙が出そうだ。

もちろん、大ウソ。全ウソ。こんなの作り話に決まってる。

だって、僕が医者になった理由は、


 『 父親が、「医学部以外の大学に行っても仕送りはしない。医学部ならば、卒業するまで学費と生活費を払ってやる。」と言ったから。 』


そんな真実を書いたら、合格するわけない。

だから小論文なんて無意味なんだよ。



では、今現在は「医者になりたい」と思っているか?

僕のもっともあこがれる職業は、これは高校3年生のときから今まで変わっていないが、


   学校の先生になりたい!


高校3年のときの多胡先生に感化された。学校の先生になりたい。

でも、公立学校の先生ってのは、本当に大変らしい。

(なるのも大変だけど、なったあとも、)一言一句、指示されたとおりに授業をしないといけないらしい。

僕のもっとも嫌いとする「指示通り」という指示だ。


うーん、じゃぁ、


  予備校の先生になりたい!


駿台に通いながら、心からそう思った。その気持ちは今でも変わっていない。

だから、たまにそれっぽいアルバイトを引き受けている。

環境が許すなら、今にでも転職する。

学生のころ、親にちょこっとそんな話をしたことがある。すると、


『予備校の先生は大変だよ。人気が落ちたらすぐクビだから。芸能人みたいなものだよ。』



………



最後に、本文に登場した友達たちのその後。


3年7組 2位 サカタ君

一浪して、東大医学部、「育ちのいい大学」医学部、名古屋大学医学部のすべてに合格し、東大医学部へ入学。学生時代からベンツに乗り、卒業後は精神科へ入局。


3年7組 3位 カドムラ君

一浪して「品のいい大学」医学部へ入学。僕の後輩になった。医学部のサッカー部でキャプテンとしてぶいぶい言わせて、卒業後は外科へ入局。


1年7組 2位 アダチ君

高校入学時に同じ組だったアダチ君。一時、僕より成績上位だったこともある彼は、脅威の文系人間。現役で東大(文科系)に入学し、学校の先生となり、数年前から前橋高校に国語の先生として赴任。そして、水球部顧問として活躍中!

(泳げないけど)



洋子さんのことも書く?

お茶ノ水女子大学付属高校から、現役で「超絶品のいい大学」医学部へ入学。管弦楽団でホルンを演奏するかたわら、バドミントン部(選手)、アメフト部(マネージャー)でも活躍。そのうえ、勉強も手を抜かず、大学を主席で卒業。卒業後は眼科に入局。

現在独身。

↓早春物語の原田知世

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慶応病院HPに現在の写真が掲載されています。俺の夢を壊すな!

(はい、そこ、検索しないっ。)



★★★



師、のたまわく、


これを知るものはこれを好むものに如かず

これを好むものはこれを楽しむものに如かず

(最近、読んだばかりの「論語」の一節)


 【訳】如かず(しかず)=かなわない



勝負は「練習(勉強)」が好きかどうかで決まる。

練習が好きな奴は強い。


では、練習が嫌いな奴は、どうする?

少しでも得意な分野、わずかでも興味のあることから始めればよい。

そうすれば、だんだん好きになるよ。



僕が思っていたことを、孔子も言ってます。

奇遇だな、これは。







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by akogarehotel | 2018-02-07 22:32 | 子育てられ | Comments(0)  

2119. 受験戦争今昔(13) 『最終試合』 

受験戦争今昔(13) 『最終試合』 



 「 おい、二次試験を含めて6000円って言ったろ 」



という、ひと悶着は置いといて。



すぐに二次試験がある。

小論文と面接。


 「 二次試験は、病的な性格の持ち主を排除するため 」


というのが当時の通説だった。当然、何も準備していない。

「なぜ医者になりたいのか」だけ考えておいて、試験会場の日吉へ。



ちなみに、ホテルはまた池尻大橋。

再び、先日のゲーセンで夜を過ごし、再び、先日の定食屋で夕食を食べ、

再び、田園都市線のラッシュで渋谷から日吉へ。


小論文の題名は記憶にない。もしかして「医者になりたい理由」だったかも。

面接の内容も覚えていないが、こちらでも「医者になりたい理由」を聞かれたかも。




★★★



ちなみに、面接試験は医学部の医者が担当する。


僕が大学病院勤務だったころ、先輩医者が「今日は面接の試験官だよ、めんどくせー」と言って出かけていった。

彼は正しい。

5分程度の面接で人間の優劣を判断できるはずがない。点数をつけられるはずがない。そもそもが、面接で振り分けようということ自体が間違っている。

だから、面接は「異常な性格」「異常な思想」を持っている人間を排除することだけが目的。

そんな仕事はめんどくさい。入院患者さんの仕事を放り投げて行くべきことではない。



面接で子供を判断して、合否を振り分けるなんてのは、完璧に大人の暴挙。思い上がり。

そんなことをする学校のほうが「異常」だ。

「総合問題」という名の下に、そんなことをする学校が少なくない、というのは困ったものだ。



★★★



「日吉にある大学」の二次試験の合格発表の前に、東大の入学試験があった。



3月3日。

東大の試験は本郷で行われる。

御茶ノ水のビジネスホテルを予約してもらった。ここからなら、歩いていける距離だ。


前日、試験会場をスクーリング。

周りにいる人が、みな東大生かと思うと、自然に背筋が伸びてくる。

ひとしきり「観光」したあとは、恒例のゲーセン探し。

というか、探す必要がない。

大学の目の前には、ゲーセンがずらーーっと並んでいた。もちろん、今のような大規模のものではなく、50円のテーブルゲームばかり。

「大工の源さん」と「熱血硬派くにお君」(パチンコではない)があったのを強烈に覚えている。



試験は、惨憺たる内容。

数学ができなかった。得意種目で得点できない。先行選手が後方7番手で何もできずみたいなもの。これでは論外。桜田門外。

理科英語はまぁまぁなので、来年なら大丈夫だろうな、とは思ったけど…



………



ふたつの大学の合格発表が出ないうちに、もうひとつ大事な試験がある。今期の最終戦。



駿台予備校。

入塾試験に失敗すると、理3アルファクラスに入れない。

気持ち的には、ここが本命。本心からの本命。

大学の発表なんて待たなくていいから、予備校の近くに、さっさと下宿先を探して引越ししたいくらいだ。


試験内容は上々。というか、完璧。

こちらは、早々に結果発表があり、無事に理3アルファ合格。

大学の発表前に駿台入塾を申し込むと、割安料金だという。申し込んじゃってもいいよ、と親に言ったら、まぁ待て、となだめられた。



………



3月中旬。

「東京タワーの近くに本部がある、育ちと品のいい、芦田マナが将来通うであろう大学」の二次試験の発表は、三田校舎に掲示された。

なぜか見に行った。

大学生のおねいさんが見てくれることになっていたが、(信用できないので?)見に行った。



結果は、 「補欠」

二次試験受験者は180人。そのうち、60人が「合格」、60人が「補欠」、60人が「不合格」という。素直に一次試験の点数順だと思う。


定員が65人なんだから、「補欠」はほとんどが無理だと思っていた。



ところが、約7日後、「補欠」が「繰上げ合格」になる連絡が来た。

そして、その3日後、東大は「不合格」だった。


受験戦争は終了した。

通算戦績 6戦5勝





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by akogarehotel | 2018-02-06 23:21 | 子育てられ | Comments(0)  

2118. 受験戦争今昔(12) 『試合』 平成30年2月

受験戦争今昔(12) 『試合』 



高校3年の冬、

年が明けて1月。共通一次試験が間近に迫ってきた。

この頃は、ほとんど高校に行っていない。出席日数を計算すると、1月中旬以降は一日も登校しなくても卒業できる計算だった。当然、計算通りに、一日も登校しなかった。



1月下旬、

共通一次試験。(今のセンター試験)


前の日から興奮して眠れなかった。

意気が昂(たかぶ)って高揚して気合が入りすぎて、眠れなかった。こんなことは人生で、後にも先にもこのときだけだ。

やや睡眠不足で試合に臨んだけど、まぁまぁな感触。


センター試験は5教科。各200点で、合計1000点満点。

理科、数学、英語は満点の200点だった。

社会でちょっと間違えて、でも、もっと悲惨なのは国語の141点。平均点よりちょっといいだけ?

で、合計すると909点。

予備校が発表した東大理III(医学部)の合格目安得点が910点。あと1点足りない。


要するに、「これじゃ受からない」。


しかし、そもそもが今年合格するつもりはないので、この909点という結果には満足。当初の予定通り、東大理IIIを申し込んだ。

もちろん、前橋高校(多胡先生を除く)からは文句ぶうぶう。


 「 東大理I(理工学部)なら超安全圏なのに~ 」



★★★



東大の二次試験(試合)は3月。

その前に、別の試験。


2月中旬。

東京タワーの近くに本部のある「育ちと品のよい名門大学」の医学部。

受験会場は神奈川県の日吉(ひよし)という街。

東京の渋谷から、東横線で40分くらい。


今回の受験には父親はついてこない。ホテルを取っておいたから一人で行って来い、って。しかし、その予約してくれたビジネスホテルの場所が、、、池尻大橋?

渋谷から別路線で2駅。

つまり、日吉に行くには、超ラッシュの渋谷駅を経由しないといけない。

(受験時期はホテルの確保が大変なんです。)

なんか、神様が「渋谷で遊べ」って言ってる?



………



試験前日、ホテルに荷物を預けて、試験会場まで下見へ。いわゆる、スクーリング。

大混雑の渋谷駅で、東急線に乗り換え。代官山、田園調布など、田舎モノには敷居の高い駅を過ぎて、ほどなく日吉へ。

この日は、理工学部の入学試験日だったので、そこそこの人数が出入りしている。



大学の入り口を確認して、帰ろうとすると、

いきなり、世に言う「女子大生のお姉さん」数人に取り囲まれてしまった。


なに??


 『 君は地方からの受験生?遠くまで合格発表を見に来るの大変でしょう?確認して連絡してあげる。特別に、2次試験の結果まで含めて、6000円にしておくよ。 』


なるほど、大学にはこういう学生もいるのか。

サークルってのは、こうやってお金を稼がないといけないのか。

よくぞ、こんな詐欺まがいの方法を考えついたねぇ。

それにしても、このおねいさんたちは品がないなぁ。

でもって、俺って見るからに「田舎から来た受験生」なんだなぁ。



こういうアクシデントは楽しくて仕方ない。

隣では、同じような受験生がいやがって帰ろうとしているのを、無理矢理に手をつかまれている。


 「縁起物は断らない」


いくつかある座右の銘のひとつ。

6000円払って、お願いした。

縁起物なので値切らない。

合格発表くらい自分で見ろ、というべきだが、このときは合格する気がなかったので、発表(落選)を確認してもらえるのは手間が省けてうれしい。



………



池尻大橋のホテルに戻ったら、まだ夕方5時。

さて、、、探検に出かけよう。

この頃から、


 「 初めての街に出かけたら、ゲーセンを探す 」


という習慣が身についていた。

この習慣は現在まで続いている。先日の帯広でもゲームセンターを捜し歩いた。



ホテルから適当に歩き出す。雰囲気とにおいのする方向へ歩き出す。

この嗅覚は、まさにファンタジスタ。

5分もせずにゲーセンを発見。


 「 勝負前にはゲーセンで遊ぶ 」


はジンクスであるとともに、緊張をほぐすという根拠もある。疲れるほど遊んじゃいけないけどね。

1時間くらい遊んで、定食屋で夕食。

この定食屋のテレビでかかっていた名曲「マイ・レボリューション(渡辺美里)」は、今でも忘れられない。何かのドラマの主題歌でしたね。自分の人生の思い出の一曲。



………



翌朝、試験当日。

渋谷(田園都市線)のラッシュは尋常じゃない。押しつぶされながら、乗り換えて、日吉へ移動して、いざ試験。


今シーズンの2試合め。結果は上々。

数学、物理、化学はほぼ満点(推定)。

しかし、英語は半分より、ちょっといいかな程度。

(英語の問題は狂っているとして非常に有名。)


試験会場で会ったサカタは、『物理が難しかったぁ』と。

(だから、お前は、常に2番なんだよ)



さて、

その後、

1週間もしないうちに、女子大生のおねいさんから電話が来た。


 『 おめでとうございます。合格してましたよ。二次試験も合格確認をご希望なら、また6000円を振り込んでください。 』







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by akogarehotel | 2018-02-05 18:40 | 子育てられ | Comments(0)  

2116. 受験戦争今昔(11) 『練習メニューの作り方』 平成30年1月

受験戦争今昔(11) 『練習メニューの作り方』 平成30年1月



高校3年のとき、

夏に水球部を引退した後は、ホント、勉強ばかりやっていた。

だって、楽しいから。


水球も勉強も「競技」。

試合(テスト)でいい成績を残すために、日頃から練習(勉強)する。

僕が練習好きであることは、この自転車ブログで確認済み。それは勉強でも同じこと。時間を惜しんで勉強していた。



夏以降のタイムテーブル(駿台に行かない日)

 午後4:00 学校から帰宅、食事 

 午後5:00 寝る(2時間)

 午後7:00 起きる、犬の散歩

 午後8:00 勉強(4時間くらい)

 深夜1:00頃 勉強終了 寝る


一度寝てエネルギーを蓄え、犬の散歩で目を覚まし、真っ暗でシーンとした真夜中に勉強する。

より効率的に練習するために編み出した、時間の使い方。

それでも4時間程度しか勉強できない。


  「勉強する時間がなーい」



学校へ行く時間がムダだ。

超名門前橋高校は非進学校なので、3年生の2学期なのに受験と関係のない授業をえんえんとやってる。体育は必要だけど、古文とか、社会とか、いらねぇだろ?


校則を確認すると、公立高校は規定日数の5分の1は休んでよいとのこと。規定日数を計算して、ギリギリまで休むことにした。まるで「不登校」のように、


 『 今週は学校に行かなくていいや。よーし、勉強するぞ! 』



………



時間の工夫のほかに、練習の組み立てももちろん大切。


自転車では、練習して脚力が上がると、次の試走でタイムが縮まる。力がついたことを実感し、次への練習意欲が増す。

これは、勉強も同じ。

勉強して能力をつければ、次に似たような問題をすれば、簡単に正答できる。

自転車よりも簡単に、力がついたことを実感できる。そして、さらに練習意欲が増す。


 練習問題 → 似たような問題 → できるから楽しい → また似たような問題 → またできるから楽しい → …

 練習 → 楽しい → また練習 → …


ひたすら、この繰り返し。



………



「達成感」も重要な要素。


「これだけやった!」という達成感でドーパミンが分泌され、また明日からの勉強が楽しくなる。

だから、「ここまで」と決めたところまでは必ずやる。


しかし、そこまでできたら「その先」はあまり無理しない。時間が余ったら、マンガやテレビでも全然かまわない。

時間があるからといって、「その先」に手を出してしまい、それを中途半端な状態で残してしまったら、せっかくの「達成感」が消えてしまうから。


だから、僕は夜中にサイクリングに出かけることが時々あった。

早く終わってしまったら、あとは勉強することがないから。



勉強が楽しくないって人のことが、不思議で仕方がない。

そういう人は、明らかに「練習方法」が間違っている。



………



具体的な練習内容:

前述のZ会(物理、化学、数学、英語)

赤本(過去問のこと。東大、慶応)


これだけ。

これだけ?


あとは、、苦手な英文法の問題集(駿台)と、大好きな物理の問題集(駿台)。



国語と社会は全く勉強しない。

だって、嫌いだから。

無限大に時間が余っているなら勉強してやってもいいけど、そんな状況ではなかったからね。


ちなみに、

東大の試験科目は、センター試験:5教科(全)、と二次試験:3教科(理数英)。

慶応医学部の試験科目は、3教科(理数英)、と二次試験:小論文、面接。



★★★



しかし、志望校が志望校だけに、そう簡単に合格するわけはない。

数々の模試で、東大理Iの合格可能性は上限に届いていたが、東大理IIIの可能性は下限。どこまで低い数値が設定されているのか、調べているようなものだった。

それも当然。

本気で勉強を始めたのが、水球を引退した夏休み。たった半年程度の勉強で受かるほど、世の中は甘くない。気持ち的には浪人予定。


なので、真の第一希望は、駿台予備校。

ただし、そこでも「入塾テスト」があるから、いずれにしろ勉強は必要。

ちなみに、駿台のトップクラスの「理3アルファ」に入るには、東大理Iに入るのと同じくらいの学力が必要です。






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by akogarehotel | 2018-02-03 13:42 | 子育てられ | Comments(0)  

2115. 受験戦争今昔(10) 『駿河大帝国のお姫さま』 平成30年1月

受験戦争今昔(10) 『駿河大帝国のお姫さま』 平成30年1月




とりあえず、当時は、猫も杓子も、バカもアホも、逃げも差しも、全て駿台。



通常通うクラスのほかに、夏期講習や参考書・問題集も駿台。

ぼろもうけだな、ホント。



参考書:

「○○先生の××」というシリーズで100種類くらい販売。


そのなかで、僕が、聖書とあがめるのが「坂間の物理」。

物理学の法則はすべて、数学の微分積分で説明できる、という本。こんなことは大学の物理なら当然のことだが、高校時代にこれを知った僕の感動は計り知れない。


え、速度を積分すると距離になるの?

力を積分するとエネルギーになるの?


勉強(練習)が楽しくて仕方ない。まさに魔法の道具、というか麻薬でした。

高3の12月は物理しか勉強してなかったかも。

もちろん、本人の授業も神がかり的に面白い。大人気なのでなかなか受講できなかった。



………



夏期講習:

各教科ごとに数々の短期講座が開かれる。

「誰々先生の代数幾何」とか「誰々先生の英文法」とか。

各講座は約1週間。講座の数は、夏休み全体で200種類以上になる。


駿台予備校の夏期講習は、異常なほどに、全国的に大人気。

夏休み中だけなら、ということで群馬からも大挙して生徒が押し寄せる。ほぼすべての講座が申し込み即日満員。しかも、申し込みのために3時間くらいの行列待ち。前述の「坂間の物理」なんて、よほど早起きしないと申し込み不可能。

御茶ノ水市谷だけでなく、大宮や横浜校舎もフルに使って夏期講習が開催され、駿台はこのときばかり、と大儲けする。濡れ手に粟の時代だった。



夏期講習は、本当に楽しい思い出しかない。

だって、東京に1週間、泊り込みだよ?!御茶ノ水のビジネスホテルに1週間だよ!

勉強なんて、午後5時には終わるんだから、そのあとは…


サカタと一緒に、御茶ノ水の隅から隅まで探検した。

当時は、御茶ノ水地域には10軒くらいゲーセンがあったが、その全てを見て回った。今とは違って、50円のテーブルゲームしかない時代。毎日3時間くらいゲーセンで過ごした気がする。もっとも遊んだのが「1942」と「チャイコフスキー、ピアノ協奏曲第1番がBGMの車のゲーム」(名前忘れた)


でも、これでも、御茶ノ水エリアの外には出なかったのだから偉い。

同じ前橋高校のコジマ君(本名)とヒロサワ君(本名)は、わざわざ新宿まで遊びに行って、10万円するコーラを飲んだらしいよ。(実話)

東京恐い。



………



そんな夏期講習の、ある日、大宮校舎の、ある講座で、


僕のとなりに、恐いくらいにかわいい女の子が座った。(座席は指定席)

「早春物語」の原田知世に似ている。


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しかし、彼女には見覚えがある。たしか、通常授業のときの同じクラスの女の子だ。

通常授業と、夏期講習は扱いが全く別々で、夏期講習は校舎・日程・科目が多種多様。自分の好みと都合により、200以上の講座の中から、受講する講座を選ぶ。

通常授業で同じクラスとはいえ、夏期講習まで同じクラスになるのは、かなりの偶然だ。しかも、大宮校舎。でもって、隣の席!

これぞ、ドキがムネムネ状態。


その女の子は、お茶の水女子大付属高校の洋子さん(本名)。大宮に住んでいる。

しかし、それ以上は聞けなかった。

純粋な群馬の少年には、ここまでが限界だったよ。


でも、その1週間の講座は、まさにパラダイスだったなぁ。

勉強が手につかない?そんなわけはない。

同じレース(試験、授業)に出ている女性に対して、いいところを見せなきゃいけないんだから、それはそれは一所懸命に練習(勉強)しましたよ、、、、、多分。



 「おれ群馬の神童。わからないことがあったら、聞いてよね」



………



しかし、人生は奇なり。

人類の浅はかな想像を、はるかに越える。



翌年の4月、

その女の子が、同じ大学の同じ学部の同じクラスにいる!


僕の医学部の定員は、たったの65人。そのうち女子はわずかに6人。

クラスはその半分。



これって、奇跡?運命?

運命だと思ったんだけどなぁ、俺は。。。。

(平成30年現在、洋子さんはまだ独身です。)




………



駿台予備校のおかげで今の俺がいる、というお話でした。








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by akogarehotel | 2018-02-02 18:00 | 子育てられ | Comments(0)  

2113. 受験戦争今昔(9) 『駿河大帝国』 平成30年1月

受験戦争今昔(9) 『駿河大帝国』 平成30年1月



高校時代の勉強は、

1年: 特になし

2年~:Z

3年~:駿台

当時の「王道」です。



………



Z会は通信添削。

問題が送られてきて、解答して送り返す。数日後に採点されて帰ってくる。

点数上位者がペンネームで雑誌に掲載される。高校生には熱い楽しい戦い。まさに「競技」。


問題は超ハイレベル。2時間かかって、やっと1問解けるかどうか、という問題。しかし、楽しい。なんてったって「試合」だから。勝てば楽しい。

負ければ悔しいけど、次はがんばるぞ、となる。

理科・数学・英語を3年の12月まで続けた。


このZ会は当時、ほぼ全ての優秀な学生が利用していた。大学に入ったら、

「お前のペンネームって、○○○なの?」と、話が通じる奴ばかりだった。

(しかし、現在のZ会は、地に落ちた。進研ゼミの客を奪おうとして、レベルを落としたと推定。そんなんじゃ「格」が維持できない。)



………



高校3年からは、わざわざ駿台予備校へ通うようになった。

これは僕としては非常に例外的に、親に感謝している点だが、駿台予備校へ申し込みをしてくれて、新幹線通学を許可してくれた。



駿台予備校、英語(現役生):

一番苦手な英語を補強するための「練習」。


浪人生のクラスは市ヶ谷にあるが、現役生は御茶ノ水校舎(東京)にある。

週に2回(月金)、夕方6時から8時まで。

前橋からお茶の水までは、約2時間。

6時間目まである高校の授業を、5時間目で早退。そのまま新幹線で御茶ノ水へ直行するとギリギリ6時に到着する。帰りももちろん新幹線。自宅に帰りつくのは午後10時。片道2時間の「通学」だが、往復の新幹線では、あえて勉強せず、休憩時間とした。



高校の担任は多胡先生。

奇跡の3年7組の担任。化学の先生。僕の史上最高の先生。「学校の先生になりたい」と思わせられた先生。


僕が毎週早退するのを多胡先生が気持ちよく見ているわけがない。しかし、

 「出席日数には気をつけろよ」

と、一言だけ。涙が出そうだ。



当時の前橋高校は(今でも同じと思うが)、非常に驚異的に「封建的」。

 学校のルールを守れ。

 守れない奴も守れ。

 学校を尊敬しろ。

 大学受験はその次でいい。

受験と全然関係ない授業を高校3年生ですることが多いし、2学期後半に体育大会とかあるし、受験の前日に卒業式あるし、、、


教育後進国のグンマーを象徴するような、「非」進学校。

それでいて、東大に数人合格するんだから、生徒の質がいいんだろうね。



そんな高校の中で、多胡先生は光ってた。生徒のことを本当に考えてくれる。


たとえば、

僕は多胡先生(化学担当)が大好きなので、共通1次試験(センター試験)で化学を受験したいと言った。ところが、多胡先生は

 「化学よりも物理のほうが、100点を取りやすいから、物理にしろ。」

と。

それは僕自身もわかっていたが、先生に言われて、納得して物理を受験した。


また、たとえば、

共通一次試験のあと、

校内1位の僕は、東大理Iや理IIなら間違いなく合格する。しかし、東大理IIIは難しい。

学校側としては、「東大に何人」という数字が大事だから、僕には受かるであろう理Iを受けて欲しい。理IIIなんて受けないで欲しい。


多胡先生 「アオヤマ、お前、どうする?」

私     「親が理IIIにしろって」

多胡先生 「そうだよな。」

二言で終了。


その後の職員室で肩身の狭い思いをしている多胡先生の姿が目に浮かぶ。

ちなみに、同じ3年7組のサカタ君も、東大理Iなら合格間違いなしなのだが、僕と一緒に理IIIを受験。結果は不合格。

「東大合格者を2人減らした担任」なんて言われてるのかも。


そんなこという奴は死ね。



………



そんな多胡先生の暗黙の了解があり、平日の御茶ノ水に堂々と通学した。

結果的には、もちろん大正解。

苦手な英語をこれで解決できたので、残りの時間を得意科目にあてることができた。まさに作戦勝ち。


また、現地へ通うことにより、受験の雰囲気も感じられた。これが一番大きいと思う。

東大へ合格するような人たちの雰囲気って、こういうもの?って。


200人くらい入る教室の席順は、成績順で決まっている。

2ヶ月ごとにテストがあり、その結果で席順が変わる。これは、超刺激的だったね。



………



高校3年の夏に水球部を引退。

(これができるから、水泳は便利。)


その後は、ひたすら勉強という競技に没頭。

駿台予備校とZ会。そのおかげで、毎月の模試では、群馬県で1番以外は取ったことがない。

しかし、それでも全国で100番に入ったことは一度もない。最高でも150番くらい。東大理III(医学部)の定員は90人。さすがに、もう一年必要だろうね、とは自覚していた。


同じく、県で2番しか取ったことがないサカタ君は同じクラスの仲良し。

サカタも、東大医学部しか受けないと言ってる。お前、俺より成績悪いのに?なまいき。






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by akogarehotel | 2018-02-01 18:09 | 子育てられ | Comments(0)  

2112. 受験戦争今昔(8) 『糸井重里って知ってる?』 平成30年1月

受験戦争今昔(8) 『糸井重里って知ってる?』 平成30年1月




さて、県立高校の受験は3月。


1番で合格すれば、ラジカセの賞品。

左手で書いたって不合格になるはずがない神童の僕が、ともすれば勉強をおろそかにしがちなところを、賞品よりも「1番を狙え」という名誉をぶらさげられて、


それはそれは本気で勉強しました。



ただ、先日の本庄早稲田とは違って、公立高校の受験問題は素直で簡単な問題ばかり。基本的に満点を取らないと一番にはなれない。

たったひとつの取りこぼしもできない。



結果は、残念ながら国語で2問ミス。

国語は本当に大嫌い。国語なんて教科は消えてなくなって欲しい。


そして順位は3番だったそうな。

ま、何百人、何千人が受けたかしらないテストで3番だから、いいんじゃない?と親が甘やかしてくれて、ラジカセは買ってもらった。親としては、順番なんてどうでもいいから、ちゃんと手抜きせずに勉強して欲しかったというわけだ。

そんなことはお見通し。



………



4月。人生初の「男子校」。

身だしなみを気にしなくっていいって、ラクだ(^^)


1年7組に入学。

クラス分けは、受験の成績順になっている。

全部で9組あり、9組から順に、8組、7組、と成績順に一人ずつ。

1組まで行ったら、折り返して、1組、2組…と続く。

だから、受験成績3番の僕は1年7組。


そして、同じ7組で僕の次の成績なのが、受験成績が16番の学生。

これが、あのアダチ君。

東大に入学して、現在は前橋高校の先生として赴任。

そして、水球部の顧問。


アダチ君は、ギチギチの文系博士で、入学当初から、国語という教科では僕を含めた一般人には理解不能な言語をたびたび発していた。


 『 「国体」という単語には、国民体育大会のほかに、「日本国の様子」という意味があります。 』


「国語」を超苦手とし、教科そのものが消滅して欲しいと思っている僕から見れば、180度違う方向を向いているただの変人だった。

彼は、失礼ながら、完璧な運動オンチ。運動部には入っていない。

なので、僭越ながら、僕が現在の水球部のお手伝いをさせていただいている。



………



僕自身は、高校では水球部に入部。


「水泳をするやつは頭がいい(昭和限定)」の法則。

中学時代に一緒に水泳をしていた友達のほとんどが前橋高校に入学。

これだけでも楽しいに決まっている。


そして、もちろん、「水球」というスポーツは本当に楽しい。

ちなみに、世の中で、もっとも楽しい3大スポーツは、

 水球、モーグル、ポイントレース(ピスト)

で、異論なし。



「水球」の楽しさを知ってしまった。

必然的に、「競技としての勉強」の楽しさがうすれる。当たり前。

勉強がおろそかになる。


そして、1年生の1学期の中間試験。最初の模擬レース。

学年順位が発表され、なんと20番。二桁とかありえないし、アダチ君にも抜かれてしまった。

担任の大野先生(おそらく大卒初任)が、申し訳なさそうに、


 「アオヤマ、あのなぁ~」


と言いながら、ご丁寧にも僕の両親に連絡してくれたらしい。こら!

親としても、いまさら水泳を辞めろとは言いにくいようで、かわりに、


 「門限7時」


が設定された。

高校生が門限7時かよ?!

というか、親も7時に帰って、待ってるとのこと。医者って、そんなに早く帰宅できるのか?



私:高校時代は「部活」と「遊び」

親:勉強しろ

ありがちな親子関係。


仕方がない、親がうるさいから勉強してやる。

次の試合(1学期の期末)では、無事にクラストップへ返り咲き、以後、首位キープ。

だって、神童だから。



………



高校2年の頃、志望校調査があった。


僕が提出したのは、

 ①東大理II(理学部)

 ②東大理III(医学部)

 ③北海道農


「農業の研究者になりたい」

自分としては、人生史上、最高にマジメに考えたつもりだったが、

親から、あっさりと一蹴された。


 『 医学部以外へ進学しても学費は出さない。医学部なら生活費を出してやる。 』


え?

農学部(東大)へ行って、バイトで生活費を稼ぐ苦学生か、

医学部へ行って、親のスネで遊ぶか、

2秒だけ悩んで返答。


 「わかった。医学部に行く。」



志望校は、

 ① 東大理III

 ② 慶応医

 ③ なし(駿台予備校)


いずれにしろ、この交渉で、

 医学部に合格すれば、6年間遊んで暮らせる

という素晴らしい賞品が提示された。


「試合」へのモチベーションがぐんぐん上がってきた。









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by akogarehotel | 2018-01-31 12:39 | 子育てられ | Comments(0)